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第七話 空虚な少女

対天使人類防衛軍の支部には必ず隊員寮が付属している。いつ現れるか分からない天使にいち早く対応するために、執行官含め防衛軍の隊員は基本的にここに住む。

そして、それはロズリカ合併国・第六区支部も例外ではない。

隊員尞に用意された一室、その部屋主であるスティアは浴室でシャワーを浴びていた。


適当に髪をシャンプーで洗う。部屋に戻る前にアンジュに『せっかく綺麗な髪なんだから、ちゃんと綺麗にしないとダメよ』と言われたが、美容についての知識が無いスティアには特別な事は出来ない。湯船も張るのが面倒だったので用意していない。

汚れが落ちたならそれで十分。温水で髪に付いたシャンプーを流すと、シャワーのレバーを下げる。


「……はぁ」


ため息を吐く。隊員尞に戻って何度目になるだろうか。

初めて天使という脅威を間近で見た。たったそれだけでも、心身はかなり疲弊していた。

天使が突然背後に現れ、自分を殺そうとした瞬間、スティアは確かに死を直感した。その事が意識を埋め尽くしている。

ローグとアンジュのおかげで何とか助かったが、それが無ければ恐らく今頃──。


「……もういいや」


椅子から立ち上がり、浴室を出る。バスタオルで体を拭いて着替えたスティアは髪も乾かさずにリビングに出た。

隊員寮の各部屋のレイアウトは1LDK。部屋の壁際に置かれたベッドに腰掛けた。入居時から備え付けられていたものだ。

髪が濡れている事も忘れて、スティアは横になった。


「……眠い」


シャワーを浴びて上昇した体温とベッドの温かさが、疲弊した体に睡魔を誘う。

その睡魔に逆らう事なくスティアは目を閉じて────そして。


それからどれだけの時間が経過しただろうか。

次にスティアが目を覚ましたのは、ある声を聞いた時だった。


「起きろスティア。寝るなら髪くらいは乾かせ」


「…………ん」


ゆっくりと目を開く。次第に鮮明になっていく視界に映ったのはレンの姿だった。

彼もシャワーを浴びた後なのだろう。天使との戦闘で汚れた服から、新しい服に着替えていた。


「レン……?なんでいるの?ドア閉めてなかったっけ?」


「鍵は開いてた。勝手に入った事は謝る。だが疲れてるにしても、その辺りはちゃんと用心しろ」


「はーい」


朧げに返事をしながらスティアは体を起こす。


「それで本題だが、お前に伝えたい事があって来たんだ。この後、時間あるか?」


「あるよ。する事ないし」


「なら皆で飯食いに行かないか?」


「飯?なんで?」


「お前の歓迎会がてら執行官で食事に行こうって事になっていてな。他の奴らは既にレストランに行ってる。お前も行けば、他の執行官と知り合える良い機会になるだろう。どうする?行くか?」


「行く」


即答だった。


「早いな……やっぱり飯の事になると急に元気になるな」


「今日は色々と疲れたから、美味しい物食べて気晴らししたい」


「そうか。なら外で待ってる。皆には連絡しておくから、準備が済んだら来てくれ」


「ん、分かった」


レンは先に廊下に出ると、端末(デバイス)で仲間と連絡を取る。

スティアもゆっくりとベッドから出た。寝起きで少しおぼつかない動きのまま洗面所で顔を洗い、身支度を済ませ、廊下にいるレンと合流する。


「レン、お待たせ。ここからどこに行けばいいの?」


「レストランまでは車を使う。だからまずは駐車場だ」


「そっか。じゃあ早く行こう」


スティアが先行して歩き出した。食事のことになると急に元気になる。本当に奇妙な少女だ。

もちろん元気がないままでいられるよりは良いが、とりあえず。


「……スティア、そっちは駐車場とは逆方向だ」


「え、ホント?」



***



時刻は午後七時。暗がりを帯びてきた街の道路を走行する。

レンは運転席で運転中。スティアは隣の助手席に座っていた。


「凄い、もうこんなに人がいる。夕方まで天使がいたのに」


道路には彼ら以外にも移動する者いた。天使が現れる前と比べれば人通りは少ないが、一部の人々は既にいつも通りの生活に戻っている。


「皆慣れてるんだ、天使がいる生活に。だから天使がいなくなったら、すぐに普通の生活に戻れる」


「そんなに何度も天使って出てくるの?」


「少なくとも二、三週間に一回は出る。多い時は一週間に一回かそれ以上。滅多に無いが、酷い時は数日連続なんて事もある。起こるとすれば大抵〈天使災害(エンジェルワース)〉の時だが」


「それって天使が出るたびに街を壊されるんだよね?修理追いつくの?」


「そうだな……俺もあまり意識したことはないが、三週間以内には街の損傷は直ってる気がする。それに天使の出現位置は基本的にはランダムだから、毎回同じ場所を攻撃されるわけじゃ無い。だから街の修復は間に合ってると思うぞ。今の人類の科学力にかかれば、たとえビルが倒壊しても二週間後には綺麗に元通りだ」


「そっか。皆頑張って生きてるんだね」


それから暫く会話は無かった。車の走行音が響く車内から、窓の外を静かに眺める。

多少は人気(ひとけ)は減ったが、街は未だに活気を保っている。

天使という怪物が現れるような狂った世界でも、人々は普通に生活しているのだ。


(怖く……ないのかな)


少なくとも自分は天使を恐怖している。今後、執行官としてあの怪物と戦うなど、とても考えられない。

彼らはどうなのだろう。怖くないのか。それとも怯えを堪えながら生きているのか。


「…………ねぇレン」


「なんだ?」


「レンはさ、天使、怖くないの?」


「天使が……か」


数秒の沈黙を挟んでレンは答える。


「……全く怖くない、と言えば嘘になる。だが昔ほどの恐怖は無いな」


「ってことは、昔は怖かったの?」


「まぁな。最初は天使と正面から向かい合うだけでも怖かったさ。戦うこと、そして死ぬことへの恐怖。それで思考が固まって、思うように体が動かなくて、何度も失敗してきた。それこそ仲間の足手纏いになってしまった事もある」


「レンにもそういう時期があったんだ。第六区の最強(エース)なのに」


「エース?誰にそんな事を言われた」


「ルーヴェスから。レンに会う前に、レンってどんな人なの?って聞いたの。そしたらそう言ってた」


「はぁ……支部長め」


妙な事を吹き込んだな、と恨めしげな態度で息を吐く。


「俺はそんな大それた存在じゃない。俺の〈魔装(エグゼクター)〉の固有機能の都合上、強大な天使と戦う事が多いからな。自然とそういう評価が付いてしまっただけだ。俺にはローグほどの破壊力は無いし、アンジュのような遠距離攻撃もできない。俺にあるのは速さと手数だけだ」


「でも強い天使と戦えるのはレンが強いからじゃないの?確か……ぶらっどまりー?だっけ。それもレンが解決したんでしょ?」


「ああ、半年前の〈天使災害(エンジェルワース)〉か。確かに統率者を倒したのは俺だが、あれもギリギリだった。骨折、内臓損傷、出血多量、〈魔装(エグゼクター)〉の過剰使用による後遺症やらと……あの後一週間は治療のために医務室の厄介になってたな」


「一週間で治るんだ、それ」


「防衛軍の医療設備は最新技術を詰め込んでるからな。どんな大怪我を負ったとしても、二週間以内には戦線復帰できる。リハビリは必要だがな」


執行官は人類防衛の要だ。少しでも早く戦線に復帰できるよう、防衛軍には現代の医療技術に加えて防衛軍独自の技術を組み込んだ最新最高の医療設備が備えてある。


「……それで、お前が聞きたいのは、天使への恐怖を克服する方法か?」


「うん。よく分かったね」


「今日の一件があったからな。それに今のお前の様子を見ればあからさまだ」


「……だって怖かったし」


「恥じる事じゃない。執行官なら誰もが通る道だ。最初から臆する事なく天使と戦える奴なんていない」


「じゃあどうやって乗り越えるの?やっぱり慣れ?」


「それもある。だが最も大切なのは『覚悟』だと俺は思う」


「覚悟?」


「恐怖を前にしても尚、戦いに身を投じる覚悟。要は恐怖を上回る感情を持てばいいという話だ。誰かを守りたいという願いでも、天使への憎悪でもいい。真の意味で天使や戦いへの恐怖を克服するのは不可能に近いからな。恐怖を克服するより、それ以上の支えとなるものを見つける方が簡単だ。少なくとも俺はそうしてきた」


「ふーん、思いかぁ……」


言われて考えてみた。どんな思いでも願いでも構わない。自分にとって、恐怖を超えるような何かはあるだろうか。

命を懸けて戦うだけの勇気を与えてくれるものとは一体何か。


(………………ダメだ。思いつかない)


命を懸けてでも守りたいと思えるほど大切な存在はいない。そこまで他人と深く関わった事など無いからだ。

そして天使に対する悪意と呼べる感情もスティアには無い。天使が人類にとって脅威的な存在であることは分かる。だがスティアは実際に天使に何か大切なものを奪われた事は無い。

あるとすれば、天使に殺されかけた事による天使への恐怖だけだ。


「レン、私って薄情なのかな」


気づけばそんな言葉を口にしていた。ここまで自分について考えた事が無かったから気づかなかった。

自分は、こんなにも空虚な存在だったのだと。


「どうしてそう思う」


「ちょっと考えてみたけど、天使への恐怖を超えるものは思いつかなかった。私にはそんなに大事な物は無いみたい」


「なるほど、そういう事か」


意外とすんなりとレンは納得した。スティアの反応も予想できていたのだろう。


「スティア、それは薄情じゃない。当たり前のことだ」


「当たり前……なの?」


「ああ。強い思いというのは、すぐに生まれるものじゃない。時間や経験を蓄積した末に生まれるものだ。渡されたばかりの知らない物に思い入れを持て、と言われても誰にもできないだろう?それと同じだ」


「そういうものなの?」


「そういうものだ。それが死の恐怖に対抗できる程のものであれば尚更な……っと、着いたな」


車のハンドルを切り、右折する。その先にはあるレストランがあった。

レストラン前にある駐車場に車を停めると、二人は車の外に出た。


「おお、ここがレストラン……なんか高級そう」


「外観はそう見える。だがここの料理は意外と安いんだ、それでいて味も良い」


「つまり最高って事だね」


先程までの真面目な雰囲気はどこへやら。スティアは軽快な足取りでレストランへと歩を進める。

だがレンは付いて行かなかった。コートの懐に入れられた端末(デバイス)から着信音がしたからだ。


「これは……支部長からか」


電話の相手はルーヴェスだ。支部長からの電話となれば無視は出来ない。


「スティア、先行っててくれ。俺は電話を済ませたら行く」


「分かったー」


レンの言葉を聞き届け、スティアは店内へと入って行った。

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