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『あみだくじが結んだ縁と、平安美人の取り扱い説明書』

作者: 野山 佳宏
掲載日:2026/10/17

「はい、全員の席が決まりました! 文句は受け付けません!」


「先生、質問です」


「はい、田中君」


「なんで入学して一か月も経ってから、席替えをあみだくじでやる必要があったんですか?」


「公平性を期すためだ」


「出席番号順でも十分公平だったと思います!」


「人生には予想外の出会いが必要なんだよ」


「だったら先生が自分であみだくじを引いて、校長室にでも異動してください!」


「山本、職員室に来たいのか?」


「遠慮します!」


 教室が爆笑に包まれた。


 高校一年生になって最初の席替え。担任の謎のこだわりにより、クラス全員の名前をホワイトボードに書き、横線を引き、縦線をつなぎ、最後にあみだくじをたどるという、現代文明に対する挑戦のような作業が行われた。


 そして、俺の新しい席は教室の真ん中あたり。


 後ろの席には、見覚えのある女子が座っていた。


 小学校から顔を知っている、同じ町内の女子。


 名前は、白石凛。


 肩まで伸びた黒髪に、色白の肌。ぱっちりした目が印象的な、なかなかの美人だ。


 ただし、俺と彼女の間には、これまで特別な交流はなかった。


 それなのに。


「……」


「……えっと、白石?」


「何?」


「いや、これからよろしく」


「別に」


「……はい?」


「よろしくする必要、ある?」


「え、席が前後になったんだけど」


「だから?」


 彼女は俺を一瞥すると、露骨に視線をそらした。


 なんだ、この対応。


 俺、何かしたか?


 前世でこいつのプリンでも食べたのか?


 いや、そもそも前世なんて知らん。


 その日から、俺の高校生活に新たな謎が誕生した。


 白石凛は、俺にだけ妙に冷たかった。


「白石、消しゴム落ちたぞ」


「見ればわかる」


「いや、拾って渡そうと思って」


「頼んでない」


「……そうですか」


「あと、机を後ろに下げすぎ。こっちのスペースが狭い」


「いや、普通に座ってるだけなんだけど」


「そう」


 机と机の間に、目に見えない壁が存在していた。


 いや、壁というより国境だ。


 俺が少しでも後ろに寄れば、即座に外交問題が発生する。


 しかも、彼女は口調だけでなく、態度まで冷たい。


 別に怒鳴られるわけではない。殴られるわけでもない。


 ただ、言葉の一つ一つが、妙に鋭い。


 俺は毎日、背中に見えない小さなナイフを突き立てられている気分だった。


「なあ、俺って白石に嫌われてるのかな」


 昼休み、友人の田中に相談した。


「知らん」


「即答かよ」


「お前、白石と何かあった?」


「ない」


「じゃあ、告白して振られたとか?」


「会話すらまともにしたことがない!」


「じゃあ前世だな」


「お前もそう思うのか!」


 田中は弁当の卵焼きを食べながら、真剣な顔で言った。


「女の子の考えてることなんて、俺たちにわかるわけないだろ」


「お前、恋愛経験ゼロだろ」


「お前もだろ」


「……否定できない」


 そんな日々が一か月ほど続いた。


 ところが、ある日。


「おはよう」


「……おはよう?」


「何、その疑問形」


「いや、白石が普通に挨拶したから」


「挨拶くらいするでしょ」


「先週まで俺の存在を公害みたいに扱ってなかった?」


「気のせいじゃない?」


「気のせいで済ませるには、俺の精神的被害が大きいんですが!」


「うるさい。授業始まるよ」


 それから彼女の態度は、少しずつ普通になった。


 消しゴムを拾えば「ありがと」と言う。


 プリントを後ろに回せば「はい」と受け取る。


 たまには授業中に、小声で話しかけてくることもあった。


「ねえ」


「はい?」


「数学のここ、わかる?」


「え? ああ、ここはこうして……」


「ふうん。意外と頭いいんだ」


「意外と、は余計だろ!」


「じゃあ、期待どおりに頭悪いって言えばよかった?」


「ごめんなさい、今のままでお願いします」


 ……あれ?


 もしかして、俺は許されたのか?


 何を許されたのかは知らんが。


 気になって仕方がなかった俺は、ある日の放課後、思い切って聞いてみた。


「白石」


「何?」


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「お金なら貸さない」


「まだ何も言ってない!」


「じゃあ何?」


「なんで最初、俺にあんなに冷たかったの?」


「……ああ」


 白石は、ほんの少しだけ気まずそうな顔をした。


「それ、聞くんだ」


「一か月くらい悩んだんだぞ。俺、何かしたのかって」


「何もしてないよ」


「じゃあ、なんで?」


「……あんた、桜井さんと付き合ってるんだと思ってたから」


「…………は?」


 桜井美咲。


 俺の幼馴染だ。


 小さい頃はよく一緒に遊んでいた。家も近く、親同士も顔見知り。


 しかし、高校に入ってからは、ほとんど話していない。


 それでも俺は、心のどこかで彼女との関係が昔のように戻ることを期待していた。


 できれば、その先も。


「いや、付き合ってないぞ?」


「知ってる。最近、違うってわかったから」


「誰から?」


「友達が桜井さんに聞いたらしいよ」


「情報網が怖い!」


「それに、あんたたち、最近全然話してないじゃん」


「……まあ、そうだな」


「だから、私が変に近づいたら悪いかなって」


「いや、だからって、あの態度はひどくない?」


「……それは、ごめん」


 意外にも、彼女は素直に謝った。


「桜井さんと付き合ってるなら、あんたに近づくのはよくないと思ったの。だから、距離を置いてた」


「距離の置き方が国境封鎖だったんだけど」


「うるさい」


「はい」


「……でも、付き合ってないんだよね?」


「付き合ってない」


「好きなの?」


「……まあ、昔から好きだったんだけど」


「昔から?」


「うん。仲良くなりたいし、できれば付き合いたいなって。でも、最近は全然話せてないし、どうすればいいのかもわからなくて」


 気がつけば、俺は余計なことまで話していた。


 幼馴染との関係が遠くなって寂しいこと。


 昔のように話せたらうれしいこと。


 できることなら恋人になりたいと思っていること。


 全部、話してしまった。


 白石はしばらく黙っていた。


 そして、盛大にため息をついた。


「……諦めたら?」


「早い! 結論が早すぎる!」


「だって、今の話を聞く限り、あんたが好きなのは昔の桜井さんでしょ?」


「え?」


「昔は仲がよかった。昔は一緒に遊んだ。昔は好きだった。……今の桜井さんのこと、どれだけ知ってるの?」


「…………」


「今、何が好きで、何に悩んでて、どんな毎日を送ってるのか。知ってる?」


「……知らない」


「じゃあ、今の桜井さんを好きなのか、思い出を好きなのか、ちゃんと考えたら?」


 ぐうの音も出なかった。


「それに、あんた、話してる間ずっと昔のことばっかりだったよ」


「……はい」


「まあ、頑張れば?」


「諦めろって言ったじゃん!」


「諦めるかどうかくらい、自分で決めなよ」


 冷たい口調だった。


 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。


 むしろ、初めて彼女が俺のことを真剣に考えてくれた気がした。


 ……いや、待て。


 俺は今、恋愛相談をしたんだよな?


 なんでこんなに疲れているんだ?


 それから、俺と白石は以前より話すようになった。


 そして、帰る方向が同じだとわかり、一緒に電車で帰ることも増えた。


「ねえ、あんた」


「何?」


「桜井さんとは、今日も話さなかったの?」


「……うん」


「ふうん」


「何、その顔」


「別に。進展がないなって」


「毎日進展するわけないだろ!」


「一か月に一回くらいは、何か起こしなよ」


「恋愛を定期テストみたいに言うな!」


「赤点ね」


「採点が厳しい!」


 白石は、いつもこんな調子だった。


 口は悪いし、遠慮もない。


 しかし、話していると妙に楽しかった。


 何を言っても遠慮なく返してくるから、こちらも気を使わなくていい。


 そして何より、彼女は俺の話をよく聞いていた。


 ……まあ、聞いたあとに容赦なく切り捨ててくるのだが。


 ある日の帰り道。


 電車を降りると、外は土砂降りだった。


「……雨?」


「雨だね」


「傘、持ってないんだけど」


「俺は持ってる」


「……へえ」


「何、その期待するような目」


「別に。あんたの傘が何センチあるか確認しただけ」


「傘に興味を持つなよ!」


「じゃあ、私はここで雨宿りするから」


「いや、家まで送るよ。方向同じだし」


「……いいの?」


「いいよ」


「ふうん」


 俺たちは一本の傘に入って歩き始めた。


 白石は小柄というほどではないが、俺より少し低い。


 肩が濡れないように傘を彼女側へ傾けると、俺の右肩がびしょびしょになった。


 それでも、まあいいかと思った。


 彼女が風邪を引くよりはましだ。


 ところが、家に着いた白石は、俺の肩を見て言った。


「……ねえ」


「何?」


「私の肩、ちょっと濡れてるんだけど」


「え?」


「傘、ちゃんと差してた?」


「いや、俺の肩を見てくれ。こっちは水没寸前だぞ」


「だから何? 私の肩も濡れたんだけど」


「……すみません」


「次はちゃんと差してよね」


「はい……」


 理不尽だ。


 しかし、なぜか腹は立たなかった。


 それから数日後。


 俺は、つい余計なことを口にした。


「そういえば、白石ってさ」


「何?」


「平安時代に生まれてたら、絶対に美人って言われてたと思う」


「…………は?」


「いや、色白で目がぱっちりしてて、黒髪がきれいだし。なんか、平安美人って感じがする」


「……それ、褒めてるの?」


「もちろん」


「じゃあ、今の時代では美人じゃないってこと?」


「いや、そういう意味じゃなくて!」


「目が大きいのが珍しい時代なら美人ってこと?」


「待て、話を悪い方向に進めるな!」


「黒髪が長いから、昔なら価値があったってこと?」


「価値って言うな!」


「つまり、現代では微妙だと」


「違う! むしろ普通に美人だと思ってる!」


 白石は、ぷいっと顔をそらした。


「……最低」


「えっ」


「女の子の容姿を、時代ごとに分類するなんて」


「ご、ごめん!」


「私、そんなに変?」


「変じゃない! きれいだと思う!」


「じゃあ、最初からそう言えばいいじゃん……」


 彼女の目が、ほんの少し潤んでいた。


 俺は慌てて頭を下げた。


「本当にごめん! 悪気はなかったんだ! 褒めたかっただけなんだ!」


「……知らない」


「ごめんなさい!」


「……もういい」


「本当に?」


「次、同じこと言ったら許さない」


「言いません!」


 その日から、俺は帰りに白石の鞄を持つことになった。


「はい、鞄」


「……なんで?」


「反省の証」


「意味がわからないんだけど」


「あと、家まで送る」


「毎日?」


「毎日」


「……あんた、下僕なの?」


「違います!」


「じゃあ、鞄返して」


「持たせてください!」


「どっちなのよ!」


 こうして俺は、雨の日だけでなく、晴れの日も白石を家まで送ることになった。


 ……俺の高校生活は、どこへ向かっているのだろう。


 ただ、一つだけ変わったことがあった。


 桜井美咲のことを考える時間が、少しずつ減っていた。


 昔の思い出を懐かしむことはあっても、無理に仲良くなりたいとは思わなくなった。


 その代わり、今、目の前にいる女子のことが気になっていた。


 口は悪い。


 人使いも荒い。


 俺の肩が濡れたことには無関心なのに、自分の肩が濡れると大問題にする。


 それでも。


 電車の中で俺の話を聞いてくれる横顔や、くだらない冗談に笑う顔を見ると、胸が妙に落ち着かなくなった。


 そして、六月に入る少し前。


 俺は、ついに決心した。


「白石」


「何?」


「ちょっと、話があるんだけど」


「お金なら貸さない」


「それ、もういいから!」


「じゃあ何?」


「……俺、白石のことが好きだ」


「…………」


「最初は、なんで嫌われてるのかわからなくて、すごく困った。でも、話すようになってから、一緒にいるのが楽しくなった。毎日、帰りに話すのも楽しみになった」


「……うん」


「だから、俺と付き合ってほしい」


 白石は黙ったまま、俺の顔を見つめた。


 やがて、ふっと息を吐いた。


「……あんたって、本当に面倒くさいね」


「はい……」


「すぐ悩むし、余計なこと言うし、女の子の扱いも下手だし」


「返す言葉もございません……」


「でも」


 彼女は、少しだけ頬を赤くした。


「……私も、あんたと一緒に帰るの、嫌いじゃないよ」


「え?」


「だから……付き合ってあげてもいい」


「……本当に?」


「二回言わせる気?」


「いえ! 一回で十分です!」


「じゃあ、明日からも鞄持ってね」


「そこは変わらないのかよ!」


「嫌なら別にいいけど?」


「持ちます!」


「よろしい」


 白石は、いつものように冷たい口調でそう言った。


 けれど、その頬は赤かった。


 俺はうれしくて、どうしようもなくて、思わず笑ってしまった。


「……何、笑ってるの?」


「いや、うれしくて」


「……ふうん」


「白石」


「何?」


「これからもよろしく」


「……こちらこそ」


 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


 こうして俺は、夏休みを迎える前に彼女と付き合うことになった。


 幼馴染との恋は、結局、始まることすらなかった。


 けれど、今はそれでいいと思う。


 過去に戻るより、今の誰かと新しい思い出を作るほうが、きっと楽しい。


 ……まあ。


「ねえ、明日のデート、どこに行くの?」


「えっ、もうデートの予定?」


「付き合ってるんだから、当然でしょ」


「いや、そうだけど、急だな!」


「それとも、私と出かけたくないの?」


「行きたいです!」


「じゃあ、決まりね」


「どこに行くんだ?」


「私が行きたいところ」


「……はい」


「あと、鞄持ってね」


「デートでも!?」


「当たり前でしょ」


「俺、彼氏だよね!?」


「うん。だから何?」


 彼女は、にっこり笑った。


 ……うん。


 俺の恋愛は、どうやらハッピーエンドを迎えたらしい。


 ただし、俺の人権が守られるかどうかは、今後の交渉次第のようだ。


 夏休みまで、あと少し。


 俺は彼女と、いろんな場所に行きたいと思っている。


 映画館とか、遊園地とか、水族館とか。


 そして、いつか。


 彼女が俺の鞄を持ってくれる日が来ることを、ひそかに期待している。


「……ねえ」


「何?」


「今、何か変なこと考えてたでしょ」


「いえ、何も!」


「怪しい」


「本当に何も!」


「……まあ、いいけど」


 彼女は俺の手を、そっと握った。


「……置いていかないでよね」


「え?」


「……何でもない!」


 顔を真っ赤にしてそっぽを向く彼女を見て、俺は思った。


 あみだくじって、案外、悪くないのかもしれない。


 ただし。


 次に席替えをするときは、絶対にくじ引きにしてもらおう。


 俺はもう、あみだくじで人生を変えるのは、十分すぎるほど経験したのだから。


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