セルフィ=ライリー=ウォーベック Ⅰ
『誰よりも大切にしたいんだ。』
薄れ行く意識の中そう微笑んだ彼。彼はどんな想いでその言葉を私に言ったのだろうか。
*
もしも、この体が丈夫だったならと何度考えただろう。
もしも、私が男の子のように強ければと、何度想像したことだろう。
けれどもそれは結局頭の中だけの話で、いつだって私は目を開ければ脆弱で毎日を生きることに精一杯なか弱い少女だった。
物心ついた時には既に、私はウォーベック家の別荘に居た。
『セルフィ様のお父上は貴女様のことをお考えになっておられるのですよ。』
そこには、お父様もお母様も居なかった。
『お父上はお仕事で忙しいのですよ、それにセルフィ様もあまりお外へは出られない体ですし。』
そう言って、私は窓1つしかない小さな部屋に閉じ込められた。
自分の体が弱いということは、熱に魘される度に自覚していたことだった。
どうしてお父様やお母様は一緒に居てくれないんだろう、とか。考えたのは1年くらい。結局は体の弱い自分が悪いのだ、という結論に私は一番納得した。
いつも私は部屋の中にある窓をひたすら見つめ続けた。
見つめたって、外には森と傍を流れる川くらいしか見えなかった。それでも、思い出の中にある幼い頃見た外の世界にもう一度出てみたかったんだ。
「セル。」
そんな私の心の支えは、一緒にこの別荘で暮らしているだた1人の兄だった。この屋敷が建っているのは森の奥深い場所で、人もほとんど通らない。そんな場所に遊びたいさかりであるはずの兄は、ただ私が寂しがるからという理由だけのためにここに留まってくれていた。
「オズ兄様!今日は庭の大きな木に登ってましたでしょう?私ここの窓からずっと見てましたのっ!」
部屋に1つしかない丸い窓からは庭の景色が一望できるようになっていた。私の我侭で窓の真横に位置づけてもらったベッドからは、いつも外の様子を見ることができるのだ。
「セルが欲しいって言ってた花を探しに行ってたんだよ。ツル科の植物だったみたいで、木の幹に巻きついて咲いてたんだよ。」
そう言ってオズ兄様が差し出した手には桃色の大ぶりな可愛らしい花が握られていた。あとでメイドに頼んで活けてもらおうと決めながら、その受け取った花を見つめた。
オズ兄様は、優しくて強くてかっこいい。私のヒーローなんだ。
オズ兄様は私の世界そのもので、オズ兄様が居なくなることは私にとっての世界のオワリと一緒だった。そんなの、死ぬのと一緒だって、ずっと思ってた。
なのに
その”オワリ”はあまりにも突然に訪れた。
「・・・・・こん、やく・・?」
オズ兄様の口からさも当然のように紡がれた言葉が理解出来なくて、私は呆然とした。
「そうだよ、ライガスト家のご令嬢とね。」
なんでもないことのように、そう告げるオズ兄様。オズ兄様は、それを望んでいたのだろうか。
「お、オズ兄様は・・・その方がお好きなのですか?」
「え?ご令嬢のこと?そうだな・・・・会ったことが無いから何とも言えないなぁ。」
会ったことが、無い。
そんな人との婚約をこの人は呑気にも笑いながら話しているのか。それは私から近いうちに離れていってしまうということと、同じだというのに。
「や、・・・・ですわっ!嫌です!婚約なんて私は認めませんっ!」
その日初めて、オズ兄様の唖然とする顔を見た気がする。
ポカンとした間抜け面を少し見てから、私はベッドからするりと抜け出した。いつもベッドの中に居たから、外に出た足が少し肌寒かった。
ペタペタと音を鳴らしながら部屋を飛び出す。いつもは厳重に鍵の掛けてあるその扉も、オズ兄様が居るから大丈夫だろうと踏んでいた使用人達のおかげで難なくくぐりぬけられた。
だって、私は認めない。
オズ兄様が婚約を笑顔で受け止めるなんて、嫌だ。だって、それってきっとオズ兄様がもう私から離れたがってるってことでしょう?私のことを嫌いになってしまったっていうことでしょう?
ぼろぼろと零れてきた涙を拭うことなく、屋敷の中をペタペタと走りぬける。元々私とオズ兄様しか暮らしていないこの屋敷では、すれ違うほどの使用人も居ない。
けれども走り続けるには限界の短すぎる私の体は、すぐに息荒く廊下にへたりこんだ。半ば這い蹲るような勢いで階段の下へともそもそと移動した。
絶対に部屋に大人しく戻ってやるもんか。年齢的にそれほど大きくない体を階段の下に押し込みながら、恨みがましく考えた。
やがて、いつも静寂に包まれていた屋敷が騒がしくなり。最後には駆け回りながら私の名前を呼ぶ人々が現れ始めた。見つかるのも時間の問題かもしれない、と縮こまらせていた体をさらに小さくする。
オズ兄様は、嬉しいんだろうか。私と離れることができることが。
そりゃ、嬉しいだろうな。こんな森の奥の屋敷に縛り付けられなくてすむんだ。ご令嬢と一緒に街中を歩いてデートだってできるんだ。嬉しくないはずがないよ。
きっと本当なら、私はそれを歓迎してあげなくちゃいけないんだ。満面の笑みを浮かべながらオズ兄様に「おめでとう」って言ってあげなくちゃいけないんだ。
「うぅー、っぅー」
半ば獣のようなうめき声を上げながら、私はまた泣いた。
階段の下に、僅かな光がさした。
その人は私を見つけると、ものすごく安心したように優しく微笑んだ。ふわふわと浮かぶ魔法の光の玉がそんな笑みを綺麗に照らした。
「なんじゃ、泣くのならもう少し女っけのある泣き方はできんのか?」
いささか刺々しい口調だったけれど、それでもその言葉を紡ぐ声は優しくて全く怖いとは思わなかった。
彼は昔からこうだった。
フラっと現れては私をおちょくり、思い出したようにお土産を置いて帰っていく。どこまでも気ままな人。
「フィー。」
魔法の天才と呼ばれた、オズ兄様の友でもある人。
「フィーが何を言おうと私は戻りませんわ!それ以上こっちに来るのでしたら、フィーにだって怒りますわよ!!」
びーっと指で線を引いてみせると、階段下の埃がふわりと舞い上がって、こほこほと咳き込んだ。侍女長、掃除がなってませんわよ。そう思いながら、相変わらず弱い体に悔しさを覚える。
「ほら、お前はすぐ体が弱いのを忘れる。大丈夫か?」
とんとんとフィーが私を抱きしめるようにして背中を叩いた。いつものフィーから香る匂いに少しだけほっとして、ぽろりと本音が零れ落ちた。
「オズ兄様・・・・婚約、する・・・って。」
「・・・・もう聞いておったのか。」
「フィー、知ってたんだ。オズ兄様、嬉しそうに笑いながら・・・そう、言ったんだよ。」
必死に取り繕っていた口調が、ぼろぼろと落ちて言った。いつだって、フィーが相手だと最後には本音を零してしまう。オズ兄様にも、誰にも言えなかった私の本音。
「まあ、オズワルドたっての願いだったしな・・・・。」
その私の本音に、フィーは絶対に嘘は返さない。どんな小さなことだって、本当のことを言ってくれる。
でも、涙はやっぱり零れた。やはり、オズ兄様は私から離れたかったのだ。オズ兄様が、それを望んだのだ。
「なぜ泣く?」
「悲しいからっ・・・・、離れて、行っちゃうの・・・・嫌われちゃうのは・・・・悲しいから。」
どんどん尻すぼみに小さくなっていく声に応えるように、フィーがまたとんとんと背中を叩いた。
「セルは少し勘違いをしているようだな。」
何のこと?と少し体を離してフィーの顔を見た。フィーはなんて事も無いように、私に爆弾を落とす。
「オズワルドが婚約するのは、セルのためだろう?」
「・・・え?」
私の、ため?
「なんだ、相手のことについてはまだ何も知らんのだな。相手のご令嬢は巷じゃ有名な治癒術使いでな。」
治癒術。それは、私の体を治す残り少ない方法。
私の体は元々弱い。けれども、それに重なるようにして患っている一種の呪いとも言える病のおかげで、私の寿命は普通の人よりもさらに短い。それを唯一治せるであろう方法がその治癒術になるんだけど、そもそも才能を持つ者が少なく、数少ない扱える者も神殿が独占していた。
『16、・・・・17歳がいいところでしょう。』
そう、お医者様はおっしゃっていた。あれから何度も何度も死にそうになりながら、どうにかこの体は持ちこたえてきた。けれども、自分でも分かるのだ。
もう、そろそろ限界だと。
私は、今年で16歳になった。来年の誕生日は、もう迎えられないかもしれない。
以前にも増して食欲が落ちた。オズ兄様が2年前にプレゼントしてくれたドレスが、ぶかぶかになった。
兆しは所々に現れ、オズ兄様はそれに気づくたびに顔を歪めてた。そんなの、前々から分かっていたことなのに。
『大丈夫ですわ。』
と笑っても、オズ兄様は笑顔を返してくれなくなった。
「私の、せいですのね・・・・」
私が、またオズ兄様を縛った。オズ兄様の自由を、奪ってしまった。
「セル、長く生きれるんだぞ?もしかすると、外へ出れるかもしれないんだ。それはずっとお前が望んでいたことだろう?」
幼い頃、飲んだジュースには呪いが掛けられていた。
それは私の寿命を縮める原因となったもので、一種の毒に近かった。体内から魔法を構築し、それは私の寿命をさらに短くしてしまった。
昔は屋敷の外へ抜け出すことは、たまにあることだった。オズ兄様やフィーが私のために大人たちの隙をついて連れ出してくれていたのだ。
けれど、オズ兄様はもうそれをしなくなった。外へ出ることが、この体にさらに負担をかけ私の寿命を縮めることを恐れたのだ。ただ外へ出ることが、私にとっては自殺行為に近かった。
なぜ私がこんな呪いを受けたのか。恨みを買うようなことをいつしてしまったのか。
悩みに悩んだけれど、答えは出なかった。自分で言うのもなんだけれど、屋敷の人たちとは仲が良かったし、ご令嬢達とも特に問題のない関係を築けていたように思える。
そして後に捕まった犯人は、屋敷の使用人だった。
彼は庭師で、屋敷の庭に咲く花々は若いながら才能のある彼が、一生懸命咲かせた子達だった。私は体が弱く幼い頃から寝込む事が多かった、そのため彼が咲かせた庭の綺麗な花々は私をいつも楽しませてくれていた。
『お嬢様が飽きる間もないくらい、色んな花を咲かせて見せましょう。』
庭師である才能で最も必要な、花を咲かせる魔法。彼はそれを手品のように操っては、よく私を笑わせてくれた。とても、優しい人だった。
『お嬢様が苦しんでいるのなんてもう見たくないんだ!!その呪いは寿命を縮めてしまう・・・・でも、最後には必ず安らかな死を与える一種の幸福な魔法なんだ!』
だから、お医者様も他の魔術師達も私に手を出さなかった。呪いに勝手に手を加えれば、どんなことが起きるか分からないから。
彼は、私のことを憎んでいたわけではなかった。けれども、私の死を願っていた。死によって苦しみから解放されることを願っていた。
一瞬だけ、その言葉に魅了された。
なんて、なんてそれは幸福な魔法なんだろう、と。熱に呻き苦しみながら死ぬのではなく、安らかに眠るように死ぬことができたなら、それはとても幸福なことではないか、と。
でも、彼を殴りつけたオズ兄様の形相を見て、そんなこと考えたらここまで私を支えてきてくれたオズ兄様に失礼なのだと気がついた。
あれから、一生懸命生きようとした。呪いが自分の体を蝕んでいるのか、元々弱い自分の体が崩れていっているのか。そんなことすら分からないけれど、良いと言われる食べ物は不味くても食べたし。暗いことなんて考えないようにした。
笑って、笑って、明るい女の子になった。オズ兄様の暗い顔なんて見たくなくて、私は偽ることを覚えた。最後を迎えたとき、オズ兄様の暗い顔なんて見たくなかった。
よく頑張ったねって、もう疲れたねって。そう言って私の死を受け入れて欲しかった。呪いなんてなくとも、私の寿命は短かったのだから、きっと呪いに掛からなくても私は同じことを考えただろう。
でも、オズ兄様は諦めてなかった。私が当の昔に諦めた、生きるという可能性を諦めてなかったんだ。
「フィー、私、オズ兄様に酷いこと言っちゃった、どうしよ、オズ兄様、ほんとに今度こそ、私のこと嫌いに」
「ならないから泣くな。これ以上泣かせれば怒られるのは俺なんだ。頼むから泣き止め。」
苦い顔をするフィーを見て、深く息を吸って心を落ち着かせる。
「私は、・・・まだ生きていいんですの・・・・?」
「当たり前だ。オズワルドは少なくとも諦めてない。」
フィーが階段下から私を引っ張り出す。
「ほら、謝りに行くのを手伝ってやる。」
私の返答なんて聞かずに、繋いだ手はそのまま廊下を歩く。
私は、私のヒーローであるオズ兄様が大好きで。オズ兄様は私の世界そのものなんだと思ってる。
でも、フィーは私にとっての救済者だった。私が困ったときに絶対に助けてくれる。そんな信頼をフィーに持っていた。
繋いだ手が心強くて、ぎゅ、と握り締めた。フィーが一緒なら、きっとどんなとこだって怖くない。オズ兄様と一緒くらい安心できる。
「ありがとう。フィー。」
「貸しというやつじゃ。お前が元気になったら返してもらうからの。」
そうやってなんでもないように私に言葉を返したフィー。
それが、私の容態が急変する一週間前の出来事だった。




