第41話 いぶきの道場と、まなとの約束
会社と家族との面談を終え、
それぞれが「守るべきもの」と向き合い始めた新人四人。
今回は、
・いぶきの過去――実家の道場と親とのすれ違い
・さやかとまなが改めて交わす、“両立の約束”
を描いていきます。
その日の夜。
スターダスト寮の談話室には、
テレビの小さな音と、
電子レンジの「チン」という音だけが響いていた。
星緋いぶきは、
談話室の隅のテーブルで、ひとりスマホを見つめていた。
画面には、短いメッセージの履歴。
『元気にしてるか』
『道場はちゃんと回ってる』
『忙しいなら返事はいい』
最後に送られてきたのは、一週間以上前だった。
(……返事、まだしてない)
分かっている。
“既読”がついたままのメッセージが、
自分の中でずっと引っかかっていることくらい。
けれど、何て返していいか分からなかった。
「元気だよ」だけじゃ、足りない気がして。
「そっちは?」なんて聞いたら、
何事もなかったみたいで嘘みたいで。
(……デビュー、決まったって言うべきなんだろうけど)
言ったらきっと、
喜んで、怒って、呆れて、心配して――
全部まとめて返ってくる。
それを受け止める覚悟が、
まだ自分の中で固まっていない。
「いぶきちゃん、まだ起きてたの?」
ふいに、背後から声がした。
振り向くと、
パーカー姿の赤城ひよりが、
マグカップを片手に立っていた。
「あ、ひよりさん」
「ココア飲む? 一応、甘さ控えめなやつだけど」
「……いただきます」
ひよりは、いぶきの向かいの椅子に座り、
マグカップを二つテーブルに置いた。
「さっきから、ずっと同じ画面見てたよ。
目、疲れない?」
「……見てたんじゃなくて、止まってただけです」
いぶきは、スマホの画面を伏せた。
「実家?」
「……はい」
否定しなかった。
「道場、でしたよね? いぶきちゃんの家」
「そうです。合気道と、古武術と」
ココアを一口飲む。
温かさが喉を通り、胸のあたりでじんわり広がった。
「こっちに来るとき、
あんまりいい別れ方じゃなかったんですよね」
「……“家を継ぐのが当たり前だ”って、
ずっと言われてきたので」
いぶきは、少しだけ肩をすくめた。
「高校卒業したら、
師範代として道場に入るか、
大学に行ってから戻ってこいって」
「それはそれで、期待されてたってことでもあるんだけどね」
「……分かってます」
期待されていた。
道場の子どもたちからも、
近所からも、「跡継ぎ」として。
それは嬉しくて、誇らしくて――
でも、息苦しかった。
「プロレス、観に行ったのは、親に内緒だったんです。
友達に誘われて、地方大会に」
いぶきは、少し遠くを見るような目になった。
「そのとき初めて、“道場の試合”じゃなくて、
“見せるための戦い”を観たっていうか……」
技と技がぶつかり合う音。
観客の歓声。
入場曲。
リングライト。
「正直、なんというか――
“ずるいな”って思いました」
「ずるい?」
「こっちは、毎日汗流して稽古してる側なのに。
あっちは、その何倍もきついことやってるのに、“華”まで持っていくんですよ」
自嘲気味に笑う。
「そのとき、
“あっち側に立ってみたい”って思ったんです。
道場の中じゃなくて、リングの上に」
「それで、PWSのオーディションを?」
「……はい」
スマホの画面を見つめる。
「親には、“東京で働きながら道場も探す”って適当なこと言って出てきました」
「働きながら道場も探す、ねぇ」
ひよりが少し苦笑する。
「それ、バレたら絶対怒られるやつだ」
「分かってます」
いぶきも苦笑した。
「でも、オーディション、
落ちるかもしれないじゃないですか。
受からなかったときに、“やっぱり向いてなかったね”って言われるの、
想像しただけで、嫌で」
受かった今も、
まだあのときの怖さを覚えている。
「だから、“ちゃんと形になってから”って思ってました。
契約して、デビュー決まって、
ちゃんと“プロレスラーとして名乗れるようになってから”って」
「……それ、なんか分かるな」
ひよりは、マグカップを両手で包むように持った。
「親に胸張れる状態になってからじゃないと、
言いにくいんだよね」
「はい」
「でもさ」
ひよりは、やわらかく微笑む。
「今日の面談のとき、
星屑ちゃんのお父さん、
言ってたじゃない?」
“自分で選んだ道から、
最初の一歩すら踏み出させないのは、
親のエゴかもしれないって”
「……聞いてました」
「うちも、似たようなもんだったよ」
ひよりは、少しだけ視線を落とした。
「うちの親も最初、女子プロなんて絶対反対で。
“女の子が殴り合うものじゃない”“潰しがきかない世界だ”って」
「……分かる気がします」
「でも、“やりたいものは、やりたい”んだもん」
ひよりは肩をすくめた。
「うまく説明できなくても、
ちゃんと向き合ったほうが、後から楽だよ。
“バレて怒られる”より、“言って怒られる”ほうがまだマシ」
「……耳が痛いです」
「耳は二つあるからね。片方は痛くても大丈夫」
「理屈になってません」
思わずツッコんでから、
いぶきはふっと笑ってしまった。
「いま、連絡する必要はないよ。
でも――」
ひよりは、いぶきのスマホをちらりと見た。
「“デビュー決まりました”って一言、
そのうち言ったほうがいいとは思う。
怒られるし、心配もされるけど。
それでも、“知らないまま”よりは絶対いい」
「……そうですね」
いぶきは、深く息を吸った。
「とりあえず、今日は――
“ちゃんと生きてます”ってだけ送ります」
「うん、それでいいと思う」
ココアをもう一口飲んでから、
いぶきはスマホの画面を開いた。
新しいメッセージの欄に、指を滑らせる。
『元気です。ちゃんと食べて、ちゃんと寝てます。
近いうちに、話したいことがあります』
一度読み返し、
送信ボタンを押した。
画面に「送信しました」の表示が浮かぶ。
(……いつかちゃんと、“言えるタイミング”を作ろう)
その「いつか」は、そう遠くないと
自分に言い聞かせながら。
◇ ◇ ◇
数日後。
放課後の星海高校。
「――で、どうだったの? 面談」
昇降口を出たところで、
まなが食い気味に話しかけてきた。
「星屑、会社と親と、なんかすごい“会議”してきたんでしょ?」
「会議っていうと、なんかすごいけど……」
さやかは苦笑しながら、肩かばんを持ち直す。
「PWS本社に、親たちと一緒に行って。
契約の話とか、学校との両立の条件とか、
メディカルの先生のお話とか」
「メディカル?」
「リングドクター兼メディカルトレーナーの先生。
滝本しおりさんっていう、すごく優しそうだけど、
ケガの話になるとめちゃくちゃキリッとする先生」
「へぇ……」
まなが、ちょっとだけ目を丸くした。
「星屑、大丈夫?
なんか“プロの世界に殴り込んできました”って現実、
いまドーンって来てない?」
「……来てる」
さやかは、正直に頷いた。
「でも、ちゃんと話してくれて、
ちゃんと条件も決めてくれて。
“両立ができなくなったら、リングのほうをセーブする”って」
「そこは現実的だよねぇ」
まなは、ふうっと息を吐いた。
「けど、それ聞いてちょっと安心したかも。
“学校やめて全部プロレス一本です!”とか言われたら、
さすがに止めてた」
「やっぱり?」
「当たり前でしょ」
まなは、さやかの額を軽く小突く。
「星屑、勉強得意じゃないの知ってるけどさ。
“だから学校投げていい”って話じゃないからね?」
「うっ……」
「でもまあ」
まなは、少しだけ表情を柔らかくした。
「ちゃんと会社も、親も、そういう話してくれたってことはさ。
星屑のこと、本気で“選手”として見てくれてるってことでもあるんだよ」
「……そうなのかな」
「そうだよ」
まなは、にっと笑う。
「じゃなきゃわざわざ学校まで巻き込んで、
“両立する前提でスケジュール組みます”なんて言わないって」
「……そっか」
胸の奥が、じんわり温かくなっていく。
「で、星屑はさ」
まなが、真面目な顔になる。
「自分ではどうするの?
“両立する”って、会社も親も言ってくれたけど。
肝心の本人は」
「……やるよ」
さやかは、ぎゅっとかばんの紐を握った。
「どっちも、ちゃんとやりたい。
プロレスも、学校も。
ここまで来て、“やっぱりどっちか捨てます”ってしたくない」
「うん」
まなは、その言葉をしばらく噛みしめるように聞いていた。
「じゃあさ」
「ん?」
「その代わり、星屑も約束して」
まなは、指を一本立てた。
「“まなに迷惑かけるかもしれないけど、
ノートに頼り切りにならないように頑張る”こと」
「……耳が痛い」
「自覚あるんじゃん」
くすっと笑ってから、続ける。
「ノート貸したり、テスト範囲教えたりするのは全然いい。
でも、“まなのノートがないと死ぬ〜〜”みたいな状態にはさせないからね」
「うん。ちゃんと自分でもやる」
「それから」
まなは、もう一本指を立てた。
「デビュー戦、ちゃんと教えて。
日程決まったら、真っ先にまなに連絡すること」
「それは絶対する!」
「まな、星屑の“ファン一号”だし、
“トップオタ”狙ってるから」
胸の前で腕を組み、どや顔で言う。
「最前列は無理でも、
できるだけ近くでペンライト振ってるから。
……プロレス会場でペンライトって変かな?」
「どうだろ……? でも、らんちゃんの試合だったら普通にありそう」
「じゃあペンライトも用意しとくわ」
そんな会話をしているうちに、
さやかの表情から、少しずつこわばりが取れていく。
「ありがとね、まな」
「何よ、急に」
「今日、会社で“両立します”って言ったとき、
まなの顔、ちょっと浮かんだんだ」
「え、こわ」
「こわくない!」
抗議しながらも、笑ってしまう。
「“まなにも迷惑かけるかもしれないけど、
ノートに頼り切りにならないように頑張るから”って。
ちゃんと約束しなきゃって思って」
「……ま、いいけどさ」
まなは、少しだけ照れくさそうに視線をそらした。
「どうせ星屑のことだからさ。
中途半端なことできないでしょ」
「そんなことないよ。
練習だと全然できないし――」
「それはそう」
「即答!?」
「でも、できないくせに諦めないところは、
昔から変わってないからさ」
まなは、かばんを肩にかけ直した。
「そういう星屑が、まなはけっこう好きだから。
“プロレスラー・星屑さやか”になっても、そこだけは変えないで」
「……うん」
胸の奥が、きゅっと熱くなる。
「絶対、諦めない」
「よろしい」
まなは満足そうに頷いた。
「じゃあ、デビュー戦のときは――」
「トップオタとして?」
「そう。
“星屑さやか、全肯定オタク代表”として、
ちゃんと客席から見ててあげる」
「それ、なんか心強いけど恥ずかしいなぁ……」
「恥ずかしがる余裕あったら、
リングの上でちゃんと勝ちに行きなよ」
「……がんばる」
二人分の足音が、
夕方の校門へと続いていく。
高く伸びた影が、
これから歩いていく道の長さを、
少しだけ教えてくれているようだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、
・いぶきの実家の道場と、親との微妙な距離感
・ひよりとの会話を通じて、「言わないまま」から一歩だけ前に進んだこと
・さやかとまなが改めて交わす“学校とプロレス両立”の約束
・そして、まなの「ファン一号/トップオタ宣言」の再確認
を描きました。
これで、
・いぶきは「まだ全部は言えていないけれど、向き合う準備を始めた」
・さやかは「家族と会社、そしてまなとの約束を背負って両立を選んだ」
という状態になります。
次回は、
・デビューに向けた実務面――山城あかね(広報兼新人マネ)の初登場
・サイン練習やグッズ写真撮影など、“リングの外の準備”
などを中心に描いていく予定です。
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