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星屑の少女はリングに立つ ―才能ゼロから始める女子プロレスラー・星屑さやか―  作者: バックドロップ
第ニ章 本部道場一ヶ月テスト《残る者と去る者》
11/59

第10話 一ヶ月テストと、握ったこぶしに誓う夜

前回は、スターダスト寮の見学回でした。

寮母・大原よしのや、寮で暮らす先輩たちとの出会いを通して、「リングの外にある生活の場」としてのPWSが少し見えてきました。

いぶきとらんは寮に入り、さやかとノエルは当面、自宅からの通いを選ぶことになりました。


第10話では、いよいよ「一ヶ月中間テスト」の正式通達。

ここまでの一ヶ月が“お試し”ではなく、ここから先も続けていけるかどうかを決める大事な審査であることが告げられます。

残りたい理由、それでも怖い気持ち、それぞれの一週間と前日の夜を書いていきます。

 六月も、終わりが見えてきた。


「じゃあ今日は、期末考査の範囲と日程を配るぞー」


 朝のホームルームで、担任がプリントを配りながら言った。


「はぁ……」


 教室のあちこちから、小さなため息が聞こえてくる。


(テストかぁ……)


 さやかも、机の上に配られたプリントを眺めながら、ペンを指でくるくると回した。


 日付の並んだ紙を見ていると、「一ヶ月」という文字がじわじわと重みを持ってくる。


(そういえば――)


 プロレスの世界に足を踏み入れてから、もうすぐ一ヶ月。

 本部道場に通い始めてからの、慣れない筋肉痛と緊張の日々。

 あっという間だったような、やっと一ヶ月かという気もする。


 ホームルームが終わると、隣の席から視線を感じた。


「星屑」


「ん?」


 顔を上げると、まなが椅子の背にもたれながらプリントを指でつついていた。


「テストの紙見ながら遠い目してたけど、それ“学校のテスト”のため息じゃないよね?」


「ばれた?」


「分かるよ。今の星屑は、『テスト』って聞いたらリングの方でしょ」


 まなは、プリントを二つ折りにしながら言う。


「この前の寮見学のレポもまだ聞ききれてないんだけどさ。

 寮母さんのカレーがやばいって話だけはしっかり覚えてるからね」


「ほんとに美味しかったんだってば」


 さやかは、思わず笑ってしまう。


「よしのさんっていう寮母さんがいてね、なんか“お母さん2号”みたいな感じで……」


 食堂の匂い。

 カレーの味。

 笑いながら話す先輩たちの姿。


 短く説明していくうちに、胸のあたりが少しあたたかくなった。


「で、本題は?」


 まなが、急かすように身を乗り出してくる。


「“寮いいな〜”って話だけで、今日の星屑の顔、あんな真剣にならないでしょ」


「……たぶん、今日か、遅くても明日くらいにね」


 さやかは、手の中のペンをぎゅっと握った。


「一ヶ月テスト、みたいなやつの話があるっぽい」


「やっぱりあるんだ」


 まなは、あっさりと言った。


「どこにでもあるよ、“仮入部からの本入部テスト”みたいなの。

 プロの世界なんだから、なおさらじゃない?」


「うん。

 でも、落ちたらたぶん……そこで終わりなんだと思う」


 言葉にすると、喉の奥が少しきゅっとした。


「“合格したけど残れなかった人”になるの、やだなって……」


「そりゃそうでしょ」


 まなは、即答した。


「ここまで頑張ってきて、“はい終わりでーす”って言われてはいそうですかって納得できる人、あんまりいないよ」


「でも――」


 さやかは、言葉を選ぶみたいにゆっくりと続けた。


「怖くないって言ったら嘘になる。

 中間テストで、『やっぱりあなたには無理です』って言われたらどうしようって」


「うん、それは分かる」


 まなは、一度だけ視線を伏せた後、さやか――星屑を真っ直ぐ見た。


「でもさ。

 “残りたい”ってちゃんと言える場所見つけられたの、もうすごいことだからね?」


「……え?」


「最初のころの星屑、覚えてる?

 “あまねさんみたいになりたい”って言いながら、『どうせ無理だよね』って自分で先に保険かけてたよ」


「う……」


「今はさ、“落ちたくない”“嫌だ”ってちゃんと言ってるじゃん。

 それ、もう前の星屑とは違うから」


 まなは、ふっと笑う。


「ここまで続いてる星屑なら、正直、簡単には落ちないでしょ――って言いたいけど」


「けど?」


「油断はダメ。

 だから、できること全部やっておいで」


 まなは、軽く拳を作って見せた。


「テストの結果がどうでも、“一週間、サボらず全部やった”って自分で胸張れるなら、後悔は減るよ」


「……うん」


 さやかは、その言葉を胸の中で何度か繰り返した。


(できること、全部)


 チャイムが鳴り、次の授業の準備が始まる。


 さやかは、筆箱の中からペンを取り出しながら、心のどこかで覚悟をひとつ固めた。


 ***


 その日の放課後、本部道場の空気は、いつもより少しだけ張り詰めていた。


 リングの前に、黒岩と白銀が並んで立っている。

その横には、スーツ姿の天城社長。


 練習生たちは、ゼッケン順に並ばされていた。

 いつもなら、黒岩の号令でランニングが始まる時間だ。


「――さて」


 社長が一歩、前に出た。


「今日は、皆に大事な話がある」


 さやかの隣で、いぶきの背筋がさらに伸びる。

 らんは、緊張で唇を噛みしめ、ノエルは手の中のタオルをぎゅっと握りしめていた。


「入門オーディションから数えて、もうすぐ一ヶ月になる。

 この一ヶ月は、“本当にここでやっていけるかどうか”を見させてもらう期間でもあった」


 社長の声は穏やかだが、その内容は重かった。


「そこで、来週――一ヶ月の区切りのタイミングで、『一ヶ月中間審査』を行う」


 ざわ、と空気が揺れた気がした。


「この審査に合格した人は、正式にPWSの“練習生”として、今後も継続していくことになる」


 社長は、一人一人の顔を見ていく。


「逆に、不合格になった人は……今回はここまで、という形になる。

 これは、君たちの人生を否定するためのものではない。

 今の時点で、“この先リングに立たせるつもりで育てていけるか”を確認するための審査だと思ってほしい」


 息を飲む音が、あちこちから聞こえた。


「全員を落とすつもりはない。

 ただ、全員を残すことが、必ずしも“優しさ”だとは限らない」


 そこで、社長は少しだけ言葉を切った。


「リングは、怪我もある世界だ。

 技が不安定なまま、怖さをごまかしたまま、それでも無理に続けさせた結果――

 取り返しのつかないことになるのは、皆だ」


 社長の視線が、一瞬だけノエルの方に向いた気がした。


「だからこそ、ここで一度しっかりと見極めさせてもらう」


 社長が下がり、今度は黒岩が前に出た。


「具体的な内容については、俺から説明する」


 黒岩は、ホワイトボードに書かれた項目を指で叩いた。


「一つ。体力だ。

 決められた時間内でのランニングと、シャトルラン。

 タイムも見るが、それ以上に“途中で勝手に諦めてないか”“フォームが崩れすぎてないか”を見る」


「二つ。受け身。

 後ろ受け身、前回り、横受け身に加えて、連続受け身。

 頭と首を守れているか、怖さで体が固まってねえか、音とフォームで分かる」


「三つ。ロープワーク。

 決められた本数、決められたコースを走れるか。

 ラインがぐらついてねえか、ロープに当たる位置が毎回バラバラじゃねえかを見る」


「四つ。簡単な動作確認だ。

 ロックアップから、ヘッドロック、ロープワーク、受け身まで。

 試合形式じゃねえが、“相手と一緒に動けるか”“相手を危険に晒してねえか”を見る」


 聞いているだけで、心拍数が上がりそうだった。


「最後に――」


 黒岩の視線が、全員の列をゆっくりとなぞる。


「掃除、準備、挨拶、時間の守り方。

 毎日の姿勢も含めて総合評価だ。

 ここまでの一ヶ月で、お前らが道場でどう振る舞ってたか、白銀さんやスタッフの目はごまかせねえ」


 白銀が、軽く頷いた。


「怖さをごまかしている子は、すぐに分かる」


 白銀の声は静かだ。


「恐怖それ自体は、悪いことではない。

 問題は、“怖いからやめる”のか、“怖いから工夫する”のかだ」


 ノエルの喉が、ごくりと動いた。


「この一ヶ月で、怖さを少しずつでも言葉にして、練習してきた子と。

 ただ黙って、固まって、そのままになっている子。

 そこは、ちゃんと見ている」


 白銀の視線が、さやか達の列をゆっくりと横切っていく。


「合否のラインは、俺たちの中である程度決める。

 どこか一つが壊滅的にダメでも、他で補えるなら、“要注意付きで残留”もありえる」


 黒岩が、もう一度前へ出る。


「合格発表の日に、全員の名前を呼びたい気持ちがないわけじゃねえ」


 拳を軽く握った。


「でも、“今のままじゃ危ない”って奴を見逃したら、リングで怪我するのはお前らだ。

 それだけは、絶対にやらねえ」


 静まり返った道場に、その言葉だけが落ちた。


「……以上だ。

 今日から一週間、いつも通り練習する。

 今さら一週間で劇的に変わることなんてほとんどねえ。

 けど、“この一週間だけは手を抜かなかった”って自分で言えるかどうかが、一番後で効いてくる」


 黒岩はそう言ってから、静かに締めくくった。


「――始めるぞ。ランニング、行け」


 ***


 中間審査の通達があった日の練習は、いつも通り厳しかった。

 シャトルランも受け身も、ロープワークも、特別メニューが増えたわけではない。


 終わった後、更衣室は妙に静かだった。


「……一ヶ月かぁ」


 ジャージのファスナーを上げながら、坂本が小さく呟いた。


「走る方は、多分大丈夫だと思うんだけど。

 受け身がね……。

 落ちたら、また陸上に戻るのかなって、ちょっと考えちゃった」


「戻りたいなら戻ればいいし、戻りたくないなら残ればいいんじゃないですか」


 いぶきが、淡々と答える。


「そんな簡単に言えたら苦労しないよ……」


 坂本は、自嘲気味に笑った。


 森は、タオルで汗を拭きながら、膝の上で手を組んでいた。


「わたしは……推しのために残りたいけど」


「推しのため?」


 さやかが聞くと、森は少し照れくさそうに笑った。


「好きなレスラーさんがいて、その人がいるリングを近くで見ていたくて、ここに来たんです。

 でも、推しのいる場所に居続けるのって、こんなに難しいんだなって、最近ずっと思ってて」


「……うん、分かるかも」


 さやかは、少しだけ胸が痛くなった。


「星屑は?」


「私は――」


 バッグの中のタオルを握りしめる。


「受け身もロープも、まだ全然ダメだと思う。

 でも、ここで終わるのは、すごく嫌だなって思った」


「嫌だ、か」


 森が、興味深そうに首をかしげる。


「こはるちゃんにも、“また来ます”って言われたんだ。

 あの日、道場に案内した子。

 その時まで、ちゃんとここに立っていたいから……」


 言葉にしてみると、自分でも驚くくらい、気持ちがはっきりしているのが分かった。


「星緋さんは?」


 ノエルが尋ねると、いぶきは、タオルで首筋を拭きながら答えた。


「私は、ここで落ちたら、家に帰るのがちょっと気まずいです」


「気まずい?」


「親と揉めて出てきてますからね。

 “それ見たことか”って言われるのが、正直一番嫌です」


 いぶきは、わずかに口元を歪めた。


「だから意地でも残りたい。

 “ここまでやって、それでもダメだった”ならまだしも、“中途半端にやめた”って思われるのは御免です」


「ノエルちゃんは?」


「私は……」


 ノエルは、タオルを膝の上で折りたたみながら、慎重に言葉を探した。


「“前の団体でダメだった子”のまま終わりたくないです。

 怖さから逃げて、全部やめたあの時の自分のまま、止まっていたくない」


 ぎゅっと両手を握りしめる。


「今の場所では、“大丈夫なんだ”って、自分でちゃんと証明したいです。

 怖いけど、それでも続けられるって」


「……らんちゃんは?」


 さやかが問うと、らんは、ロッカーの扉にもたれかかったまま、天井を見上げた。


「あたし、アイドルの現場も大好きなんだよね」


「うん」


「でも、今は、“リングの上でもう一回スポットライト浴びたい”って思ってて。

 ステージの真ん中に立つのと、リングの真ん中に立つのって、全然違うって分かっちゃったから」


 らんは、ぎゅっと拳を握った。


「ここで落ちるの、ファンに顔向けできないし、何より自分が嫌だ。

 “ティアラ☆キャンディは途中で投げ出しました”って、絶対言われたくない」


 更衣室の中で、それぞれの「残りたい理由」が静かに浮かび上がっていく。


 誰も、軽くは笑わなかった。

 でも、そのかわり、誰も馬鹿にしなかった。


 それぞれの胸の内で、何かが少しずつ固まり始めている。


 ***


 それからの一週間は、あっという間に過ぎていった。


 学校と本部道場。

 その往復の中に、少しだけ「自主練」の時間が増えた。


 さやかは、シャトルランと受け身を中心に、自分なりに弱点を詰めていった。


 道場の片隅で、みなせにスクワットのフォームを見てもらう。


「膝が前に出過ぎてる。

 お尻を後ろに引く意識で、もう一回」


「こ、こう?」


「そうそう。

 そのフォームで回数増やせば、ロープワークの時の脚がもっと楽になるから」


 ひよりには、受け身前の呼吸を教えてもらった。


「怖い時ほど、倒れる直前に一回だけ息を吐いてみな。

 息止めてると、体が固まるから」


「は、はい」


「怖いのはいいの。

 怖いのを“自分で扱える”ようになれば、それで十分だから」


 いぶきは、鏡の前で、自分の重心と足運びを何度も確認していた。


 アカリに、関節の流れを教わる。


「武道の“崩し”の感覚は、すごくいいと思う。

 ただ、そのままだと“効きすぎる”から、リング用に角度を変える」


「効きすぎる?」


「本気で壊す角度と、見せつつ安全な角度は違うってこと。

 そこを覚えたら、星緋さんはきっと強いよ」


 ノエルは、ノートを開く時間を少しだけ減らして、その分マットの上での時間を増やした。


 白銀の前で、あえて大きめの受け身に挑戦する。


 ドン、とキャンバスに響く音。

 首と頭は守れているか。

 身体の力は抜けているか。


「今のは、悪くない」


 白銀が短く言った。


「怖いのを“消そう”とするんじゃなく、

 “怖いけど、ちゃんと倒れる”ってことを続けなさい」


「はい」


 ノエルは、その夜、日記にこう書いた。


 ――今日は、止まらなかった。


 らんは、リラとミコトに「見せる受け身」を教わっていた。


「倒れる瞬間、ちょっとだけ顎引きすぎかも」


「えっ」


「安全面では正解なんだけど、客席から見ると表情が見えにくくなるんだよね。

 だから、安全の範囲内で、ちょっとだけ顔の角度を調整する」


「難しい……」


「でも、それができたら“アイドルレスラー”としての武器になるよ」


 ミナトには、ブリッジと体幹トレーニングを少し増やされる。


「これ以上増やしたら死んじゃうんですけど」


「大丈夫よ。明日もちゃんと動けるラインだけ盛ってるから。

 ね?」


「その“ね?”が一番怖いんですけど……」


 寮の部屋では、いぶきにフォームを見てもらいながら、らんがブリッジをしていた。


「腰をもう少し高く」


「これ以上上がらないよ……」


「じゃあ、明日の課題ですね」


「鬼コーチだ……」


 坂本は、誰もいない時間を見計らって、マットの端で受け身の練習をしていた。


 白銀が少し離れた位置から見守っている。


「今日はここまで」


「もう少しだけ……」


「“もう少しだけ”を重ねすぎると、怪我するよ。

 “今日の自分”でできる分はやった。

 続きはまた明日」


「……分かりました」


 森は、シャトルランとロープワークを、自主的に少しだけ増やした。


「推しのため……推しのため……」


 その小さな呟きに、さやかは何度か勇気づけられた。


「森さん、一緒に頑張りましょうね」


「うん。

 同じリングに、“いたい”って思ってる人が増えるの、心強いから」


 一週間が過ぎる頃には、誰も「全然不安じゃない」なんて顔はしていなかった。

 それでも、誰も諦めた顔はしていなかった。


 ***


 中間審査の前日の夜。


 いつもより少しだけ、空気が静かだった。


 寮の食堂では、いぶきとらんが、ひよりや先輩たちと一緒に、炭水化物多めの夕飯を囲んでいた。


「今日は、動く予定ないから、ちょっと炭水化物多めね」


 よしのが、ご飯をよそいながら言う。


「明日の朝、ちゃんとお腹空くように、夜更かし禁止。

 変に気合い入れすぎて眠れないのが一番ダメだからね」


「はーい」


 らんは、大きく返事したものの、その箸の動きはいつもより少しだけ遅かった。


「緊張で、ご飯があんまり入らない……」


「そういう時こそ、最低限は食べなさい」


 ひよりが、穏やかに言う。


「明日動けなかったら、その方が後悔するよ。

 “あの時ちゃんと食べとけば”って」


「……そうですね」


 いぶきは、黙々とご飯を口に運んでいた。


「星緋ちゃんは、そういう時でも黙って食べるタイプね」


 よしのが、おかずを少し多めに乗せてくる。


「食べられるうちに食べておけって、師匠に言われてたので」


「いい師匠だわ」


 食後、らんといぶきは、部屋でストレッチをしてから、いつもより早めに布団に入った。


「眠れないかも」


「目を閉じてるだけでも、体は休まりますよ」


「星緋ちゃん、そういうところほんと頼りになるね……」


 寮の明かりが少しずつ消えていく中、それぞれの部屋で、明日への不安と期待が交錯していた。


 一方、自宅組の夜も、それぞれだった。


 ノエルは、机の上に教科書とノートを一度積み重ねて、その上にリングノートを置いた。


「……怖いけど、それでも行く」


 そう小さく書き込んでから、ノートを閉じる。


 窓の外を一度だけ眺めて、深呼吸をひとつ。

 それから、ゆっくりと布団に入った。


 


 星屑家の食卓では、その日の夕飯が終わりかけていた。


「明日だっけ、一ヶ月のテスト」


 父が、味噌汁の椀を置きながら言う。


「うん。

 正式な“中間審査”ってやつ」


「この一ヶ月、よく続けたな」


 父の声には、からかいも厳しさもなかった。


「最初の三日間でやめると思ってたから、正直びっくりしてる」


「ひどい」


「褒めてるのよ?」


 母が苦笑する。


「ここまで頑張ったことは、結果がどうでも消えないからね。

 ……でも、どうせなら、合格してきなさい」


「プレッシャーのかけ方が自然なんだよね、お母さん」


「親なんてそんなものよ」


 母は、空になったお皿を重ねながら、さやかの方を見た。


「自分で選んだんでしょ。

 だったら、明日は“やれるだけやってきた”って胸張れるようにしなさい」


「……うん」


 自分の茶碗を片付けた後、部屋に戻ると、スマホが震えた。


 まなからだった。


「明日だね」


 短いメッセージ。

 さやかは、少しだけ迷ってから、返信した。


「うん。こわい」


 送信してすぐに、また震える。


「こわいって言えるの、えらい」

「明日、合格祈願しとくから」

「落ちたら慰めるし、受かったら祝う準備しとく」


 思わず笑いがこぼれた。


「どっちの覚悟もさせないように頑張る」


 そう打ってから、スマホを机の上に置く。


 部屋の明かりを消し、布団に潜り込む。


 暗闇の中、天井を見上げた。


 この一ヶ月、何度も「もう無理」と思った。

 シャトルランで足が止まりそうになった時。

 受け身を取るのが怖くて、背中が固まった時。

 ロープに走る脚が絡まりそうになった時。


 でも、あの日――地方会場のフェンス越しに見た皇あまねの姿。

 道場で見た、受け身の音。

 スターダスト寮の食堂からこぼれていた明かり。

 こはるが笑って、「また来ます」と言った顔。


 全部が頭の中で重なっていく。


(もう、ただの“プロレスごっこしたい子”じゃない)


 自分にそう言い聞かせる。


(逃げたくない。

 ここに残りたい。

 あまねさんのリングに、いつか立ちたい)


 布団の中から、ゆっくりと右手を天井に伸ばした。


 ぎゅっと、拳を握る。


 薄暗い部屋の中で、自分だけに聞こえるように、小さく誓った。


「絶対に、諦めない」


 天井に向けた拳が、かすかに震えている。

 それでも、握りしめた手は、もう下ろさなかった。


 ――逃げないで、リングに立つ人の方へ進む。


 明日の自分に向けて、その約束だけを、何度も心の中で繰り返した。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


第10話では、

・学校側の「一ヶ月」の時間感覚と、まなとの会話(呼び方は“星屑”で、より親友感強めに)

・天城社長からの「一ヶ月中間審査」の正式通達

・黒岩による具体的なテスト内容(体力・受け身・ロープワーク・動作確認・日々の姿勢)

・白銀の「怖さをごまかさない子を見る」という視点

・更衣室での、さやか/いぶき/ノエル/らん/坂本/森、それぞれの“残りたい理由”

・テスト前一週間のミニモンタージュ(先輩たちのフォローも含めて)

・前日の夜、寮組と自宅組のそれぞれの過ごし方

・そして最後、布団の中で拳を天井に掲げ、「絶対に諦めない」と自分に誓うさやか

を描きました。


次回はいよいよ、一ヶ月中間審査本番。

シャトルランや受け身、ロープワーク、簡単な動作確認の中で、

「ここまでやってきたこと」がどこまで通用するのか、そして誰が残り、誰が別の道を選ぶことになるのか――

その一日を書いていきたいと思います。


続きも読んでみたいと思っていただけたら、また読みに来ていただけると嬉しいです。

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