第6話 本部道場、地獄メニュー初日
前回は、二次審査合格からオリエンテーションまで、
さやか・いぶき・ノエル・らんの4人が正式に「PWS本部道場の練習生候補」として認められるところを書きました。
第6話から第二章、「スターダスト本部道場編」に入ります。
今回はいよいよ、黒岩トレーナーの“地獄メニュー”初日。
学校帰りのさやかが、本部道場で本格的な練習に足を踏み入れる回です。
朝のホームルームが終わっても、頭の中は黒板じゃなくてリングの青だった。
「星屑さん、“ここテストに出るよ”のマーク全部スルーしてる顔してる」
隣の席から、まなのささやき声が飛んでくる。
「え、そんな顔してた?」
「うん。
“数学? なにそれ、受け身取れるの?”みたいな顔してた」
「そんな顔はしてない」
さやかは慌ててノートを開き直した。
ページの端には、さっきまでぼんやり描いていた星マークとロープの落書きが並んでいる。
(今日から、本部道場で本格的な練習……)
オリエンテーションの日に渡された紙には、練習スケジュールがびっしりと書かれていた。
放課後組の練習時間は、平日夕方から夜まで。
週に四日。学校が休みの日には、昼の自主練も推奨。
(ちゃんと両立できるのかな、あたし)
そんな不安を見透かしたように、まながポケットからペンを取り出した。
「まあ、授業のノートはあたしがちゃんと取っとくから安心して。
その代わり、現場レポは毎日詳細希望ね」
「なんで交換条件なの」
「推しの成長を追うのに、情報は多い方がいいからに決まってるでしょ。
あ、今の先生の話、マーカー引いとこ」
「……ありがと」
苦笑いしつつも、その一言に救われる部分は大きかった。
チャイムが鳴り、午前の授業が終わる。
昼休み、購買のパンをかじりながら、スマホの時間を確認する。
(今日は、初日だし絶対遅刻できない)
午後の授業を必死で受け流し──いえ、受けつつ──
終礼のチャイムが鳴った瞬間、さやかは誰より早く席を立った。
「じゃ、行ってくる!」
「はいはい、いってらっしゃい。
帰りに倒れてたらおぶりに行くから、なんとか駅までは帰ってきてね」
「縁起でもないこと言わないで!」
笑いながら教室を飛び出す。
***
学校から電車を乗り継いで、本部ビルの最寄り駅に着くころには、夕方のラッシュが始まりかけていた。
スーツ姿の人たちに混じって歩きながら、さやかは肩にかけたスポーツバッグのストラップを握りしめる。
あのガラス張りのビルが見えてくるたびに、胸の鼓動が少しずつ早くなった。
自動ドアをくぐり、受付で名前を告げる。
「本日からの本部道場練習にご参加ですね。
七階の道場、更衣室は手前左側になります」
「はい。ありがとうございます」
七階のエレベーターの扉が開くと、あの日と同じように、
床を叩く音やロープのきしむ音が廊下の向こうから聞こえてきた。
(今日からは、“受験者”じゃなくて、“練習生候補”として来てるんだ)
それだけで、扉までの廊下が少し長く感じる。
「更衣室」と書かれたプレートのあるドアを開けると、
そこにはいくつものロッカーとベンチが並んでいた。
「お、お疲れさまです」
先に来ていたらしい少女が、ベンチに座って靴紐を結んでいた。
「いぶきちゃん」
「さやかさん。こんにちは」
星緋いぶきは、すでに体操服のようなジャージに着替え、髪も後ろでしっかり結んでいる。
「はやっ。何時に来たの?」
「三十分前くらいです。
道場の場所を間違えたら困るので」
「真面目……」
ロッカーの番号を確認しながら、さやかも着替えを取り出す。
そのとき、更衣室のドアが勢いよく開いた。
「ひーっ! 間に合った!!」
髪をまとめながら飛び込んできたのは、姫乃らんだった。
「ごめんごめん、家出るときにマスカラ片方落としててさ~……」
「そこ優先なんだ……」
「顔はアイドルの命だよ? って言っても、ここじゃあんまり通用しないのかなぁ」
ぶつぶつ言いながらも、らんはちゃきちゃきとジャージに着替えていく。
その動き自体は意外と無駄がない。
少し遅れて、ノエル・シエルも静かに更衣室に入ってきた。
「ごめんなさい、少し道に迷ってしまって……」
「時間前だから大丈夫ですよ」
いぶきがさらっとフォローする。
四人がそれぞれ着替え終えた頃、道場の方から声が聞こえてきた。
「練習生候補、全員揃ったかー。
時間だ。マットの上に集合」
「ひっ……」
らんの肩が、聞き覚えのある声にぴくっと跳ねる。
「行こう」
さやかは、ジャージの裾を軽く引き下ろしてから、道場への扉を開けた。
***
道場に入ると、リングサイドの壁にホワイトボードが立てかけられていた。
太いマジックで、その日のメニューがずらりと書かれている。
本部道場・放課後組メニュー
・ランニング(道場内10分)
・シャトルラン(20本)
・受け身(後ろ・前回り・横)
・ロープワーク(10本×3セット)
・首・背中・脚まわり筋トレ
・道場・リング清掃
(文字で見ると簡単そうに見えるのが逆に怖い……)
さやかは思わず顔を引きつらせた。
マットの上には、自分たち以外にも数人の練習生が並んでいた。
短髪で筋肉質な子。
脚がやたら細くて長距離向きっぽい子。
眼鏡をかけていて、どこかオタクっぽい雰囲気の子。
「その場で整列しろー。番号順だ」
黒岩がリングのステップの前に立ち、腕を組んでいる。
「今日から放課後組の練習を始める。
オーディションを通ったからって、ここに居続けられるとは思うなよ。
“練習生候補”だってことを忘れるな」
その一言で、空気がぴんと張りつめた。
「自己紹介する暇はねえ。
走って、転がって、叩きつけられて、そのうちお互いの顔と名前も覚えるだろ」
黒岩はホワイトボードを親指で指した。
「今日のメニューはこれだ。
最初から飛ばすつもりはねえが、“様子見”だと思ってナメてかかると後悔する。
行くぞ。まずはランニングから。
『始め』って言ったら走れ、『止め』と言うまで止まるな」
道場の端から端まで、全員が同じ方向を向いて列を作る。
さやかの右隣には、背の高い女の子が立った。
ポニーテールで、ふくらはぎの筋肉がやけに発達している。
(陸上部っぽい……)
ゼッケン代わりのテープには「坂本」と書かれていた。
左隣には、がっしりした体格の子。
肩幅が広く、腕も太い。だが表情はどこか不安げだ。
こちらは「中村」と書かれている。
「始め!」
黒岩の声と同時に、全員が走り出した。
体育館よりは狭いが、柔らかいマットの上は踏み込みが難しい。
何周か走るうちに、早くも呼吸が苦しくなってきた。
「はぁ、はぁ……」
陸上部っぽい坂本は、息は上がっているものの、足が止まる気配はない。
中村は、体格の割に脚が重そうだ。
それでも、必死に前へ足を運んでいる。
(まだウォーミングアップのはず、まだ……)
10分が過ぎた頃、「止め」の声がかかった。
止まった瞬間、膝がぐらぐらしそうになる。
「スクワット三十。
太ももが床と平行になるところまで落とせ。
自分で数えろ」
「「いち、に、さん……」」
声を出すだけで息が切れそうだ。
「二十……にじゅういち……」
太ももが燃えるように熱い。
ふと横を見ると、坂本はまだフォームが崩れていない。
そのさらに先で、いぶきが黙々と一番深く腰を落としているのが見えた。
(あの子、やっぱりすごい……)
らんは途中で「ひぃぃ」と変な声を出しながらも、数だけはきっちり数えている。
ノエルは顔を真っ赤にしながら、真剣な目で足の向きを確認していた。
腕立て伏せ、腹筋、背筋。
首回りの筋トレでは、自分の頭の重さを初めて本気で意識した。
「そこまで。
まだ“準備”だ」
黒岩の一言に、何人かが目を白黒させる。
「シャトルラン行くぞ。
ラインからラインまで、笛の音に合わせて走れ。
二十本だ。サボったら、あとで倍な」
(に、二十……)
そのあと、シャトルランでふくらはぎが火を吹き、
受け身の復習で背中がじんじんと痺れた。
後ろ受け身、前回り受け身、横受け身。
数だけなら、二次審査の時より多い。
ノエルの顔が、何度か本気で青ざめた。
それでも、白銀にフォームを直されながら、一つ一つ確かめるように倒れていく。
らんは、受け身のたびに「いったぁ……」と呻きつつも、
最後には「でも、なんかこういうの、嫌いじゃないかも……」とかよく分からないことを言っていた。
坂本は走るのは得意そうだが、受け身に入ると動きが途端にぎこちなくなる。
中村は、体は強そうなのに、倒れる瞬間に毎回目をぎゅっとつぶってしまい、
白銀に「目をつぶると危ない」と何度も注意されていた。
ロープワークも始まる頃には、さやかの脚はほとんど棒だった。
「星屑、走るラインが曲がってる。
斜めに走ってどうする。
ロープに当たる位置を一定にしろ」
「は、はいっ……!」
頭では分かっていても、体がいうことを聞かない。
ロープに背中を預けるたびに、思ったより強く押し返されてふらつく。
(痛い……でも、二次審査の時よりは、少しだけマシになったかも……)
最後は、首と背中と脚まわりの筋トレでトドメを刺された。
「よし。
筋トレ終わったやつから、リングと道場の掃除だ。
ロープは汗が残りやすい。しっかり拭け」
雑巾を持って、ロープ一本一本を拭いていく。
キャンバスの上に膝をつくと、そこにも今日一日分の汗が染み込んでいるのが分かった。
「はぁぁ……死ぬ……」
らんがリングサイドで伸びている。
「まだ死んじゃ駄目です。
これから覚えること、山ほどあるんですから」
ノエルが苦笑いしながら、水を飲んでいた。
坂本は壁にもたれて肩で息をしている。
中村は、タオルで顔を拭きながら、どこか申し訳なさそうに俯いていた。
いぶきだけは、一番きつそうなのに、まだ姿勢が崩れていない。
「お前ら」
掃除がひと段落した頃、黒岩がマットの上に立った。
「今日のメニューは、“軽く様子を見るだけ”のつもりで組んだ。
これで限界だと思ってるなら、明日から来るのはやめとけ」
その言葉に、場の空気が一瞬止まる。
「ここは学校じゃねえ。
全員を卒業させる場所でもない。
残りたい奴だけ、残る理由を見つけろ」
黒岩は、ひとりひとりの顔を順に見ていった。
「……以上。
今日はここまでだ。
帰る前にストレッチしろ。筋肉を伸ばさねえと、明日動けなくなる」
解散の号令のあと、練習生たちは思い思いにストレッチを始めた。
さやかは、足を投げ出して座り込み、ふくらはぎをさすりながら息を整える。
「お疲れさまです」
隣に腰を下ろしたのは、さっきの陸上部っぽい坂本だった。
「走るの、めちゃくちゃ速かったね」
「ありがとう……ございます。
でも、受け身は全然駄目で……」
坂本は苦笑いする。
「私、走ることしかしてこなかったから。
止まるとか、倒れるとか、そういうの苦手。」
いぶきの言い方は、いつも通り淡々としているのに、不思議と突き放す感じはなかった。
「初日で全部できる人なんて、いませんから」
「……うん」
中村は、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
***
全員でストレッチを終え、道場に礼をしてから解散になった。
更衣室で制服に着替えながら、さやかはぐったりとベンチに座り込む。
「脚……終わった……」
「明日の朝、階段降りられますかね、これ」
ノエルが、不安そうに自分の太ももを押している。
「階段? あたし、自宅のロフトベッドから降りられる気がしないんだけど」
らんは大げさに嘆きながらも、表情だけは明るい。
「でもでも、どう? ねえ、どうだった?
“本物の練習”って感じしなかった?」
「……しんどかったけど、うん。
ちゃんと“プロの場所”にいるって感じはした」
さやかは、自分のスニーカーの紐を結びながら言った。
「立ってるだけで精一杯なんだけどね、今は」
「そこから、ですよ」
いぶきがロッカーを閉める。
「ここでどれだけ続けられるかで、たぶん、最初のふるいにかけられるんだと思います」
「こわいこと言わないでよ~」
らんが抗議の声を上げる。
「でも、逃げる気はないからね。
あたし、“ティアラ☆キャンディ”としても絶対に売れたいんだから」
「プロレスラーになりたい、だけじゃなくて?」
「両方。欲張りだから」
らんは胸を張って笑った。
「星屑さんは?」
「え?」
「星屑さんは、どうしてここに?」
ノエルが、少し遠慮がちに尋ねる。
さやかは一瞬だけ言葉を探してから、答えた。
「……あまねさんに、なりたいから。
あの人みたいに、折れないでリングに立ち続けられる人になりたいから」
その言葉に、いぶきとノエルがわずかに目を細めた。
らんは「やっぱ王者推しか~」とどこか納得した顔をする。
「じゃあ、“あまねさんのリング”に立てるようになるまで、
とりあえず一緒に頑張りましょう」
ノエルがそっと言った。
「……うん。よろしくね、ノエルちゃん」
「私も、お願いします」
「いぶきも、よろしく」
「こちらこそ」
「そしてそして、ティアラ☆キャンディ的には~」
らんが勢いよく手を上げる。
「この四人で、いつか同じ大会のポスターに並びたい、ってことで!」
「え、ポスター……」
「どうせなら、それくらい大きく夢見なきゃ損でしょ?」
らんの言葉は軽いようで、その目は驚くほど真剣だった。
***
ビルを出ると、外はすっかり夕方になっていた。
四人は自然と同じ方向に歩き出す。
本部ビル最寄りの駅までは、十分ちょっとの道のりだ。
「はぁぁ……足が鉛みたい」
「明日の授業、ちゃんと起きていられるかが心配ですね」
「寝そうになったら、さやにLINEするから起こし合お」
「授業中にスマホ触る前提で話すのやめよ……」
そんな他愛ない会話をしながらも、誰も「もう行きたくない」とは言わなかった。
足は重い。
背中も痛い。
明日の朝、ベッドから起き上がれるかどうかも怪しい。
それでも──
(ここで、頑張るって決めたんだ)
こはるの顔が、ふと頭に浮かぶ。
『また来ます。
だから、その時まだPWSにいてくださいね』
(約束したんだ。
“その時までちゃんとここに立っていられるように頑張る”って)
さやかは、肩にかけたバッグの紐を握り直した。
「星屑さん」
隣を歩いていたいぶきが、小さく声をかける。
「今日は、よく頑張りましたね」
「いぶきちゃんほどじゃないよ。
あたし、途中で何回も心折れかけてた」
「折れかけても、立ってたじゃないですか。
それだけで、今日は十分だと思います」
淡々とした声に、変な説得力があった。
らんがくるりと振り返る。
「じゃあさ、今日のまとめ!」
「まとめ?」
「うん。
“地獄メニュー初日、全員なんとか生き残りました”ってことで!」
「なんとか、って付けるのやめよ……」
ノエルが苦笑する。
駅の入口が見えてくる頃には、四人の歩幅は自然と揃っていた。
同じ速度で、同じ方向へ向かっている。
まだ“仲良し”と呼ぶには早いかもしれない。
でも、“同じ場所を目指している人たち”には、もうなっていた。
改札前で、それぞれの路線に分かれる。
「じゃ、また明日ね!」
「はい。お疲れさまでした」
「気をつけて帰ってくださいね」
「うん、お疲れ」
短い言葉を交わして、四人はそれぞれのホームへと向かった。
さやかは、自分の乗る電車を待ちながら、スマホを取り出す。
まなとのトーク画面を開き、指を走らせる。
「初日、なんとか生きて帰ってきた」
送信ボタンを押してすぐ、「既読」がついた。
「ナイス生還。詳しい話は明日聞く。
とりあえず風呂入ってストレッチして寝なさい」
その一文に、ふっと笑いがこぼれる。
(明日も、ちゃんとここに来られますように)
心の中でそう願いながら、ホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。
こうして星屑さやかの、本部道場での“地獄メニュー”初日は、なんとか終わった。
けれど同時に、それは──
「ここから先、何度でも心が折れそうになる毎日」の、ほんの入口にすぎなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この話では、
・学校→本部道場という「放課後ダッシュ」な生活の始まり
・放課後組メニュー初日(ランニング、シャトルラン、受け身、ロープワーク、筋トレ、掃除)
・モブ練習生の坂本・中村の存在で、「得意・苦手」の差
・黒岩の「ここは学校じゃない」「残りたい奴だけ、残る理由を見つけろ」という宣告
・4人で駅まで一緒に歩く、小さな連帯感
・まなの“現場レポ待ち体制”
を描きました。
次回は、いよいよ「三日目の地獄」と、
本当にこの場からいなくなる練習生が出てしまう回に入っていきます。
さやか達4人それぞれの“しんどさの種類”も、少しずつはっきりさせていく予定です。
続きが気になってもらえたら、また読みに来てもらえると嬉しいです。




