第45話 東都第二アリーナへ
いよいよデビュー興行当日。
スターダスト寮、自宅、それぞれの「朝」から、
東都第二アリーナへの会場入りまでを描きます。
この回で、
・新人四人の対戦カード(シングル)が正式発表
・メインイベントに組まれた“頂点クラスのタッグマッチ”
が明かされます。
その朝、空はやけに澄んでいた。
雲ひとつない青空。
冬の名残りみたいな冷たい空気が、頬をきゅっと引き締める。
(……今日、わたし、デビューするんだ)
星屑さやかは、自分の胸の鼓動で目を覚ました。
部屋の時計は、まだいつもより早い時間を指している。
布団の中で天井を見つめるだけで、心臓の音がうるさい。
深呼吸をひとつしてから、ゆっくり起き上がる。
制服ではなく――
道場に行くときと同じ、動きやすいジャージ。
でも、今日はその上から、スタジャンを羽織った。
鏡の前で軽く髪を整えると、
リビングから味噌汁の匂いがやってきた。
◇ ◇ ◇
「おはよう」
ダイニングに顔を出すと、母が振り向いた。
テーブルには、いつもより少し軽めの朝食が並んでいる。
「今日はあんまり食べ過ぎないほうがいいんでしょ?」
「う、うん。あんまり胃が重いと走れなくなっちゃうから」
「だから、おにぎり一個とお味噌汁だけ。
おかずは卵焼きとウインナー、ちょっとだけね」
母はそう言って、さやかの前にお盆を置いた。
父は、テーブルの端で新聞を広げている……ふりをしていた。
ページはまったく進んでいない。
「……本当に、試合、やるんだな」
新聞の影から、ぼそっと声が飛んできた。
「うん」
さやかは、箸を止めずに返事をする。
「今日の会場は?」
「東都第二アリーナ。
八百人ぐらい入るホールだって」
「八百人もか」
父は新聞を畳み、ふうっと息を吐いた。
「テレビ中継とかは?」
「今日は配信だけみたい。
でも、いつかテレビのタイトルマッチとかに出たいなって思ってる」
「最初からずいぶん大きく出るな」
口調は少し呆れたようだったが、
そこに、前みたいな「無理だろ」と決めつける色はなかった。
「この前、会社の人にも話したんだ」
父は、少し照れくさそうに視線をそらす。
「『うちの娘がプロレスラーになる』って」
「えっ」
「笑われるかと思ったけどな。
意外と、『すげえな』って言われたぞ」
さやかの胸に、じんわりと何かが広がった。
母がくすっと笑う。
「ほら、お父さん、もうすっかり“星屑さやか”のファンだから」
「なってない」
「なってるでしょ?」
軽い言い合いに、さやかもつられて笑ってしまう。
箸を置き、両親のほうに向き直った。
「行ってきます。
ちゃんと、最後まで立って帰ってくるから」
父は少しのあいだ黙って――
やがて、頷いた。
「気をつけて行け。
倒れそうになったら、見栄張らずにタオル投げてもらえ」
「それ、試合中に自分で言う人いないよ」
「だからこそ、言っとくんだ」
母はエプロン越しに、さやかをぎゅっと抱きしめた。
「行ってらっしゃい。
ちゃんと観に行くから」
「うん」
玄関で靴を履き、ドアを開ける。
冷たい空気が、一気に流れ込んできた。
さやかは、胸に手を当ててひとつ深呼吸をする。
(行こう)
その一歩が、
本当に「レスラーとして」の一歩になることを、
じんわりと実感しながら。
◇ ◇ ◇
そのころ、スターダスト寮。
「おはよう、いぶきちゃん、らんちゃん。
今日は食べ過ぎ禁止の日だからね」
寮母・大原よしのの声が、食堂に響いていた。
カウンターには、軽めの朝食メニューが並んでいる。
おにぎり、具だくさんの味噌汁、焼き鮭、サラダ。
「禁止って言ってるけど、いつもより品数多くないですか?」
星緋いぶきが、少しだけ首をかしげる。
「量を減らして、種類を増やしてるの。
こういう日はね、緊張で“食べられない子”もいるから」
よしのは笑いながら、お椀によそった味噌汁をいぶきの前に置く。
「口に運びやすいものをちょこちょこ置いとくと、
ちょっとずつでも入るでしょう?」
「……ありがとうございます」
いぶきは、静かに頭を下げた。
隣では、ティアラ☆キャンディ――姫乃らんが、
おにぎりをじっと見つめていた。
「らんちゃん、緊張で喉通らない?」
「い、いえ……通るんですけど……」
らんは、おにぎりを持ち上げて、
ぱくり、とひと口かじる。
意外と普通に食べられた。
「……通りました」
「ならよし」
よしのは、らんの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「大丈夫よ。
あんたたち、ちゃんとここまでやってきたじゃないの」
「……はい」
いぶきは、箸を止めずに小さく返事をする。
表情は硬いが、味噌汁はちゃんと減っていた。
食堂の隅のテレビでは、
朝のニュース番組の盛り上がりの中に
「本日のスポーツイベント」のテロップがちらりと流れていた。
“PWS 東都第二アリーナ大会 本日開催”
その文字を、らんはぼんやり見つめる。
(あのテロップの中に、
今日から自分も乗るのかな)
胸の中で、ふわふわとした実感が膨らんだ。
◇ ◇ ◇
一方、ノエル・シエルの部屋。
シンプルなワンルームのテーブルには、
トーストとスクランブルエッグ、サラダ。
コーヒーの香りが漂っている。
「ノエル、パンもう一枚焼くかい?」
「いえ、大丈夫です。
あまり食べ過ぎないほうがいいので」
「そうか」
スーツ姿の父が、カップを持ち上げる。
「試合は、夕方なんだろう?」
「はい。
東都第二アリーナで、前半のほうです」
「仕事、途中で抜けて行くよ。
間に合わなかったら後半からになるかもしれないが……」
「来てくれるだけで、十分です」
ノエルは、トーストをちぎりながら微笑んだ。
父は、娘の顔をじっと見つめる。
「怖いかい?」
「……はい」
嘘はつかなかった。
「でも、前みたいに、
“逃げたい”とは思っていません」
父は、ふっと目を細める。
「逃げてもいいんだよ、本当は」
「それでも、逃げたくないんです」
「……そうか」
カップをソーサーに戻し、
父は静かに立ち上がった。
「リングの外には、医者もいる。
ドクターも、レフェリーも、スタッフもいる。
君のまわりには、前よりずっと多くの“大人”がいる」
「はい」
「怖くなったら、
“ひとりじゃない”ことだけは忘れないように」
ノエルは、胸の前で手をぎゅっと握った。
「行ってきます、お父さん」
「ああ。
いってらっしゃい、ノエル」
◇ ◇ ◇
午前十時。
PWS本部道場前。
さやかが到着すると、
すでに何人かの先輩たちが集まっていた。
「おはようございます!」
「お、おはよう星屑ちゃん。
緊張してる?」
轟みなせが、ジャージ姿で大きく手を振る。
「は、はい……でも、頑張ります!」
「よしよし。その顔なら大丈夫」
みなせが、さやかの肩をぽんっと叩く。
少しして、
いぶき、ノエル、らんも揃った。
「全員そろったな」
黒岩剛が、腕を組んで道場から出てくる。
その後ろには、天城星弥と山城あかね。
少し遅れて、カーディガン姿の滝本しおりも姿を見せた。
「今日は長い一日になる。
でも、やることはいつもと変わらない」
天城が、四人を見渡す。
「ロープをくぐる。
立つ。
倒れる。
また立つ」
さやかの喉が、ごくりと鳴った。
「君たちにとっては“特別な一日”だけど、
PWSにとっては“いつもの興行の一つ”でもある」
天城は、穏やかな声で続ける。
「特別と日常が同時に存在する場所が、
プロレスのリングだ。
それを、今日、身体で覚えてほしい」
「はい!」
四人の声が、少しだけ揃わないまま重なった。
「移動中にへたばらないように、
バスの中ではなるべく座ってな」
黒岩が、軽く顎をしゃくる。
「緊張して眠れそうなら寝ろ。
吐きそうなら吐く前に言え」
「それ、言える人少なそうですけど……」
らんが小さく突っ込む。
「だから今のうちに言っといてやってんだ」
黒岩のぶっきらぼうな言い方に、
あかねが苦笑した。
「じゃ、出発しましょうか。
東都第二アリーナへ」
マイクロバスのドアが開く音が、
いつもより大きく聞こえた。
◇ ◇ ◇
バスの中は、思っていたより静かだった。
さやかは窓側の席に座り、流れる景色を眺める。
通い慣れた道場周辺を離れ、
高速道路に乗り、
都会のビルがだんだん増えていく。
向かいの席では、いぶきが目を閉じていた。
眠っているというより、呼吸を整えているような静けさ。
隣の席のらんは、
イヤホンを片耳だけ入れ、
小さくリズムを取っている。
歌詞のないメロディを、心の中でなぞっているのだろう。
ノエルは、窓の外を見つめていた。
ガラスに映る自分の顔を、一瞬だけ見つめて、
すぐに目をそらす。
さやかは、スマホを取り出して画面を開いた。
メッセージアプリには、
トップに「まな」の名前。
『今から会場行ってくる』
そう打って、送信ボタンを押す。
すぐに返信が来た。
『はい出た、主人公みたいなセリフ。
ちゃんとリング見える席確保するから、
派手に転ばないでね』
同時に、もう一通。
『でも本当にすごいよ。
星屑、今日からプロレスラーだね』
胸の奥が熱くなる。
さやかは、スマホを握りしめたまま
小さく呟いた。
(まだ“なる”ところだけど)
(ちゃんと“なった”って言えるように、
今日、頑張らなきゃ)
◇ ◇ ◇
東都第二アリーナ。
バスを降りて見上げた瞬間、
さやかは思わず息を呑んだ。
「……大きい」
ガラス張りのエントランス。
壁に貼られた本日の興行ポスター。
まだ空っぽの客席とロビー。
「ここが、今日のリングか」
いぶきが、静かに呟く。
「道場のリングと、同じはずなのに」
らんも、きょろきょろと辺りを見回していた。
「……空気が違います」
ノエルは、少しだけ肩をすくめる。
「当たり前だよ」
あかねが、通用口から中へ案内しながら言う。
「ここは“お客さんが集まる場所”だからね。
椅子が、ライトが、空気が、
全部“見られること前提”で作られてる」
細い通路を抜け、控室エリアを通る。
スタッフがケーブルを引き、機材を運び、
リングのチェックをしている。
「まずはリングチェックから行きましょう」
白銀リョウが、ロープのあたりで待っていた。
「道場と同じだと思って雑に走ると、
ロープの弾き返しで怪我するからな。
ちゃんと確かめておけ」
四人は、順番にロープを押してみる。
道場のものより、少しだけ硬い。
弾き返す力も強い。
軽くロープワークをしてみると、
足元の感触も、道場とは微妙に違っていた。
(同じ“リング”なのに)
さやかは、真ん中に立って天井を見上げる。
まだ観客はいない。
静かなはずなのに――
これから満席になるであろう客席が、
目に見えない圧みたいに迫ってくる。
「顔色、悪くなってません?」
滝本しおりが、さやかの横に歩み寄ってきた。
「す、すみません、ちょっとびっくりして……」
「びっくりして当然ですよ。
ここ、あなたたちにとっては“初舞台”ですから」
しおりは、軽く腕を取って肘や肩の動きを確認する。
「体はどうですか?
昨日のスパーの疲れ、変な残り方してないですか」
「大丈夫です。
ちょっと緊張で固まってるだけで」
「それは正常反応です。
緊張してる自覚があるうちは、まだ平気」
しおりは、にこっと微笑む。
「本番前に、もう一回ストレッチにつきますから。
何かあったら遠慮なく言ってくださいね。
“我慢できるかも”は、ドクター的にはアウトですから」
「はい」
さやかが頷くと、
しおりは他の三人のところへ向かっていった。
◇ ◇ ◇
控室。
まだコスチュームには着替えていない四人が、
ベンチに並んで座っていた。
その前に、ホワイトボードを立てた山城あかねがいる。
「さて。
今日の“お仕事”の確認をしましょうか」
あかねが、ボードにマーカーを走らせる。
「まず、君たち四人のデビューカードから」
書かれていく名前に、
さやかの喉がまた乾く。
『第0試合 シングルマッチ
星屑さやか vs 轟みなせ』
『第1試合 シングルマッチ
星緋いぶき vs 赤城火智』
『第2試合 シングルマッチ
ノエル・シエル vs 黒沼アサギ』
『第3試合 シングルマッチ
ティアラ☆キャンディ vs 黒羽ミコト』
「四連続、デビュー戦シングル。
先輩たち相手に、客前で十数分ずつ。
そのあとも試合あるから、全力は全力でも“頭使った全力”でお願いします」
あかねはマーカーをくるくる回した。
「勝ち負けについては、あんまり気にしなくていい」
黒岩が、腕を組んだまま口を開く。
「今日、お前らに求めてるのは、“結果”じゃねえ。
ロープをくぐって、最後まで逃げずにプロレスをやることだ」
「でも、勝ちたいと思うことは、悪くないです」
いぶきが、静かに言う。
「当たり前だ」
黒岩が、少しだけ口元を緩めた。
「ただ、“勝ちたい”に気持ちが全部持ってかれて、
受け身忘れたり、技雑になったりするのが一番危ねえって話だ」
「……はい」
ノエルも、小さく頷く。
「それから」
あかねが、ホワイトボードの下に新しい文字を書き加えた。
『メインイベント
スペシャルタッグマッチ(ノンタイトル)
皇あまね&天上院ユリア
vs
白星るりあ&如月ゆかり』
「今日のメインです」
さやかは、そのカードを見て息を呑んだ。
(あまねさんと、ユリアさん……
るりあさんと、ゆかりさん……)
PWSの“頂点”と“看板”と“レジェンド”。
その四人が、同じリングに立つ。
「君たち四人には、
自分の試合が終わったあと、
このメインをちゃんと観てもらうつもりです」
天城が、静かに言う。
「自分との“差”を、
身体で、目で、心で知ってほしい」
「……はい」
四人の返事は、さっきよりも少しだけ揃っていた。
「緊張してる子、手を挙げて」
あかねの言葉に――
四人全員の手が、素直に上がった。
「全員かい」
控室の空気が、ふっと和らぐ。
「じゃあちょうどいい。
“緊張してない”とか強がる子より、
自分が怖いって分かってる子のほうが、
ずっと安全にリングに立てるからね」
あかねは、ペンをホワイトボードのトレーに置いた。
「怖いままでいい。
そのかわり、怖いままロープをくぐってください」
その言葉が、
四人の胸に静かに沈んでいく。
さやかは、コスチュームの入ったバッグのファスナーを
ぎゅっと握りしめた。
(行こう)
(星屑さやかとして、
ちゃんとリングに立つんだ)
⸻
ここまで読んでくださってありがとうございます。
この話では、
・デビュー当日の朝(さやか/いぶき&らん/ノエルそれぞれの家・寮)
・本部道場集合〜マイクロバスで東都第二アリーナへ
・会場入りとリングチェック
・広報・あかね、社長・天城、黒岩、しおり先生からの一言
・四人のデビュー戦カード(シングル四連戦)と、メインイベント
「皇あまね&天上院ユリア vs 白星るりあ&如月ゆかり」の発表
を描きました。
次回は、
第0試合「星屑さやか vs 轟みなせ」
デビュー戦シングルマッチの入場〜試合本編を
じっくりやっていく予定です。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




