第一話 突然の新人
それは今から五十年前のこと。この世界に突如として超常の怪物が現れるようになった。
彼らの外見の特徴は一致していた。背中に翼を生やし、体表に光輪を浮かべていた。
まさに天使のような外見だった。だがそれとは反対に、彼らの習性は凶暴そのものだった。
彼らは人智を超えたバケモノだった。現代兵器すら凌駕する超常の力を操り、さらにはあらゆる生命体に対して無差別に攻撃する習性を持っていた。
その外見や凶暴性、超常の力を持つことから、後に彼らは『天使』と呼ばれ、恐れられるようになった。
天使は不規則に各地に現れては虐殺を繰り返す。人類も応戦したが、彼らの超常の力には太刀打ち出来なかった。一方的に虐殺され続けた結果、今では世界人口も十億人ほどまで落ちてしまった。
このままでは人類が滅びるのは言うまでもない。故に人類は厄災たる天使に対抗するべく、新たな手段と組織を作り上げた。
その組織の名は『対天使人類防衛軍』、略して防衛軍。天使と戦う人間──『執行官』をメインに構成された、今の人類を支える最大最後の希望である。
防衛軍の基地は各国の各地に点在している。その内の一つがこのロズリカ合併国・第六区に設立された第六区支部だ。
***
午前八時頃。ロズリカ合併国・第六区の中枢に建立する一際大きな建物──対天使人類防衛軍・ロズリカ合併国・第六区支部、その最上階にて。
支部長室に続く廊下を、一人の黒髪の青年が歩いていた。
白シャツの上に羽織った黒のコート、黒の長ズボン。これが彼の標準服だ。
彼の名はシドウ・レン、旧名では士道蓮。この第六区支部に所属する執行官だ。
支部長室の自動ドアの手前まで近づくと、扉の上側に取り付けられたカメラが彼の姿を認知した。
カメラから入る情報をもとに、防衛軍のデータベースに登録された人物、シドウ・レンとの照合を取る。その工程に要した時間は僅か一瞬。
レンを認めた防衛軍のセキュリティシステムは、扉を開く。レンは室内に踏み入った。
踏み入った室内、支部長室の奥に置かれた大きな事務机の上には、パソコンや資料などに加えて、コーヒーポットまで置かれている。壁際には棚が並べられており、そこにも大量の資料が収納されている。
いつも通りの支部長室の光景だが、一つ欠けているものがあった。
「……支部長?」
室内には誰もいなかった。いつもこの部屋にいるはずの人物がいない。
ここに来たのは彼女に呼ばれたからなのだが、別の用事で部屋を空けているのだろうか。
そんなことを思いながら待ち続けること一分ほど、再び支部長室の扉が開いた。
「待たせたな、レン」
現れたのは一人の女。赤髪のポニーテールを肩の辺りで揃えている。
彼女の名はルーヴェス・アインドルト。この第六区支部をまとめる支部長だ。現場に出ることは少ないが、レンと同じ執行官でもある。
「大して待ってないので構いませんよ。それで、今日はどういう要件で?」
「早速だが、お前に紹介したい奴がいるんだ」
「紹介したい奴?」
もしかしてこの第六区支部に誰かが新しく入ってくるのだろうか。考えるレンを他所に、ルーヴェスは扉の向こうに「入っていいぞ」声をかける。
直後、扉が開いた。そこから現れたのは一人の少女。
見た目は十七歳ほどだろうか。目も髪も銀一色。髪は三つ編みにして束ねている。
袖先にフリルが付いた白のブラウスに、黒のショートスカート。表情は無表情に染まっていた。
純真無垢、それがレンが抱いた第一印象だった。この少女を表現する上でそれ以上に適した言葉は見つからない。
「コイツはスティア・ヴェンデース、歳は十七。新しくここに配属されることになった執行官だ」
「スティアです。よろしく」
言いながら、スティアと呼ばれた少女はレンに右手を差し出した。握手をしたいのだろう。
「あ、ああ……よろしく」
困惑しながらもレンはスティアの手を握った。スティアは何度か手を軽く上下させるが、その間も表情は動かなかった。
その無表情の裏で一体何を考えているのか。考えている内に握手は終わった。
「あの、支部長……なんで俺にこの子を?」
まさか新しく配属された執行官を紹介するためだけに支部長室に呼び出した訳ではあるまい。レンを個別に呼び出したのは、他にも何か目的があるからだろう。
レンの問いに、ルーヴェスは返す。
「単刀直入に言おう、シドウ・レン。これからお前にはスティアと一緒に仕事をしてもらう」
「仕事?」
「ああ。基本的に業務は共にこなしてくれ。もちろん天使討伐もだ」
「えっと……それは、新しく配属された執行官への案内ということですか?」
「いいや、無期限だ」
「無期限!?」
聞き捨てならない言葉に思わず大声を上げてしまった。
「お前が執行官である限りはな。要するに相棒を組めという話だ。そういうわけだからスティアを頼むぞ」
「いやなんで終わろうとしてんですか!?もっと説明してくださいよ!なんで俺がこの子と組むことになったんですか」
「まぁそうなるよな……良いだろう。スティア、もう一度部屋の外に出ていてくれるか?」
「ん、分かった」
短く言って、スティアは部屋を出た。残ったレンとルーヴェスは話を再開する。
「さて、色々話すことはあるが……まずスティアについて話そうか。これにはかなり特殊な事情がある」
「事情?」
「そうだ。そして今から言うことはまだ口外しないでくれ。もし周りからスティアについて聞かれても普通の新人執行官だと話すようにしろ、少なくとも上層部から許可が出るまではな」
「わ、分かりました……」
一気に話の雰囲気が重くなったのを感じた。
これから何を話されるのか。若干の緊張を抱くレンが次に言われたのは、予想外の言葉だった。
「……スティアは防衛軍の新兵器の第一号だ」
「…………は?」
「通称〈機巧天使〉、天使を殺すために作られた天使だ。と言っても、中身まで天使というわけではない、一応人間だ。天使特攻の力を宿した人間ということらしい。〈魔装〉に次ぐ新たな兵器という事だな。まぁ詳しい話は私も知らん、なにせ最近知ったばかりだからな」
「…………」
説明を聞いた後ですら、レンは言葉が出なかった。
あの少女が防衛軍の新兵器、それも天使特攻の力を宿した改造人間とまで言う。
一ミリたりとも納得できないが、それでも聞くべき事はあった。
「……あの、なんでそんな凄い新兵器と俺が相棒なんて組むんですか」
スティア・ヴェンデースは明らかに特別な存在だ。詳細は知らないが、スティアは新兵器の第一号。それも詳細については口外を禁じられている程だ。
防衛軍にとってスティアという兵器は貴重な存在であるはずだ。そんな存在をなぜレンに任せるのか。
「単純に上層部の指示だ。お前とスティアを組ませろと言われた。だから私も理由は知らんが……お前があの子を任せるに足る執行官だったからじゃないのか?実力的にも実績的にも、お前は適任と言われても頷けるだけの執行官だ。上層部もお前を評価しての事なのだろう」
「そんな適当な理由で新兵器を任せるとは思えませんが………相変わらず急な指示が多いですね、うちの上層部は」
「防衛軍は常時人手不足だからな、仕方のない事だ。それからもう一つ上層部からの指令がある。これから何があってもスティアを守れ、とのことだ。貴重な新兵器だから壊したくないんだろう。今のところ〈機巧天使〉はスティアだけみたいだからな」
「そこまで大事にするなら、なんで執行官にしたんですかね」
スティアを執行官にしたのは試運転をするためだろう。新兵器の力を試し、どこまで天使に通用するかを検証する。
それについてはレンも納得できる。実践以上に手っ取り早く正確なデータを得られる方法も無い。
だが、わざわざ『守れ』と指示するほど大切な新兵器なのであれば、もっと安全な試運転の手段を取るべきだと思うのだが。
「こんな明日が訪れるかすら危ういような時代だ。スティアの力を検証するためとは言え、悠長に時間は掛けてられないからな。多少のリスクを負ってでも手っ取り早く済む方法を取りたかったんだろう。幸い、あの子のお守りになる奴はいるからな」
「命懸けの戦場でそんな悠長な事やってられませんよ……」
「文句を言うなら上層部に言うことだ。いくら新兵器と言えども、あの子も所詮は経験の浅い未熟者だ。天使と戦うにはまだ何もかもが足りていない。そんな未熟者を支え、一人前の執行官に鍛え上げるためにも、お前がスティアと共に働くんだ」
「なるほど、つまり俺はあの子の教育も任されてるって事ですか」
「ああ、お前なら出来るだろう?」
「まぁ善処はしますけど……具体的にどうやって教育したら良いんですか?新人教育なんて一年くらい前にちょっと携わった程度なんですけど」
「今日は第六区支部の紹介と簡単な事務仕事だけ教えてやれば良い。初日から詰めすぎても上手くいかないだろうからな。ひとまず今日のお前の予定は全部スティアの教育に回せ。スケジュール調整はこっちでしておく」
「は、はぁ……」
レンが最後に執行官の新人教育に関わったのは一年ほど前。何をどう教えたら良いか忘れてしまったし、そもそも〈機巧天使〉であるスティアを自分の感覚で育てて良いのか。
困惑しながらも、ひとまずルーヴェスの言う通りにすることにした。
「それじゃあ、そろそろスティアのところに行ってきてくれ。これから長い付き合いになるだろうからな、仲良くやれよ」
「……了解しました」
その言葉を最後に、レンは支部長室を出た。扉の向こうではスティアが壁にもたれて待機していた。
支部長室を出る前と変わらぬ無表情、おそらくレンの人生でここまで無表情な人間はいなかった。正直関わり方に困る。
「えっと……なんて呼べばいい?」
「好きに呼んでいいよ。スティアでもヴェンデースでも」
「じゃあスティアって呼ぶが……スティアは執行官が何をするのか知ってるか?」
「天使と戦えば良いんでしょ?」
「それはそうだが、それ以外は?」
「それ以外?」
小首を傾げて、スティアは言う。
レンはすぐに理解した。コイツ絶対に何も分かって無いなと。
「……大体分かった。ならまずは第六区支部の紹介からだな。付いて来てくれ、案内する」
「ん、分かった」
レンが歩くと、スティアもトコトコと後ろを付いてきた。




