プロローグ あの日、黒い不死鳥を見た
女子プロレス団体「PWS」を舞台に、普通の女子高生・星屑さやかが、
最強王者・皇あまねに憧れてプロレスラーを目指していくお話です。
プロレスを知らない方でも読めるように書いていくつもりなので、
「ちょっと気になるかも」と思ってくださったら、まずはプロローグだけでも覗いてみてください。
それでは、本編スタートです。
放課後の教室は、夕陽とテスト範囲のプリントで赤く染まっていた。
「はぁ……」
星屑さやかは、机に突っ伏したまま、二枚目のため息をついた。
黒板には「二年一学期期末試験 範囲」の文字。
国語、数学、英語、日本史、化学──びっしりと並んだ単元名は、どれも「やらなきゃ」と「今は見なかったことにしたい」の間をうろうろしている。
窓の外では、運動部の掛け声が聞こえる。
バスケ部のボールの音。グラウンドを走る野球部。
自分にはもう無関係な音だと分かっていても、耳に入ってきてしまう。
(なんか……みんな、ちゃんと「やること」持ってるんだよな)
さやかは自分のプリントを見下ろす。
別に勉強が壊滅的にできないわけじゃない。
かといって、これで推薦が狙えるほど優秀でもない。
部活も、中学まではそこそこ真面目に続けていたけれど、高校に入ってからは「なんとなく」で終わってしまった。
(このまま、テキトーに大学行って、テキトーに就職して……なのかな)
そう思うと、胸の奥が、じわっと重たくなる。
そこへ、バンッとさやかの前の机に何かが置かれた。
「星屑!!」
「うわっ!?」
顔を上げると、そこにはクラスメイトの水野まながいた。
手にはカラフルなチラシが二枚。にやにや笑いながら、それをさやかの目の前に突き出してくる。
「な、なに?」
「今度の日曜、ひま?」
「え、テスト前だよ?」
「テスト前だけど〜? “現実から逃げたい星屑”としては、ちょうどよくない?」
「そんな肩書き付いてたのあたし……」
半分呆れながらも、さやかはチラシを受け取る。
表には、大きなリングの写真と、ド派手なロゴ。
PWS PRO-WRESTLING STARDUST
東都第二アリーナ大会
そして、炎のエフェクトに囲まれた、一人の女性レスラーの姿。
黒いコスチューム。
黒い羽根のようなマント。
そして、こちらを見ない横顔。
チラシの下の方には、小さく名前が印刷されていた。
PWSインターナショナル・ワールド・スターダスト王者
皇あまね
「……プロレス?」
さやかは思わずそう呟いた。
「そ。女子プロ! 今めちゃくちゃ来てるやつ!」
まなが目を輝かせる。
「え、プロレスって……あの、投げ飛ばしたり、殴ったりする……?」
「そうそう。それ。痛そうなやつ」
「いや、怖いじゃん……」
「怖いけど、カッコいいの!!」
まなはさやかの隣の席を引っ張り出して、勝手に座った。
「PWSってさ、最近テレビとか配信とかでちょいちょい見るでしょ?
あたし、Stella☆Glare推しなんだけどさ、この皇あまねって人が“団体の顔”みたいな王者でさ〜」
「へ、へぇ……」
「でね、今度の日曜、そのあまね様がタイトルマッチするの! 東都第二アリーナで!
チケット、友だちが一枚余らせててさ。
あたし一人で行くのもアリだけどさ〜……初・女子プロ観戦の星屑連れてったら、ぜったい面白いなって思って!」
「人を実験台みたいに言わないで」
「だって星屑さ、最近ずっと『なんかモヤモヤする〜』って顔してんじゃん。
ならさ、一回“本気で何かやってる人たち”見てこよ?」
まなが、さらっと言った言葉が、妙に胸に引っかかった。
テスト勉強。進路の話。
「ぼちぼち頑張る」「それなりに真面目」──そんな言葉ばっかり。
本気。
その言葉を、最近自分のものとして使った記憶がない。
「……怖くない?」
「怖いっちゃ怖いよ? バンッてぶつかるし、ドンッて落ちるし。
でもさ、客席の人たち、みんな笑ってるか、泣いてるか、叫んでるかなんだよね。
“何か感じて帰る”ってこういうことなんだな〜って。あたしは初めて行ったとき思った」
まなが笑う。
「星屑もさ、一回くらい、そういうの体験しときなよ。
もし合わなかったら、その時はその時。
でも、ハマったら──テスト勉強前の最後の楽しい思い出にはなるでしょ?」
「テスト前から“最後の思い出”作らせるのやめて」
苦笑しながらも、さやかはチラシをもう一度見つめた。
黒い不死鳥、と書かれたキャッチコピー。
燃え上がる炎を背に、微動だにしない横顔。
(この人は……どんな顔で、戦うんだろう)
胸の奥が、少しだけざわっとする。
「……怖かったら、途中で目つぶってていい?」
「いいよいいよ。その間はあたしがちゃんと見といてあげる」
「……じゃあ、行ってみようかな」
その返事を聞いた瞬間、まなはガタッと立ち上がった。
「よっしゃーーっ! 決まり!
日曜、駅に十七時集合ね! 遅刻したら置いてくから!」
「早っ……!」
クラスメイトたちが振り返る中、
さやかは少しだけ、笑ってしまった。
テスト勉強からの現実逃避。
その程度の軽い気持ちで──
あの日の約束を受けたのだと思っていた。
日曜の夜、自分の世界が一変するなんて、まだ想像もしていなかった。
***
東都第二アリーナは、思っていたよりもずっと人がいた。
「わ、すご……」
駅から人の流れにくっついて歩いていくと、
会場の周りには、PWSのタオルやTシャツを持った人たちがあふれている。
家族連れ。
会社帰りっぽいスーツ姿の人。
キラキラしたペンライトを持った女の子たち。
「女子ばっかりじゃないんだ……」
「でしょ? 老若男女いろいろ〜。
ほら見て、あの子、小学生くらいなのにあまね様Tシャツ着てる。英才教育だわ〜」
まなが楽しそうに周りを指さす。
さやかは、人混みに少し圧倒されながら、その後ろをついていった。
入場ゲートをくぐると、目の前に広がったのは──
「……リングだ」
真ん中に置かれた四角い舞台。
青いマット。張り巡らされたロープ。
天井からはライトがいくつもぶら下がり、客席全体を淡く照らしている。
さっきまで“テレビの向こう側”のイメージだったものが、今は目の前にある。
近くでスタッフがロープの張り具合を確かめている姿を見て、
さやかは、少し喉を鳴らした。
「なんか……思ってたより小さいけど、近くで見ると、怖いね……」
「うん、最初はみんなそう言う。でも試合始まったら多分、“怖い”より“うおおっ”になるから」
まながチケットを見せて、案内されたのは二階スタンド席。
リング全体がよく見えるエリアだ。
席に座ると、周りからはざわざわとした話し声が聞こえた。
「今日あまね、防衛何回目だっけ?」
「相手も強いよなー」
「セミのStella☆Glare楽しみ〜!」
さやかには、知らない名前ばかり。
でも、それを語る人たちの顔は、期待と高揚で少し赤くなっている。
(みんな、ここに“何か”見に来てるんだ)
ふと、そんなことを考えた。
やがて場内が暗くなり、オープニングVTRが流れ始めた。
爆発音のようなSE。画面いっぱいの炎。
リングで技を決めるレスラーたちのカットが矢継ぎ早に流れる。
さやかは最初のうち、その派手さにただ圧倒されていた。
けれど、第一試合、第二試合と進むにつれて、
少しずつ“怖さ”は薄れていった。
チョップの音にびくっと肩を跳ねさせたのも最初だけだった。
落とされて、転がって、立ち上がって──
そのたびに客席が「うおおっ」と沸き、拍手が起きる。
リングの上の人たちは、痛そうなのに、苦しそうなのに、
どこか誇らしそうな顔をしていた。
(こういうの、テレビじゃ伝わらないな……)
汗のきらめき。
ロープが揺れる音。
観客の息を呑む気配。
知らない世界を、少しずつ覗いているような気分だった。
そして──
「さーて、そろそろだよ」
まながさやかの腕をつついた。
場内が、ふっと暗くなる。
スクリーンに、黒い羽根が舞い始めた。
低いベース音。
重いドラム。
画面が切り替わり、黒いコスチュームの女性が、次々と相手を投げ、蹴り、叩き伏せる映像が流れる。
そのたびに、観客席から歓声が上がった。
「PWSインターナショナル・ワールド・スターダスト選手権試合、王者入場です!」
どこからか、実況の声が響く。
「来るよ、あまね」
まなの声が、すぐ隣で聞こえた。
スクリーンに、大きく名前が映し出される。
皇あまね
花道の上に、ひとつスポットライトが落ちた。
そこに、すっと人影が現れる。
高い位置でひとつに結んだ黒髪。
黒と金のコスチューム。
肩から広がるマントの裾が、風に揺れている。
一歩。
また一歩。
階段を降りて、花道を歩くたびに、
会場の空気が、少しずつ張り詰めていく。
誰もが、その人から目を離していないのが分かった。
(……きれい)
思わず、胸の中でそう言葉が浮かんだ。
でも、その瞬間、さやかはすぐにそれを打ち消した。
(違う。きれいって、こんなのじゃ足りない)
ライトが黒髪に反射して、淡く光る。
まっすぐ前だけを見ている横顔からは、迷いが一つも感じられなかった。
誰の声にも、誰の手にも、誰の視線にも揺れない。
リングに上がるまでの数十秒が、まるで一つの長い呼吸のようだった。
「PWSインターナショナル・ワールド・スターダスト王者──
皇あまねーっ!!」
リングアナウンサーの声が響いた瞬間、
場内は一斉に叫び声と拍手で満たされた。
紙テープが飛ぶ。
タオルが振られる。
あまねコールが、あちこちから起こる。
それでも、当の本人は、ただ静かにリングに上がった。
コーナーに駆け登ったりもしない。
派手なポーズも取らない。
代わりに、リングの中央に立ったまま、
ゆっくりと顎を上げて、客席をぐるりと見渡した。
一瞬、その視線が自分の方をかすめたような気がして、
さやかは心臓が跳ね上がるのを感じた。
(見られた、かも……)
もちろん、そんなはずはない。
スタンド席の一人一人を認識できる距離じゃない。
それでも、
「ここにいる全員を見てる」
そう言われたような気がした。
胸の奥で、何かが弾けた。
(──あ)
言葉にならない“好き”が、そこにあった。
試合が始まると、その感情はさらに形を変えていった。
あまねは、相手の攻撃を全部受けるわけではなかった。
避けるときは避ける。
いなすときはいなす。
けれど、受けると決めた瞬間の一発は、
真正面から、まるで自分の胸で引き受けるように受け止めていた。
チョップが鳴るたび、リングがきしむたび、
さやかの体までびくっと揺れた。
(痛い……)
そう思うのに、目が離せない。
倒れても、膝をついても、
あまねは必ずロープを探して、立ち上がる。
苦しそうな表情は、一瞬だけ覗く。
でもすぐに、何もなかったみたいに消える。
(なんで、そこまでして立つんだろう)
さやかには、分からない。
分からないのに、知りたくてたまらない。
フィニッシュの瞬間は、一瞬だった。
相手の腕をすり抜けて、鳳閃が顎を打ち抜く。
そのまま、必殺のホールド。
レフェリーの手が、三回マットを叩いた。
「スリー!!」
ゴング。
歓声。
拍手。
あまねは肩で息をしながら、レフェリーからベルトを受け取った。
その金色を胸に抱きしめるようにして、ほんの僅かに目を閉じる。
(勝った……)
そう思った瞬間、喉の奥がつまって、言葉が出なかった。
嬉しい。
すごい。
かっこいい。
そんな安っぽい言葉では、とても追いつかない。
あまねはベルトを高く掲げる。
客席から、また歓声が上がる。
でも、その顔はどこか、静かだった。
(あの人は、“勝って当たり前の人”なんだ)
唐突に、そんな言葉が浮かぶ。
勝つことがゴールじゃない。
勝ち続けること。
そこに立ち続けること。
その“当たり前”の重さを、さやかは知らない。
知らないのに、その背中を見ているだけで、重さの一端を感じた。
あまねはベルトを肩にかけると、
レフェリーと軽く握手を交わし、ロープをくぐってエプロンに降りた。
花道までの階段を、一段ずつ降りていく。
「はぁぁぁ……ヤバかった……」
まなが、椅子に沈み込みながら息を吐いた。
さやかはまだ、立ち上がれなかった。
膝の上で握りしめた手の中に、爪が食い込んでいる。
(終わっちゃう……)
胸の奥が、変なふうにざわざわする。
もっと見ていたかった。
でも、さっき確かに、「決着」はついた。
あまねは、もう一度だけリングを振り返ってから、花道をゆっくり歩き始めた。
その背中が、遠ざかっていく。
(行っちゃう)
その瞬間、体が勝手に動いた。
「え、星屑!?」
まなの声が背中で遠くなった。
さやかは、ルールもマナーも何も考えずに席を飛び出していた。
階段を駆け下り、係員に「走らないでください!」と注意されるのも、耳に入ってこない。
気がついたときには、一階スタンドのフェンス際にいた。
目の前、数メートル先を、皇あまねが通り過ぎようとしていた。
近い。
さっきまでリングの上にいた人が、同じ床の上を歩いている。
客席に背を向けたまま、黒いマントの裾を揺らして。
「お、お嬢さん、危ないから下がって――」
警備員の手が肩に伸びてきた。
でも、その前に、さやかの喉から声が飛び出した。
「──わ、わたし!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
あまねの足が、ぴたりと止まる。
周りのざわめきが、一瞬だけ薄くなった気がした。
さやかはフェンスをぎゅっと掴んだまま、
震える声で、どうにか言葉を絞り出した。
「わたし、あなたみたいになれますか……!?」
叫んだあとで、
(何言ってるの、あたし)
と顔が熱くなる。
でも、もう遅い。
あまねは、ゆっくりと振り向いた。
近くで見ると、さっきリングの上で見ていたよりもずっと、普通の人間に見えた。
汗で濡れた前髪。浅く早い呼吸。
それでも、目だけはまっすぐだった。
一拍、間があった。
あまねは、さやかをまっすぐ見たまま、短く息を吐いた。
「……簡単なことは言えないけど」
低く落ち着いた声だった。
「諦めないで、立ち続ければ──
“なれない”って決めつける理由は、なくなる」
言ってから、少しだけ口元を緩める。
「諦めなければ、なれるかどうかは、自分で決められるよ」
それだけ言うと、あまねは背を向けた。
花道の先の暗がりに向かって、また歩き出す。
さやかは、フェンス越しに、その背中を見送った。
警備員が「本当に危ないからね」と苦笑しながら、そっと肩を押して後ろに下がらせる。
さやかは「す、すみません」とだけ答えた。
胸の中で、言葉がぐるぐると回っていた。
諦めないで、立ち続ければ──
“なれない”って決めつける理由は、なくなる。
(諦めなければ……)
あの人は、「必ずなれる」とも、「絶対なれる」とも言わなかった。
でも──
“なれない”って決めるのは、あたしじゃない、と言ってくれた。
(だったら)
さやかは、自分の手を見つめた。
さっきフェンスを握っていた指先には、うっすらと赤い跡が残っている。
(諦める理由、今は何もない)
それが、この夜一番の衝撃だった。
ふらふらと階段を上がって、自分たちの席に戻る。
「おかえり星屑。
……いや、“おかえり”で合ってるのかこれ?」
まなが、呆れたような、でもどこか楽しそうな顔で振り返った。
「ご、ごめん……勝手に降りちゃって……」
「係のお兄さんめっちゃ心配そうな顔してたからね。
でもさ──」
まなはペットボトルをストローごと口から離し、にやっと笑った。
「運命の人、見つけたみたいだったよ?」
「はぁっ!?」
さやかの声が、変な裏返り方をした。
「な、なにそれ、ちがっ、今のは、その……!」
「はいはい、言い訳モード入りました〜。
でもさ、あの距離で“わたし、あなたみたいになれますか”とか、
完全に告白だからね? プロレスラー相手に告白してる女子高生、初めて見たわ」
「こ、告白じゃないよ……! その、なんか、聞きたくて……!」
「うん、“聞きたくて”あそこまで走ってくんの、だいぶヤバいよ星屑。
……でもさ」
まなは、今度は少しだけ真面目な声になった。
「カッコよかったよ」
「え」
「見ててさ。
“あ、この子、今なんか決めちゃったなー”って顔してたから。
あたしさ、ちょっとだけ羨ましかったもん」
さやかは、言葉に詰まった。
自分がどんな顔をしていたのかなんて、分からない。
ただ、胸の奥で何かが決壊したような感覚だけが残っている。
「……運命の人、かぁ」
まなが肩をすくめた。
「まあ、“推し”とか“憧れ”とか“恋”とか、その辺ぜんぶミックスされたやつだと思うけどね。
とりあえず今日からあんた、“皇あまねガチ勢予備軍”に認定してあげる」
「予備軍って何……」
言い返しながらも、
さやかは、自分の胸に手を当てた。
運命なんて、大げさな言葉だと思う。
でも――
あの人と出会う前と後で、世界の見え方が変わってしまったのは、確かだった。
***
帰宅して、お風呂に入って、夕飯を食べて。
いつもの夜のはずなのに、世界がほんの少し違って見えた。
自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。
天井を見上げても、頭の中には黒いマントの裾しか浮かばない。
(……どうしよう)
数学のプリントが机の上で待っている。
でも、今はとても開く気になれなかった。
スマホを手に取って、なんとなく検索バーを開く。
『皇あまね PWS』
指が勝手に動いていた。
検索結果には、試合結果の記事や、ハイライト動画、インタビューが並んでいる。
スクロールしているうちに、ひとつのリンクが目に入った。
PWS本部道場 新人オーディションのお知らせ
「……え」
さやかは思わず声を出した。
タップすると、公式サイトのページが開く。
そこには、募集要項が淡々と書かれていた。
対象:16〜22歳の女性
経験不問
健康で、プロレスラーとしての活動を本気で目指せる方 ──
画面をスクロールしていくうちに、心臓の鼓動が早くなる。
(“本気で目指せる方”……)
さっきまで、遠くの世界の人だと思っていた。
あまねも、リングの上の人たちも、自分とは違う場所にいる人たちだと。
でも、この文字は、
「君もここに来ていい」と言っているように見えた。
「いやいやいや……無理でしょ」
思わず、声に出す。
運動神経も普通以下。
ケガだって怖い。
テストだってある。
(それに、あたしなんかが、あの人みたいになれるわけ──)
そこまで考えて、さやかははっとした。
(あの人みたいになりたいって、今、思った)
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。
怖さと、恥ずかしさと、どうしようもない憧れが、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。
(……どうしよ)
応募ボタンは、画面の一番下にある。
“エントリーフォームはこちら”。
触れるのは簡単だ。
指を滑らせれば、それで終わる。
でも、それを押した瞬間に、
もう“見に行くだけ”ではいられなくなる気がした。
「……」
しばらく、画面を見つめる。
指先が、少し汗ばんでいた。
(怖い。
でも──)
頭の中に、黒いマントの背中が浮かぶ。
どれだけ殴られても、蹴られても、立ち上がる姿が焼き付いて離れない。
諦めないで、立ち続ければ──
“なれない”って決めつける理由は、なくなる。
(あの人みたいに、なりたい)
その一言が、すべてを押し出した。
星屑さやかは、震える指で、画面のボタンに触れた。
ぴ、と小さな音がして、エントリーフォームが開く。
名前。
年齢。
身長・体重。
志望動機。
一つ一つ、埋めていく。
途中で何度も「やっぱりやめよう」と思った。
それでも、バックボタンには触れなかった。
最後の確認画面が表示される。
『送信しますか?』
深呼吸をひとつ。
心臓の鼓動が、耳のすぐ近くで鳴っているように感じた。
「……お願いします」
誰に向けた言葉か分からないまま、
さやかは、送信ボタンを押した。
その夜、星海高校二年・星屑さやかは、
一枚の応募フォームをPWSに送った。
まさか、自分が本当にあのリングの近くまで歩いていくことになるなんて、
まだ想像もしていなかった。
その同じ夜。
彼女と同じ画面を、別の街で見つめていた三人がいたことも──
もちろん、まだ知るはずもなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
プロローグでは、「普通の女子高生だったさやかが、皇あまねと出会ってしまう日」を描きました。
あまねの一言と、フェンス越しのあの瞬間が、さやかにとっての“戻れなくなる第一歩”になればいいなと思っています。
次回からは、PWS本部道場の新人オーディションに向けて、
さやかが現実の壁(親・学校・体力)と向き合っていく話を書いていく予定です。
少しでも続きが気になると思っていただけたら、
ブックマークや感想など頂けるととても励みになります。
のんびりペースになるかもしれませんが、どうぞお付き合いいただければ嬉しいです。




