第五話 第六区最強の執行官
現場に着くのにほとんど時間は掛からなかった。
防衛軍の司令部からの指令を受けて来た場所、そこは第六区・四番街にある大通り。レンとスティアが今日一度通った場所でもあった。
だからこそ、この凄惨な光景がより強く意識に訴えてくる。天使の凶暴性を。
「なに……これ」
スティアはまだ目の前の光景を飲み込めていない。
吹き飛ばされた車やガードレール。あちこちがヒビ割れ、陥没して荒れた道路。破壊されて火の手を上げる道端に並ぶ建物。
そして何より衝撃的だったのは、そこに立ち並ぶ二十体余りの人型の怪物たち。
赤い肉体の上に骨のような外装を纏い、頭から鹿のような角を生やした、三メートル以上の長身を持つ天使。一対の白い翼を背中に生やし、頭上に光輪を浮かべている。
さらに全員が大鎌や大剣などの異なる武器を持っていた。
「…………」
怪物を前にして、スティアは言葉が出なくなった。生まれて初めて感じる強い恐怖。今すぐにでも逃げろと本能が訴えてくる。
だがそれでも彼女の足は動かない。彼女の視線はある一点へと固定されていた。
「……血」
路上には赤黒い液体が飛び散っていた。その正体が何かを考えた瞬間、スティアは吐き気がした。
『死』という概念に触れた事の無い少女には、この光景は重すぎた。
「スティア、大丈夫か?」
「ごめん。ちょっと……無理」
「なら一旦下がれ。安全そうな所に隠れてろ」
「うん、そうする……」
下がるスティアに代わって、レンは前に出る。目の前の脅威から目を離さずに、道中で耳に取り付けたイヤホン型の通信機に手を当てる。
「司令部、状況は」
「今回出現した天使のほとんどが三〜四メートルほどの個体。シドウ執行官の付近にいる人型の他にも獣型の天使がいますが、それらは別方向へ向かいました。そちらには他の執行官を対処に向かわせています」
「なるほど。〈天門〉は」
「閉まりました。今回は増殖種はいないので、これ以上天使が増えることは無いと思われます」
その時、天使たちが一斉にレンを見た。そしてすぐに武器を構える。
彼らにとってはレンも殺戮対象の一人。目の前にいるなら殺すより他は無い。
「さぁ、仕事開始と行こう」
異形の怪物を前にしてなお、この男は臆さない。前に出て、空に手を掲げる。
そして───
「〈召喚・時界司者〉」
その一言を紡いだ直後、彼の頭上の空間に穴が空いた。
それは別空間とこの空間を繋ぐ接続点。空間の穴からは一本の剣が降下してきた。剣の柄を掴むと、レンは戦闘態勢を取る。
刃渡り一メートル程の片刃の剣。白銀と青を基調とした外見は、とても殺し合いの道具とは思えないほどに美しい。
──魔装・神経接続完了・現在出力40%
その機械音声は〈魔装〉から。剣の柄を握り込み、腰を屈め───レンは遂に地を蹴った。
動いた軌跡に残像を残すほどの圧倒的な速度をもって、一番手前の天使に接近する。
『繧ェ繧ゥ繧ゥ繧ゥ繧ゥ繧ゥ繝!!』
レンの接近に気づいた天使が攻撃に出た。手にした大鎌を振りかぶり、目の前に来たレンに勢いよく薙ぎ払う。当たれば人間の脆弱な体など容易く両断できるだろう。
だが大鎌が裂いたのはレンの残像だった。レンは跳躍することで薙ぎ払いを避け、空中で回転。剣を天使の首へ振るった。
剣は天使の外装を砕き、肉を裂き、そのまま喉元を掻き切る。切られた天使はよろめきながら、数歩後ろへ後退した。
その隙を逃さず、レンは素早い連撃を繰り出す。瞬く間に解体された天使は地面に崩れ落ちて絶命した。
(耐久度も生命力もそれなりだが、俊敏性はそこまでか。次だ)
再び発進。次なる天使を殺すべく動き出す。
しかし今度は天使の反応も早かった。狙われていると気づいた天使は、彼が間合いに入るよりも早く鉄槌を振り上げる。それをレンが間合いに入った瞬間に振り下ろした。
一度仲間が殺された事から学習したのだろう。異形の外見に反して高い知性を有しているようだが、それも圧倒的な技術と経験の前では取るに足らない。
鉄槌はまたもや残像をなぞる。身を捻って攻撃を回避したレンが狙ったのは天使の腕。腕を切り落とすと、すかさず姿勢を下げて天使の脚を切断する。
脚を失ったことで天使が倒れかける。天使の頭部の位置が下がった瞬間に首を刎ね飛ばし、最後に地に倒れた天使の胸部に剣を突き立てた。
天使の絶命を確認すると、剣を引き抜いた──瞬間、レンの姿を大きな影が覆う。
彼の後ろに天使が回り込んでいた。振り上げた剣をレンの頭に振り下ろすが、彼の不意を突くには不十分だった。
レンは振り向きざまに切り上げ、天使の一撃を弾き返す。その衝撃で天使がよろめいた隙に、レンは地を蹴り急加速。
超高速で天使の横腹を切り裂いて背後へ移動すると、すぐに天使へ方向転換。同様に高速移動と斬撃を繰り返し、天使の全方位から切り刻む。
彼が立ち止まった時には、天使はバラバラの肉塊と成り果てていた。
「……ふぅ」
一度息をすると、彼は再び駆け出した。
***
その光景を物陰から見守っていたスティアは呆気に取られていた。それほど目の前の光景に驚愕したのだ。
この場にいる三メートルを超える凶暴な天使たちがたった一人の人間に一方的に殺されている。どの天使もレンに触れることすら出来ていない。圧倒的な速度に打ち負かされ、数秒ごとに一体、また一体と天使が死んでいく。
(ああ、そういう事だったんだ)
ふと思い出したのは昨日、ルーヴェスとした会話。レンに会う前にスティアはこんな話をしていた。
『ねぇルーヴェス、これから私が一緒に働くシドウ・レンってどんな人?』
『アイツか?優秀な執行官だぞ。なかなかに頼り甲斐もある』
『すごく評価してるんだね。そんなに強いの?』
『ああ。第六区支部の執行官は皆優秀だが、その中でもレンは第六区の最強と呼ぶに相応しい執行官だ。多くの戦場を戦い抜き、多くの強敵を打破してきた。有名な戦果で言えば半年ほど前、第七区で起こった〈天使災害〉。記録上では『血華の天儀』と呼称されている一件だ。あの一件で民間人は二百三十八人、執行官は二十一人が死亡した』
『全部で二百人以上も……酷い事件だったんだね』
『ああ。だが過去の〈天使災害〉の被害と比較すればかなりマシな方だ。〈天使災害〉は天使の災害。パターンは様々あるが、街や国が滅ぶことなんてザラだ。そもそも解決できずに諦めて生存圏を放棄することもある。死亡者が三百人を超えていないのは奇跡中の奇跡だ。複雑かつ巧妙な侵略手口、千を超える手駒格の天使、そしてそれらを統率する強大な天使。下手をすれば第七区が滅びかねない程の事態だったが、その統率者格の天使をレンはたった一人で撃破した。あのレベルの天使を単独撃破できる執行官は稀だ。お前もレンと共に戦えば学ぶ事は多くあるだろう』
口頭で聞かされてもイマイチ理解できなかったが、今ならルーヴェスの言っていた事が理解できる。
目にも止まらぬ程の速度、多くの訓練と経験の果てに体得した卓越した戦闘技巧、そこから繰り出される力強く洗練された剣撃。
高速で駆け回る圧倒的な暴力を目にして、スティアは思う。
「これ……私必要ある?」
***
片っ端から天使に接近しては攻撃を仕掛ける。高速で天使を素早く倒すことで、同時に相手する天使をなるべく少数に絞っていた。
レンには一撃で広範囲を攻撃できるような能力は無いが、その代わり圧倒的な速度がある。それが彼の〈魔装〉──〈時界司者〉が宿す固有機能。
執行官は皆それぞれ異なる〈魔装〉を持ち、〈魔装〉ごとに固有機能を宿している。レンの〈時界司者〉であれば、『時間の流れを操作する』事ができる。彼の高速戦闘はこれによって実現されているのだ。
圧倒的な速度を活かしたレンの戦法は少数の強敵──戦場の中核を成す天使を討つ事にとりわけ向いている。故に彼は過去に多くの強敵を打破してきた。
「ッ!」
残り三体。その内の一体の天使が振り下ろした大剣を剣で逸らす。振り下ろしの反動で天使が硬直している隙に天使の右腕を切り落とし、腹部を串刺しにする。
さらに剣を横へ引き抜こうとした瞬間、天使が動いた。残った左腕でレンの手を掴み、レンの動きを止めんとしている。
「これは……」
驚愕するのも束の間、二体の天使がレンの隙を狙って別方向から攻めてきた。
方や大鎌、方や鉄槌。今すぐ拘束から抜けなければ彼らの武器によってレンは殺される。だが天使の左手がレンの腕を握る力は凄まじい。
振り解くどころの話ではない。このままでは腕を握り潰されそうだ。
(やってくれるな……!)
迫ってくる天使との距離は約二メートル。彼らは既に武器を構えている。彼らの武器がレンに当たるまでの残り時間は精々三秒と言ったところか。
まさに絶体絶命と言える状況下で、しかしこの男の精神は未だ平静を保っていた。
── 魔装・出力上昇・現在出力60%
無機質な機械音声が聞こえた瞬間、驚くべきことが起こった。
気づけばレンの姿は拘束していた天使の背後にあった。対する天使は左腕が切り飛ばされ、横腹が深く切り裂かれていた。
「ぶっ飛べッ!」
天使の背中を思いっきり蹴ると、天使の巨体は容易く吹き飛んだ。
その先にいるのは、まさに今武器を振り下ろしている天使たち。蹴り飛ばされた天使はちょうど天使の攻撃に巻き込まれ、体を潰され絶命。さらに二体の天使は蹴り飛ばされた天使に直撃し、体勢を崩した──かと思えば、直後に天使たちの体は腰から真っ二つに両断された。
圧倒的な高速移動に合わせた剣撃。レンは地に落ちた天使の上半身に近づくと、上半身を連続で突き刺した。
「……これで、流石に死んだか」
剣を引き抜くと、一度刃に付いた血を振り払う。ついでに〈魔装〉の出力を50%まで落とした。無駄な消耗を避けるためだ。
ひとまずこの路地にいた天使は全て片付いた。一度深く息をすると、耳元のイヤホン型通信機に手を当てる。
「こちらシドウ・レン。付近の天使の掃討は完了した。次は──」
「シドウ執行官!」
指示を仰ごうとした瞬間、先に司令部のオペレーターの声が聞こえてきた。
「現在シドウ執行官の元に獣型の天使が接近しています。他箇所で執行官が対処していた獣型が逃亡してきたようです。なのでそちらで対処を──」
『繧ャ繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繝!!!』
道端に並ぶ建物の屋上からナニカが落ちてきた。すぐさま後ろへ飛び退き、その奇襲を回避する。
轟音と共に着地するナニカ。見ればそこには、一体の天使がいた。それも先程までの天使とは外見が全く違う。
背中から生えた一対の翼と頭上の光輪は同じ。しかし体格は四足歩行の獣だ。トカゲのような姿勢を取っている体長四メートルほどの怪物。
『繧ャ繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繝!!!』
咆哮と共に天使はレンに突撃してきた。その場で前へ跳躍し、レンに接近。右前足に生えた鋭い爪で彼を切り裂こうとする。
レンは再び後退することで回避した。道端の建物まで飛び下がると壁に足を付ける。天使もレンを追って壁まで突っ込んできた。
さらに壁を蹴って上方向へ移動することでこれも回避。天使は勢い余って首まで建物に突っ込んでしまった。
隙だらけだ。落下してきたレンはそのまま天使へ突撃。天使が動くよりも早く、天使の首を剣で切り落とした。
レンが着地したと同時に、首を無くした天使の体も降ってきた。人間にとっては即死だが、天使にとってはそうでは無いこともある。現にこの天使の四つ足はまだ少し動いている。
絶命するまで一瞬も驕ることなく、確実にトドメを刺す。それが執行官の戦いの基本。
トドメを刺すべく、レンが剣を逆手持ちに切り替えた瞬間だ。今度は上から光線が降ってきた。直感で横へ飛んでなければ巻き込まれていただろう。
「まだ残っていたのか」
建物の屋上からさらに獣型の天使が降ってくる。数は二体。
轟音と共に天使たちは着地する。その拍子に横たわる天使を踏み潰したが、彼らは気にも止めずに突撃してきた。
見た目に違わぬ俊敏性をもって接近してくる。しかし所詮は獣の突撃。天使の動きはレンには手に取るように理解できた。
前方からの突撃を少し横へ逸れることで回避。続けて前へ踏み込み、天使の右前足を切り落とす。
姿勢を崩した瞬間に追撃を放とうとするレン。しかしそれより先にもう一体が背後から仕掛けてきた。
開いた天使の大口から飛来してきたのは光線だ。レンは跳躍することで回避するが、その後ろにいた天使は右前足を失ったために避けきれない。
巻き添いを喰らった天使は前半身が消し飛んだ。もし自分が喰らっていたら同じ目に遭っていたに違いない。
「同志討ちもお構いなしだな。相変わらず」
着地すると再び前進して天使に近づく。天使は接近するレンへ光弾を放つことで迎撃しようとしていた。
だが、そのどれもが当たらない。切り裂き、飛び越え、転がり、巧みに光弾を捌きながら、レンは天使に接近。
目の前まで近づいた所で跳躍し、上から頭部に剣を振り下ろす。天使の頭を真っ二つに切り裂いた。
さらに高速移動と方向転換を交えた連撃を天使へ繰り出す。バラバラにされた天使は絶命した。
「これで今度こそ終わりか……」
改めて周囲を見回すが、生きている天使の姿は無い。今度こそ掃討できたと見ていいだろう。
「こちらシドウ・レン。逃げてきた獣型の対処は片付いた。他区域の状況は」
「他区域で対処に当たっていた執行官からも掃討が完了したとの報告が上がりました。任務は終了です。お疲れ様でした、シドウ執行官」
通信を切ると一息吐く。すると一人の少女が建物の影から出て来たのが見えた。間違いなくスティアだ。
「レ───ン。大丈夫──?そっち行っていい──?」
遠くから声を上げるスティア。レンが返答代わりに手を振ってハンドサインを送ると、スティアはトコトコと近づいてきた。
一見負傷している様子はない。戦いの巻き添いを受けていないかと少し心配していたが、大丈夫だったらしい。
(これからはあの子に戦いを教えないといけないのか……)
今日一日行動を共にしたが、正直今でも疑問に思う。本当にこの少女が戦えるのか。
一見ごく普通にしか思えないこのスティア・ヴェンデースという少女に一体どのような力が秘められているのか。
「……まぁ、それはまた今度で良いか」
彼女の力の詳細は訓練の時にでも調べればいい。レンもスティアへと歩みかけ──
「──シドウ執行官!」
突如、緊迫した声が通信機から聞こえてきた。
「先程の報告についてですが、まだ天使が一体残っている事が判明しました!」
「なんだって……!?」
「方向は北東、獣型の天使が屋上伝いに接近して──」
『繧ャ繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繝!!!』
言い切るよりも先に天使の咆哮が響き渡った。レンが声の方向を見上げた瞬間、天使が屋上から道路へと落ちてきていた。
さらにその先には───
「そんな……!?」
スティアがいる。天使の落下地点のすぐ側に。
最悪、このまま踏み殺されるか。それが避けられてもスティアは天使の射程圏内に入ってしまう。この距離なら五秒もあれば天使はスティアを十分殺せる。
「逃げろスティアッ!!」
必死に呼びかけたが遅かった。
背後に異質な気配を感じてスティアは振り返る。その瞬間には天使は既に構えていた。
「…………え?」
突如現れた脅威を前にスティアは呆然とすることしか出来なかった。このままでは彼女は死ぬ。
「〈発動・劣刻低延域───」
スティアとの距離は六十メートルほど。間に合うか否かを考える暇はなかった。
とにかく走れ。一気に〈魔装〉の出力を解放して間に合わせるしか──
『繧ャ繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繧。繝!!!』
──瞬間、天使は爪を振り下ろした。




