幕間 星屑家のリングサイド
本編メインイベントまで終わったところで、今回は少し視点を変えて。
「娘が、プロレスラーになりたいと言い出した」
星屑さやかの両親――星屑父と星屑母が、
デビュー興行をどんな気持ちで見ていたのか。
東都第二アリーナの最前列。
横には、さやかの親友・まな。
リングに立つ“星屑さやか”を、
親の目と大人の目で見た一日を描く幕間です。
東都第二アリーナ・最前列。
客席の椅子に腰掛けたまま、
星屑さやかの父は、
手に持ったペットボトルを何度目か分からないほど回していた。
「……緊張してるの、お父さんでしょ」
隣から、妻の小さなツッコミが飛んでくる。
「してない」
「ペットボトルのラベル、
そろそろ剥がれ落ちるわよ」
言われて、手元を見る。
たしかに、親指でぐるぐる擦りすぎて
角のところがヨレている。
「……まぁ、ちょっとな」
「ちょっと、ねえ」
妻は苦笑しながら、視線を前に戻した。
目の前には、
青いマットと白いロープ。
(テレビやネットでしか見たことなかったもんな、
本物のリングなんて)
後ろから、明るい声が飛んでくる。
「ね、ね。
やっぱり凄いですよね、生のリング!」
さやかの親友・まなだ。
学校の三者面談のとき以来、
何度か家にも来るようになった。
「写真で見るより大きいし、
音とかも絶対やばいですよ……!
あ、オープニングのあと、
第0試合から新人四人のデビュー戦なんですよね?」
「ああ……その、なんだったか。
スターダストなんとかって寮の」
「スターダスト寮です。
覚えてあげてくださいよ、お父さん」
まなは、膝の上に抱えた応援ボードを撫でる。
「ほら、“星屑さやか DEBUT”ってやつ。
がんばって描いてきたんですから」
父は、改めてその文字を見た。
(本当に、デビューするのか。
あいつが)
少し前まで、
家でスマホを握ってぼんやりしていた娘。
自分から何かを「やりたい」と
まともに言ったことなどほとんどなかった娘。
その娘が――
ある日突然、「プロレスラーになりたい」と言い出した。
正直、最初は冗談かと思った。
だが、
その目を見て、
冗談ではないとすぐに分かった。
だからこそ、反射的に口をついて出た。
『ああいう世界は厳しい世界だと思う。
生半可な覚悟や根性なら、最初から受かるまい』
『やらせてみて、駄目なら諦めるだろう』
あのとき、自分はそう言った。
娘の可能性を信じたというより――
世界の厳しさに任せて
「自然に諦めさせよう」と思っていたのかもしれない。
でも結果は、
一次も二次も、合格。
そして今から、
堂々と「デビュー戦」を迎える。
(……言ったからには、見届けないとな)
横を見ると、妻は腕を組んだまま
じっとリングを見つめている。
「怖い?」
問いかけると、
妻はあっさり頷いた。
「怖いわよ。
自分の娘が投げられたり、蹴られたりするんでしょ?」
「……そうだな」
「でも、あの子が“自分で選んだ”んだから。
だったら、ちゃんと見ておかないと」
そう言う顔は、
少しだけ泣きそうで、
それでもどこか誇らしげでもあった。
◇ ◇ ◇
オープニングVTRと
リング上でのあいさつが終わる。
『――それでは、第0試合を行います!』
煌上すばるのアナウンスに、
客席のざわめきが少しだけ高まった。
新人四人のデビュー戦。
第0試合――星屑さやか。
第1試合――星緋いぶき。
第2試合――ノエル・シエル。
第3試合――ティアラ☆キャンディ。
パンフレットの進行表には、
そんな並びが印刷されている。
「いよいよだね」
母が、小さく呟く。
「……ああ」
父も、喉が少しだけ乾くのを感じていた。
『赤コーナー!
本日デビュー戦!
星屑ーーさやかーー!!』
花道奥から、
小柄なシルエットが現れた。
「……あ」
母の喉から、
カスれた声が漏れる。
父は、
ただじっと見ていた。
あれが、
自分たちの娘。
家のリビングで、
夕飯を食べながら眠そうにしていた娘。
休日は布団から出てこなかった娘。
その娘が――
今はライトを浴びながら、
リングに向かって歩いている。
動きはぎこちない。
堂々と胸を張っている、とは言い難い。
それでも、
足を止めることなく前に進んでいる。
「星屑さやかー!
がんばれーーっ!」
隣のまなが、
ボードを高く掲げて叫ぶ。
さやかは気づいているのかいないのか、
客席のほうを見渡しながら
おそるおそる手を上げた。
(――震えてるな)
父は、
娘の指先がわずかに震えているのを
見逃さなかった。
(怖いよな。
当たり前だ)
リングに上がる。
ロープをくぐって、
コーナーへと向かう背中。
入場曲が止まり、
ゴングが鳴る。
◇ ◇ ◇
試合が始まると――
父は、想像以上に冷静でいられなかった。
ロープに走るたび、
胸がざわつく。
相手の先輩レスラー・轟みなせに
タックルで吹き飛ばされるたび、
喉の奥で何かがひゅっとすぼまる。
「大丈夫……?
あれ、大丈夫なの……?」
隣で、母が半分泣きそうな声を出す。
「レフェリーがいる。
ドクターもいる」
そう口にしながら――
父自身も、
その存在に必死にすがっていた。
さやかは、
何度も何度も倒された。
腰から落ちて、
背中から落ちて、
マットにうつ伏せに倒れ込む。
そのたびに、
苦しそうに、それでも起き上がる。
(倒されて、立って。
倒されて、立って)
さやかのスピアが
何度か炸裂する。
観客席から、
驚きと歓声が混じった声。
だが、
決め技としてはまだ荒削りで、
先輩レスラーには受け止められてしまう。
最後は、
轟みなせの強烈な技を浴びて
マットに沈んだ。
カウントスリー。
ゴング。
結果だけ見れば、完敗。
――それなのに。
「……すごいね」
試合が終わった瞬間、
二人の口から同時に言葉が漏れた。
さやかが、
リング上で起き上がろうとする。
足がふらつきながらも立ち上がり、
観客席のほうを向いて頭を下げる。
泣きながら、
でも笑っているようにも見える顔。
客席から、
温かい拍手が送られている。
「あの子、本当に……
最後まで、立ってたわね」
母が涙を拭いながら言う。
「“ああいう世界は厳しい世界だ”って言ったの、
誰でしたっけ」
「……俺だ」
父は、苦笑した。
(厳しい世界だからこそ、
“本気で立とうとしてるやつ”は
ああやってリングに立てるんだろう)
自分の言葉が、
少しだけ変な形で現実になった気がした。
◇ ◇ ◇
第1試合・星緋いぶき。
第2試合・ノエル・シエル。
第3試合・ティアラ☆キャンディ。
娘のあと、
同じ新人たちの試合が続いていく。
星緋いぶきは、
最初から「完成されている」と
言われていたというのが分かる動きだった。
「さっきの子と違って、
なんかもう“試合”してる感じですね」
まなが、客席で小声で解説してくれる。
「運動神経もめっちゃ良いし、
基礎が出来上がってるっていうか」
「さやかとは、正反対なタイプね」
「褒めてるんだかどうだか……」と父。
でも――
だからこそ余計に、
さやかの“泥臭さ”が際立つのだろうと、
どこかで冷静に思っていた自分もいた。
ノエルの試合では、
「怖さ」や「トラウマ」という言葉が
じわじわと伝わってきた。
それでも逃げずに、
泣きながら立とうとする姿は、
時折さやかと重なって見えた。
(あの子も、“折れかけたことがある”顔だ)
父はそう感じた。
ティアラ☆キャンディ――らんの試合は、
親の目から見ても「華がある」という表現がぴったりだった。
「さやか、すごい子たちと一緒にやってるのね」
母が、
パンフレットの新人紹介ページを見ながら呟く。
「スタートラインは、
正直、あの子が一番後ろかもしれない」
父は正直に言った。
「運動神経も、センスも、
この三人のほうが上に見える」
「でも、あの子は――」
そこで言葉を切る。
“でも”の先に続く言葉は、
まだ確信を持って言えるほど
整理できていなかった。
ただ、
リングに立っていたときの娘の背中を思い出す。
顔は泣きそうで、
身体はボロボロで、
それでも立ち上がろうとする背中。
(ああいう背中は、
簡単には折れない)
それだけは、
はっきり分かっていた。
◇ ◇ ◇
新人四試合が終わったあと、
休憩を挟んで本戦カードが始まった。
先輩たちの試合では、
客席全体が大きく沸き、
時折悲鳴のような歓声も上がる。
「ね、見ました?
さっきの人、“エスメラルダ・ルミナ”っていうんですけど」
まなは、
パンフレットをめくりながら早口で喋る。
「ロープの上走ってましたよ!
あれ、ヤバくないですか!?」
「うん、なんか……
人間やめてるなって思った」と母。
「プロなんだから、人間であってほしいところだけどな」
と父。
そんなやりとりをしているうちに、
場内アナウンスが響く。
『――本日のメインイベントを行います!』
皇あまねと天上院ユリア。
白星るりあと如月ゆかり。
四人が花道を歩く姿を見ながら――
父は、ふと娘の言葉を思い出していた。
『あなたみたいになれますか?』
以前、
あまねに直接問いかけたという話を
さやかから聞いた。
そのとき、
あまねはこう答えたらしい。
『諦めなければ、きっとなれる』
(……軽いこと言うなぁと、
そのときは正直思った)
そんな簡単な話じゃないだろうと。
才能も、環境も、運も、全部必要だろうと。
だが今、
メインイベントの四人と、
その四人を見上げるように客席から見つめている娘たちを見て――
(それでも、
あの人は本気でそう思ってるんだろうな)
そう感じた。
何年も、
何十回も、
諦めなかった結果が
今の“黒い不死鳥”なんだろう。
「あの子、あそこまでいけると思う?」
母が、
メインの攻防に目を奪われながら尋ねてくる。
「分からん」
父は、正直に答えた。
「怪我するかもしれないし、
途中で心が折れるかもしれない」
「……そうね」
「でも――」
視線を、
アリーナ上段の一角に移す。
さやかたち四人が座っている関係者席が
ぼんやり見えた。
暗がりの中で、
娘が手すりを握りしめながら
リングを見つめているのが分かる。
「少なくとも、今は諦めてない」
「うん」
「だったら、
親が先に諦めるわけにはいかんだろう」
その言葉に、
母はふっと笑った。
「そうね。
“やめなさい”って言うのは簡単だけど」
「“続けていいよ”って言うほうが、
よっぽど怖いからな」
リング上では、
鳳閃が決まり、カウントスリーが入る。
観客が総立ちになり、
メインイベントが幕を閉じた。
◇ ◇ ◇
大会が終わり、
客席から人が少しずつ減っていく。
「さやか、
今どのへんかな」
「控室だろうな。
すぐには出てこないだろう」
父は、
通路に出る人の流れを眺めながら言った。
まなが、
ボードを抱えたまま名残惜しそうにリングを見ている。
「今日は来てくれてありがとうね、まなちゃん」
母が声をかけると、
まなは慌てて振り向いた。
「い、いえ!
さやかのデビュー、
絶対この目で見たかったんで!」
「だって、わたし、“星屑のトップオタ”ですから!」
胸を張って言うその姿に、
父は苦笑を漏らす。
「頼もしいな」
「はい、
これからも全力で推していきます!」
その熱量が、
少しだけ嬉しかった。
(あいつには、
ちゃんと支えてくれる友達がいる)
親だけでは届かないところを、
こういう存在が支えてくれるのだろう。
「ねえ、お父さん」
母が、会場を出る階段の途中で足を止めた。
「さやかに何て言う?
今日のこと」
「そうだな……」
父は一瞬考えてから、
短く答えた。
「“よく立ってたな”って言う」
「技とかじゃなくて?」
「技は、指導者がどうとでもしてくれる。
心だけは、本人しかどうにもできん」
そう言いながら、
自分自身にも言い聞かせる。
(これから何回も、
勝ったり負けたりするんだろう)
(怪我もするかもしれない。
泣き言も言うかもしれない)
(それでも――
リングに立ち続けようとするなら)
「そのときは、そのつど見に来てやればいい」
小さく呟いた言葉は、
誰にも聞こえなかったかもしれない。
けれど、
自分の中では、
はっきりとした“約束”になっていた。
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