本当のこと
更新途絶えさせてしまって申し訳ありません!
いつも読んでくださる読者様、本当にありがとうございます。
「あーもうだめ。もう無理。」
そう言いながら思いっきりソファにダイブすると、呆れたようにステラが笑った。
でもね、疲れたんですよ。何時間かぶっ続けで本を読み続けて目がしょぼしょぼするし、部屋に帰るまでが思いのほか遠すぎて座りっぱなしだった足には少々酷なものがあった。ついでに言うと、覚えようと思っていた図書室までの道もすっからかんである。
「このお城はとても広いですから、お疲れになるのも無理はありませんわね。」
いつの間にやら用意していたらしい紅茶を、労わるようにステラが私に差し出した。
体力には自信があったと思うんだけど、ここのところやっぱり体に違和感を感じる。元の世界に居た頃にはなかったもので、やはりこっちに来てから感じるものだ。
体の奥底で、何かが自分の存在を主張している。
その何か、っていうのもやはり曖昧でよく分からない感覚的なものだ。
元の世界に居た頃も、ふと自分が分からなくなることがあった。
寝転がったまま上に翳した手をグーパーと開いてみる。これは私の体で、この手は私の手。
けれども、それがたまにふと揺らぐのだ。
私の手は、肌の色は、髪の色はこんなだっただろうか。
違うわけなんて無いのに、ふと鏡を見た時なんかに変な違和感を感じた。それを深く考えようとするんだけど、結局は途中でやめてしまった。
怖かったのだ。もし、自分が自分でないと知ったとき、どうなるのかを私は知らない。でも、それが今まで生きてきた人生を否定されるくらいに苦しいことだってことを、私は薄々感じてた。
だから考えないように。気のせいだと思うようにしてきたのに。
こんな風に体自体に違和感を訴えては、無視できるものも無視できなくなってしまう。
「変。」
「へ!?すぐに淹れなおしますわ!」
ヒラヒラと翳した手を振ってから小さく呟くと、ステラに紅茶の味がおかしかったのかと心配された。そんなことないよ。ステラの紅茶はいつだって美味しいから。
ステラの誤解を解くと、寝転がっていた体をソファから起こした。
私の意識のあるうち、この体は2本の矢に打ち抜かれていた。
1本目は、右肩。気づけば、赤い血が手に伝っていたのを覚えている。けれども、その傷はオズワルドさんの治癒術というやつのおかげなのか、傷跡1つ残さず消え去っていた。
そして2本目は左胸にかなり近い位置。
といっても意識は朦朧としていたため、自信はない。けれども、馬鹿でも分かる急所。心臓の近くだ。ぴたり、と手を当てると何かが疼いたような気がして、服の上からぎゅっと握り締めた。
「私・・・・死にかけたんだよね。」
「え?えぇ、そうですわ。ウォーベック様の魔法が無ければ本当に危ないところでしたわ。」
「・・・・うん。そうだね。」
一度だけ簡単な傷をトキに治してもらったことがある。
あれも、オズワルドさんと同じ治癒術と同じ類のものなのだろう。といっても、それはたった一度きりのことだった。そもそも、トキは私に怪我をするようなことをさせてはくれない。つまり凄まじく過保護なのだ。致命傷を治してもらうなんて事態に陥ったと知られれば、1ヶ月くらいは見張りがつきそうだ。
『だから俺より前に出るなって言ったんだ。半径1メートルから離れるなとも言った。なのになんでお前はまたこういう――――』
なんていう説教を聞くのは前回でこりごりなのだ。
昔の説教の長さを思い出してうんざりした顔をしていたせいなのか、ステラが心配そうな顔をして私に告げた。
「ヒヨリ様、夕食の準備をいたしますね。やはり顔色は優れませんし、皆様にお伝えして今夜はここで頂きましょう。」
「うん、ありがと。助かるよ。」
そのままの体勢でごろごろしていると、暫くしてからステラが小さなカートを押しながら部屋に戻ってきた。
「ヒヨリ様、お待たせいたしました。」
夕食の良い匂いに少しだけ頬を緩めながら、重い体を持ち上げた。
視界が揺れた一瞬。
私は僅かに何かが視界を占めたのがわかった。でも、それもほんの一瞬ですぐに見えなくなってしまった。気づけば、笑顔のステラが夕食の説明をしながら、私を席に促していた。
黒い、何かが見えた気がした。
魔の空気は煙みたいなモヤモヤしたやつだったけど、私が一瞬見たのは炎みたいなそれだった。
きっと、疲れているんだろう。目を酷使してしまったし、お腹もすいた。早くご飯を食べて寝てしまおう。明日のことは明日考えればいいよ。
『ヒヨリ、大丈夫ですか?』
心配してくれるセルにひらひらと手を振りながら、ステラに促された席に座った。
「いただきます。」
慣れた挨拶が、寂しく部屋に響いた。誰も、こんな挨拶は知らない。ステラだってセルだって首を傾げてた。元の世界の挨拶なのだと説明をしながら、やはりここは私の居たい場所ではないのだと痛感していた。
そんなのは、当の昔に分かっていたことだった。
「・・・・・おいしいね。」
私は、生きてるんだ。
弓矢で心臓を貫かれそうになったけれど、私は今日も生きている。
ねぇ、トキ。
私は今日も元気です。
あの時告げようとして伝わらなかった言葉を、心の中で言った。
『ほら、早く食べろ。俺の手料理が食べれないとか言うなよ?』
『い、いえトキさん。これさっき襲い掛かってきたモンスタ『何か言ったか?』
『いえ何も。』
私に器を突き出しながら催促するトキを思い出して、笑みを浮かべた。でも、あの料理は中々おいしかったよ。見た目はえげつなかったけど。そう思いながら、私は見た目も味も中々な料理を口に運んでいく。
食べ終わると、ステラが食器をテキパキと片していく。それらを全てまとめて部屋を出て行ったところを見届けてから、私は1つの記述を口にした。
「”一度罪を犯したものは、魔に誘発されやすい”」
『私も、その記述なら読みましたわ。』
口にするとセルも同意するようにまた頷く。結構常識的なことなのか、ほとんど関係のある書にそれは記されてあった。
「誘発されやすいってことはさ、やっぱり王子が私達のことを城下に出さないって言ったのにも関係があるのかもしれないね。」
ソファの下の影に手を伸ばしてから、ひっそりと忍ばせていた本を一冊手にとった。
そこにも書いてある同じ記述。盗難から殺人まで、幅広い罪を犯した者達がなぜか魔の空気に誘発されやすくなるらしい。
魔の空気が元々減らないこの世界では、いつも聖女様を呼ぶ儀式前はいつもこんなものらしい。犯罪が増加し、城下がとてもじゃないけど安全じゃなくなる。
つまり王子は、私達を城下に出さなかったんじゃない。”出せなかった”んだ。
出せば、きっと何かに巻き込まれるだろう。聖女様とかどうとか関係なくても、ね。
「それだけ今は危険な状態ってことだよねー。」
この状況でこっそり部屋を脱出したりしたら、そりゃまあ心配されるかもしれないなぁ。なんだよこれ、ほぼ八方塞じゃないか。オズワルドさんの説得だって頓挫したし、魔の空気の浄化だって、部屋から出ることすら叶わない。
魔の空気についての記述が書いてある本は結構あった。この世界では死活問題なのだから、有名なのは不思議じゃない。
でも、霊送りの儀については魔の空気ほどの収穫は得られなかった。なんというか、どれもこれも曖昧なのだ。死神が霊送りを行うのは神話に多く書かれてたりはするんだけど、その契約者っていうのは滅多に登場しない。
登場したとしても、霊送りの仕方は全部バラバラ。歌で魂をあの世に送った者も居れば、楽器を使った者も居るという。共通点すら分からないんだけど。
ため息をつきそうになりながらも、ふわふわと浮かびながら鼻歌まで歌っているセルに視線を送った。
見た目は普通の少女だ。もちろん浮いてなければの話だけど。見続けるのには大分慣れてきたし、意識してれば普通の人間に見ることだって出来る。
セルは、たいてい楽しそうにしてる。そういう人を見ると、なぜだか見てるほうも楽しくなってくる。
セルは、感情表現が豊かだ。それはまるで、何も知らない子供の反応だ。
セルは、優しい。私にも、虫や動物、果ては木々や花や本にまで。
セルは、誰かに憎まれるような人間じゃない。
それでも
セルは、その昔誰かに殺されてしまったんだ。
目の前でかろやかに空中をターンした少女を見て、思わず口にした。
「ねぇ、もしかしたら犯人が捕まえられるかもしれないんだよ?」
魔の空気に誘発された犯人が、何か行動を起こすかもしれない。少し危険は伴うかもしれないけれど、これは一番のチャンスだと思う。
そんなのあの記述を知ってる人間から言わせてみれば当然のことなのに、セルはそれを私には提案しなかった。ただひたすらオズワルドさんの説得を優先しようとした。
――――『説得、ですからね。』
何度も念を押すように、彼女はその言葉を繰り返してた。最初は私が人を殺すことを避けたいのかと思った。セルは優しいし、気遣ってくれている可能性だって十分にあった。
でも、それがダミーだ。
私が殺すことを避けたいんじゃなかった。無論、オズワルドさんが殺すことを避けたい訳でもなかった。
つまり、セルは。
「どうして、犯人を殺したくないの?」
犯人を生かそうとしてる。
そう告げれば、分かりやすくセルは戸惑った。そして、私の考えていることを窺うように沈黙した。どちらも言葉は漏らさなかった。私は少し浮かんで高い位置に居るセルと視線を合わせるために、ソファから立ち上がった。
『・・・・私、殺されたんですのよ?その方に。』
「だったらすぐに私に殺させようとするでしょ。貴女にとってオズワルドさんは世界も同然だったんだから、そんな人を穢させるくらいなら、余所から来た他人にやらせればいい。」
なんと言ってもポイントは、異世界召還の儀。
「異世界から来た人間であれば、すぐさま極刑にはならない。法律の本でさっき確認したし、雛ちゃんっていう聖女様をどついた私が、普通ならすぐにその場で処刑されてもおかしくないのにまだピンピンしてる。ってことは、そういうことじゃない?」
『・・・・・よく短時間の間に調べられましたわね。異世界の言葉ですわよ?』
「そこんとこは私にもよく分かってないんだけどね。でも途中から予想してたよ。”オズワルドさんではない人間”かつ”法律にもそうそう引っかかったりしない人間”っていう最高の条件が揃ってる私を使わないなんて、そりゃもう犯人を殺したくないって以外に理由が見つからないよ。」
しかも、私は死神と契約して異能力だって持ってる。こんな私を使わない手はないだろうに、セルはあえてオズワルドさんを説得することを選んだんだ。でもまぁ、残りの何%かはセルの性格故という理由に掛けてたから、今のは半分鎌掛けみたいなもんだったんだけどね。
『ほんと、何から何まで鋭いですわね。』
諦めたようにため息を吐いたセルが言った。
「認めるってこと?」
『えぇ。認めますわ。”私は私を殺した人間を殺したくない”のだと。』
セルはそういって微かに笑みを浮かべて見せた。諦めの滲む笑みだった。
『全く・・・・オズ兄様にも困ったものです。説得などやはり最初から無理だったのでしょうね。』
「・・・・ねぇ、確認するけど。つまり改めると、セルの願いはオズワルドさんの復讐をやめさせることと、犯人を誰にも殺させず生かすことなの?」
セルは私の疑問に静かに頷いた。
『本当は、・・・・ただ、優しかっただけなのです。』
少しその青い瞳を伏せながら、セルは静かに言った。
『知りたければ、覗いてみると良いですわ。』
セルの冷たい両手がピタリと私の頬を押さえ込んだ。そして次の瞬間セルの大きく開かれたその青い瞳に、吸い込まれるような感覚に陥った。
なんだこれ。体が急に重くなって言うことを聞かなかった。立ち上がっていた体に急に何倍もの重力を掛けられて、無理矢理意識が引き剥がされるような感覚。呆然と何の抵抗もせず、死神の力さえ使わなかった。それはきっと、私にその力を行使したであろうセルが、とても悲しそうな顔をしてたから。
最後のなけなしの力で、頬に添えられたセルの手を上から包んだ。冷たい手がピクリと動き、青い目が驚いたように見開かれた。周りの景色が上へとのぼり、私の体は下へと落下していった。
立ち上がっていた体は残念なことに、ソファの上ではなくそのまま床へ向かって倒れていった。
やばいな、ステラにまた心配かけてしまう。と考えた時。丁度部屋の扉から後ろにオズワルドさんを従えたセルが入ってきた。
私を見てその深い緑色の目が恐怖に染まった。持っていたお盆が床に落ちるのと同じくらいに、私の体も強く床に打ち付けられた。
「ヒヨリっ!!」
「ヒヨリ様!!」
抱え起こされたけれど返事をする元気も無く、ただ目の前に居るセルを見つめ続けた。
『ちょっと疲れるかもしれませんけれど・・・・私は説明があんまり得意ではないんですの。だから、自分の目で見てくださいまし。』
なんて適当な、と思いながらも意志に反して目は勝手に閉じていく。
「ヒヨリっ!ヒヨリ!!目を開けろ!!」
叫ぶオズワルドさんの声がだんだんと遠のき、全てが暗闇に変わった。
そこで目の前に現れたのは、ベッドの上から窓の外を見つめ続ける幼い少女の姿だった。




