第36話 デビュー決定、星屑たちのスタートライン
東京国技館大会が終わり、さやかたち新人四人は、通常興行のセコンドや道場での練習に明け暮れる日々を送っています。
まだ「試合に出ない側」としてリングを見ている彼女たちに、ついに天城社長から“ある発表”が告げられる回です。
東京国技館の大歓声から、いくつか週が過ぎた。
PWS本部道場の朝は、今日も早い。
マットを拭いて、ロープの張りを確認して、
ランニングと受け身で、あっという間に汗まみれになる。
「星屑、もう十本!」
「は、はいっ!」
マットの隅で、星屑さやかは一人、
スピアの突進と受け身を繰り返していた。
ロープ際から助走をつけて、
マットの中央に向かって全力で走る。
(もっと低く、もっと深く――)
胸を張り、腰を落とし、
肩から胸にかけてのラインで相手の胴を突き抜けるイメージ。
今は相手のいないマットに、自分の身体ごと飛び込んで、
肩と背中で衝撃を散らす。
バンッ、と鈍い音が道場に響いた。
(国技館で見た、あまねさんとマディソンさんのぶつかり合い……)
目を閉じれば、あの時の音と揺れはすぐに蘇る。
(いつか、あのリングで――)
そう思うと、足は自然ともう一歩前へ出た。
その横のリングでは、
星緋いぶきとAQUARIUSの先輩たちが、
休む間もなくチェーンレスリングを続けている。
「そこで止まるな、星緋」
白星るりあが、淡々とした声で指摘した。
「投げて終わりじゃない。そこからどう繋ぐか、次の二手まで考えて」
「……はい」
いぶきは息を切らしながらも、視線だけは鋭いまま。
足さばき、体重移動、関節の取り合い。
一本のロープみたいに、技と技をつなげていく。
別のコーナーでは、ティアラ☆キャンディ――姫乃らんが、
白雪リラと黒羽ミコトに囲まれて、
入場ムーブとステップの確認をさせられていた。
「らんちゃん、ターンした時のスカートの揺れ、ちゃんと考えて動いてる?」
「考えてるってば! 考えてるんだけど、足が追いつかないの!」
「じゃあ足に追いついてもらおっか。ほら、もう一回」
「うぅぅ……」
らんの悲鳴混じりの声に、ミコトが苦笑する。
「でもさっきよりだいぶ良くなってますよ。
観客席から見たら、ふわって広がるタイミング、きっと可愛いです」
「そ、そうかな……?」
少しだけ頬を赤くして、らんは再びステップに入った。
その隣のスペースでは、ノエル・シエルがBloody Eclipseのメンバーに囲まれている。
「ノエル、ロープから振られてラリアット受ける。
怖くても、目をつぶらない」
氷見レナが、いつもの猫のような笑みを浮かべながら言う。
「……わ、分かりました」
ノエルは喉をごくりと鳴らし、
それでもロープに背を預けて走り出した。
リング中央で待ち構える鉄輪サツキの腕が、
振りかぶられるように大きく回る。
「来るぞー」
黒霧エナが低い声で囁いた次の瞬間、
バシィッ、とノエルの胸元をなぎ払う音が響く。
「ふ、ぐっ……!」
マットに叩きつけられた衝撃で、息が一瞬飛んだ。
それでもノエルは、すぐに受け身を取り、
目をぎゅっとつぶりかけたまぶたを無理やりこじ開ける。
「……だいじょぶ?」
コーナーから紫苑イオラがのぞき込む。
「は、はい……! まだ、いけます……!」
「よし、“まだ”って言えるうちは続行ね」
イオラの口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「泣きながらでもリングに戻ってくる子、嫌いじゃないよ」
いつもの道場。
いつもの練習。
だけど――
少しずつ、何かが変わってきているのは、四人とも感じていた。
通常興行では、リング設営や撤収、物販の手伝い。
セコンドとしてコーナーに立ち、
先輩たちの試合を一番近くで見て、声を張り上げる。
リングの外から見ているだけなのに、
試合が終わる頃には、自分の喉がガラガラになることも増えた。
(リングの中に立ちたい。
でも、今の自分じゃまだ全然届かない――)
そんな“遠さ”が、
日を追うごとにじわじわと重さを増していく。
だからこそ、その日突然降ってきた一言に、
さやかの心臓は妙な跳ね方をした。
◇ ◇ ◇
「――全員、集合」
午前の練習が一段落した頃、
黒岩剛の低い声が道場に響いた。
「社長から話がある。リング下に整列」
その言葉に、
さやかの鼓動が一瞬で早まる。
(しゃ、社長から……? 何だろう、また地獄トレーニングの追加とかじゃないよね……?)
新人から若手、セミ前クラスの選手まで、
ぞろぞろとリング下に集まって横一列に並んでいく。
リング上には、天城星弥社長と白銀リョウ、黒岩剛。
PWSの“頭脳と心臓”が揃っていた。
「――よし、全員いるな」
天城はゆっくりと視線を横に滑らせた。
「まずは、東京国技館大会、お疲れさま」
低く、しかしよく通る声。
「リングに上がった選手はもちろん、
裏で支えたスタッフ、それから――」
一瞬だけ間を置き、
天城は新人たちの列を見る。
「道場で準備を積み重ねて、
通常興行のセコンドやリングサイドで動いてくれた“新人たち”も含めて、だ」
その言葉に、さやかは思わず背筋を伸ばした。
(今、ちゃんと“新人たち”って言ってくれた……)
「興行としては成功だ。
数字も、反響も悪くない」
天城はそこで、ふっと息を吐く。
「そして、ビッグマッチが成功した後に、
この団体が次にやるべきことは……決まっている」
道場の空気が、すっと引き締まるのが分かった。
天城はほんの少しだけ口元を緩める。
「――新人たちの、デビューだ」
その一言が、
さやかの耳に届くまでに、妙な時間がかかった。
「……え」
口から漏れた自分の声が、
情けないほど小さい。
隣で、いぶきの眉がぴくりと揺れ、
らんが口をぱくぱくさせて固まり、
ノエルの肩がびくん、と震えた。
「正式に決まった」
天城は続ける。
「《PWS新人デビュー興行》を――
東都第二アリーナで開催する」
東都第二アリーナ。
キャパ八百人ほどの、中規模アリーナ型ホール。
テレビで見たことのある、
あの円形の観客席と四角いリングが頭の中に浮かぶ。
「日程は――」
天城はリングのロープ越しに振り返り、
壁に掛けられたカレンダーを指さした。
「一か月と少し先。
来月末の日曜だ」
一か月。
たった、それだけ。
(いっ……一か月?)
さやかの頭の中で、「一か月」という言葉が何度も反響する。
(そんな短い間で、わたしたち……
ほんとに“プロレスラーとして”リングに立つの?)
「もちろん、全員がデビュー興行に出られると決まったわけじゃない」
黒岩が一歩前に出る。
「ここからの一か月は――
“デビューのための最終審査”も兼ねる」
いつものように厳しい目。
「今日までの練習も合宿も、
全部“デビューするための準備”だった。
だが、ここから先はもっとシビアだ」
黒岩の視線が、新人四人の上で止まる。
「星屑」
「は、はいっ!」
「星緋」
「……はい」
「ノエル」
「は、はい……!」
「ティアラ。……いや、らん」
「は、はいっ!」
「お前ら四人は“デビュー候補”として、
これから一か月、特別メニューを組む」
ごくり、と誰かがつばを飲み込む音がした。
「技の構成、試合の流れ、フィニッシュホールド。
それから、コスチューム、入場曲、リングネーム」
黒岩は、ひとつひとつ区切るように言う。
「“リングに立つ自分”を、全部決めていく一か月だ」
さやかは、自分の胸の鼓動を
両手で押さえたくなるのを我慢した。
(こ、コスチューム……入場曲……リングネーム……)
言葉としては知っている。
何度も先輩たちのを見て、憧れてきた。
でも、それが「自分のものになる」と想像した瞬間、
膝の力が少し抜けそうになった。
「白銀」
天城が視線を送る。
白銀リョウは、腕を組んだまま前に出た。
「ルールは単純だ」
落ち着いた、しかし冷たいほど現実的な声。
「この一か月で――
“客前に出しても危なくない”と俺と黒岩が判断した者だけが、
東都第二アリーナのカードに載る」
たった一行の、その線引き。
「逆に言えば」
白銀の視線が、新人四人をなぞる。
「今ならまだ、やめてもいい」
空気がピリリと張り詰める。
「リングは“なんとなく”で立つ場所じゃない。
“怖いけど立ちたい”と自分で言えないなら――
その時点で、お前にとってここは正しい場所じゃない」
さやかの喉が、ひゅっと音を立てた。
(やめてもいい、って……)
一瞬だけ、脳裏に逃げ道のイメージがよぎる。
学校に通って、まなとくだらない話をして、
テレビでプロレスを見て、「すごいね」で終わる毎日。
そこに戻るのは――
正直、楽だと思う自分もいる。
でも。
(……戻りたくない)
胸の奥で、誰かの声が蘇る。
『諦めなければ、必ずなれる』
フェンス越しに聞いた、不死鳥の声。
あの時、泣きそうになりながら
「あなたみたいになれますか」と聞いてしまった自分。
(ここで“やめます”って言ったら、
あの時の自分に、二度と顔向けできない)
いぶきは、少し顎を引いて前を見据えていた。
(ここで引き返したら、一生“親の道場に戻れなかった人間”だな)
自分を一番厳しく責めるのは、自分自身だとよく分かっている。
(だったら、進むしかない)
らんは、唇を噛みしめながら、
それでも小さく拳を握った。
(正直、怖い。
でもここで引いたら、アイドルとしてもレスラーとしても中途半端だよね、あたし)
(ユリア様の横に立ちたいって言ったくせに、
“怖いんでやめます”は、さすがにダサすぎる)
ノエルは、指先が震えているのをぎゅっと握りしめた。
(怖い。
また怪我するかもしれないし、また逃げたくなるかもしれない)
(でも――
ここで逃げたら、前の団体で折れた自分から、
何も変われてない)
喉が乾く。
足が少し震える。
それでも、誰一人として
「やめます」と口に出す者はいなかった。
その沈黙を、
天城は静かに受け止める。
「……よし」
短く頷き、
天城は口元にわずかな笑みを浮かべた。
「なら、全員“やる側”として認識する。
――さっそく今日から、デビュー用のメニューに移行だ」
「午後からはスパー中心だ」
黒岩が言う。
「それぞれのユニットが、
お前たちの技とスタイルを“本番用”に仕上げにかかる。
覚悟しろよ」
「それと」
天城が、最後に付け加えた。
「コスチューム、入場曲、リングネームについては――
近いうちにフロントとデザイナー、音源担当を交えて打ち合わせをする」
その言葉に、四人は同時に息を呑んだ。
「自分の名前でリングに立つ。
自分の姿で、お客さんの前に立つ」
天城は、リング下の新人たちを見下ろす。
「それがどういうことか、一か月で叩き込め。
以上だ。解散」
号令とともに、道場の空気が一気にざわつき始める。
先輩たちが新人を捕まえては、
「あれやろう」「この技も試してみよう」と口々に言い出す。
さやかは、まだ少しぼんやりした頭を抱えながら、
自分の胸に手を当てた。
(……デビュー興行。
一か月後に、東都第二アリーナで)
(ほんとに、あたし……
リングに立つんだ)
◇ ◇ ◇
その日の午後。
「はい、星屑、もう一回!」
「は、はいっ!」
さやかは、マッスル・シンフォニーの面々に囲まれていた。
リングの端には、轟みなせと翔迫ミナト。
エスメラルダ・ルミナがロープに腰かけて、
腕を組んで眺めている。
「スピアはいい武器になるよ、星屑ちゃん」
みなせが、妙にテンションの高い声で言う。
「でもさ、スピードだけじゃダメ。
お尻と太もも、ちゃんと使えてるか意識して!」
「フォームは悪くないんだけどねえ」
ミナトが笑う。
「でも決め技にするなら、“ここで終わり!”って一発で分かる重さが欲しいなあ」
「星屑ガール」
マディソン・グレイが、さやかの肩をぽん、と叩いた。
「スピアはフィニッシュ。
デビューの間は、それ一本でもいい」
「い、いいんですか?」
「イイ。
まずは“一つの武器を信じられる”方が大事」
マディソンは、じっとさやかを見た。
「チョークスリーパーは、逆転のカード。
ファルコンアローは――まだ秘密」
「ひ、秘密……?」
「キケン。まだ完成じゃない。
リングに上げるのは、もっと先。
“ここぞ”で出した方が、かっこいい」
言われてみれば、納得しかない。
「だから今は、スピアとチョーク。
この二つを、身体に叩き込む」
「……はい!」
さやかは深く頷いた。
(一度に全部完璧にしようとしなくていい。
今の自分にできる“最高の二つ”を、ちゃんと磨く)
リングの別のコーナーでは、
らんがStellaの先輩たちに空中殺法を仕込まれ、
いぶきはAQUARIUSコンビに技のつなぎを延々とチェックされ、
ノエルはBloodyのメンバーに囲まれて「泣きながらもリングに戻る練習」をさせられている。
それぞれの場所で、それぞれの“デビュー戦”に向けた準備が始まった。
◇ ◇ ◇
夕方。
ヘロヘロになって更衣室に戻ると、
さやかはベンチに腰を下ろしながら、隣の三人に声をかけた。
「……ねえ」
「なに?」
いぶきがタオルで汗を拭きながら振り向く。
「デビューって、言われてさ。
……実感、ある?」
問いかけると、
らんは「うーん」と唸り、ノエルは少し考え込んだ。
「正直、まだ夢みたい」
さやかは、苦笑いを浮かべる。
「でも、コスチュームとか入場曲とか……
さっき社長が言った瞬間だけは、心臓バクバクして」
「分かる」
らんが、勢いよく頷く。
「あたし、ティアラとフリフリの衣装で入場する自分、想像しちゃってさ。
テンション上がった直後に、お腹痛くなった」
「らんちゃんらしい……」
ノエルが小さく笑った。
「いぶきちゃんは?」
「一か月で形にしろって言われると、
冷静に考えたら無茶だと思う」
いぶきは、肩をすくめる。
「でも、やるかどうかはもう決めたからな。
やるしかない」
「ノエルちゃんは?」
「……怖い、です」
ノエルは正直に言った。
「また怪我するかもしれないし、
また逃げたくなるかもしれない」
指先をぎゅっと握り、
それでも顔を上げる。
「でも、怖いままでも――
それでもリングに立ちたいって、初めて思えたから」
少しだけ、声が震えた。
「だから、怖くないって嘘つかないで、
“怖いけど立つ”って決めたいです」
その言葉に、さやかの胸がじんとした。
(ノエルちゃんは、一度折れたことがあるからこそ、
こうやって言えるんだ)
「……あたしはね」
さやかは、自分のこぶしを見つめた。
「怖いし、自信なんて全然ないけど――」
こぶしを、胸の前でぎゅっと握りしめる。
「それでも、
“諦めなければ必ずなれる”って言ってくれた人がいるから」
国技館の帰り道、
フェンス越しにくれた不死鳥の言葉。
「だからあたし、絶対リングに立つ。
怖くても、足が震えても、立つって決めたから」
いぶきが小さく笑う。
「じゃあ、見届けてやるよ。
もし足がすくんだら、背中蹴飛ばしてやる」
「乱暴だなあ……」
らんが苦笑しつつも、
その目はどこか楽しそうだ。
「いいじゃん。
四人でちゃんと“デビューした”って笑えるようにさ」
「……はい」
ノエルも、小さく頷いた。
更衣室の窓の向こうには、
暮れかけた空が広がっている。
学校で普通に授業を受ける日も、
まなと他愛もない話をしながら帰る日も、
これからも続いていく。
その上で――
新しく、リングの上に立つ自分も作っていくのだ。
(学校も、プロレスも。
どっちも投げ出さない)
一か月後のカレンダーの小さな数字が、
今までで一番遠くて、
今までで一番近く感じた。
―――――
【後書き】
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、
・国技館大会後の「試合に出ない側」の日常
・天城社長からの《新人デビュー興行》発表
・東都第二アリーナでのデビュー決定
・黒岩&白銀から突きつけられる「やめるなら今」という現実
・それでも一歩を踏み出す四人の決意
を描きました。
ここから一か月間、
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、
・国技館大会後の「試合に出ない側」の日常
・天城社長からの《新人デビュー興行》発表
・東都第二アリーナでのデビュー決定
・黒岩&白銀から突きつけられる「やめるなら今」という現実
・それでも一歩を踏み出す四人の決意
を描きました。
ここから一か月間、
技の構成やフィニッシュホールド、
そしてコスチュームや入場曲、リングネームを含めた
“リングに立つ自分の形”を固めていく流れに入ります。




