『あみだくじが結んだ縁と、平安美人の取り扱い説明書』
「はい、全員の席が決まりました! 文句は受け付けません!」
「先生、質問です」
「はい、田中君」
「なんで入学して一か月も経ってから、席替えをあみだくじでやる必要があったんですか?」
「公平性を期すためだ」
「出席番号順でも十分公平だったと思います!」
「人生には予想外の出会いが必要なんだよ」
「だったら先生が自分であみだくじを引いて、校長室にでも異動してください!」
「山本、職員室に来たいのか?」
「遠慮します!」
教室が爆笑に包まれた。
高校一年生になって最初の席替え。担任の謎のこだわりにより、クラス全員の名前をホワイトボードに書き、横線を引き、縦線をつなぎ、最後にあみだくじをたどるという、現代文明に対する挑戦のような作業が行われた。
そして、俺の新しい席は教室の真ん中あたり。
後ろの席には、見覚えのある女子が座っていた。
小学校から顔を知っている、同じ町内の女子。
名前は、白石凛。
肩まで伸びた黒髪に、色白の肌。ぱっちりした目が印象的な、なかなかの美人だ。
ただし、俺と彼女の間には、これまで特別な交流はなかった。
それなのに。
「……」
「……えっと、白石?」
「何?」
「いや、これからよろしく」
「別に」
「……はい?」
「よろしくする必要、ある?」
「え、席が前後になったんだけど」
「だから?」
彼女は俺を一瞥すると、露骨に視線をそらした。
なんだ、この対応。
俺、何かしたか?
前世でこいつのプリンでも食べたのか?
いや、そもそも前世なんて知らん。
その日から、俺の高校生活に新たな謎が誕生した。
白石凛は、俺にだけ妙に冷たかった。
「白石、消しゴム落ちたぞ」
「見ればわかる」
「いや、拾って渡そうと思って」
「頼んでない」
「……そうですか」
「あと、机を後ろに下げすぎ。こっちのスペースが狭い」
「いや、普通に座ってるだけなんだけど」
「そう」
机と机の間に、目に見えない壁が存在していた。
いや、壁というより国境だ。
俺が少しでも後ろに寄れば、即座に外交問題が発生する。
しかも、彼女は口調だけでなく、態度まで冷たい。
別に怒鳴られるわけではない。殴られるわけでもない。
ただ、言葉の一つ一つが、妙に鋭い。
俺は毎日、背中に見えない小さなナイフを突き立てられている気分だった。
「なあ、俺って白石に嫌われてるのかな」
昼休み、友人の田中に相談した。
「知らん」
「即答かよ」
「お前、白石と何かあった?」
「ない」
「じゃあ、告白して振られたとか?」
「会話すらまともにしたことがない!」
「じゃあ前世だな」
「お前もそう思うのか!」
田中は弁当の卵焼きを食べながら、真剣な顔で言った。
「女の子の考えてることなんて、俺たちにわかるわけないだろ」
「お前、恋愛経験ゼロだろ」
「お前もだろ」
「……否定できない」
そんな日々が一か月ほど続いた。
ところが、ある日。
「おはよう」
「……おはよう?」
「何、その疑問形」
「いや、白石が普通に挨拶したから」
「挨拶くらいするでしょ」
「先週まで俺の存在を公害みたいに扱ってなかった?」
「気のせいじゃない?」
「気のせいで済ませるには、俺の精神的被害が大きいんですが!」
「うるさい。授業始まるよ」
それから彼女の態度は、少しずつ普通になった。
消しゴムを拾えば「ありがと」と言う。
プリントを後ろに回せば「はい」と受け取る。
たまには授業中に、小声で話しかけてくることもあった。
「ねえ」
「はい?」
「数学のここ、わかる?」
「え? ああ、ここはこうして……」
「ふうん。意外と頭いいんだ」
「意外と、は余計だろ!」
「じゃあ、期待どおりに頭悪いって言えばよかった?」
「ごめんなさい、今のままでお願いします」
……あれ?
もしかして、俺は許されたのか?
何を許されたのかは知らんが。
気になって仕方がなかった俺は、ある日の放課後、思い切って聞いてみた。
「白石」
「何?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「お金なら貸さない」
「まだ何も言ってない!」
「じゃあ何?」
「なんで最初、俺にあんなに冷たかったの?」
「……ああ」
白石は、ほんの少しだけ気まずそうな顔をした。
「それ、聞くんだ」
「一か月くらい悩んだんだぞ。俺、何かしたのかって」
「何もしてないよ」
「じゃあ、なんで?」
「……あんた、桜井さんと付き合ってるんだと思ってたから」
「…………は?」
桜井美咲。
俺の幼馴染だ。
小さい頃はよく一緒に遊んでいた。家も近く、親同士も顔見知り。
しかし、高校に入ってからは、ほとんど話していない。
それでも俺は、心のどこかで彼女との関係が昔のように戻ることを期待していた。
できれば、その先も。
「いや、付き合ってないぞ?」
「知ってる。最近、違うってわかったから」
「誰から?」
「友達が桜井さんに聞いたらしいよ」
「情報網が怖い!」
「それに、あんたたち、最近全然話してないじゃん」
「……まあ、そうだな」
「だから、私が変に近づいたら悪いかなって」
「いや、だからって、あの態度はひどくない?」
「……それは、ごめん」
意外にも、彼女は素直に謝った。
「桜井さんと付き合ってるなら、あんたに近づくのはよくないと思ったの。だから、距離を置いてた」
「距離の置き方が国境封鎖だったんだけど」
「うるさい」
「はい」
「……でも、付き合ってないんだよね?」
「付き合ってない」
「好きなの?」
「……まあ、昔から好きだったんだけど」
「昔から?」
「うん。仲良くなりたいし、できれば付き合いたいなって。でも、最近は全然話せてないし、どうすればいいのかもわからなくて」
気がつけば、俺は余計なことまで話していた。
幼馴染との関係が遠くなって寂しいこと。
昔のように話せたらうれしいこと。
できることなら恋人になりたいと思っていること。
全部、話してしまった。
白石はしばらく黙っていた。
そして、盛大にため息をついた。
「……諦めたら?」
「早い! 結論が早すぎる!」
「だって、今の話を聞く限り、あんたが好きなのは昔の桜井さんでしょ?」
「え?」
「昔は仲がよかった。昔は一緒に遊んだ。昔は好きだった。……今の桜井さんのこと、どれだけ知ってるの?」
「…………」
「今、何が好きで、何に悩んでて、どんな毎日を送ってるのか。知ってる?」
「……知らない」
「じゃあ、今の桜井さんを好きなのか、思い出を好きなのか、ちゃんと考えたら?」
ぐうの音も出なかった。
「それに、あんた、話してる間ずっと昔のことばっかりだったよ」
「……はい」
「まあ、頑張れば?」
「諦めろって言ったじゃん!」
「諦めるかどうかくらい、自分で決めなよ」
冷たい口調だった。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、初めて彼女が俺のことを真剣に考えてくれた気がした。
……いや、待て。
俺は今、恋愛相談をしたんだよな?
なんでこんなに疲れているんだ?
それから、俺と白石は以前より話すようになった。
そして、帰る方向が同じだとわかり、一緒に電車で帰ることも増えた。
「ねえ、あんた」
「何?」
「桜井さんとは、今日も話さなかったの?」
「……うん」
「ふうん」
「何、その顔」
「別に。進展がないなって」
「毎日進展するわけないだろ!」
「一か月に一回くらいは、何か起こしなよ」
「恋愛を定期テストみたいに言うな!」
「赤点ね」
「採点が厳しい!」
白石は、いつもこんな調子だった。
口は悪いし、遠慮もない。
しかし、話していると妙に楽しかった。
何を言っても遠慮なく返してくるから、こちらも気を使わなくていい。
そして何より、彼女は俺の話をよく聞いていた。
……まあ、聞いたあとに容赦なく切り捨ててくるのだが。
ある日の帰り道。
電車を降りると、外は土砂降りだった。
「……雨?」
「雨だね」
「傘、持ってないんだけど」
「俺は持ってる」
「……へえ」
「何、その期待するような目」
「別に。あんたの傘が何センチあるか確認しただけ」
「傘に興味を持つなよ!」
「じゃあ、私はここで雨宿りするから」
「いや、家まで送るよ。方向同じだし」
「……いいの?」
「いいよ」
「ふうん」
俺たちは一本の傘に入って歩き始めた。
白石は小柄というほどではないが、俺より少し低い。
肩が濡れないように傘を彼女側へ傾けると、俺の右肩がびしょびしょになった。
それでも、まあいいかと思った。
彼女が風邪を引くよりはましだ。
ところが、家に着いた白石は、俺の肩を見て言った。
「……ねえ」
「何?」
「私の肩、ちょっと濡れてるんだけど」
「え?」
「傘、ちゃんと差してた?」
「いや、俺の肩を見てくれ。こっちは水没寸前だぞ」
「だから何? 私の肩も濡れたんだけど」
「……すみません」
「次はちゃんと差してよね」
「はい……」
理不尽だ。
しかし、なぜか腹は立たなかった。
それから数日後。
俺は、つい余計なことを口にした。
「そういえば、白石ってさ」
「何?」
「平安時代に生まれてたら、絶対に美人って言われてたと思う」
「…………は?」
「いや、色白で目がぱっちりしてて、黒髪がきれいだし。なんか、平安美人って感じがする」
「……それ、褒めてるの?」
「もちろん」
「じゃあ、今の時代では美人じゃないってこと?」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
「目が大きいのが珍しい時代なら美人ってこと?」
「待て、話を悪い方向に進めるな!」
「黒髪が長いから、昔なら価値があったってこと?」
「価値って言うな!」
「つまり、現代では微妙だと」
「違う! むしろ普通に美人だと思ってる!」
白石は、ぷいっと顔をそらした。
「……最低」
「えっ」
「女の子の容姿を、時代ごとに分類するなんて」
「ご、ごめん!」
「私、そんなに変?」
「変じゃない! きれいだと思う!」
「じゃあ、最初からそう言えばいいじゃん……」
彼女の目が、ほんの少し潤んでいた。
俺は慌てて頭を下げた。
「本当にごめん! 悪気はなかったんだ! 褒めたかっただけなんだ!」
「……知らない」
「ごめんなさい!」
「……もういい」
「本当に?」
「次、同じこと言ったら許さない」
「言いません!」
その日から、俺は帰りに白石の鞄を持つことになった。
「はい、鞄」
「……なんで?」
「反省の証」
「意味がわからないんだけど」
「あと、家まで送る」
「毎日?」
「毎日」
「……あんた、下僕なの?」
「違います!」
「じゃあ、鞄返して」
「持たせてください!」
「どっちなのよ!」
こうして俺は、雨の日だけでなく、晴れの日も白石を家まで送ることになった。
……俺の高校生活は、どこへ向かっているのだろう。
ただ、一つだけ変わったことがあった。
桜井美咲のことを考える時間が、少しずつ減っていた。
昔の思い出を懐かしむことはあっても、無理に仲良くなりたいとは思わなくなった。
その代わり、今、目の前にいる女子のことが気になっていた。
口は悪い。
人使いも荒い。
俺の肩が濡れたことには無関心なのに、自分の肩が濡れると大問題にする。
それでも。
電車の中で俺の話を聞いてくれる横顔や、くだらない冗談に笑う顔を見ると、胸が妙に落ち着かなくなった。
そして、六月に入る少し前。
俺は、ついに決心した。
「白石」
「何?」
「ちょっと、話があるんだけど」
「お金なら貸さない」
「それ、もういいから!」
「じゃあ何?」
「……俺、白石のことが好きだ」
「…………」
「最初は、なんで嫌われてるのかわからなくて、すごく困った。でも、話すようになってから、一緒にいるのが楽しくなった。毎日、帰りに話すのも楽しみになった」
「……うん」
「だから、俺と付き合ってほしい」
白石は黙ったまま、俺の顔を見つめた。
やがて、ふっと息を吐いた。
「……あんたって、本当に面倒くさいね」
「はい……」
「すぐ悩むし、余計なこと言うし、女の子の扱いも下手だし」
「返す言葉もございません……」
「でも」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……私も、あんたと一緒に帰るの、嫌いじゃないよ」
「え?」
「だから……付き合ってあげてもいい」
「……本当に?」
「二回言わせる気?」
「いえ! 一回で十分です!」
「じゃあ、明日からも鞄持ってね」
「そこは変わらないのかよ!」
「嫌なら別にいいけど?」
「持ちます!」
「よろしい」
白石は、いつものように冷たい口調でそう言った。
けれど、その頬は赤かった。
俺はうれしくて、どうしようもなくて、思わず笑ってしまった。
「……何、笑ってるの?」
「いや、うれしくて」
「……ふうん」
「白石」
「何?」
「これからもよろしく」
「……こちらこそ」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
こうして俺は、夏休みを迎える前に彼女と付き合うことになった。
幼馴染との恋は、結局、始まることすらなかった。
けれど、今はそれでいいと思う。
過去に戻るより、今の誰かと新しい思い出を作るほうが、きっと楽しい。
……まあ。
「ねえ、明日のデート、どこに行くの?」
「えっ、もうデートの予定?」
「付き合ってるんだから、当然でしょ」
「いや、そうだけど、急だな!」
「それとも、私と出かけたくないの?」
「行きたいです!」
「じゃあ、決まりね」
「どこに行くんだ?」
「私が行きたいところ」
「……はい」
「あと、鞄持ってね」
「デートでも!?」
「当たり前でしょ」
「俺、彼氏だよね!?」
「うん。だから何?」
彼女は、にっこり笑った。
……うん。
俺の恋愛は、どうやらハッピーエンドを迎えたらしい。
ただし、俺の人権が守られるかどうかは、今後の交渉次第のようだ。
夏休みまで、あと少し。
俺は彼女と、いろんな場所に行きたいと思っている。
映画館とか、遊園地とか、水族館とか。
そして、いつか。
彼女が俺の鞄を持ってくれる日が来ることを、ひそかに期待している。
「……ねえ」
「何?」
「今、何か変なこと考えてたでしょ」
「いえ、何も!」
「怪しい」
「本当に何も!」
「……まあ、いいけど」
彼女は俺の手を、そっと握った。
「……置いていかないでよね」
「え?」
「……何でもない!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く彼女を見て、俺は思った。
あみだくじって、案外、悪くないのかもしれない。
ただし。
次に席替えをするときは、絶対にくじ引きにしてもらおう。
俺はもう、あみだくじで人生を変えるのは、十分すぎるほど経験したのだから。




