第15話 地獄のレッグデイと星屑さやかの悲鳴
第三章、PWS強化期間《夏合宿編》の第3話です。
今回は、いよいよ合宿一日目の本格的な基礎体力トレーニング。
マッスル・シンフォニーによる、さやかへの「レッグデイ地獄」の洗礼回になります。
翌朝五時。
「……寒っ」
布団から顔だけ出した星屑さやかは、合宿所の天井を見上げて小さく震えた。
窓の外はまだ薄暗く、鳥の声がぽつぽつと聞こえる程度だ。
枕元のスマホは、無慈悲にも「5:00」を示している。
「星屑、起きた?」
隣の布団から、ティアラ……いや、らんのぼそっとした声が届く。
「うん……たぶん」
「それ、起きたって言わないんだよね」
布団の中でぐねぐねしていると、足元からぐいっと布団が引っ張られた。
「起きろ」
低くて淡々とした声。いぶきだ。
「あと五分……」
「その五分で、ストレッチ一セットできます」
正論である。
正論すぎて、ぐうの音も出ない。
「ノエルは? 生きてる?」
「……こ、ここです……起きて、ます……」
ノエルの布団からは、もぞもぞと人の形らしき膨らみが動いていた。
全員がなんとか布団から這い出して、顔を洗い、ジャージに着替える。
まだ眠気で頭がふわふわしているのに、身体だけは勝手に合宿モードへ切り替わっていく。
玄関前に出ると、すでに先輩たちが集合していた。
「おはよー、新人ちゃんたち。ちゃんと起きられたじゃない」
翔迫ミナトが、髪を一つにまとめながら笑う。
「おはようございます……」
さやかたちは、まだ半分夢の中みたいな挨拶を返した。
「よし。全員いるな」
黒岩が腕時計をちらりと見る。
「朝五時半。ここから坂道ランだ。道は一周およそ一キロ。
まずは二周、様子を見てから増やす」
「様子を見てから、なんですよね……?」
思わず確認してしまうさやか。
「そうだ。“もっといけるな”と思ったら増やす」
まったく安心できない返答だった。
「星屑」
横から声が飛ぶ。
振り向くと、そこには轟みなせがいた。黒いジャージ姿に、相変わらず無駄のない筋肉が浮き上がっている。
「脚は、裏切らない。頑張ろう」
「が、がんばります……」
脚が裏切らない前に、心が折れないように祈るしかなかった。
山道の坂は、見上げるだけでため息が出るほど長かった。
「よーい……スタート」
ひよりの合図で、一斉に走り出す。
先頭を切るのは、やはりマッスル・シンフォニーとAQUARIUSの面々だった。
その少し後ろを、いぶきが淡々としたペースで駆けていく。
「は、はや……」
さやかは、最初の五十メートルで早くも現実を思い出す。
脚が重い。呼吸が辛い。
普段の道場でも走ってはいるが、「坂」という要素がひたすらにきつい。
「星屑、腕! もっと振って!」
後ろからひよりの声が飛ぶ。
「は、はいっ!」
言われるままに腕を振ると、ほんの少しだけ脚が前に出る感覚があった。
隣では、らんが「ひぃぃ……」と半泣きになりながらも必死について来ていた。
ノエルは呼吸を整えることに全神経を集中させている顔だ。
いぶきは相変わらず姿勢が崩れず、淡々と坂を打ち続けている。
一周目の終盤、すでにさやかの太ももは悲鳴を上げていた。
「あとちょっと、あとちょっと……!」
自分に言い聞かせながら、ゴール地点の合宿所前までなんとか走り切る。
「タイム。よし、まだいける」
黒岩がストップウォッチを確認しながら言う。
「じゃあ、もう一周だ」
「もう一周……」
涙目になるノエル。
「ノエルさん、顔色はまだ大丈夫です。いけます」
いぶきが冷静に背中を押す。
「星屑、ハムストリング、いい感じに目覚めてきてる」
みなせが何故か褒めてきた。
「この感覚で、午後のスクワットに繋げるよ」
「午後の……スクワット……?」
新たな絶望の単語がさやかの耳に突き刺さった。
二周目を終えた頃には、さやかの脚は完全に自分のものではなかった。
膝が笑う、という表現を体で理解する。
「お疲れ。じゃあ朝食とストレッチのあと、午前は基礎だ」
黒岩が告げる。
基礎。
この団体におけるその言葉の重さを、さやかはもう知っている。
「脚が……脚が棒というか、ただのオブジェ……」
「星屑、まだ午前中ですよ」
「いぶき、それ以上の現実を見せないで……」
朝食をかきこみ、ストレッチを終えたあと。
道場棟に集まると、マットの上にはすでにマッスル・シンフォニーの四人が待っていた。
「はいはーい、新人ちゃんたち、ようこそレッグデイへ」
ミナトが、にこにこしながら手を振る。
「本日のメニュー担当は、わたしたちマッスル・シンフォニー。
テーマは“壊れない脚と腰”よ」
「壊さないでくださいね……?」
ノエルが震える声で言うと、ミナトはクスっと笑った。
「壊さないわよ。ギリギリのところで止めるの。プロだから」
「それが一番怖いんですよねえ……」
小声でさやかがつぶやく。
「では、まず準備運動」
みなせが、一歩前に出る。
「スクワット百回」
「準備運動が本番なんですよ、それ!」
さやかの悲鳴に、ルミナが楽しそうに頷いた。
「スクワットはお友達ですネ!
百回は、“ちょっと挨拶”くらいですヨ」
「挨拶で太もも殉職する世界、怖すぎませんか……?」
「ダイジョブ、星屑。マッスルはトモダチ」
マディソンが、親指を立てて言う。
「フェイルしそうになったら、スポットする。ノープロブレム」
その頼もしさが、逆に不安を煽る。
「ではフォーム確認からいきます」
みなせが、実演して見せる。
背筋は伸び、膝はつま先と同じ方向。
お尻を後ろに引きながら、スッと腰を落とし、また上げる。
「こう。膝が内側に入らないように。
腰も丸めない。胸を張って」
「みなせ、それ簡単そうに言うけどさ」
ひよりが苦笑する。
「初見でそれやるの、まあまあ難しいんだよ?」
「だから、できるまで付き合う」
みなせは当たり前のように言った。
「星屑。最初はゆっくりでいい。十回で一セット。
慣れてきたらテンポ上げる」
「は、はい……!」
さやかは、恐る恐る足を肩幅に開いた。
見よう見まねで腰を落とす。
太ももがじんわり熱を持ち、膝がぷるっと震えた。
「……これ、あと九十九回……?」
「考えたら負けです」
いぶきの冷静な声が飛ぶ。
横を見ると、いぶきはすでにきれいなフォームでスクワットを始めていた。
ノエルは、慎重に膝を気にしながらゆっくりと動いている。
らんは「ひぃ……」と言いながらも、なんとかついて行こうと必死だ。
「よし、カウントいくわよ」
ミナトが声を張る。
「いーち、にー、さーん、しー」
マッスル組のリズムに合わせて、全員がスクワットを繰り返す。
十回目の時点で、さやかの太ももはすでに火事のようだった。
「じゅうっ!」
「はい休憩五秒!」
「五秒!?」
悲鳴を上げる暇もなく、すぐ次のセットに入る。
「にじゅうっ!」
呼吸が荒い。
汗が額からぽたぽたと落ちる。
「さんじゅうっ!」
脚の感覚がどんどん自分から離れていく。
「よんじゅうっ!」
「ふ、ふとももが……これ、明日どうなってるの……」
「明日を見る前に、まず今日を越えましょう」
隣でいぶきが淡々と言う。
その額にも、じっとりと汗がにじんでいた。
「ごじゅうっ!」
半分。
そう思っても、残りの数字を考えた瞬間に心が折れそうになる。
「星屑、いいフォームになってきてる」
みなせが横から声をかけた。
「最初より、膝が安定してる。
太もも、ちゃんと仕事してる」
「し、仕事……」
苦しいのに、褒められると嬉しくなって、意地でも止まりたくなくなる。
「ろくじゅうっ!」
「ななじゅうっ!」
らんの「ひぃぃぃ……」という声が、だんだんと音程を失っていく。
ノエルは、顔を真っ赤にしながらも、カウントに合わせてなんとか腰を上下させていた。
「はちじゅうっ!」
限界が、じわじわと近づいてくる感覚。
「くじゅうっ!」
「……っ!」
九十回目を終えた瞬間、さやかの脚が本当に笑い出した。
膝がカタカタと震え、バランスを取るのに必死になる。
「ラスト!」
ミナトの声が、遠くから聞こえる。
「ひゃくっ!!」
さやかは、全身の力を脚に込めて、最後の一回を絞り出した。
立ち上がった瞬間、視界が白くなる。
「……終わった……?」
「はいお疲れー。ここまでが準備運動ね」
「準備運動……」
その言葉を反芻した瞬間、さやかはその場に崩れ落ちそうになった。
「星屑、座り込まない。
ここで座ると、本当に立てなくなる」
みなせが、そっと腕を支えてくれる。
「歩けるうちに、次の種目に移動」
「次の……?」
「ランジ」
みなせはさらっと言った。
「前に一歩出して、腰を落とす。
片脚二十回ずつ。ゆっくり、じっくり」
「脚が終わっているのに、とどめを刺しにきてませんか……?」
「トドメじゃない。仕上げ」
その真顔が、逆に怖かった。
スクワット百回とランジを終えた頃には、
さやかの太ももは完全に自分のものではなくなっていた。
床に座り込んだら、きっと二度と立ち上がれない。
そんな確信があるからこそ、必死に立ち続ける。
「星屑、立ってるだけでもえらいですよ」
ノエルが、ふらふらしながらも微笑む。
「ノエルさんも……顔真っ白だよ……」
「でも、逃げてないから、大丈夫です」
その言葉に、さやかは小さく頷いた。
「午前はここまで。
クールダウンしてストレッチ。
午後はロープワークと受け身だ」
黒岩の声に、ほっとした安堵と、新たな恐怖が同時に訪れる。
「ロープ……」
「あの脚でロープ……」
さやかとらんが、揃って同じことを呟いた。
「でもさ」
いぶきが、呼吸を整えながら言う。
「一ヶ月前なら、スクワット百回って聞いた時点で、
きっと最初から無理だって思ってました」
「今は?」
「“きついけど、やれば終わる”って思えます」
いぶきの言葉に、さやかはハッとする。
(たしかに……)
一ヶ月前の自分だったら、
「百回」という数字を聞いただけで、心が折れていただろう。
今は。
きついし、脚は笑ってるし、泣きたくもなった。
でも、それでもちゃんと最後までやり切っている自分がいる。
「星屑」
ひよりが近づいてきた。
「どう? 脚、死んでる?」
「たぶん、ゾンビくらいにはなってます……」
「うんうん。
でも、フォーム崩れたの、途中からほとんどなかったよ」
「ほんとですか……?」
「うん。
最初は腰がちょっと丸まりがちだったけど、
途中から“ちゃんと叩ける受け身”と似た感じで、
脚もしっかり使えてた」
ひよりは、にこっと笑う。
「だから、自信持っていいよ。
筋肉痛は、頑張った証拠だから」
その言葉に、さやかの胸がじんわりと熱くなった。
(脚は終わってるけど……)
心だけは、まだ立っていられる気がする。
(あたし、ちゃんと“レスラーの練習”してるんだ)
太ももの震えを感じながら、さやかはもう一度拳を握った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第15話では、合宿一日目の朝、
・坂道ランニング二周
・マッスル・シンフォニーによるスクワット百回+ランジ地獄
を通して、さやかが「脚が終わる」レベルのレッグデイを体験する回になりました。
ただし単なるしごきではなく、
・みなせ達の理詰めで優しい(?)指導
・ひよりやノエル、いぶき達のフォロー
・「一ヶ月前の自分なら無理だと思っていたことをやり切れた」という小さな成長
も描けた回になっていれば嬉しいです。
次回は、午後のテクニカルクラス&アイドルクラス側にフォーカスして、
いぶき×AQUARIUS、らん×Stella☆Glareの練習風景を書いていく予定です。




