第27話 空を駆ける猫と隼
国技館大会・第2試合は、空を翔けるルチャ対決。
マッスル・シンフォニーの空飛ぶ猫・エスメラルダ・ルミナと、
他団体からやって来た覆面ハイフライヤー、スカーレット・ハヤブサ。
さやかはリングサイドから、“空中戦”の世界を初めて間近に見ることになります。
東京国技館の天井は、本部道場よりずっと高かった。
第1試合――ホノシオ対Bloody Eclipseの衝撃が、まだ空気の中に残っている。
鉄柵に叩きつけられる音、悲鳴と歓声、負けたホノシオに送られた大きな拍手。
その余韻の中で、星屑さやかはリングサイドの持ち場に立っていた。
(まだ心臓がバクバクしてる……)
でも、次のカードは少し雰囲気が違う。
場内ビジョンに、次の対戦カードが映し出された。
『第2試合 スペシャルシングルマッチ
エスメラルダ・ルミナ(PWS)
vs
スカーレット・ハヤブサ(他団体)』
ざわ、と観客席がざわめく。
「ルミナだ!」「絶対面白いでしょこれ」「ハヤブサってどこの団体?」
ファンの声がさやかの耳にも届いた。
(ルミナさんの試合、生でちゃんと見るの初めてだ……)
映像では何度も見た。
ロープを猫みたいに歩いて、宙をくるくる回って、ふわっと落ちていく姿。
でも、今日は国技館。
トップロープの高さも、きっといつもより高く感じるに違いない。
「星屑ちゃーん!」
「わっ、と、轟さん!」
背中から急に声をかけられて、さやかが振り向く。
そこには、すでにコスチューム姿の轟みなせと翔迫ミナト、それからジャージ姿のマディソン・グレイが立っていた。
「ちゃんと見てる? この試合、マッスル・シンフォニー的にも超重要だからね!」
「えっ、筋肉組なのに空中戦なんですか?」
「なに言ってんの星屑ちゃん。
空飛ぶにも筋肉いるに決まってるでしょ。体幹、バランス、瞬発力。ここテスト出ます」
「テスト……?」
さやかがたじろぐと、ミナトがくすっと笑う。
「星屑ちゃん、みなせは自分の試合の前からテンション上がってるだけだから、気にしないでね。
でも、ルミナのフライング見ておくのはおすすめよ。参考になるから」
「ソウソウ」
マディソンが片言で頷く。
「ルミナ、フライ。とてもビューティフル。モチベーション、アップ」
そんな会話をしているうちに、場内の照明がふっと落ちた。
◇ ◇ ◇
『第2試合! スペシャルシングルマッチ、30分一本勝負を行います!』
煌上すばるの声が、スポットライトに乗って響く。
『コーナー・トゥ・マイ・レフト、レッドコーナー!』
重めのギターリフとともに、スクリーンに赤と黒の翼が広がる映像が映る。
『スカーレット・ハヤブサ!』
花道の奥から、赤と黒のマスクを被った選手が姿を現した。
嘴のようなラインが入ったマスク。
黒地に赤い模様のコスチューム。
背中には、翼を思わせる小さな赤い羽根飾り。
(かっこいい……)
スカーレット・ハヤブサ。
名前だけ知っていた選手が、現実の姿で目の前に現れる。
ハヤブサは花道を進みながら、観客席に向かってゆっくりと腕を広げた。
翼を広げる鳥のような仕草に、客席から「おおー!」という歓声が湧く。
『コーナー・トゥ・マイ・ライト、ブルーコーナー!』
今度は陽気なラテン調の曲が流れ出す。
スクリーンにはカラフルな紙吹雪が舞う。
『エスメラルダ・ルミナ!』
「ルミナー!」「ルミナちゃーん!」
客席のあちこちから声が上がる。
花道の奥から、エスメラルダ・ルミナが跳ねるように飛び出してきた。
エメラルドグリーンと金のマスク。
短いマント。引き締まった腹筋と太ももがライトに浮かび上がる。
「アミーゴー! ココ、スッゴク、イイ空気ネーー!」
最初から日本語がおかしい。
なのに、それだけで場内がふっと明るくなる。
「……本当に日本語変だ」
「でも、なんか元気出る……」
さやかは思わず笑ってしまう。
ルミナは花道の中ほどでくるりと一回転し、そのまま助走もなくエプロンへ飛び乗る。
――そして、そのままトップロープにひょい、と足を掛けた。
「ちょ、もうロープ上乗ってる!?」
さやかが悲鳴じみた声を上げる。
ルミナはトップロープの上を、まるで幅の広い板の上を歩いているかのように、猫のような足取りでトテトテと進んでいく。
揺れるロープの上で、ほとんどブレないバランス感覚。
「トップロープの上は、彼女にとって“床”みたいなものだ。驚いている暇があったらロープの揺れを見ておけ」
リングサイドの白銀リョウが淡々と言う。
(そんなこと言われても、驚く……!)
コーナーにたどり着くと、ルミナはぴょんと跳び上がり、片手を高く突き上げた。
「トーキョー! ミンナ、ミテテネーー!
ルミナ、イチバン、トベルヨーー!」
歓声が、さらに大きくなる。
対角のコーナーから、ハヤブサがじっとその様子を見ていた。
マスク越しで表情は読めない。
けれど、どこか楽しげに見えるのは気のせいではないだろう。
◇ ◇ ◇
ゴングが鳴る。
中央で向き合った二人は、軽く握手を交わした。
「ヨロシク、ハヤブササン。
トベルの、タノシミネ」
「ああ。今日は、どっちの翼が高く翔けるか、確かめよう」
ハヤブサの声は落ち着いていて、少し中性的だった。
ロックアップ。
ルミナが素早く手首を取り、くるんと回転してアームドラッグを狙う。
しかし、ハヤブサは空中で身体をひねり、そのまま着地。
逆にルミナの腕を掴み返す。
(今のどうなってるの……?)
さやかの目が追いつかない。
今度はハヤブサがロープに走る。
ルミナが迎え撃とうとした刹那、
ハヤブサはセカンドロープに飛び乗り、そこから反動を使ってのアームドラッグ。
「おおっ!」
観客席がどよめく。
しかし、ルミナは転がりながらすぐに立ち上がると、
その勢いのままロープへ走り、セカンドロープからスプリングボード式のドロップキックを放った。
ハヤブサの胸に、綺麗に命中する。
「はやっ!」
さやかの声が漏れる。
序盤は、とにかくスピードとロープワークの応酬だった。
ロープを駆ける。
飛ぶ。
受け身を取る。
コーナーに登る。
互いの空中技を、空中でかわしたり、受け止めたりする。
(目が追いつかない……!)
さやかの脳に、次々と「初めて見る動き」が流れ込んでくる。
みなせが、その横で腕を組んだ。
「いいねぇ、どっちも脚の筋肉がいい感じに使えてる」
「そこですか……」
「そこだよ。ロープ乗るにも、飛ぶにも、結局は脚と体幹。
星屑ちゃん、覚えといてね? 飛びたいなら、まずスクワット」
「まだ一言も飛びたいなんて言ってないです……」
さやかが抗議しかけて、途中でやめた。
言いかけた自分に気づいてしまったからだ。
◇ ◇ ◇
中盤、少しずつ両者の“得意分野の差”が見え始める。
ルミナは、とにかくロープの上でブレない。
トップロープを渡る時も、セカンドから飛び出す時も、足裏の感覚が完璧にマットと一体になっている。
一方、ハヤブサは空中での回転やキックの切れ味は鋭いが、
PWSのロープとマットには、まだ完全には慣れていないようだった。
ハヤブサがトップロープに登り、旋回式のクロスボディを狙う。
その踏み込みの瞬間――わずかにロープの揺れを読み違えた。
「……っ」
タイミングがほんの少しずれて、飛び出した角度が浅くなる。
その瞬間を、ルミナは逃さなかった。
「ココ!」
ルミナは、ロープを一歩で駆け上がるようにして飛び出し、
空中のハヤブサの頭を両脚で挟み込む。
そのまま身体を捻り、くるりと回転してフランケンシュタイナーでマットに叩きつけた。
「おおおっ!」
会場が沸く。
「ナイスキャッチ&スルー!」
みなせが拳を突き上げる。
「ルミナ、リングの癖を完全に使ってるわね」
ミナトが感心したように言う。
「リングもロープも、団体ごとにちょっと違うの。
ルミナはこのPWSマットを、一番“知ってる”フライヤーのひとりね」
ハヤブサは痛みをこらえながらも、なんとかロープに手を伸ばして起き上がる。
ルミナは少し距離を取り、観客席に向かって手を回した。
「トベトベタイム、マダマダイクヨー?」
歓声が、さらに一段階大きくなる。
◇ ◇ ◇
試合は後半戦に突入する。
ハヤブサも黙ってやられているわけではなかった。
低空ドロップキックでルミナの膝を打ち抜き、
そこから脚を集中的に攻める。
膝裏へのキック、足首への関節技。
決して“壊しに行く”ような攻めではないけれど、狙いは明確だった。
(飛ばせないようにする、ってこと……?)
さやかの胸が、少しだけざわつく。
ルミナは痛みに顔をしかめながらも、笑っていた。
「イタイネ! イタイケド、タノシイネ!」
「痛いなら、少しは大人しくしててほしいですけど……」
さやかが思わず小声で突っ込む。
それでも、ルミナの動きは鈍らなかった。
膝が万全でない分、ロープに乗る時の目線と呼吸でバランスを補う。
脚だけに頼らず、腹筋と背筋で揺れを抑えるのだ。
セカンドロープを踏み切り、
ハヤブサの頭上をかすめるようにしてトラースキック。
ハヤブサがよろめいた隙に、ロープを駆けてコーナーへ向かう。
(高い……)
さやかは、思わず息を呑んだ。
ルミナがコーナーのトップに立つ。
ほんの一瞬、場内が静かになった。
「ルチャ・ガトー……」
ルミナが小さく呟く。
次の瞬間、彼女の身体が夜空に放り出された。
くるり。
くるり。
猫が空中で体勢を変えるみたいに、二回転。
ムーンサルトとスワントーンの中間のような、独特の弧を描く。
「フライト!!」
叫び声と同時に、ルミナの身体がハヤブサの胸元に落ちた。
「カバー!」
白銀の声。
「ワン! ツー! スリー!」
マットを叩く手と、リングサイドの床に伝わる振動が、さやかの足裏を震わせた。
◇ ◇ ◇
『スリーカウント!
勝者――エスメラルダ・ルミナ!』
すばるのコールと同時に、歓声が爆発する。
「イエス! ミー、イチバン、トベル女ネ!」
ルミナは息を切らしながらも、両手を広げて叫んだ。
ハヤブサは胸を押さえながら、ゆっくりと上体を起こす。
大きく息を吐いてから、立ち上がった。
ルミナが手を差し出す。
「ハヤブササン、アリガト。
イチバン高いところ、ミセテクレタネ」
「……今日は、あんたの方が高く飛んでたよ」
ハヤブサはその手を握り返し、しっかりと握手を交わした。
客席から、大きな拍手が送られる。
勝者と敗者、両方に向けられた拍手。
「これが、ルチャの試合……」
さやかの胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(怖い。高い。落ちたら絶対痛い。
それでも、あんなふうに飛べたら――)
ほんの一瞬だけ、自分もコーナーに立つ姿を想像してしまった。
その気配に気づいたのか、みなせがにやりと笑う。
「星屑ちゃん。今、ちょっと“飛んでみたい”って思ったでしょ」
「えっ……!?」
「安心して。あたしたちマッスル・シンフォニー、
そういう子を放っとくほど優しくないから」
「それ安心できないやつです!」
さやかが真っ青になると、ミナトも肩をすくめながら笑った。
「大丈夫よ星屑ちゃん。
ちゃんと筋肉付けてから飛ばせてあげるから」
「それが一番怖いかも……」
そんなやり取りをしている間に、場内ビジョンには次のカードが映し出される。
『第3試合 スペシャルタッグマッチ
轟みなせ&翔迫ミナト
vs
如月ゆかり&アリアーナ』
今度は、みなせとミナトの出番だ。
さやかの胸が、別の意味で高鳴り始める。
(轟さんたちの試合……
ちゃんと、目に焼き付けなきゃ)
ルチャの風が去り、次は筋肉とレジェンドの戦いが始まろうとしていた。
読んでくださってありがとうございます。
今回は、国技館大会第2試合、
エスメラルダ・ルミナ vs スカーレット・ハヤブサのルチャ対決でした。
・PWSマットを知り尽くしたルミナのロープワークとバランス感覚
・他団体から来たハヤブサの切れ味ある空中技
・リングやロープの“クセ”の差
・最後は握手で終わる、楽しい空中戦
そして、「ちょっと飛んでみたい」と思ってしまったさやかを見逃さない、
マッスル・シンフォニーの先輩たち。
次回は第3試合、
轟みなせ&翔迫ミナト vs 如月ゆかり&アリアーナのスペシャルタッグマッチ。
筋肉とレジェンドがぶつかる熱い試合を書いていきます。




