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星屑の少女はリングに立つ ―才能ゼロから始める女子プロレスラー・星屑さやか―  作者: バックドロップ
第3章 PWS強化期間《夏合宿編
19/59

第17話 Bloody Eclipseの“安全な地獄”と、泣き虫子猫ノエル

第三章・夏合宿編の第5話です。

前回は、AQUARIUSとStella☆Glareを中心に、いぶき・らん・さやか・ノエルそれぞれの午後練習の様子を書きました。


今回は、いよいよBloody Eclipseが合宿に合流します。

ノエルにとっては、前団体での事故の記憶と直結する、“怖いけど避けられない存在”との対面。

でもそこで待っていたのは、リング上とは少し違う、彼女たちなりの“安全な地獄”でした。

三日目の朝。

 いつものように坂道ランと基礎トレーニングを終え、全員が道場に集合した時だった。


「お、来たな」


 黒岩が、道場の入り口に視線をやる。


 その瞬間、さやかの背筋にぞくりとしたものが走った。


 合宿所の扉が、ゆっくりと開く。


 冷たい空気を運んでくるような、足音。

 黒と紫を基調にしたコスチューム風のトレーニングウェア。

 鋭いアイラインに、笑っていない口元。


 ひと目で空気が変わる。


「うわ……テレビというか、配信で見た時の何倍も“悪の女王様”感ある……」


 さやかが小声で漏らす。


 入ってきたのは、PWSのヒールユニット――“Bloody Eclipse”。


 先頭を歩くのは、妖しい紫のメイクをした紫苑イオラ。

 その隣に、長い脚と冷ややかな目つきが目を引く氷見レナ。

 後ろには、鉄鎖のようなチェーン柄ジャージの鉄輪サツキと、黒霧のようなスモーク柄パーカーの黒霧エナ。

 そして、トライ・スター王者の一角でもある黒沼アサギ。


 全員が揃って歩いてくる姿は、まるでリングそのものがそこに迫ってくるような迫力だった。


「ひぃ……」


 ノエルの喉から、か細い音が漏れた。


 視界の端で、黒いコスチュームが揺れるだけで、心臓がきゅっと縮む。

 前団体で見た、あの「取り返しのつかない角度」の映像が、脳裏に一瞬よぎった。


「ノエル、大丈夫?」


 隣で、さやかがそっと袖をつまむ。


「だ、だいじょうぶ……です……」


 声が震えている自覚はあった。

 でも、それ以上に――ここで逃げたくない、という気持ちが勝っていた。


(逃げたら、また前と同じになる)


 その感覚だけは、ノエルの中で強く根を張っていた。


 Bloody Eclipseの面々が前に出ると、道場の空気が一段と静かになる。


「合宿三日目から合流だとよ」


 アサギが、口端をわずかに上げた。


「場所、勝手に使わせてもらうぜ」


「よろしくお願いします」


 社長が一礼する。


「今年の新人は四人。

 それぞれ、マッスル・シンフォニー、AQUARIUS、Stella☆Glareと関わってもらっている。

 Bloody Eclipseにも、“ある子”を見てもらいたいと思っている」


 その言葉に、ノエルの心臓がさらに跳ねた。


(ある子って、絶対わたし……)


「ノエル」


 白銀が、やわらかく、しかし逃げ道を塞がない距離感で名前を呼んだ。


「はい……」


「こっちに来て、前を見ろ」


 ノエルは、膝が笑いそうになるのを必死で抑えながら、前へと歩いた。


 Bloody Eclipseの五人と、真正面から向き合う位置に立つ。


 視線が絡む。

 紫のアイシャドウ、冷たい黒、鋭い笑み。


 怖い。

 でも――ここで目をそらしたら、もっと怖くなる気がした。


 ノエルは、ぎゅっと拳を握りしめた。


 最初に口を開いたのは、アサギだった。


「前に、わたしと練習でちょっと当たったことがあるよな」


「は、はい……」


「その時、おまえ、ロープに近づくと固まってた」


 アサギは、あっさりと言う。


「飛んでくる技が怖い。ロープに振られるのが怖い。

 ああ、事故ったことある子だな、って、すぐ分かった」


 ノエルの喉が、ごくりと鳴る。


(やっぱり、バレてたんだ……)


「でだ」


 今度は、紫苑イオラが口を開いた。


 低く艶のある声が、道場に落ちる。


「ビビってるやつは、リングじゃ一番危ない。

 怖いまま立つのはいい。

 でも、“怖いから何も考えられない”は、お前も、相手も壊す」


「……はい」


 ノエルの声は、糸のように細い。


(分かってる。分かってるのに……)


 頭では分かっている。

 リングに立つ以上、怖いものから目をそらしてはいけない。


 でも、体は正直で――

 ロープの揺れる音、ターンバックルの硬さ、マットの軋み。

 その全てが、時々、事故の光景と重なってしまう。


「だから」


 氷見レナが、すっと前に出た。


 冷たい印象の美人だが、その目の奥に、どこか人を観察するような静けさがある。


「“怖く見えるけど、本当は安全なやつ”を、先に身体に覚えさせる」


「……え?」


「つまりだな」


 鉄輪サツキが、チェーン柄のジャージのポケットに手を突っ込みながら口を挟む。


「うちのお嬢たちが、“地獄っぽく見えるけど、中身は安全”なメニューを組んでやるって話だ」


「ようこそ、“安全な地獄”へ」


 黒霧エナが、小さく笑った。


 そのフレーズに、ノエルの顔がますます青ざめる。


「さ、安全な地獄……?」


「名前からして怖いやつだよね……」


 リングサイドで見ていたさやかが、そっと呟いた。


「でも、“安全”ってわざわざ付けてるあたり、

 あの人たちなりの気遣い……なんだろうな」


 いぶきが、小さく付け加える。


「白銀」


 紫苑が視線を向ける。


「前にちょっと話したけど、その“恐怖慣らし”、あんたの目の下でやっていいか?」


「ああ」


 白銀は、静かに頷いた。


「危ない角度の技は禁止。

 ノエルが嫌と言ったら即中止。

 それを守るなら、好きにやれ」


「もちろん」


 紫苑はあっさりと言った。


「うちら、そういう線は踏み越えない主義だから」


 リング上で散々悪役を演じている言葉とは思えない内容に、

 さやかは少しだけ拍子抜けした。


(怖いけど……ちゃんと守るところは守る人たちなんだ)


 頭ではそう理解しても、ノエルの膝の震えは止まらない。


「ノエル」


 白銀が、今度は真正面からノエルの目を見た。


「ここで逃げても、誰も責めない」


 その言葉に、ノエルの肩がびくっと震えた。


「……」


「ただ、逃げ続けると、きっと一生“あの時の自分”を許せないままだ。

 そこは、お前が決めろ」


 短い言葉。

 でも、その中に“選択権はお前にある”というメッセージが込められているのが、ノエルには分かった。


 怖い。

 怖いけど――


(また逃げたら、本当に一生、リングに立てなくなる)


 ノエルは、ぎゅっと唇を噛んだ。


「……やります」


 掠れた声で、それでもはっきりと言った。


「逃げたくないです。

 怖いままでもいいから、リングに立てるようになりたい」


「よろしい」


 紫苑の口元に、わずかに笑みが浮かぶ。


「じゃあ、始めようか。

 “見た目だけは派手で怖いけど、中身は安全なやつ”から」


「名前が長いです……」


 最初のメニューは、ロープワークだった。


「ロープが怖いのは、何が一番原因だ?」


 アサギがノエルに問いかける。


「えっと……

 勢いよく振られて、コーナーにぶつかったり、

 足が引っかかったりして、変な角度で落ちるのが……」


「そう。つまり、“制御できない”って思うから怖い」


 アサギは、トップロープを軽く引っ張った。


「だからまず、“自分でコントロールできるロープ”から慣れていく」


 ノエルは、こくりと頷く。


「じゃ、最初は“全力の三割”だけで走る。

 白銀さんがOK出した速度以上は出さない。

 途中で怖くなったら、すぐ減速」


 レナが、淡々と条件を並べる。


「うちらは、あくまで“操作説明”するだけ」


 ノエルは、そっとロープに手をかけた。


 右手、左手。

 ロープの張り具合を確かめる。


「……じゃあ、行きます」


「行け」


 アサギの短い声を合図に、ノエルはゆっくりと走り出した。


 一歩、二歩、三歩。

 ロープに近づくと、心臓がバクンと跳ねる。


 反射的に、足が少しすくんだ。


「ノエル」


 すかさずレナの声が飛ぶ。


「“どこに手をつくか”だけ考えて」


 白銀と同じような言葉だった。


 ノエルは、ロープから目をそらさずに、一歩踏み込む。

 ロープに手をかけて、胸で軽く受ける。


 ――バイン。


 ロープが押し返してくる感覚。


 怖い。けれど、痛くはない。

 むしろ、前に習ったとおりの位置できちんと受ければ、体を支えてくれる。


「戻れ」


 アサギの声で、ノエルは反対側まで走る。

 同じように反対側のロープを受ける。


 何度か往復を繰り返す。

 一歩ずつ、足を止めずに。


「……」


 気付けば、ノエルの顔色は、さっきより少しだけマシになっていた。


「一回、止まっていいですよ」


 白銀の声に、ノエルは息を整えながら立ち止まる。


「どうだ」


 レナが問う。


「こ、怖いですけど……

 ロープに触る前に、どこに手を出すか考えてると、

 ちょっとだけ、マシになります」


「そう」


 レナは短く頷いた。


「“怖くなくなった”じゃなくて、“マシになった”って言葉、ちゃんと使えるの、えらい」


「えらい、ですか?」


「怖いって認めた方が、安全にやれる。

 “怖くないフリ”して突っ込む方が、一番危ない」


 その言葉に、ノエルの胸に、じんわりと何かが染みこんだ。


(怖くないフリしてたの、わたしだ)


 前の団体で。

 本当は、怖くなりかけていた。

 でも、「大丈夫です、やれます」と言ってしまった自分がいた。


「次は、見た目だけ派手なやついくよ」


 アサギが、ロープの中央に立つ。


「ノエルはコーナーに立て」


 ノエルは言われるまま、コーナーに上がった。


「アサギさん、まさか――」


 さやかの頭に、「串刺しラリアット」「コーナーへのスプラッシュ」といった物騒な単語がよぎる。


「しないよ」


 アサギは即答した。


「今日は、“当てに行くフリだけして、ギリギリで止める”訓練」


「フリ……」


 それは、それで別の怖さがあった。


「ノエル」


 アサギが、真っ直ぐにノエルを見る。


「“来る”って分かってる技が一番怖い。

 だからあえて、ちゃんと見せる。

 わたしは止まれるから」


 ノエルは、喉を鳴らして頷いた。


 アサギは、コーナー反対側まで下がる。


「白銀さん、合図頼む」


「ああ」


 白銀が手を上げる。


「ノエル。怖くなったら、右手を上げろ。

 その時点で、アサギは止まる」


「はい……」


 極限まで緊張した空気の中、白銀の手が下りた。


 ――ダッ。


 アサギが走り出す。


 リングが揺れる。

 黒い影が、一直線にこちらに迫ってくる。


「……っ!」


 ノエルの心臓が悲鳴を上げる。

 反射的に目を瞑りそうになる――その瞬間。


「ノエル、目開けて」


 耳元で、誰かの声がした気がした。


 思い切って、瞼をこじ開ける。

 その瞬間、アサギの身体が、目の前でピタッと止まった。


 ほんの、指一本分の距離。

 ノエルの胸元に当たる前に、アサギはしっかりとブレーキをかけていた。


「……え?」


「ほら」


 アサギが、軽く腕を下げる。


「ちゃんと止まれる」


 汗が額から落ちる。

 怖さで全身が震えているのに、その中で、ノエルは確かに「止まった」という事実を見た。


 何度か同じ動きを繰り返す。

 最初は、ノエルの右手が何度も上がった。

 半分まで来た時点で、勢いに飲まれそうになってしまう。


 それでも、回数を重ねるうちに、

 右手を上げるタイミングは少しずつ後ろにずれていった。


 アサギは一度も、ノエルの身体に触れなかった。


「今日はここまで」


 白銀が止めをかけた。


「どうだ」


 アサギが問う。


 ノエルは、まだ震える膝を押さえながら、息を整えた。


「……怖いです。すごく。

 でも、“この人たちは止まれる”っていうのが、

 さっきより、少しだけ信じられるようになりました」


「うん。上出来」


 アサギは、ふっと笑った。


「それが分かれば、あとは“ちゃんと止まれる人とだけ、本気で当たる”ってことが分かるだろ」


「ノエル」


 レナが、少しだけ目線を落として言う。


「うちらは、ヒールだし、怖い振る舞いもする。

 でも、“相手を壊したい”とは思ってない」


「……はい」


「誰より怖いのは、壊すラインを知らない奴。

 そういうのから、自分を守るのも、レスラーの仕事」


 その言葉に、ノエルの胸がぎゅっと締め付けられた。


(あの時――)


 あの時、周りの大人たちは、止められなかった。

 自分も、「怖いです」と言えなかった。


「だからさ」


 サツキが、頭をがしがしと掻きながら言う。


「怖くなったら、ちゃんと“怖い”って言え。

 “もう一回やれますか?”って聞かれたら、“無理です”って言え」


「……そんなこと、言ってもいいんですか」


「いいに決まってんだろ」


 エナが呆れたように笑う。


「うちらはそれで怒らない。

 その代わり、“やれる”って言ったら容赦しないけどな」


「こわ……優しいんだか怖いんだか、もう分かんないですよ……」


 ノエルが半泣きで言うと、Bloody Eclipseの五人から、なぜか小さな笑いが漏れた。


「なあ」


 サツキが、ふと思い出したように言う。


「この子、泣き顔かわいくない?」


「分かる」


 レナが即答した。


「ちょっと潤んだ目で、必死に立ってる感じがいい」


「完全に、迷子の子猫だよね」


 エナが、顎に手を当てて頷く。


「放っとけない系」


「マスコットにどう?」


 アサギが、さらっと言った。


「Bloody Eclipseの」


「え、えええええっ!?」


 ノエルの悲鳴が道場に響いた。


「ま、今すぐどうこうって話じゃないけどさ」


 サツキが笑う。


「とりあえず、“合宿限定マスコット”くらいには認定」


「いやその肩書き、どうしたらいいのか分かんないです……」


 ノエルが半泣きで抗議するが、

 紫苑は「決まりだね」とでも言いたげに静かに頷いた。


「泣き虫子猫、って感じ。

 壊れもの注意だけど、その分ちゃんと守る」


「……」


 そう言われて、ノエルは何も返せなかった。


 怖い。

 でも――


(この人たちに、“守る”って言ってもらえるの、ちょっとだけ、嬉しいかもしれない)


 そんな自分の感情に気づいて、余計に胸がいっぱいになってしまう。


 気付けば、目尻に溜まっていた涙が、一粒だけぽろりと落ちた。


「泣いてる」


「やっぱ子猫だわ」


 レナのその一言で、道場に小さな笑いが広がった。


 少し離れたところで、その様子を見ていたさやか達は、

 ほっとしたような、それでいて不思議そうな顔をしていた。


「……なんかさ」


 さやかがぽつりと言う。


「Bloody Eclipseって、もっと“怖いだけの人たち”かと思ってたけど」


「中身は、ちゃんと“先輩”ですね」


 いぶきが頷いた。


「やり方は極端ですけど、

 ノエルさんのこと、ちゃんと“壊さないように”見てます」


「ねぇ、さやかちゃん」


 らんが、小声で囁く。


「“泣き虫子猫ノエルちゃん”、めちゃくちゃ売れそうじゃない?」


「らん、そういうこと言うの、まだ本人に聞こえないところでにしてあげて!」


 小さな笑い声と、ノエルのすすり泣き。

 そして、ヒールたちの、妙に優しい声。


 リングの外側に広がる、その奇妙な光景を見ながら、

 さやかはふと、胸の奥で思った。


(あたしたち、たぶん今――

 プロレスラーの“怖さ”と“優しさ”の、両方の真ん中にいるんだ)


 その感覚は、これから先のリングで何度も思い出すことになるのだろう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


第17話では、

・Bloody Eclipseの合宿合流

・ノエルとBloody Eclipseの初ガッツリ対面

・“安全な地獄”と呼ばれる恐怖慣らしメニュー(ロープワーク&止め技)

・ノエルが「怖い」を認めながら、それでも逃げない一歩

・Bloody Eclipseによる「泣き虫子猫マスコット」扱い

を描きました。


リング上では冷酷なヒールとして振る舞う彼女たちが、

実は「壊さないライン」を誰よりも意識している先輩でもある、というギャップが

少しでも伝わっていれば嬉しいです。


次回は、合宿中盤の実戦スパーDAY。

さやか・いぶき・ノエル・らんが、それぞれ先輩たちとスパーの中で

「今の自分の立ち位置」と「足りないもの」を思い知る回になる予定です。

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