第19話 夜空の下の誓い――強くなりたい理由
第三章・夏合宿編、第7話です。
前回は「実戦スパーDAY」を通して、4人がそれぞれ先輩たちの壁と、自分の課題を体感しました。
今回はその日の夜、合宿所の屋上での小休止。
星空の下で、さやか・いぶき・ノエル・らんの4人が改めて
「なんで強くなりたいのか」を言葉にしていく回になります。
その夜、消灯時間を少し過ぎた頃。
「……ねえ、ちょっとだけ、息抜きしない?」
らんのその一言で、四人はこっそり合宿所の廊下を歩いていた。
ギシ、と鳴る床板にびくっとしながらも、足音はできるだけ小さく。
階段を上り、突き当たりの小さな扉をそっと開ける。
ひんやりした夜気が、肌を撫でた。
「わぁ……」
屋上に出た瞬間、さやかは思わず声を漏らした。
山の合宿所の夜空は、街灯の少ない分だけ、星の数がそのまま降ってきたかのようだった。
「これ……本当に“星屑”だね」
ノエルが、小さく呟く。
「星屑さやか、ホームグラウンド感あるじゃん」
らんが、くすっと笑った。
「ホームグラウンドって、星空の屋上なんですかあたし……」
さやかは苦笑しながらも、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
屋上の端には、古いベンチが二つ並んでいる。
四人はそこに腰掛けたり、床にあぐらをかいたりしながら、それぞれ好きなように座った。
夜風が、昼間の汗の匂いを少しだけ流してくれる。
「ふぅ……」
さやかは、両膝を抱えて空を見上げた。
「脚、まだ死んでる?」
いぶきが隣で尋ねる。
「ゾンビからミイラくらいには進化しました……」
「進化……なんでしょうか、それは」
いぶきが、珍しく小さく笑った。
「いぶきは? 今日、るりあさんとアカリさんとスパーしてたけど」
「……身長十センチ差の壁と、
頭の回転速度二倍差くらいの現実を見ました」
「表現がすでにテクニカルだよね、いぶきちゃんって」
らんが苦笑する。
ノエルは、ベンチの背もたれに頭を預けて、静かに星空を見上げていた。
顔には疲労の色がありありと出ているが、どこか晴れやかなものも混ざっている。
「ノエルちゃんは……大丈夫?」
さやかがそっと尋ねる。
「はい。
怖かったですけど、アサギさん、本当に一回もぶつけてこなかったので……」
「そりゃそうだよ。
あの人たち、壊さないラインには誰よりも敏感だもん」
らんが、どこか誇らしげに言う。
「でも、やっぱり怖いものは怖いです。
ロープの音も、マットの揺れも、時々“あの時”と重なりそうになるから」
ノエルは、胸の前でそっと手を組んだ。
「でも、“怖いです”って言いながら立ってて、
それでもアサギさんが止まってくれるのをちゃんと見れたから……
少しだけ、前よりマシになった気がします」
「それ、すごい一歩だと思うけどな」
さやかが言う。
「怖いものを“怖い”って言えるの、あたしすごいと思う」
「さやかちゃんは、“怖い”って言う前に突っ込んでいきそうですもんね」
ノエルのツッコミが静かに刺さる。
「えっ、そんなイメージある?」
「あります」
「あるね」
「ありますね」
三方向から即答されて、さやかは膝を抱えたまま固まった。
「……そんな満場一致で?」
「だってさやかちゃん、“脚死ぬやつだこれ”って分かってて、
スクワット百回ちゃんとやり切る人だよ?」
らんが笑いながら言う。
「ほんとだよ。途中で“ここで止めても誰も文句言わないよな……”って顔してたのに、
最後まで数えながらやってたし」
いぶきも頷く。
「……だって」
さやかは、少しだけ視線を落とした。
「ここまで来て、“やっぱ無理です”って逃げたら、
あの日の自分に全部嘘ついちゃう気がして」
「あの日?」
ノエルが首をかしげる。
「地方大会で、あまねさんに言ったじゃん、あたし。
“あなたみたいになれますか”って」
あの日の、フェンス越しの光景が蘇る。
黒い不死鳥。
汗まみれで、それでも凛として立つ背中。
「“なれますか”って聞いちゃった以上、
“やっぱ無理でした〜”って引き下がるの、なんか違うなって」
さやかは、膝に顎を乗せてつぶやく。
「別に、絶対王者になれなくてもいいのかもしれないけど……
でも、あの時の自分に嘘だけはつきたくない」
少し間を置いてから、付け足す。
「それに――」
「それに?」
らんが身を乗り出す。
「……あの人みたいに強くなって、
いつか横に並びたいし、できるなら超えたい」
それは、さやかにとって、初めて“言葉にした”本音だった。
「あまねさんのこと、好きとか憧れとか、そういうのはいっぱいあるけど、
“推し”っていうより、“いつかリングで向かい合いたい人”なんだよね」
「いいね、それ」
らんが、にいっと笑う。
「“恋じゃないけど、それより面倒くさい感情”ってやつだ」
「らんちゃんの言い方、妙に分かりやすいんだよなぁ……」
ノエルが小さく笑った。
いぶきは、そんな三人のやり取りを静かに聞きながら、
自分の手のひらを見つめていた。
「いぶきは?」
さやかが尋ねる。
「いぶきは、何でそんなに強くなりたいの?」
「……」
いぶきは、しばらく夜空を見上げてから、口を開いた。
「小さい頃から、ずっと道場にいました」
淡々とした声。
「畳の上で転がされて、投げられて、締められて。
気付いたら、“強くなるのが当たり前”みたいな環境で」
「うん」
「でも、ずっとどこかで、“この強さは何のための強さなんだろう”って思ってました」
いぶきは、両手をぎゅっと握る。
「勝つため? 守るため? 誇りのため?
どれも違うような、でも全部少しずつ当てはまるような……
はっきりしないまま、ただ稽古だけは続けてきて」
そこで一度言葉を切り、
さやかの方を見た。
「さやかちゃんが、“あまねさんみたいになりたい”って言った時、
正直、最初は少し羨ましかったんです」
「え、羨ましい?」
「“この人みたいになりたい”って言える相手がいるの、
すごく羨ましいなって。
わたしには、そういう存在がいなかったから」
その言葉に、さやかは目を瞬いた。
「でも、ここに来て、分かったこともあります」
いぶきは、握った拳を少しだけ緩めた。
「リングって、“結果”と“意味”が同時に出る場所なんだなって」
「結果と、意味?」
「勝つか負けるかの結果と、
その試合に“どんな意味を持たせるか”っていう意味、です」
いぶきは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「技の一つ一つに、崩し方や受け身の取り方があって。
その積み重ねの先に、“物語としての試合”が組み立てられていく。
それを理解した時に、やっと、自分の“強くなりたい理由”が少しだけ見えた気がして」
「それ、どんな理由?」
ノエルが、興味深そうに尋ねる。
「――“自分の技で、自分の物語を作れるようになりたい”、です」
いぶきの黒い瞳は、静かに、それでいて強く光っていた。
「今までは、教えられた形を、“正しく”なぞることしかできませんでした。
でも、これからは、“自分の崩し”から“自分の技”を作って、
それで誰かの記憶に残る試合をしたい」
少しだけ照れくさそうに、いぶきは付け足した。
「……すみません、真面目な話になりました」
「いいじゃん、真面目いぶき、嫌いじゃないよ」
らんが笑う。
「ていうか、“物語としての試合”とか、
プロっぽいことさらっと言うのずるくない?」
「ずるくはないと思いますけど……」
ノエルの冷静なツッコミに、四人の間に小さな笑いが広がった。
「ノエルちゃんは?」
さやかが、今度はノエルの方を見る。
「ノエルちゃんは……何で、またリングに戻ろうって思ったの?」
「……」
ノエルは、少しだけ空を見上げたまま黙っていた。
夜空に、ひときわ明るい星が瞬いている。
「最初は、戻りたくなかったです」
ぽつりと、そんな言葉が落ちた。
「リングの映像を見るだけで、胸が苦しくなって。
ロープの音を聞くだけで、手が震えて。
あの時のことを思い出すたびに、“わたしが壊したんだ”って、何度も何度も……」
言葉が細くなっていく。
らんが、そっと隣に座り直した。
さやかも、少しだけ距離を詰める。
「でも」
ノエルは、膝の上で握った自分の手を見つめた。
「それでも、“何もしないまま”っていうのが、もっと怖くなりました」
「何もしない、まま?」
「もしこのままリングから完全に離れたら、
きっと一生、“あの時逃げた自分”を責め続けると思って」
ノエルの声が、少しだけ震える。
「怖いまま立つのはいい。
でも、怖いからって何も考えられなくなるのは、一番危ない」
「アサギさんが言ってたやつだ」
さやかが、小さく呟いた。
「だから、戻ろうって決めました。
“もう二度と、あんなことにならないように”って、自分でちゃんと考えられるようになるために」
ノエルは、ぎゅっと唇を噛む。
「わたし、本当はそんなに強くないです。
今でも、毎晩ちょっと怖い夢を見るし、ロープは正直ずっと怖い」
「うん」
「でも、“怖いです”って言いながら立つことは、やめたくないんです。
それが、今のわたしの“強くなりたい理由”です」
言い終えた瞬間、ノエルは、どこか軽く息を吐いた。
肩から、少しだけ力が抜ける。
「ノエルちゃん」
いぶきが、静かに言う。
「それ、多分すごく強いです」
「……強い、んですか?」
「はい。
“怖いけど、それでも立ちたい”って言えるの、
わたしには多分、真似できませんから」
その言葉に、ノエルの目尻がじんわりと熱くなった。
「さやかちゃんも、らんさんも、星緋さんも。
みんな、強いです。
だから――」
ノエルは、少しだけ微笑んだ。
「わたしも、その後ろからでもいいから、ちゃんとリングに立てるようになりたいです」
「……最後は、らんだね」
さやかが、らんの方を見る。
「らんは?」
「え、あたし?」
「うん。
Stella☆Glareのティアラ☆キャンディとしてじゃなくて、
“姫乃らん”が強くなりたい理由、教えてほしい」
その言い方に、らんは一瞬だけ目を伏せた。
「……最初はさ」
らんは、夜空を見上げる。
「“まだステージの真ん中にいたい”からだったよ」
「ステージ?」
「うん。
アイドル時代、最初のうちは楽しかったんだよ。
歌って、踊って、笑って、“かわいいね”って言ってもらって」
らんは、自分の掌を見つめる。
「でも、そのうち“もっと完璧に”って言われるようになって。
ミスしたら怒られて、笑顔が足りないって言われて、
“君の代わりはいくらでもいる”って、何回も聞かされて」
ぐっと、掌に力がこもる。
「“代わりがいる”って言葉、すごく怖かった。
“あたしじゃなくてもいいんだ”って思った瞬間、
ステージの真ん中が、急に遠くなった気がして」
小さく息を吐く。
「そんな時に、たまたま配信で見たのが、Stella☆Glareで」
「ユリアさん達?」
「うん。
あの人たち、ステージの真ん中に立ってるのにさ、
“代わりがいる”って雰囲気が全然なくて」
らんの目が少しだけ輝く。
「“この人たちじゃないとダメだ”って、お客さんが全員思ってる空気、
画面越しにも伝わってきたんだよね」
「それで、“ここだ”って?」
「うん。
“あたしも、あんな風にリングの真ん中に立ちたい”って思った」
らんは、少し照れくさそうに笑った。
「だから、最初の“強くなりたい理由”は、
“もう一回ステージの真ん中に立ちたい”だったよ」
「今は?」
ノエルが、静かに尋ねる。
「今は――」
らんは、ぐっと拳を握った。
「“もう二度と、代わりの誰かになりたくない”かな」
その言葉に、屋上の空気が少しだけ静かになる。
「Stella☆Glareのメンバーはみんなキラキラしてて、
正直、最初は“あたしなんかが混じっていいのかな”って思ったよ」
らんの声は、少しだけ震えていた。
「でも、ユリアさん達、本気で“らんはらんのままでいい”って言ってくれるから。
だから、その期待に応えられるくらい、
リングでもちゃんと“ティアラ☆キャンディじゃないとダメだ”って言ってもらえるくらい、
強くなりたい」
さやかは、その言葉に強く頷いた。
「“代わりじゃない自分”かぁ……」
「さやかちゃんは、最初からそういうタイプでしょ」
らんが、じとっとした目で言う。
「周りが何て言うかより、“自分がどうしたいか”の方が強いもん、さやかちゃんって」
「そ、そうかな……?」
「そうですよ」
「そうですね」
「そうですね」
また三方向から即答され、さやかは頭を抱えた。
「でもさ」
さやかは、夜空を見上げてぽつりと言った。
「こうやって聞くとさ、
みんな“強くなりたい理由”が全然違うんだね」
「ですね」
いぶきが頷く。
「でも、“強くなりたい”ってところだけは一緒です」
「それが一番大事なんじゃない?」
らんが、ベンチに寝転びながら言う。
「理由はいろいろでもさ、“ここで諦めたくない”って気持ちは一緒でしょ」
「……うん」
さやかは、大きく息を吸い込んだ。
冷たい山の空気が、肺の奥まで満ちる。
(あたしたち、まだ全然弱いけど)
合宿初日、坂道を見上げて震えた自分。
スクワット百回で脚が崩れかけた自分。
ひよりのスパーで、何もできずに転がされ続けた自分。
(それでも、あの日の自分には、胸を張って“諦めてないよ”って言える)
「じゃあさ」
さやかは、膝の上で拳を握った。
「ここで、一個だけ約束しない?」
「約束?」
ノエルが首をかしげる。
「うん。
“この四人で、一人も途中で諦めない”って」
それは、子どもの誓いみたいに青臭い言葉だった。
でも、その青臭さが、今はやけにしっくりきた。
「きつくなって、“やめたい”“逃げたい”って思う日が絶対来ると思うけど、
その時に、“とりあえず、あと一日だけ頑張ろう”って言えるようにさ」
「さやかちゃんらしいですね」
ノエルが、くすっと笑った。
「でも、いいと思います」
いぶきが、真面目な顔で頷く。
「約束しましょう」
「賛成〜」
らんが手を挙げた。
「じゃあさ、“途中で諦めそうになったら、その時は他の三人を頼る”ってのもセットでどう?」
「それ、いい」
ノエルが小さく微笑む。
「自力だけだと、多分折れますから」
「うん、さやかちゃんは特に一人で抱え込みそうだしね」
「やっぱりあたしだけ評価の方向性おかしくない!?」
さやかの抗議に、屋上に小さな笑い声が響いた。
「じゃあ――」
さやかは、右手を胸の前に掲げた。
「星屑さやかは、
絶対に諦めないで、あまねさんに並びに行くことを誓います」
「星緋いぶきは、
自分の技で、自分の試合を組み立てられるレスラーになることを誓います」
いぶきも、同じように手を上げる。
「ノエル・シエルは、
“怖い”と言いながらでも、リングに立ち続けることを誓います」
ノエルの声は震えていたが、その目はしっかりと星空を捉えていた。
「ティアラ☆キャンディこと姫乃らんは、
“代わりじゃない自分”として、リングの真ん中に立てるようになることを誓います!」
らんが、いつも通り少し大げさなポーズで手を掲げる。
四人の手が、夜空の下で重なった。
「――よろしくね」
さやかが、にっと笑う。
「これからも一緒に、いっぱい泣いて、いっぱい笑って、
いっぱい筋肉痛になろうね」
「最後の一個、いらなかった気がします」
ノエルが小さく言う。
「いえ、重要です。
筋肉痛は頑張りの可視化です」
いぶきの妙に真顔な一言で、四人は思わず吹き出した。
頭上には、無数の星屑が瞬いている。
そのどれもが、今はまだ小さくて、名前もない光。
でも――
(いつか、あたしたちも)
さやかは、重ねた手に力を込めた。
(この星空のどこかに、自分の名前を刻めるくらい、
ちゃんと光れるようになりたい)
夜風が、四人の誓いをそっと攫っていった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第19話では、合宿中盤の“夜の屋上トーク”として、
•さやか:
→ 「あまねみたいになりたい」「推しではなく、いつかリングで向かい合いたい相手」という想い
•いぶき:
→ 「道場で身につけた強さを、“自分の技=自分の物語”としてリングで表現したい」という理由
•ノエル:
→ 「怖いけれど、何もしないまま逃げる方がもっと怖い」「怖いと言いながら立ち続けたい」という覚悟
•らん:
→ 「もう二度と“代わりの誰か”になりたくない」「ティアラ☆キャンディじゃないとダメだと言われる存在になりたい」という決意
を、それぞれ言葉にしていく回になりました。
ノエルのさやかへの呼び方は、この回から「さやかちゃん」で統一しています。
最後に四人で交わした
「一人も途中で諦めない」「折れそうな時は他の三人を頼る」という約束が、
今後の物語でも何度も効いてくる“心の支え”になればと思っています。




