第29話 静謐なる星と黒き毒
国技館大会・第4試合は、ミッドナイト・スター選手権試合。
“静の技巧”白星るりあと、“狂気のテクニシャン”黒沼アサギ。
首と関節を狙うBloody Eclipseの毒牙に、
AQUARIUSの頭脳派チャンピオンはどう立ち向かうのか。
リングサイドからさやかといぶきが、その一部始終を見つめます。
マッスル・シンフォニーとレジェンド・ルミナリアの試合が終わり、
ゆかりたちが花道を引き上げていく。
拍手と歓声が一段落し、場内照明が少しだけ落ちた。
(すごかった……)
リングサイドでタオルを抱えたまま、星屑さやかはぼんやりと天井を見上げる。
すぐ隣では、星緋いぶきが無言でロープの張りを確かめていた。
指先が、ほんの少しだけ震えているように見える。
「……いぶきちゃんも、緊張してる?」
「まあね」
いぶきが、短く息を吐く。
「だって次、AQUARIUSの試合だよ。
白星るりあ vs 黒沼アサギ。
“技の見本市”みたいなカードだ」
いぶきの声には、緊張だけじゃなくて、ほんの少しの高揚も混じっていた。
『続いての試合をお知らせします!』
煌上すばるの声色が、さっきまでより少し低く落ち着いたものになる。
『第4試合。
ミッドナイト・スター選手権試合、60分一本勝負を行います!』
客席から、ざわり、とした期待のざわめきが広がった。
◇ ◇ ◇
『まずは、挑戦者の入場です!
Bloody Eclipse――黒沼アサギ!』
重いベースと不穏なSEが混ざり合ったテーマ曲が流れ出す。
スクリーンには、闇の中に赤い月が浮かぶ映像。
画面の端には、くすんだ紫色で“BLOODY ECLIPSE”のロゴ。
花道の奥から、一人の女が姿を現した。
黒に近い紺色のロングコート。
片目の下を縦に走るダークパープルのライン。
口元には笑っているのか分からないような、薄い歪み。
黒沼アサギ。
その背後にはBloody Eclipseの面々――
紫苑イオラ、鉄輪サツキ、黒霧エナ、氷見レナ、そして小柄なノエル・シエルの姿も続く。
「……」
さやかは、自然と息を殺してアサギを見つめた。
(同じ女子なのに、あんなに“怖い”雰囲気出せるんだ……)
ノエルは、そのアサギの少し斜め後ろを歩いていた。
アサギのコートの端を、ほんの少しだけ握りたそうにして、でも結局握れないままついていく。
イオラが横目でノエルを見下ろし、くすっと笑った。
「大丈夫よ、ノエルちゃん。
今日のアサギ、ちゃんと“仕事をする顔”してるから」
「そ、そんな……顔見ただけで分かるんですか……」
「分かるわよ。だって、腐れ縁だもの」
アサギはその会話が聞こえているのかいないのか、
リングをじっと見据えたまま歩き続ける。
エプロンに上がると、コートを外に放り投げ、
黒と暗紫を基調にしたコスチューム姿を晒した。
肩から腕にかけては、細い包帯のようなテーピング。
手首には黒いテーピング。
そこから伸びる指が、ゆっくりと握ったり開いたりする。
首と腕を狙う技を得意とする、その象徴みたいに。
◇ ◇ ◇
『続きまして、王者の入場です!
ミッドナイト・スター王者――白星るりあ!』
曲が切り替わる。
澄んだピアノと、静かなエレクトロの音が重なったテーマ。
スクリーンには、夜空と星座を思わせる淡い光が映し出される。
花道の奥から、ひときわ白いコスチュームの選手が姿を現した。
白星るりあ。
青みがかった白のロングジャケット。
胸元にはミッドナイト・スターのベルトが光っている。
落ち着いた表情と、切れ長の目。
彼女の後ろには、AQUARIUSのメンバー――
紅条アカリと赤城火智が控えていた。
「るりあさん……」
いぶきが小さく息を呑む。
るりあは足を止め、リングとは反対側の観客席へと視線を向けた。
どこか遠くを眺めるような、柔らかい目。
そして、静かに右手を持ち上げる。
派手な煽りでも、大声でもない。
それでも、観客席から拍手が自然と広がった。
「……やっぱり、“静かに強い”って感じだな」
いぶきの呟きに、さやかもこくんと頷いた。
(派手に叫んだり煽ったりしないのに、
ちゃんと“王者の入場”に見える……)
るりあはリングインし、ジャケットを脱いでセコンドに預ける。
ゆっくりとベルトを外し、白銀レフェリーに手渡した。
アサギと向き合うと、ほんの一瞬だけ笑う。
「こんばんは、アサギさん。
今夜も、“眠れない試合”にしましょうか」
「フフ……。
いいね、その言い方。首、よくほぐしときな?」
アサギも口角を吊り上げた。
◇ ◇ ◇
ゴングが鳴る。
中央に歩み寄った二人は、すぐには組まない。
じり、じり、と間合いを測る。
どちらが先に一歩踏み込むのかを、確かめるかのように。
「あんまり最初から急がないんだね」
さやかが思わず呟く。
「当然だよ」
いぶきは視線を外さないまま答えた。
「この二人は“首と関節”が主戦場だから。
一手ミスったら、そのまま終わる」
先に動いたのは、アサギだった。
ロックアップではなく、いきなり右手を伸ばして、
るりあの顎のあたりにゆるい掌底をコツンと当てる。
「おやすみの時間だよーって、合図」
るりあは、ほんの一瞬だけ顎を上げた。
次の瞬間には、アサギの手首を取っていた。
そのまま、手首を返し、肩を回す。
クラシカルなアームロック――に見せかけて、
肘と手首の角度を変えながら、じわじわと関節に負担をかけていく。
「んっ……」
アサギの口から、小さな声が漏れる。
「最初は……腕、から?」
「ええ。首に行くのは、もう少し仲良くなってからで」
るりあは淡々と答える。
観客席の一部から、思わず「こわ……」という声が漏れた。
(会話の内容の方が怖い……)
さやかは背中に冷たいものが走るのを感じる。
◇ ◇ ◇
序盤は、じっくりとしたグラウンドの取り合いだった。
るりあは、余計な動きをほとんど見せない。
一つ一つの関節技を、“正解の位置”に置いていくように決めていく。
アームバー。
リストロック。
ショルダーロック。
どれも派手ではない。
けれど、腕と肩に確実にダメージを積み重ねていく。
一方のアサギも、ただ受けているだけではなく、
隙を見ては首に手を回そうとする。
フロントチョーク。
ギロチンチョーク。
フロントヘッドロックからの首ひねり。
白銀の「ブレイク!」の声が飛ぶたびに、
観客席から小さなざわめきが起こった。
「……やっぱり、アサギさん、エグいね」
いぶきが低く言う。
「首、狙う時の角度が容赦ない。
ちゃんと“壊さない範囲”で止めてるのは分かるけどさ」
「壊さない範囲……」
さやかは、ごくりとつばを飲む。
(壊れたら、どうなるんだろう)
その先を想像してしまって、慌てて頭を振った。
◇ ◇ ◇
試合が中盤に差し掛かる頃、
アサギがじわじわとペースを掴み始めた。
るりあの腕に集中攻撃を続けたあと、
ロープに振ってカウンターのキック。
倒れかけた首に、すかさずフロントネックロック。
「ほらほら、“星”なんて名乗るならさ。
首ぐらい、簡単には落とさないでよ」
「……言われなくても」
るりあは、苦しげな息の中で答える。
アサギはフロントネックロックの体勢から、
ゆっくりと自分の身体を後ろに落としていく。
首と背中に負担がかかる角度。
観客席から、小さな悲鳴が漏れた。
「るりあさんっ!」
コーナーのひよりが叫ぶ。
アカリは、腕を組んだままじっとその技を見ていた。
白銀が位置を変えながら、るりあの反応を確かめる。
「ギブアップ聞くぞ!」
「……ノーっ……」
かすれた声。
アサギは、その声を聞いて少しだけ笑った。
「いい声。
もっと、聞かせてよ」
首を締める力が、ほんの少しだけ強くなる。
さやかの指先が、タオルを握りしめて白くなった。
(苦しいの、見てるだけなのに、こっちまで息が詰まる……)
そんな中で、いぶきがぽつりと呟く。
「でも――ここからなんだよね。るりあさんは」
「え?」
「この人、“追い詰められてからが一番怖い”タイプだから」
◇ ◇ ◇
いぶきの言葉通り、
るりあは、追い詰められたところから少しずつ反撃に転じていった。
フロントネックロックを極められた体勢から、
足をじりじりとロープに近づける。
片足のかかとが、ロープに触れた瞬間――
「……っ、今です!」
ひよりの声が飛ぶ。
るりあは残った力を振り絞って腰を回し、
ロープを使って身体を反転させた。
アサギの腕がほどける。
その瞬間、るりあはアサギの腕を掴み返して、
そのままグラウンドに引きずり込んだ。
アームバー。
だが、肘を極めきる前に、アサギも身体を丸めて体重をずらす。
「んふふ。
やっぱり簡単には落ちてくれないね」
「あなたにだけは、そう思われたくないので」
るりあが息を整えながら言う。
首を痛めながらも、目はまったく死んでいなかった。
そこからは、一進一退の技術戦になった。
アサギのネックロック。
るりあのカウンター・ジャーマン。
アサギの首投げからのスリーパー。
るりあのロープブレイクからの、即座のドラゴンスクリュー。
どの一手も、見ている方に冷や汗をかかせるぎりぎりの角度。
「ルール内でやってるのは分かるけど……」
さやかは、知らないうちに肩に力が入っていた。
「……首って、本当に怖い」
「怖いよ」
いぶきの声は、いつもより低かった。
「だからこそ、首を狙う技には“覚悟”が要る。
自分がそれをやる覚悟も、相手にやられる覚悟も」
いぶきの横顔は、いつもより大人びて見えた。
◇ ◇ ◇
終盤。
アサギが、ようやく“決めにいく顔”をした。
るりあの首にスリーパーを決めた状態から、
そのままコーナーに上る。
「えっ……」
さやかの心臓が嫌な音を立てた。
(あの高さから、首を……!)
客席からも悲鳴に近い声が上がる。
しかし、白銀がすぐさま動いた。
「アサギ! その角度のままはダメだ。
落とし方を変えろ。今のままなら、レフェリーストップにする」
「……チッ」
アサギが舌打ちする。
でも、その声には“信用してる相手に止められた”時の諦めが混じっていた。
「しょーがないなあ。
じゃあ、こっちで終わらせよっか」
アサギはスリーパーを解き、
代わりにるりあの腕を取って、コーナーから飛び降りる体勢に入った。
雪崩式のアームブリーカー――
腕を壊しに行く技に切り替えたのだ。
しかし、その一瞬の切り替えの隙を、るりあは見逃さなかった。
「っ……今!」
自分の体を小さく丸め、
アサギの肩にかけていた脚をぐいと引く。
二人の重心が、くるりと入れ替わった。
「なっ――」
アサギの驚きの声が漏れる。
そのまま、るりあはコーナーからマットへと後ろ向きに落ちていき――
アサギの首と肩を巻き込むようにして、変形のネックブリーカーで叩きつけた。
「星屑式……じゃなくて、“星落とし”……!」
ひよりが思わず口にしかけて、自分で言い直す。
今の一撃は、るりあがたまに見せる“ここぞ”の切り札の一つだった。
アサギの身体がマットの上で大きく跳ねる。
るりあは、痛む首と腕を押さえながらも、なんとか相手の上に覆いかぶさった。
「カバー!」
白銀の声。
「ワン! ツー! スリー!」
カウントスリーが、マットと床を通してさやかの足裏に響いた。
◇ ◇ ◇
『スリーカウント!
勝者――白星るりあ!
よって、ミッドナイト・スター王座、防衛です!』
場内に歓声と拍手が広がる。
るりあは、仰向けのまま大きく息を吐いた。
ひよりとアカリがリングに駆け上がる。
「るりあさん!」
「生きてるわよ、火智ちゃん。
首は……ギリギリ“ミッドナイトライン”で済んだ、かな」
「なにその物騒な基準……」
ひよりが半泣きで笑う。
アカリは、そんな二人を見てふっと息をついた。
「ちゃんと勝ってるうちは、何も言わないけど。
あとでアイシング、絶対にサボらないでくださいね」
「はいはい、アカリ先生」
アサギはというと、ロープ際でうつ伏せになっていた。
首と肩を押さえながら、ゆっくりと身を起こす。
セコンドについていたBloodyの面々――イオラ、サツキ、エナ、レナが駆け寄った。
「アサギ、大丈夫?」
「首、飛んでない?」
「飛んでたら喋ってないでしょ……」
そんな中で、ノエルだけが少し離れた場所からアサギを見ていた。
アサギは、痛みをこらえながら立ち上がると、
リング中央のるりあの方を睨みつけた。
数秒間、無言で見合う。
やがて、アサギがにやりと笑った。
「最悪のタイミングで、最悪のカウンター撃ってくるね、あんた」
「お互いさまですよ」
るりあも薄く笑い返す。
「また“眠れない夜”があったら、その時に続きを」
「いいね。
今度は首だけじゃなくて、心も折りに行くから」
その言葉には、恐ろしいのにどこか清々しい響きがあった。
アサギはロープをまたいでリングを降りる。
その背中を、Bloodyの仲間たちが支えた。
「アサギさん……」
ノエルがそっと近づく。
アサギは、振り向きもせずに右手を軽くあげた。
「泣いてないなら、タオル」
「は、はいっ!」
ノエルが慌ててタオルを差し出す。
アサギはそれを受け取ると、首に巻きながら歩いていった。
◇ ◇ ◇
リング上では、白星るりあの手が高々と掲げられている。
ミッドナイト・スターのベルトが、ライトを受けて静かに光った。
(怖かった……でも、綺麗だった)
さやかは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
(技が一つ一つ“意味”を持ってて、
どれも、相手を傷つけるのに、本気で使ってる)
隣で、いぶきが小さく息を吐いた。
「……やっぱり、AQUARIUSはすごい」
「あこがれ?」
「うん。
いつか、あの人たちと同じ場所で、技で勝負したい」
いぶきの声には、はっきりとした決意が宿っていた。
さやかも、ぎゅっと拳を握る。
(あたしは――
あんな怖い試合でも、“目をそらさないでいられる”レスラーになりたい)
リングの上には、静謐な星と、去っていく黒い毒の余韻だけが残っていた。
読んでくださってありがとうございます。
今回は、国技館大会第4試合、
ミッドナイト・スター選手権試合・白星るりあ vs 黒沼アサギでした。
・首と関節を巡る、静かな攻防の積み重ね
・アサギの“壊さないぎりぎり”を攻めるヒールテク
・るりあの追い詰められてからのカウンター「星落とし」
・白銀レフェリーが安全ラインを守る一言
・試合後もどこか爽やかな、るりあとアサギのやり取り
この一戦で、
いぶきはAQUARIUSへの憧れと、技の怖さを同時に刻み込み、
さやかは“首を狙うプロレス”の現実と、それでも目をそらさない覚悟を少しだけ掴みました。
次回は第5試合、ルミナス王座戦――
紅条アカリ vs 赤城火智の初タイトル挑戦。
“壁としての王者”と“次世代エース候補”のぶつかり合いを書いていきます。




