第8話「告白と選択」
なぜ彼はあんなに冷たかったのか。
そして、なぜここまでしてくれたのか。
その理由が、ついに語られます。
翌朝八時。
私は必要最低限の荷物を詰め込んだボストンバッグ一つで、リョウ義兄さんの車に乗り込んだ。
エンジンがかかり、車が動き出す。
バックミラーの中で、あの灰色の家がどんどん小さくなっていく。
義母も、ユウジも、私が二度と帰らないとは夢にも思っていないだろう。
そう思うと、胸のつかえが取れたように呼吸が楽になった。
「……着いたぞ」
連れてこられたのは、会社から徒歩圏内にあるデザイナーズマンションだった。
オートロックを抜け、通された部屋は広くて清潔で、私には眩しすぎるほどだった。
「す、すごい……本当にここに住んでいいんですか?」
「ああ。家賃も光熱費も会社持ちだ。気にするな」
リョウさんは私のバッグをソファに置くと、窓の外を眺めた。
二人きりの空間。静寂が満ちる。
私は改めて、彼の背中に声をかけた。
「リョウ義兄さん。……本当に、ありがとうございました。私、一生かけてこの恩をお返しします」
「恩なんていい」
「でも、不思議なんです。どうして、そこまでしてくれるんですか? ただの『優秀な人材』だからって、ここまで……」
昨日の問いかけを、もう一度繰り返す。
リョウさんはしばらく黙っていたが、やがて観念したように大きく息を吐き、私の方を向いた。
「……優秀だから、だけじゃない」
彼は少しだけ視線を逸らし、独り言のように呟いた。
「俺は……お前がユウジと結婚すると聞いた時、正直、反対だった」
「えっ? 私が、嫌いだったからですか?」
「逆だ」
強い否定の言葉に、私は息を呑む。
リョウさんは意を決したように、私を真っ直ぐに見据えた。
「初めて会った時から、惹かれていた。……お前の、そのひたむきで、誰にでも優しいところに」
「……え?」
思考が停止した。
リョウさんが? 私を?
「だが、お前は弟の恋人で、すぐに妻になった。俺が入る隙なんてなかった。だから……距離を置いたんだ」
彼は苦しげに顔を歪めた。
「近くにいれば、余計な感情が湧く。弟の家庭を壊したくないから、あえて冷たく接して、関わらないようにした。……お前が幸せなら、それでいいと思ってたんだ」
冷徹だと思っていたあの態度の裏に、そんな葛藤があったなんて。
「邪魔だ」と言ったあの言葉も、私を遠ざけるための、彼なりの自制だったのだ。
「でも、お前は幸せじゃなかった」
リョウさんの声に怒りが滲む。
「笑顔が消え、痩せていき、ボロボロになっていくお前を見て……俺は、ユウジを殺してやりたいくらい憎かった。そして、何もできない自分も憎かった」
彼は一歩、私に近づいた。
「もう我慢の限界だったんだ。世間体も、弟への義理もどうでもいい。……俺は、お前を助けたかった。ただ、それだけだ」
不器用で、重たくて、熱い告白。
私のために、彼はすべてを投げ打ってくれたのだ。
その事実が、凍っていた私の心にじんわりと染み渡る。
涙がまた滲んできたけれど、今度は悲しい涙じゃなかった。
「……リョウさん」
私は、初めて「義兄さん」を付けずに彼を呼んだ。
「その気持ち、すごく嬉しいです。……でも、ごめんなさい。今はまだ、答えられません」
「分かってる。お前はまだ、戸籍上はあいつの妻だ」
「はい。だから……まずは戦います。ちゃんと離婚して、自立して、誰に恥じることもない『相沢ミユ』になります」
私は涙を拭い、彼を見つめ返した。
「それが終わったら……その時は、また一緒にご飯を食べてくれませんか? 上司と部下じゃなくて、一人の男性と女性として」
それは、私なりの精一杯の「答え」だった。
リョウさんは驚いたように目を丸くし、それから――今度こそ、はっきりと優しく笑った。
「ああ。……楽しみに待っている」
その笑顔は、今まで見たどんなものよりも魅力的で、私の胸を高鳴らせた。
こうして、私たちは「共犯者」から、未来を約束した「パートナー」になった。
でもその前に、片付けなければならないゴミがある。
さあ、反撃の時間だ。
私は携帯を取り出し、着信履歴に残っていた「夫」の文字をタップした。
お読みいただきありがとうございます。
「嫌いだから冷たくした」のではなく「好きすぎて辛いから距離を置いた」。
不器用すぎる愛の告白でした。
二人の心は通じ合いました。あとは邪魔なものを排除するだけです。
次は第9話「裁判という戦場」です。
夫と義母へ、徹底的な断罪を行います。スカッと展開をお楽しみに!




