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残酷で妖艶な魔女と非モテで凡庸な男

作者: ある六芒星
掲載日:2026/07/31

 俺は非モテだ。

 そう自覚したのはいつだっただろう。


 中学一年の頃だったか、それとももっと前か。


 ……まあ、今となってはどうでもいい。


 とにかく俺は女子に飢えている。


 どれくらい飢えているかというと、自分にしか見えない超絶美少女が突然現れて、一緒に学校へ行ったり、くだらない話で笑い合ったり――そんな妄想を毎晩するくらいには重症だ。


 笑いたければ笑えばいい。


 非モテという生き物は、それくらい夢を見なければやっていられない。


 最近の風呂場での習慣は、その妄想をしながら身体を洗うことだった。


 石けんの泡と一緒に、邪な願望まで流れていくような気がするからだ。


 その日も、いつものようにシャワーを浴び、鏡へ目を向けた。


 ――違和感。


 鏡には俺が映っている。


 だが、その後ろに。


 誰かが立っていた。


 長い黒髪。


 雪のように白い肌。


 人形のように整った少女が、鏡の中だけで俺を見つめている。


 思わず振り返る。


 誰もいない。


 再び鏡を見る。


 そこには、やはり少女がいた。


「……目が合ったな。」


 鏡の向こうから声が響く。


 冷たいのに、不思議と耳元で囁かれているようだった。


「返事をしろ。」


「は、はい……。」


 少女は少しだけ目を見開いた。


 驚いたようにも、安心したようにも見える。


「……明日も会おう。」


 その言葉と同時に、頭の中へ大量の記憶が流れ込んできた。


 知らない街。


 知らない空。


 魔法。


 魔女。


 そして――


 アビス。


 誰よりも美しく、誰よりも醜い魔女。


 彼女は美貌だけを武器に人を操り、弱者を踏みにじり、欲望のままに生きてきた。


 善意を笑い、他人の苦しみを娯楽とし、時には命さえ奪った。


 誰も彼女を止められなかった。


 美しかったからだ。


 やがて彼女は、「地球」という異世界へ行けるという古い伝説を知る。


 その世界なら、さらに新しい獲物が見つかる。


 そんな浅ましい願いを胸に、彼女は時空の裂け目へと向かった。


 そして――俺と出会う。


 目の前に現れた少女は、鏡の中で見たあの魔女だった。


「……お前がアビスか。」


 俺がそう言うと、彼女は警戒したように眉をひそめる。


「なぜ私の名を知っている?」


「全部知ってる。」


「……全部?」


「お前が何をしてきたかも。」


 アビスの表情が初めて揺らいだ。


 伝説には続きがあった。


 地球へ降り立った魔女の前には、自分の罪を知る者が現れる。


 善き者は救われ、悪しき者は裁かれる。


 彼女は、その最後の一文だけを忘れていた。


「……私を殺すのか?」


「いや。」


 俺は肩をすくめる。


「好きに生きろ。ただ、お前の人生はもう思い通りにはならない。」


 アビスは黙った。


 だが、その瞳には欲望が残っていた。


(なら、この男を誘惑すればいい。)


 次の瞬間。


 彼女は俺へ飛びかかった。


「……バカだな。」


 世界が白く染まる。


 身体が浮く。


 意識が引き裂かれる。


 気が付くと、俺は鏡のように白い指先を見つめていた。


「……え?」


 胸が重い。


 髪が長い。


 声が高い。


 俺は、アビスになっていた。


 一方、俺の身体へ入ったアビスは混乱していた。


「な、何だこれは!?」


 その時、どこからともなく声が響く。


『悪しき者は、自らの罪を償うまで自由を得られない。』


 静かな神の宣告だった。


 アビスは初めて、自分が裁かれたことを理解する。


 その日から、彼女の長い贖罪が始まった。


 神の声が消えると同時に、世界は静寂に包まれた。


 俺は震える手を見つめる。


 いや、俺の手じゃない。


 白く細い指。肩まで伸びた黒髪。鏡を見なくても分かる。


 俺はアビスになっていた。


「う、うそだろ……。」


 思わず胸を触る。


「……本当に入れ替わってる。」


 一方で、俺の身体に入ったアビスは、何度も自分の頬を触りながら叫んだ。


「戻せ! こんな醜い身体、私は認めない!」


「無理だ。」


 俺がそう言うと、彼女は睨みつける。


「お前がやったんだろ!」


「違う。お前が俺を襲った瞬間に勝手に起きた。」


 その時、再び頭の中へ声が響く。


『贖罪は百十四年。』


『悪しき者は、自らの罪を償うまで、本来の姿へ戻ることはできない。』


 アビスは膝をついた。


「百十四年……?」


 魔女である彼女なら、生きられる年月だ。


 だからこそ、その言葉は絶望だった。


「な、なんで私が……!」


 神の声は淡々と答える。


『奪ったものは返せ。』


『傷つけた者には償え。』


『命を軽んじた者は、命の重さを知れ。』


 それだけ言うと、声は完全に消えた。


 俺は深くため息をついた。


「……帰るか。」


「は?」


「腹減った。」


 アビスは信じられないものを見るような目で俺を見た。


「お前、私を裁かないのか?」


「神が裁くんだろ。俺がやる必要はない。」


 俺は歩き始める。


 少し歩いたところで振り返った。


「それと一つだけ。」


 アビスが顔を上げる。


「俺の身体を傷つけるなよ。」


 その一言に、彼女は初めて言い返せなかった。


 ◇


 一週間後。


 俺は美少女の身体にも慣れ始めていた。


「……便利だな、この髪。」


 乾かすのは面倒だけど。


 一方、アビスは毎日苦労していた。


 魔法は使えない。


 飛べない。


 腕力もない。


 コンビニで買い物をしようにも、お金の価値すら分からない。


「なぜこんな世界で生きられるのだ……。」


 そう呟いた彼女を見て、俺は少し笑った。


「今まで助けてもらう側だったからだろ。」


「……。」


「これからは違う。」


 俺はスーパーの袋を彼女へ渡す。


「働いて、自分で稼いで、生きろ。」


 アビスは黙って袋を受け取った。


 その姿は、もう魔女には見えなかった。


 ◇


 百十四年後。


 俺は寿命を迎え、静かに息を引き取った。


 病室の窓から差し込む夕日を見ながら、最後に思ったのは、


「結局、美少女になれた人生だったな。」


 という、どうしようもない感想だった。


 その瞬間、神の声が響く。


『贖罪は終わった。』


 アビスの身体は光に包まれる。


 だが彼女は首を横に振った。


「……もう、この姿のままでいい。」


 百十四年かけて積み重ねた善行は、彼女から傲慢さを消していた。


 かつて「性の魔女」と恐れられた女は、誰かを救うことを選ぶ一人の魔女となっていた。


 神は何も言わなかった。


 ただ静かに、彼女の選択を見届けていた。

(終)

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