第40話 家族と会社、リングの外の約束
テストマッチを終えたさやかたち新人四人。
デビューに向けた準備は、もうリングの中だけでは終わりません。
今回は、PWS本社で行われる会社×保護者の面談回。
新キャラとして、リングドクター兼メディカルトレーナーの
滝本しおり先生も本格登場します。
東京・都心部。
ガラス張りのビルの中層階。
PWSのロゴが掲げられた受付を抜けると、
白い壁と観葉植物が並ぶ、静かな廊下が伸びていた。
(……すごい。道場と全然ちがう……)
星屑さやかは、思わず自分のスニーカーを見下ろした。
横には、少し落ち着かない様子の父と母。
父は黒いスーツ、母はよそ行きのワンピース姿だ。
その少し前には、ノエル・シエルと両親。
さらにティアラ☆キャンディ――姫乃らんと、母親とマネージャーらしき男性。
「本日の保護者面談にお越しの皆さまですね」
受付から、事務スタッフらしき女性が柔らかく笑みを浮かべて近づいてくる。
「会議室にご案内します。
星屑さま、シエルさま、姫乃さま、ご家族の皆さま――こちらへどうぞ」
エレベーターに乗り込みながら、さやかは他の顔ぶれを盗み見る。
ノエルの父は、落ち着いた色のスーツに細いネクタイ。
日本語も流暢で、いかにも外資系ビジネスマンといった雰囲気だ。
らんの隣の男性は、前事務所のマネージャーらしい。
どこか芸能界の空気をまとっている。
(なんか、みんな……“本気の大人”って感じだ……)
エレベーターの到着音が、やけに大きく聞こえた。
◇ ◇ ◇
「――どうぞ、お掛けください」
通された会議室は、大きな長机と壁際のモニターだけのシンプルな部屋だった。
その奥の席に、すでに座っているのは――
PWS社長・天城星弥。
トレーナーの黒岩剛。
レフェリーの白銀リョウ。
そして、スーツ姿の事務担当スタッフと、
柔らかな色のカーディガンを羽織った女性。
カーディガンの女性は、
こちらを見てふんわりと微笑んだ。
「本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます」
天城が立ち上がり、深く頭を下げる。
「PWS代表取締役社長の、天城星弥です。
本日は、お嬢さん方の“デビュー”に向けて――
契約と環境について、きちんとご説明させてください」
「……こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」
さやかの父、星屑誠が会釈した。
ノエルの父、ミシェル・シエルも
落ち着いた笑みを浮かべながら頭を下げる。
「ノエルの父です。
日本語で失礼します」
姫乃らんの母も、その隣で丁寧に頭を下げた。
全員が席に着くと、
事務スタッフが資料を配り始める。
◇ ◇ ◇
「まずは、契約と立場について、改めてご説明します」
スーツ姿の事務担当がリモコンを押し、
モニターに資料を映し出した。
「お嬢さん方は現時点では“正所属レスラー”ではなく、
《練習生(研修生)契約》という扱いになります」
スクリーンに簡単な表が表示される。
「固定給ではなく、基本は試合ごとのギャランティ制です。
ただし、未成年かつデビュー直後ということで、
一定額のサポート費用はこちらで負担します」
「……つまり、“プロとして扱うが、完全な出来高ではない”と?」
ミシェルが確認する。
「その認識で概ね問題ありません」
事務担当が頷いた。
「また、学業との両立を前提とした契約になりますので、
長期遠征などは、学校側と相談しながらスケジュールを組み立てます」
「学業との両立、ですか」
らんの母が、小さくため息をつく。
「うちは今、通信制の芸能コースなのでまだいいんですけど……」
「その点は、我々としても助かります」
天城が穏やかに答えた。
「姫乃さんの場合は、
芸能活動の延長線上に“プロレスラー”という道があると考えています。
前事務所とも契約関係を整理してありますので、
こちらからも学校へ説明を行います」
らんの隣の男性――前事務所のマネージャーが軽く会釈する。
「前の事務所としましても、
彼女が新しいステージに挑戦することには同意しています。
ただ、気になるのはやはり“安全面”ですね」
「そこは、私の担当です」
カーディガンの女性が、軽く手を挙げた。
「PWS専属のリングドクター兼メディカルトレーナー、
滝本しおりと申します。よろしくお願いします」
柔らかい声だった。
けれど、その目はしっかりとした芯を感じさせる。
「興行には基本的に帯同して、
試合中の負傷チェックと試合後のケアを行っています。
本部道場でも、定期的なコンディションチェックやリハビリ指導、
メンタル面の相談も含めて、選手のサポートをしています」
「具体的には?」
さやかの父が、少し身を乗り出した。
「コンタクトスポーツである以上、
ケガのリスクをゼロにはできません」
しおりは、はっきりと言った。
「その上で――
・練習時のスパーリング強度の管理
・脳震盪のチェック
・定期的な整形・神経系の検査
・違和感が出たときの早期受診
このあたりを徹底しています」
そして少しだけ表情を引き締める。
「それから、重要なことが一つ。
試合であれ練習であれ、危険だと判断した場合は――
選手本人の意思に関係なく、
私やレフェリー側の判断で“止める”権限があります」
優しい声のまま、言葉だけがきっぱりとしていた。
「レフェリーも同じだ」
白銀が腕を組んだまま続ける。
「選手を守るためなら、
観客からブーイングを浴びようが試合を止める」
その言葉に、ノエルの母が少しだけ表情を和らげた。
「……以前、別の団体で、
ノエルが怪我をしたときの話を聞いていて……」
指先をそっと握りしめる。
「また、同じことになるんじゃないかって。
正直、それが一番怖いんです」
「その不安は、当然だと思います」
天城がまっすぐノエルの両親を見る。
「過去に何があったとしても、
“二度と同じ轍を踏まない”のは、こちらの責任です」
「ノエルさんに関しては、
以前のケガの経過と現在の状態をすべて確認しました」
しおりが資料に目を落とす。
「リスクがゼロとは言いません。
ただ、“もうリングには上げられない”という状態ではありません。
恐怖心も含めて、長期的にケアしていく必要がありますが――
そのための窓口として、私がいます」
ミシェルが、深く息を吐いた。
「……正直、ノエルが“もう一度プロレスをやりたい”と言ったとき、
私は very surprised でした」
流暢な日本語の中に、少しだけ英語が混ざる。
「前の団体で怪我をして、
“もう嫌だ”と言っていた娘が――
また同じ場所に戻ろうとしている」
ノエルは、父をじっと見つめていた。
「だからこそ、こうしてきちんと話を聞けたことはありがたいです」
ミシェルは、天城としおりの両方を見た。
「一つだけ、お願いがあります」
「なんでしょう」
しおりが問い返す。
「娘の様子に“おかしい”ところがあったら、
必ずすぐに医者に連れていってください」
「それはもちろんです」
しおりは、穏やかに微笑む。
「“大丈夫です”を三回言う人は、だいたい大丈夫じゃありませんからね。
少しでも違和感を感じたら、すぐに検査します」
ノエルが、思わず苦笑した。
「それから――」
ミシェルは続ける。
「学業が極端に疎かになった場合は、
必ず一度、私たちに相談を」
「学業との両立については、
我々も最優先で考えています」
天城が頷いた。
「そこは星屑さん、姫乃さんも同様です」
話題が、さやかたちに移った。
◇ ◇ ◇
「星屑さんのご家庭にも、
少し踏み込んだお話をさせてください」
天城の視線が、さやかの両親へ向けられる。
「星屑さんは、現在高校二年生。
すでに学校側とも話し合いを進めております」
事務担当が、別の資料を開いた。
「“プロ活動特例”という形で、
出欠や試験日程に一定の柔軟性を持たせることになりました」
「……そんな制度があるんですね」
母が驚いたように目を丸くする。
「最近は、芸能やスポーツで
在学中からプロとして活動するケースも増えていますので」
事務担当が説明を続ける。
「ただし、その分“条件”もあります」
「条件?」
父が眉をひそめた。
「定期試験と出席日数が、
学校側の定める最低ラインを割り込んだ場合――」
事務担当は淡々と言う。
「PWS側の興行・遠征スケジュールを調整し、
必要なら出場を一時的に制限する、という取り決めです」
「……なるほど」
父は、腕を組んで少し天井を見上げた。
「勉強から逃げるための“言い訳”にはならないように、ということですね」
「その通りです」
天城がうなずく。
「星屑さん本人にも、同じ内容をあらかじめ伝えています。
“学校もリングも両方やる”というのは、
それだけの責任を伴うということですから」
母が、不安そうにさやかを見た。
「あの子、昔から体育も得意じゃなかったから……
本当に、こんな世界でやっていけるのかって、不安で」
「それは、俺も最初は思いましたが」
黒岩が、腕を組んだまま口を挟んだ。
「あのオーディションと合宿を通して、
一度も“折れなかった”のは事実です」
さやかの胸が、きゅっとなった。
「運動神経やセンスだけなら、
上にはいくらでもいる」
黒岩は、さやかをちらりと見る。
「だが、“あれだけできないのに、まだ立ち上がるやつ”はそう多くない」
「褒めてるんですよね、それは」
母が半分呆れたように聞き返す。
「褒めてます」
黒岩は即答した。
「練習でボロボロになっても、
まだ“続けたい”と言ったやつには、
指導する側としても責任が出る」
「……あの子が、自分から“やりたい”って言ったの、
私たちも初めて見たんです」
父が、静かに言った。
「部活も習い事も、
何となく周りに合わせてやっていただけで、
本気で“こうなりたい”なんて言ったことはなくて」
少しだけ目元が緩む。
「それが、あの日――
友達に誘われて、プロレスの興行を観に行って」
さやかの肩が、びくりと揺れた。
「帰ってきたら、顔を真っ赤にして、
“皇あまねさんみたいになりたい”なんて言い出したんです」
母も、そのときのことを思い出したように笑う。
「ルールも技の名前も、ほとんど知らなかったくせにね。
“あの人みたいに強くなりたい”“あの人と同じリングに立ちたい”って、
初めて自分から言ったから、びっくりしました」
(……あのときの気持ち、まだちゃんと覚えてる)
あまねの背中。
フェニックス・ウィング。
諦めない姿。
全部が今、ここにつながっている。
「こういう世界が厳しいのは、素人の私でも分かります」
父は続けた。
「生半可な覚悟や根性なら、
オーディションの時点で落ちていたんだろうとも思います」
そして、ゆっくり息を吐く。
「だから――正直に言えば」
父は、一度天城を見てから、娘へ視線を戻した。
「あいつがここまでやってきて、
それでも“まだやりたい”って言うなら」
静かに言葉を重ねる。
「やらせてみて、ダメで諦めるなら、
また何か見つけるだろうと」
「お父さん……」
「もちろん、怪我なんてしてほしくないし、
勉強も投げ出してほしくない」
それでも、と続ける。
「自分で選んだ道から、
最初の一歩すら踏み出させないのは、
親のエゴかもしれないと思ったんです」
天城は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。
こちらとしても、星屑さんが“両立”できるように、
できる限りのサポートをすることをお約束します」
「それと、星屑さん」
しおりが、さやかを優しく見る。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝ること。
痛いのを“我慢で誤魔化さない”こと。
これは、私からの条件です」
「……はい」
「無理して壊したら、“根性”じゃなくて“自傷”ですからね」
柔らかい笑顔のまま、言葉だけ少しだけ鋭くなった。
さやかは、思わず背筋を伸ばした。
◇ ◇ ◇
姫乃らんの番になると、
空気は少しだけ別の方向に動いた。
「芸能の世界もそれなりに厳しいのは分かっていますが……」
らんの母が、苦笑いを浮かべる。
「プロレスは、また別の意味で怖くて」
「そうですね。
“ステージ”でありながら、“格闘”でもありますから」
ユリアが、涼しい顔で言う。
「でも、彼女は自分で“ここに立ちたい”と言いました」
らんに視線を向ける。
「アイドルとしてだけではなく、
レスラーとしてもお客さんに見られる道です」
「怪我のリスクは、こちらも重々承知しています」
しおりがうなずく。
「だからこそ、過度な減量や無理な技習得は止めます。
“可愛い”も“強い”も、身体が壊れたらそこで終わりですから」
「……はい」
らんは、小さく身を縮めた。
「でも、“ステージで一番星になりたい”って気持ちは、本当だから」
母は、少しだけため息をついて笑った。
「昔から、やるって決めたら聞かない子で。
……どうせ止めても行くんでしょうから」
「お母さん……」
「だったらせめて、“ちゃんと準備したうえで”行ってきなさい。
中途半端な頑張り方だけは、しないで」
「その点は、こちらも同じです」
ユリアが言う。
「半端なままリングに上げるくらいなら、私が止めます。
その代わり――リングに上げると決めたからには、徹底的に仕上げます」
らんは、ぐっと背筋を伸ばした。
「……はい!」
◇ ◇ ◇
一通りの説明と質疑応答が終わり、
面談はひとまずお開きとなった。
「本日はありがとうございました」
天城を先頭に、
黒岩、白銀、事務スタッフ、そして滝本しおりが頭を下げる。
会議室を出たところで、
さやかは思い切って口を開いた。
「あの……」
父と母を振り返る。
「ちゃんと、両立するから。
約束、守るから」
「そうね」
母は、少しだけ笑った。
「どうせ止めても行くんでしょ。
だったら、ちゃんとやりなさい」
「困ったら、ちゃんと相談しろ」
父は、ぽん、とさやかの頭を軽く叩く。
「学校のことも、リングのことも。
ひとりで抱え込んで、勝手に諦めるな」
「……うん!」
ノエルは、父と母の間で小さく息を吐いていた。
「大変な世界だと思うよ」
ミシェルが言う。
「でも、“自分で選んだ世界”なら、
とことんやってみなさい」
「無理だと思ったら、
逃げてもいいからね」
母が慌てて付け足す。
「その代わり、“逃げた自分も抱えたまま前に進める”ように。
戻る場所は、ちゃんと残しておくから」
「……ありがとう」
ノエルは、少しだけ涙ぐみながら笑った。
らんは、母とマネージャーに挟まれて歩いていく。
「ホントにやるんだね、らん」
「うん。今度は“姫乃らん”だけじゃなくて、
“ティアラ☆キャンディ”としてもちゃんと勝負したいから」
「じゃあ、ちゃんと見に行かなきゃね。
リングの上で転んでも、笑って見ててあげる」
「転ばないから!」
そう言い返しながらも、
らんの声は楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
家族とスタッフたちがそれぞれ別れていき、
エレベーターホールには、
さやかたち新人四人だけが残った。
「……なんか、すごいね」
さやかがぽつりと呟く。
「リングのことだけじゃなくて、
学校とか家とかも、ぜんぶまとめて“プロレスの話”なんだって、
改めて思った」
「うん」
いぶきが壁にもたれて、短く応じる。
「親に反対されたまま飛び出してきたからさ。
ちゃんとこうやって話し合ってもらえるの、
少しだけ、うらやましいかも」
「いぶきちゃん……」
「ま、その話はそのうちでいい」
いぶきは、すっと表情を引き締めた。
「とりあえず、“両立する”って言ったんだから、
星屑、ちゃんとやれよ」
「うん。やる」
さやかは、ぎゅっとこぶしを握る。
「ノエルちゃんは?」
「……怖いのは、やっぱり怖いですけど」
ノエルは胸の前で手を組む。
「お父さんとお母さんが、ちゃんと話を聞いてくれて。
“戻れない場所”じゃないって分かっただけでも、
ちょっと楽になりました」
「じゃあ、あとは前向くだけだね」
らんがにっと笑う。
「お客さんにも家族にも、
“やって良かったね”って言ってもらえるデビュー戦にしよ!」
「……うん!」
ちょうどそのとき、
後ろから柔らかい声がした。
「星屑さん、ノエルさん、姫乃さん」
振り向くと、滝本しおりが立っていた。
「今日の面談、おつかれさまでした。
何か不安なことがあったら、道場でも寮でも、
いつでも声をかけてくださいね」
「はい」
「ケガのことだけじゃなくて、
“怖い”とか“つらい”とか、“どうしていいか分からない”も、
全部診察対象だと思ってください」
しおりは、優しい笑みを浮かべる。
「そのかわり――」
少しだけ目つきが鋭くなった。
「自分の身体を粗末に扱うようなことを言ったら、
そのときは本気で怒りますからね?」
「……気をつけます」
三人は同時に背筋を伸ばした。
エレベーターの到着音が鳴る。
扉が開き、四人は一歩を踏み出した。
リングに向かう前に、
守るべきものと支えてくれる人たちが、
それぞれの胸に刻み込まれた瞬間だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
40話では、
・PWS本社での《会社×保護者面談》
・さやかの父の「会場で皇あまねを観て憧れた娘」の証言
・ノエルの両親が抱く、再びリングに戻ることへの不安と条件付きの信頼
・らんの「芸能からプロレスへ」踏み出す覚悟と、ユリアの約束
・そして、新キャラ 滝本しおり先生(リングドクター兼メディカル&メンタル担当) の本格登場
を描きました。
これで四人は、
「家族」と「会社」、そして「医療のプロ」という
外側からの支えを得た状態で、デビュー戦に向かっていきます。
次回は、
・いぶきの過去(実家の道場と親とのすれ違い)
・さやかとまなが交わす、“両立の約束”の再確認
を中心に描いていく予定です。
引き続き、感想やブクマ・評価などいただけると、とても励みになります。




