第16話 テクニカルクラス&アイドルクラス――いぶきとらんの一日
第三章・夏合宿編の第4話です。
前回は、合宿一日目の朝、マッスル・シンフォニーによる「レッグデイ地獄」で、さやかの脚が完全に終わりました。
今回はその午後。
いぶきはAQUARIUS主導のテクニカルクラスへ、
らんはStella☆Glareの「魅せ方講座」へ――
それぞれ、自分の“武器”の原型と向き合っていく回になります。
昼食を終え、短い休憩時間が終わると、合宿所の空気はまた一段階、引き締まった。
「午後はテクニカルクラスと、アイドルクラスに分かれる」
道場棟に集まった全員の前で、黒岩がそう告げる。
「AQUARIUSは、投げ・関節技・ロープの細かい部分を中心に。
Stella☆Glareは、入場・表情・見せ方、簡単なハイフライ系の基礎だ」
その言葉に、いぶきとらんの背筋がぴん、と伸びた。
「いぶきはAQUARIUSの方だな。
ノエルは今日は白銀と受け身とブリッジ。
星屑とティアラは、Stellaの方に入れ」
「はい!」
さやかは思わず声を張った。
脚の筋肉痛は、まだじんじんと主張している。それでも、午後のメニューを聞いた瞬間、胸が少し高鳴った。
「じゃあ、テクニカル組は右側のマット、Stella組はリングに上がって。
ノエルはこっち」
白銀が静かに手を挙げると、ノエルは小さく頷いて歩み寄っていった。
右側のマットには、白星るりあ、紅条アカリ、赤城ひよりの三人が並んでいた。
「では、テクニカルクラスを始めます」
るりあが淡々と告げる。
「今日のテーマは、“崩しから技へ”。
ただ投げるのではなく、ただ締めるのでもなく、“どう崩して、何に繋げるか”を考えること」
その言葉に、いぶきの黒目がわずかに輝いた。
(崩し……)
それは、いぶきにとって馴染みのある言葉だった。
道場で何度も聞いてきた、合気道や古武術の稽古の中で。
「星緋さん」
るりあが、いぶきの方を見る。
「あなたの合気道と古武術の“崩し”を、少し見せてもらえますか?」
「はい」
いぶきは、一歩前に出た。
「誰か、一度お願いできますか」
「じゃあ、わたし行こうか」
ひよりが手を挙げる。
「遠慮なくどうぞ。受け身は得意だから」
いぶきは礼をして、ひよりの前に立った。
「では、正面から掴みに来てください」
「こーんな感じで?」
ひよりが軽く両手を伸ばす。
いぶきはその手首を受け、相手の力の向きと重心を一瞬で読む。
次の瞬間には、ひよりの身体がふわっと浮き、ころん、とマットに転がっていた。
「おお……」
周りから、小さな感嘆の声が漏れる。
「もう一度お願いできますか」
「うん、いいよ」
二度目。
今度は、ひよりが最初から少し構えた状態で掴みに来る。
それでも、いぶきはわずかな体重移動でバランスを崩し、同じように投げてみせた。
「……ふむ」
るりあとアカリが、同時に腕を組んだ。
「面白いですね」
アカリが口角を上げる。
「“合気寄りの崩し”と“古武術寄りの崩し”が、両方混ざっている。
相手の力を受け流すパターンと、芯をずらすパターンがそのまま技の入口になっている」
「星緋さん」
るりあが、タブレットを取り出しながら言った。
「あなたのこの“崩し”の形、いくつかパターン化していきましょう。
そこから、プロレスの投げと関節に落とし込んでいく」
「よ、よろしくお願いします」
いぶきは、少しだけ緊張した声で返した。
「緊張しなくて大丈夫ですよ。
いじめたりはしませんから」
ひよりがくすっと笑う。
「“できるまで付き合う”だけです」
「それ、別の意味で一番こわいやつでは……」
いぶきが小さくぼそっと言うと、ひよりは「大丈夫大丈夫」と笑って肩を軽く叩いた。
「ではまず、いま見せてくれた崩しを軸にしましょう」
るりあが、いぶきの腕を取る。
「さっきの動き、ゆっくりやってみてください。
わたしが途中で止めます」
「分かりました」
いぶきは、ひよりにかけた崩しを、今度はるりあ相手にゆっくりと再現しようとする。
「ここ」
途中で、るりあが動きを止めた。
「いま、あなたの重心はここ。
わたしの重心は、ここにあります」
るりあは、いぶきの腰と自分の腰に軽く触れる。
「この状態からなら、プロレスの投げで言うと――
アームドラッグ、足払い、スナップ式の投げ、あるいはそのまま関節に移行できる」
アカリがすかさず言葉を継いだ。
「例えば、ここから腕ひしぎ逆十字に入るなら、
この方向に回転して――」
アカリは、いぶきの腕をそっと導いて、関節技の形を作ってみせた。
「こう。
崩した後の“次の一手”を、自分の中で何パターンか決めておくといい」
「崩しは得意なんだから、あとはそこから“どこに繋ぐか”を覚えれば、
星緋さんは一気に“技を組み立てる側”になれるよ」
ひよりが、にこっと微笑む。
いぶきは、自分の手首と、アカリの腕、それからるりあの足の位置を見比べながら、黙って頷いた。
(崩すだけで終わらせない。
崩した先に、ちゃんと技を持ってくる)
それは、武道の稽古の中でも何度も言われてきたことだった。
だが、プロレスのリングでは、その先に「見せ方」や「試合の流れ」も加わってくる。
「星緋さんは、理屈を理解するのが早いタイプですね」
るりあが言う。
「ただし、実戦で反射的に出すには、“考えなくても身体が動く”レベルまで繰り返す必要があります」
「はい」
「今日明日ですぐには無理ですけど、
合宿中に一つか二つ、“自分の形”を見つけましょう」
「自分の……形」
その言葉を反芻する。
いぶきは、ふと視線を横にやった。
その先では、さやかがStella☆Glareに囲まれながら、バタバタとリングの上を走っている。
(星屑さんは、きっと“分かりやすい頑張り”で目立つ。
わたしの“形”は――)
胸の中で、何かが静かに燃え始めた。
一方その頃、リングの上では。
「はい、そこで止まり!」
天上院ユリアの声が、ぴしっと響いた。
「星屑、入場の時に“すみません”って顔しない」
「えっ、してました!?」
「してた。
“お邪魔してすみません”じゃなくて、“ここが自分の場所だ”って顔で歩いてきて」
「こ、ここが自分の……」
さやかは慌てて姿勢を正した。
Stella☆Glareの三人――ユリア、リラ、ミコトに加えて、らんもリングに上がっている。
リングのコーナー側から中央までの、ほんの数メートルを「入場の一部」として何度も歩かされていた。
「さやかちゃん、背筋はきれいなんだよね〜」
リラが言う。
「でも、目線がふわふわしてる。
どこ見ていいか分からないって感じになってる」
「こ、ここら辺の空間を漠然と……」
「それ、一番ダメなやつ」
ミコトがストレートに切り捨てた。
「お客さんがいたとして、
“今日は来てくれてありがとう”って伝えたい相手のいる方向を決めるの」
「じゃあ、あたしがそこにいるってことで」
リラがリング下にぴょんっと降りて、一番前列の観客席を示す位置に立つ。
「さやかちゃん、入場してきて、“あ、今日も来てくれてる”って顔して、
そこに目線飛ばしてみて」
「はいっ」
さやかは、セコンドポストの位置まで下がる。
そこから一歩ずつ、ロープの中央に向かって歩いていく。
途中で、さっきリラが立った位置に視線を送る。
すると――
「さっきより、ずっとよくなってる」
ユリアが小さく頷いた。
「“誰に向かってリングに上がるのか”を、ちゃんと決めること。
それだけで、入場の説得力が全然違う」
「星屑、いまの顔、すごくよかったです」
リング下から、ノエルがぼそっと言う。
「本当?」
「はい。ちょっと“レスラーさんの顔”になってました」
その言葉に、さやかの胸がくすぐったくなる。
「で、問題はこっち」
ユリアの視線が、横にいたらんに向いた。
「えっ、あたしですか!?」
「らんは、やる気が前に出すぎ。
“全力で! 全力で! 全力で!”って感じが顔と動きから漏れてる」
「それは、駄目なんですか……?」
「駄目とは言わないけど、“常に全力”って、見てる側は疲れるの」
ミコトが、わざとらしく肩で息をしながら言う。
「最初のポーズ、目線の動き、笑うタイミング、手を振るタイミング。
ちゃんと“緩急”つけないと、全部同じになっちゃう」
「らんちゃんはスター性は抜群だから、
あとはそれを“どこでどれくらい出すか”コントロールする感じだね〜」
リラがにこにこと補足する。
「スター性コントロール……」
らんは、聞いたことのない単語を口の中で転がした。
(あたし、今までただ“全力でやる”しかしてこなかった)
元アイドル時代も、ひたすら前に出ることでしか、自分を表現してこなかった気がする。
「らん」
ユリアが、少しだけ表情を柔らかくする。
「あなたがStella☆Glareに来たのは、“光の中に飛び込んでくる側”から、
“光を作る側”になるためだと思ってる」
「……!」
「だから、今まで以上に自分を出す必要もあるし、
今まで以上に“引く”ことも覚えないといけない」
らんは、ぎゅっと拳を握った。
「はい。
……頑張ります」
「よろしい」
ユリアが軽く頷く。
「じゃあ、次は入場からの“一連の流れ”を通してやってみましょう。
星屑も。観客一人一人を意識して、歩いてきて」
「はい!」
さやかとらんは、再びリングの端に並んだ。
さやかは、「森」「まな」「こはる」――
自分の中で、今まで支えてくれた顔を一人ずつ思い浮かべながら歩く。
らんは、客席のその先に、
ユリアやリラ、ミコトと同じステージに立っている自分を想像する。
それぞれの「見てほしい相手」に目線を送りながら、
二人はロープの中央へと進んでいった。
リングの少し離れた場所では、白銀と如月ゆかりがノエルの受け身を見ていた。
「前より、倒れる瞬間の“迷い”が少なくなったな」
白銀が言う。
「はい……さっきの坂道で、嫌でも前に倒れる感覚を思い出したので……」
ノエルが、苦笑いしながら答える。
「倒れるのが怖い時は、“どこに手をつくか”“どこを叩くか”だけ考えなさい」
ゆかりが、柔らかい声で言った。
「“落ちる”じゃなくて、“自分で落ちにいく”と思えれば、
少しずつ、恐怖は小さくなる」
「……はい」
ノエルは、もう一度マットに向かって身を投げ出した。
テクニカルクラスとアイドルクラスが一段落した頃、
道場の窓から差し込む夕方の光が、少しだけオレンジ色を帯び始めていた。
「ふぅ……」
マットに腰を下ろしながら、いぶきは息を整える。
目の前のノートには、るりあの丁寧な図と、アカリの補足メモがびっしりと書かれていた。
崩しの角度、その先に繋ぐ投げと関節。
いぶきの頭の中で、点と点が少しずつ線になり始めている。
「星緋さん」
ひよりが、水を差し出してきた。
「今日だけで、だいぶ形になってきてるよ」
「本当ですか」
「うん。
あたしたちが時間をかけて身体で覚えたことを、
星緋さんは“理屈”から逆算して理解してる感じ」
ひよりは笑う。
「その代わり、頭で考えすぎて固くなる時もあるから、
そこはこれから一緒にほぐしてこう」
「よろしくお願いします」
いぶきは、深く頭を下げた。
リングの方では、さやかとらんが最後の入場練習をしている。
「……らん、さっきより“ここが自分の場所です!”って顔になってる」
さやかが、小声で褒める。
「本当?
さやかも、“あ、今日は来てくれてありがとう”って顔してたよ」
二人は思わず笑い合った。
遠くから、それを見ていたユリアが小さく頷く。
(まだまだ粗削りだけど――)
それでも、その笑顔の中に、
未来のレスラーの顔がほんのり見えた気がした。
第16話では、合宿一日目・午後の
・AQUARIUSによる「崩しから技へ」のテクニカルクラス(いぶき中心)
・Stella☆Glareによる入場と見せ方の基礎練習(さやか&らん中心)
・ノエルの受け身と恐怖慣らしの続き(白銀&ゆかり)
を書きました。
いぶきには「崩しから技を組み立てる」という、自分の得意分野を生かした方向性が見え始め、
らんはスター性を「ただ全開で出す」だけでなく、「コントロールする」段階へ。
さやかとノエルも、それぞれ一歩ずつ“レスラーとしての顔”に近づき始めています。
次回は、いよいよBloody Eclipseが合宿に合流し、
ノエルが彼女たちの“安全な地獄”と向き合う回の予定です。




