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星屑の少女はリングに立つ ―才能ゼロから始める女子プロレスラー・星屑さやか―  作者: バックドロップ
第一章 スターダスト・オーディション編 ――星屑の子、リングの門を叩く――
1/59

プロローグ あの日、黒い不死鳥を見た

女子プロレス団体「PWS」を舞台に、普通の女子高生・星屑さやかが、

最強王者・皇あまねに憧れてプロレスラーを目指していくお話です。


プロレスを知らない方でも読めるように書いていくつもりなので、

「ちょっと気になるかも」と思ってくださったら、まずはプロローグだけでも覗いてみてください。

それでは、本編スタートです。

放課後の教室は、夕陽とテスト範囲のプリントで赤く染まっていた。


「はぁ……」


 星屑さやかは、机に突っ伏したまま、二枚目のため息をついた。


 黒板には「二年一学期期末試験 範囲」の文字。

 国語、数学、英語、日本史、化学──びっしりと並んだ単元名は、どれも「やらなきゃ」と「今は見なかったことにしたい」の間をうろうろしている。


 窓の外では、運動部の掛け声が聞こえる。

 バスケ部のボールの音。グラウンドを走る野球部。

 自分にはもう無関係な音だと分かっていても、耳に入ってきてしまう。


(なんか……みんな、ちゃんと「やること」持ってるんだよな)


 さやかは自分のプリントを見下ろす。


 別に勉強が壊滅的にできないわけじゃない。

 かといって、これで推薦が狙えるほど優秀でもない。

 部活も、中学まではそこそこ真面目に続けていたけれど、高校に入ってからは「なんとなく」で終わってしまった。


(このまま、テキトーに大学行って、テキトーに就職して……なのかな)


 そう思うと、胸の奥が、じわっと重たくなる。


 そこへ、バンッとさやかの前の机に何かが置かれた。


「星屑!!」


「うわっ!?」


 顔を上げると、そこにはクラスメイトの水野まながいた。

 手にはカラフルなチラシが二枚。にやにや笑いながら、それをさやかの目の前に突き出してくる。


「な、なに?」


「今度の日曜、ひま?」


「え、テスト前だよ?」


「テスト前だけど〜? “現実から逃げたい星屑”としては、ちょうどよくない?」


「そんな肩書き付いてたのあたし……」


 半分呆れながらも、さやかはチラシを受け取る。


 表には、大きなリングの写真と、ド派手なロゴ。


PWS PRO-WRESTLING STARDUST

東都第二アリーナ大会


 そして、炎のエフェクトに囲まれた、一人の女性レスラーの姿。


 黒いコスチューム。

 黒い羽根のようなマント。

 そして、こちらを見ない横顔。


 チラシの下の方には、小さく名前が印刷されていた。


PWSインターナショナル・ワールド・スターダスト王者

 皇あまね


「……プロレス?」


 さやかは思わずそう呟いた。


「そ。女子プロ! 今めちゃくちゃ来てるやつ!」


 まなが目を輝かせる。


「え、プロレスって……あの、投げ飛ばしたり、殴ったりする……?」


「そうそう。それ。痛そうなやつ」


「いや、怖いじゃん……」


「怖いけど、カッコいいの!!」


 まなはさやかの隣の席を引っ張り出して、勝手に座った。


「PWSってさ、最近テレビとか配信とかでちょいちょい見るでしょ?

 あたし、Stella☆Glare推しなんだけどさ、この皇あまねって人が“団体の顔”みたいな王者でさ〜」


「へ、へぇ……」


「でね、今度の日曜、そのあまね様がタイトルマッチするの! 東都第二アリーナで!

 チケット、友だちが一枚余らせててさ。

 あたし一人で行くのもアリだけどさ〜……初・女子プロ観戦の星屑連れてったら、ぜったい面白いなって思って!」


「人を実験台みたいに言わないで」


「だって星屑さ、最近ずっと『なんかモヤモヤする〜』って顔してんじゃん。

 ならさ、一回“本気で何かやってる人たち”見てこよ?」


 まなが、さらっと言った言葉が、妙に胸に引っかかった。


 テスト勉強。進路の話。

 「ぼちぼち頑張る」「それなりに真面目」──そんな言葉ばっかり。


 本気。

 その言葉を、最近自分のものとして使った記憶がない。


「……怖くない?」


「怖いっちゃ怖いよ? バンッてぶつかるし、ドンッて落ちるし。

 でもさ、客席の人たち、みんな笑ってるか、泣いてるか、叫んでるかなんだよね。

 “何か感じて帰る”ってこういうことなんだな〜って。あたしは初めて行ったとき思った」


 まなが笑う。


「星屑もさ、一回くらい、そういうの体験しときなよ。

 もし合わなかったら、その時はその時。

 でも、ハマったら──テスト勉強前の最後の楽しい思い出にはなるでしょ?」


「テスト前から“最後の思い出”作らせるのやめて」


 苦笑しながらも、さやかはチラシをもう一度見つめた。


 黒い不死鳥、と書かれたキャッチコピー。

 燃え上がる炎を背に、微動だにしない横顔。


(この人は……どんな顔で、戦うんだろう)


 胸の奥が、少しだけざわっとする。


「……怖かったら、途中で目つぶってていい?」


「いいよいいよ。その間はあたしがちゃんと見といてあげる」


「……じゃあ、行ってみようかな」


 その返事を聞いた瞬間、まなはガタッと立ち上がった。


「よっしゃーーっ! 決まり!

 日曜、駅に十七時集合ね! 遅刻したら置いてくから!」


「早っ……!」


 クラスメイトたちが振り返る中、

 さやかは少しだけ、笑ってしまった。


 テスト勉強からの現実逃避。

 その程度の軽い気持ちで──

 あの日の約束を受けたのだと思っていた。


 日曜の夜、自分の世界が一変するなんて、まだ想像もしていなかった。


 


 ***


 


 東都第二アリーナは、思っていたよりもずっと人がいた。


「わ、すご……」


 駅から人の流れにくっついて歩いていくと、

 会場の周りには、PWSのタオルやTシャツを持った人たちがあふれている。


 家族連れ。

 会社帰りっぽいスーツ姿の人。

 キラキラしたペンライトを持った女の子たち。


「女子ばっかりじゃないんだ……」


「でしょ? 老若男女いろいろ〜。

 ほら見て、あの子、小学生くらいなのにあまね様Tシャツ着てる。英才教育だわ〜」


 まなが楽しそうに周りを指さす。

 さやかは、人混みに少し圧倒されながら、その後ろをついていった。


 入場ゲートをくぐると、目の前に広がったのは──


「……リングだ」


 真ん中に置かれた四角い舞台。

 青いマット。張り巡らされたロープ。

 天井からはライトがいくつもぶら下がり、客席全体を淡く照らしている。


 さっきまで“テレビの向こう側”のイメージだったものが、今は目の前にある。


 近くでスタッフがロープの張り具合を確かめている姿を見て、

 さやかは、少し喉を鳴らした。


「なんか……思ってたより小さいけど、近くで見ると、怖いね……」


「うん、最初はみんなそう言う。でも試合始まったら多分、“怖い”より“うおおっ”になるから」


 まながチケットを見せて、案内されたのは二階スタンド席。

 リング全体がよく見えるエリアだ。


 席に座ると、周りからはざわざわとした話し声が聞こえた。


「今日あまね、防衛何回目だっけ?」

「相手も強いよなー」

「セミのStella☆Glare楽しみ〜!」


 さやかには、知らない名前ばかり。

 でも、それを語る人たちの顔は、期待と高揚で少し赤くなっている。


(みんな、ここに“何か”見に来てるんだ)


 ふと、そんなことを考えた。


 


 やがて場内が暗くなり、オープニングVTRが流れ始めた。

 爆発音のようなSE。画面いっぱいの炎。

 リングで技を決めるレスラーたちのカットが矢継ぎ早に流れる。


 さやかは最初のうち、その派手さにただ圧倒されていた。


 けれど、第一試合、第二試合と進むにつれて、

 少しずつ“怖さ”は薄れていった。


 チョップの音にびくっと肩を跳ねさせたのも最初だけだった。

 落とされて、転がって、立ち上がって──

 そのたびに客席が「うおおっ」と沸き、拍手が起きる。


 リングの上の人たちは、痛そうなのに、苦しそうなのに、

 どこか誇らしそうな顔をしていた。


(こういうの、テレビじゃ伝わらないな……)


 汗のきらめき。

 ロープが揺れる音。

 観客の息を呑む気配。


 知らない世界を、少しずつ覗いているような気分だった。


 


 そして──


「さーて、そろそろだよ」


 まながさやかの腕をつついた。


 場内が、ふっと暗くなる。

スクリーンに、黒い羽根が舞い始めた。


 低いベース音。

 重いドラム。


 画面が切り替わり、黒いコスチュームの女性が、次々と相手を投げ、蹴り、叩き伏せる映像が流れる。

 そのたびに、観客席から歓声が上がった。


「PWSインターナショナル・ワールド・スターダスト選手権試合、王者入場です!」


 どこからか、実況の声が響く。


「来るよ、あまね」


 まなの声が、すぐ隣で聞こえた。


 


 スクリーンに、大きく名前が映し出される。


皇あまね


 花道の上に、ひとつスポットライトが落ちた。

 そこに、すっと人影が現れる。


 高い位置でひとつに結んだ黒髪。

 黒と金のコスチューム。

 肩から広がるマントの裾が、風に揺れている。


 一歩。

 また一歩。


 階段を降りて、花道を歩くたびに、

 会場の空気が、少しずつ張り詰めていく。


 誰もが、その人から目を離していないのが分かった。


(……きれい)


 思わず、胸の中でそう言葉が浮かんだ。


 でも、その瞬間、さやかはすぐにそれを打ち消した。


(違う。きれいって、こんなのじゃ足りない)


 ライトが黒髪に反射して、淡く光る。

 まっすぐ前だけを見ている横顔からは、迷いが一つも感じられなかった。


 誰の声にも、誰の手にも、誰の視線にも揺れない。

 リングに上がるまでの数十秒が、まるで一つの長い呼吸のようだった。


「PWSインターナショナル・ワールド・スターダスト王者──

 皇あまねーっ!!」


 リングアナウンサーの声が響いた瞬間、

 場内は一斉に叫び声と拍手で満たされた。


 紙テープが飛ぶ。

 タオルが振られる。

 あまねコールが、あちこちから起こる。


 それでも、当の本人は、ただ静かにリングに上がった。


 コーナーに駆け登ったりもしない。

 派手なポーズも取らない。


 代わりに、リングの中央に立ったまま、

 ゆっくりと顎を上げて、客席をぐるりと見渡した。


 一瞬、その視線が自分の方をかすめたような気がして、

 さやかは心臓が跳ね上がるのを感じた。


(見られた、かも……)


 もちろん、そんなはずはない。

 スタンド席の一人一人を認識できる距離じゃない。


 それでも、

 「ここにいる全員を見てる」

 そう言われたような気がした。


 胸の奥で、何かが弾けた。


(──あ)


 言葉にならない“好き”が、そこにあった。


 


 試合が始まると、その感情はさらに形を変えていった。


 あまねは、相手の攻撃を全部受けるわけではなかった。

 避けるときは避ける。

 いなすときはいなす。


 けれど、受けると決めた瞬間の一発は、

 真正面から、まるで自分の胸で引き受けるように受け止めていた。


 チョップが鳴るたび、リングがきしむたび、

 さやかの体までびくっと揺れた。


(痛い……)


 そう思うのに、目が離せない。


 倒れても、膝をついても、

 あまねは必ずロープを探して、立ち上がる。


 苦しそうな表情は、一瞬だけ覗く。

 でもすぐに、何もなかったみたいに消える。


(なんで、そこまでして立つんだろう)


 さやかには、分からない。

 分からないのに、知りたくてたまらない。


 フィニッシュの瞬間は、一瞬だった。


 相手の腕をすり抜けて、鳳閃が顎を打ち抜く。

 そのまま、必殺のホールド。

 レフェリーの手が、三回マットを叩いた。


「スリー!!」


 ゴング。

 歓声。

 拍手。


 あまねは肩で息をしながら、レフェリーからベルトを受け取った。

 その金色を胸に抱きしめるようにして、ほんの僅かに目を閉じる。


(勝った……)


 そう思った瞬間、喉の奥がつまって、言葉が出なかった。


 嬉しい。

 すごい。

 かっこいい。


 そんな安っぽい言葉では、とても追いつかない。


 あまねはベルトを高く掲げる。

 客席から、また歓声が上がる。


 でも、その顔はどこか、静かだった。


(あの人は、“勝って当たり前の人”なんだ)


 唐突に、そんな言葉が浮かぶ。


 勝つことがゴールじゃない。

 勝ち続けること。

 そこに立ち続けること。


 その“当たり前”の重さを、さやかは知らない。

 知らないのに、その背中を見ているだけで、重さの一端を感じた。


 


 あまねはベルトを肩にかけると、

 レフェリーと軽く握手を交わし、ロープをくぐってエプロンに降りた。


 花道までの階段を、一段ずつ降りていく。


「はぁぁぁ……ヤバかった……」


 まなが、椅子に沈み込みながら息を吐いた。


 さやかはまだ、立ち上がれなかった。

 膝の上で握りしめた手の中に、爪が食い込んでいる。


(終わっちゃう……)


 胸の奥が、変なふうにざわざわする。

 もっと見ていたかった。

 でも、さっき確かに、「決着」はついた。


 あまねは、もう一度だけリングを振り返ってから、花道をゆっくり歩き始めた。


 その背中が、遠ざかっていく。


(行っちゃう)


 その瞬間、体が勝手に動いた。


「え、星屑!?」


 まなの声が背中で遠くなった。


 さやかは、ルールもマナーも何も考えずに席を飛び出していた。

階段を駆け下り、係員に「走らないでください!」と注意されるのも、耳に入ってこない。


 気がついたときには、一階スタンドのフェンス際にいた。


 目の前、数メートル先を、皇あまねが通り過ぎようとしていた。


 近い。

 さっきまでリングの上にいた人が、同じ床の上を歩いている。

 客席に背を向けたまま、黒いマントの裾を揺らして。


「お、お嬢さん、危ないから下がって――」


 警備員の手が肩に伸びてきた。

 でも、その前に、さやかの喉から声が飛び出した。


「──わ、わたし!」


 自分でも驚くほど大きな声だった。


 あまねの足が、ぴたりと止まる。


 周りのざわめきが、一瞬だけ薄くなった気がした。


 さやかはフェンスをぎゅっと掴んだまま、

 震える声で、どうにか言葉を絞り出した。


「わたし、あなたみたいになれますか……!?」


 叫んだあとで、

(何言ってるの、あたし)

 と顔が熱くなる。


 でも、もう遅い。


 あまねは、ゆっくりと振り向いた。


 近くで見ると、さっきリングの上で見ていたよりもずっと、普通の人間に見えた。

 汗で濡れた前髪。浅く早い呼吸。

 それでも、目だけはまっすぐだった。


 一拍、間があった。


 あまねは、さやかをまっすぐ見たまま、短く息を吐いた。


「……簡単なことは言えないけど」


 低く落ち着いた声だった。


「諦めないで、立ち続ければ──

 “なれない”って決めつける理由は、なくなる」


 言ってから、少しだけ口元を緩める。


「諦めなければ、なれるかどうかは、自分で決められるよ」


 それだけ言うと、あまねは背を向けた。

 花道の先の暗がりに向かって、また歩き出す。


 さやかは、フェンス越しに、その背中を見送った。


 警備員が「本当に危ないからね」と苦笑しながら、そっと肩を押して後ろに下がらせる。

 さやかは「す、すみません」とだけ答えた。


 胸の中で、言葉がぐるぐると回っていた。


 諦めないで、立ち続ければ──

 “なれない”って決めつける理由は、なくなる。


(諦めなければ……)


 あの人は、「必ずなれる」とも、「絶対なれる」とも言わなかった。

 でも──

 “なれない”って決めるのは、あたしじゃない、と言ってくれた。


(だったら)


 さやかは、自分の手を見つめた。

 さっきフェンスを握っていた指先には、うっすらと赤い跡が残っている。


(諦める理由、今は何もない)


 それが、この夜一番の衝撃だった。


 


 ふらふらと階段を上がって、自分たちの席に戻る。


「おかえり星屑。

 ……いや、“おかえり”で合ってるのかこれ?」


 まなが、呆れたような、でもどこか楽しそうな顔で振り返った。


「ご、ごめん……勝手に降りちゃって……」


「係のお兄さんめっちゃ心配そうな顔してたからね。

 でもさ──」


 まなはペットボトルをストローごと口から離し、にやっと笑った。


「運命の人、見つけたみたいだったよ?」


「はぁっ!?」


 さやかの声が、変な裏返り方をした。


「な、なにそれ、ちがっ、今のは、その……!」


「はいはい、言い訳モード入りました〜。

 でもさ、あの距離で“わたし、あなたみたいになれますか”とか、

 完全に告白だからね? プロレスラー相手に告白してる女子高生、初めて見たわ」


「こ、告白じゃないよ……! その、なんか、聞きたくて……!」


「うん、“聞きたくて”あそこまで走ってくんの、だいぶヤバいよ星屑。

 ……でもさ」


 まなは、今度は少しだけ真面目な声になった。


「カッコよかったよ」


「え」


「見ててさ。

 “あ、この子、今なんか決めちゃったなー”って顔してたから。

 あたしさ、ちょっとだけ羨ましかったもん」


 さやかは、言葉に詰まった。


 自分がどんな顔をしていたのかなんて、分からない。

 ただ、胸の奥で何かが決壊したような感覚だけが残っている。


「……運命の人、かぁ」


 まなが肩をすくめた。


「まあ、“推し”とか“憧れ”とか“恋”とか、その辺ぜんぶミックスされたやつだと思うけどね。

 とりあえず今日からあんた、“皇あまねガチ勢予備軍”に認定してあげる」


「予備軍って何……」


 言い返しながらも、

 さやかは、自分の胸に手を当てた。


 運命なんて、大げさな言葉だと思う。

 でも――

 あの人と出会う前と後で、世界の見え方が変わってしまったのは、確かだった。


 


 ***


 


 帰宅して、お風呂に入って、夕飯を食べて。

 いつもの夜のはずなのに、世界がほんの少し違って見えた。


 自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。

 天井を見上げても、頭の中には黒いマントの裾しか浮かばない。


(……どうしよう)


 数学のプリントが机の上で待っている。

 でも、今はとても開く気になれなかった。


 スマホを手に取って、なんとなく検索バーを開く。


『皇あまね PWS』


 指が勝手に動いていた。


 検索結果には、試合結果の記事や、ハイライト動画、インタビューが並んでいる。

 スクロールしているうちに、ひとつのリンクが目に入った。


PWS本部道場 新人オーディションのお知らせ


「……え」


 さやかは思わず声を出した。


 タップすると、公式サイトのページが開く。

 そこには、募集要項が淡々と書かれていた。


対象:16〜22歳の女性

経験不問

健康で、プロレスラーとしての活動を本気で目指せる方 ──


 画面をスクロールしていくうちに、心臓の鼓動が早くなる。


(“本気で目指せる方”……)


 さっきまで、遠くの世界の人だと思っていた。

 あまねも、リングの上の人たちも、自分とは違う場所にいる人たちだと。


 でも、この文字は、

 「君もここに来ていい」と言っているように見えた。


「いやいやいや……無理でしょ」


 思わず、声に出す。


 運動神経も普通以下。

 ケガだって怖い。

 テストだってある。


(それに、あたしなんかが、あの人みたいになれるわけ──)


 そこまで考えて、さやかははっとした。


(あの人みたいになりたいって、今、思った)


 胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。

 怖さと、恥ずかしさと、どうしようもない憧れが、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。


(……どうしよ)


 応募ボタンは、画面の一番下にある。

 “エントリーフォームはこちら”。


 触れるのは簡単だ。

 指を滑らせれば、それで終わる。


 でも、それを押した瞬間に、

 もう“見に行くだけ”ではいられなくなる気がした。


「……」


 しばらく、画面を見つめる。

 指先が、少し汗ばんでいた。


(怖い。

 でも──)


 頭の中に、黒いマントの背中が浮かぶ。

 どれだけ殴られても、蹴られても、立ち上がる姿が焼き付いて離れない。


諦めないで、立ち続ければ──

“なれない”って決めつける理由は、なくなる。


(あの人みたいに、なりたい)


 その一言が、すべてを押し出した。


 星屑さやかは、震える指で、画面のボタンに触れた。


 ぴ、と小さな音がして、エントリーフォームが開く。


 名前。

 年齢。

 身長・体重。

 志望動機。


 一つ一つ、埋めていく。

 途中で何度も「やっぱりやめよう」と思った。

 それでも、バックボタンには触れなかった。


 最後の確認画面が表示される。


『送信しますか?』


 深呼吸をひとつ。

 心臓の鼓動が、耳のすぐ近くで鳴っているように感じた。


「……お願いします」


 誰に向けた言葉か分からないまま、

 さやかは、送信ボタンを押した。


 


 その夜、星海高校二年・星屑さやかは、

 一枚の応募フォームをPWSに送った。


 まさか、自分が本当にあのリングの近くまで歩いていくことになるなんて、

 まだ想像もしていなかった。


 その同じ夜。

 彼女と同じ画面を、別の街で見つめていた三人がいたことも──

 もちろん、まだ知るはずもなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


プロローグでは、「普通の女子高生だったさやかが、皇あまねと出会ってしまう日」を描きました。

あまねの一言と、フェンス越しのあの瞬間が、さやかにとっての“戻れなくなる第一歩”になればいいなと思っています。


次回からは、PWS本部道場の新人オーディションに向けて、

さやかが現実の壁(親・学校・体力)と向き合っていく話を書いていく予定です。


少しでも続きが気になると思っていただけたら、

ブックマークや感想など頂けるととても励みになります。

のんびりペースになるかもしれませんが、どうぞお付き合いいただければ嬉しいです。

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