プロローグ 厄災に抗う者たち
それはある日の午後一時頃の出来事。
ロズリカ合併国・第六区・二番街。この辺りの通りには多くの企業のオフィスビルが並んでいる。
本来ならこの辺りの企業に勤める者たちが仕事をしている光景が見えるはずの時間だが、今繰り広げられている光景は全くの別物だった。
先程から何度も爆音が響いている。立ち並ぶビルも軒並み破壊されて欠損し、黒煙を上げている。
破壊の跡は地面にも見受けられた。道路はヒビ割れ、所々が陥没し、路上のガードレールや車がいくつも吹き飛ばされている。
一体何がこのような惨状を生んだのか。全ての要因は、今この道路を這いずっている者たちにある。
純白の皮膚に、背中から生えた一対の翼と頭上に浮かぶ光輪。人間の赤子のような外見に反して、その体長は二メートル半に及ぶ。
彼らは二本の腕と、体の側面に生えた六本の脚で道路を這いずっていた。そんな化け物が五十体ほど、この道路を進行している。
この化け物たちの名は『天使』。五十年前、突如としてこの世界に現れ、今もなお人類を脅かしている化け物だ。
『繧「繧。繧。繧。繧。繧。繧。繝!』
赤子のような奇声を上げる天使たち。彼らの口からは赤い触手が何本も飛び出ていた。
触手は時には十メートル以上まで伸長しては薙ぎ払われ、周囲の物を破壊している。
このまま天使の進行を許せば、数時間後にはこの街は更地になるだろう。街にいる者は残らず天使に殺され、人類は再び生存圏を奪われる事となる。
だがこの化け物たちに抗える者が果たしているだろうか。目にするだけで恐怖を湧き立たせる外見と、この世の理を外れた異次元の力。
異界の法のもとに生きる彼ら天使には、この世の兵器は通用しない。如何なる刃も弾丸も彼らは全て無効化してしまうのだ。
ただ、一つを除いてだが。
「オラァァァ!!」
喝破を上げながら、一人の茶髪の青年が前へ躍り出た。両手で握った大斧を武器に、天使の群れへ接近する。
天使たちは口から触手を放つ。数十本に及ぶ触手が青年に迫るが、彼は全く臆さない。凄まじい勢いで触手を切断しながら突き進む。
その動きは明らかに人間の領域を超えていた。天使の猛攻を潜り抜け、青年は一番手前の天使の元へ辿り着く。
天使の脳天へ向けて大斧を思いっきり振り下ろす。刃は容易く天使の体を突き抜け、あっさりと両断してしまった。
さらに大斧を振り下ろした拍子に衝撃波が放たれた。地面を抉りながら猛進する破壊の波は軌道上にいる天使を悉く吹き飛ばし、天使の群れを引き裂いた。
「よっし!爽快爽快!次々行くぞクソ天使どもがァァァ!」
さらなる勢いを見せながら、青年は大斧を構えて天使へ突撃する。
まず一体目。放たれた触手を体を捻って回避し、地面を蹴って一気に加速。
一瞬で天使の真横に回り込むと、横薙ぎに大斧を振るう。天使はまたもや両断された。
その瞬間を狙って、青年の後方の天使が触手を飛ばした。触手が青年の背後に迫るが、彼はそれを見逃さない。
振り向いた拍子に大斧を薙ぎ払い、斬撃を飛ばす。斬撃は触手を押し返すだけに留まらず、そのまま天使の頭部まで吹き飛ばした。
頭部を失い、活動を停止する天使。いくら超常の怪物と言えども、生命力には限界がある。
彼らにとっては頭部を吹き飛ばされる事は命に関わる事だったようだ。あくまでこの個体に限った話だが。
「ったく、どいつもコイツも触手たぁセンスがねぇな」
ぼやきながらも青年は天使を殺し続ける。
触手を見切っては切り払い、人外の速度で天使へ攻撃を仕掛け続けている。彼の動きは全てが高度に洗練されたものだった。
とてもじゃないが人間の力とは思えない。ならば彼は人間では無いのかと言えば、それも違う。
彼は執行官。〈魔装〉を武器に天使と戦う、今の人類を支える戦士の一人だ。
『繧「繧。繧。繧。繧。繧。繧。繝!!』
声を上げ、触手を放つ天使たち。だがそれら全て、青年の元まで届く事は無かった。
彼に届くよりも早く、突如として上空から数十発の光弾が降ってきた。光弾は的確に触手を狙い撃ち、攻撃を防いでみせる。
「ようやく来たかアンジュ、遅かったな」
「誰もが貴方みたいに体力馬鹿ってわけじゃないのよ。特に私は遠距離特化なんだから。その辺考えてくれない?ローグ」
青年、もといローグの耳元に付けられたイヤホン型の通信機から女の声が聞こえてきた。
声の発信源は立ち並ぶビルの一つの屋上。そこにはピンクの長髪をした若い女がいた。
アンジュと呼ばれた女が手にしているのは、彼女の身長と同じくらいの大きさがある巨大な銃器。
アンジュはその場で屈み、銃口を路上の天使へ構える。慣れた手付きでスコープ越しに照準を合わせると、引き金を引いた。
放たれた光弾は天使に激突し、そのまま貫通。たった一撃で体の半分近くを抉り飛ばした。
さらに続けて引き金を引き、アンジュは天使を殺していく。近距離でローグが掻き乱し、遠距離からアンジュが援護する形だ。
五十体近くの天使に対して、こちらは二人。数の不利がありながらも、徐々にローグたちが優勢に立っていく。
このまま順当に戦いが進めば、彼らの勝利は確実だっただろう。だが、事はそう上手くいかない。
何故かどれだけ天使を倒しても数が一向に減らないのだ。間違いなく殺しているはずなのに、気づけば最初と同じくらいの数まで戻っている。
「なぁアンジュ、さっきから天使の数が減ってない気がするんだが。そっちから見ても同じなのか?」
「そうね、確かに減ってないわ。司令部からの報告だと〈天門〉から出てきたのは中型天使が七体、その内の五体は既に討伐されたって話だけど……残った中型がこの近くで小型天使を生成してるのかも」
こうした天使の群れには、ほぼ決まって統率者となる天使が存在する。時にはその統率者が手足となる天使を生成している事もある。
今回の一件はまさにそれだ。アンジュはビルの上から、周囲の路地に散らばった天使の中から統率者を探してみるが、
「……あれね」
見つけた。ローグがいる場所から道路を二つ曲がった先、その先の大通りに一体だけ変わった個体がいる。
八メートルはある巨体に背中から生えた二対の翼と背後に浮かぶ光輪。人型ではあるが脚が生えていない。その代わりに腕が四本あり、地面から一メートルほど浮いている。
「いたわローグ、貴方から見て手前の曲がり角で左折した先でさらに右折した先の大通りよ」
「なら決まりだな。俺たちで中型を潰すぞ」
「私たち二人だけで出来るのかって言うべき場面なんでしょうけど、この仕事じゃ今更だったわね」
「執行官の人手不足は今に始まったことじゃねぇからな、人数不利でも天使がいるならやらなくちゃならねぇ。せめてレンがここに来てくれたらマシになるんだが……なッ!」
大斧を薙ぎ払い、天使を殺す。これで何体目になるだろうか、少なくとも三十体以上は殺した気がする。
だが天使が減る気配はない。この天使の進行は統率者を倒すまで終わらないだろう。
現状、統率者の最も近くにいるのはローグとアンジュ。他の執行官は別の路地にいる天使の相手をしている故、手は回せない。
「いちいち倒してもキリねぇな。アンジュ、強行突破するぞ。コイツらの動きを止めろ」
「了解。なら〈範囲式神経拘束弾〉を使うわ。貴方はそのまま突っ込んで」
互いに意思疎通を図ったところで、突撃の準備を取るローグだが、
「……ん?なんだ?」
何故か一体だけ、天使がローグの横を通り過ぎて行った。
この場にいる天使はどれもがローグに意識を向けている。ローグを殺そうと躍起になっている中、不自然に一体だけ別の行動を見せた。
一体何のつもりなのか。少しだけ視線を向けたローグが見たのは、
「──って、あれ逃げ遅れか!?」
破損したビルの下。瓦礫に埋もれている一人の女性社員が目に映った。
見たところ意識は無いが、死んでいるようにも見えない。運良く瓦礫の直撃を避けられたのだろう。
「くそッこんな時に!」
逃げ遅れている者がいるなら助けるしかない。ローグは地面を蹴って跳び上がる。
素早く天使の背後へ移動すると、背中へ大斧を一振り。天使は真っ二つに両断されて絶命した。
「ちょっとローグ!何やってるの!?」
「逃げ遅れてる被害者がいる!救助するから援護を頼む!」
すぐに女性社員の元へ駆け寄ると、瓦礫を力ずくで退かしていく。その間、迫ってくる天使はアンジュが撃退した。
それなりに瓦礫を退かした所で、女性社員を瓦礫の下から助け出す。改めて見ても特に目立った外傷は無い。あとは避難所に届けるだけだ。
「どうするのローグ、その人避難所まで送るの!?」
「送るしか無いだろ!こんな天使だらけの所に放置なんて出来ねぇ!親玉潰すのは一端やめだ!」
「けど貴方が欠けたらこっち側は抑えられないわよ!流石に私一人じゃこの数は──」
どうするのが最適解か。二人が悩んでいたその時、
「いや、お前は避難所に行け。あとは俺が引き継ぐ」
ローグの背後から聞こえてきたのは男の声。反射的に振り返ると、そこには一人の黒髪の青年が立っていた。右手には剣を握っている。
「ははっ、やっと来たか。レン」
「こっちも中型の相手してたからな。小型の数が多くて少し手こずったが、これで残りの中型は一体だ。とりあえずお前はその人を連れていけ。残りは俺がアンジュと一緒に終わらせる」
「おうよ、あとは頼むぜ!」
言って、ローグは女性社員を抱えて戦場から去っていく。
代わりに場に残ったのはこの青年──シドウ・レン。彼は迫る天使の群れを見つめながら、耳元の通信機に手を当てる。
「そういう訳だからアンジュ、状況説明頼む」
「手前の曲がり角で左折した先でさらに右折した先の大通りに中型がいるわ。見たところ、その場から動く気は無いみたい。ひとまずはそこの小型の群れを突破して。私が援護するから──」
そう言おうとした、瞬間の出来事。
「いや、余力は中型を討つ時に取っておいてくれ。これくらいなら一人で行ける」
腰を屈め、レンは地面を蹴り急発進した。
驚くべきはその速度。自身が動いた軌跡に残像を引きながら、彼は天使の群れに切り込んだ。
即座に天使は反撃に出るが、誰もレンの速度には追いつけない。気づいた時には一体、また一体と。次々に天使は切断され、鮮血を撒き散らしながら絶命していく。
そのまま天使の群れを突き抜けると、レンはアンジュに言われた通りに道を進む。その先に統率者である天使の姿を捉えた。
宙に浮かぶ一際大きな天使。この赤子のような天使たちを生成し、使役するのがあの天使なら、あの天使は母体とでも呼ぶべきだろうか。
『莠コ髢灘ヲゅ″縺後h縺上b……谿コ縺!!』
レンの存在に気づいた母体が奇声を上げる。同時に母体の周囲にいた天使が襲いかかってきた。
だがこの程度、彼の敵ではない。圧倒的な速度と卓越した剣術でレンは迫る群れを一網打尽にしていく。
母体は想定以上の敵の実力に焦ったのか、突然四本腕を掲げる。すると母体の周囲に大量の光球が現れた。
段数は三十発ほど。腕を振り下ろし、光球を放とうとする寸前に。
「させないわよ」
アンジュが放った援護射撃が母体の側頭部に迫る。
不意を突いた一撃は確かに母体に届いたが、傷を付ける事は無かった。
母体に触れる寸前でナニカによって遮られた。まるで見えない障壁があるようだ。
「レン、そいつシールドが付いてるわ。それに今の一撃でこっちに気付いた」
「なら俺が奴の気を逸らす。その間にデカいのを叩き込め。準備できたら合図してくれ」
「了解。巻き添いには気をつけてね」
引き続きレンは天使の群れを相手取る。この場にいるのは全部で四十体程。
他の母体が残した天使を寄せ集めているにしても、随分数が多い。あの母体が持つ天使を生成する力は脅威的だ。
(その分、中型の攻撃は単純な弾幕だけ。その場から動くことも無い、他六体の中型と同じ非戦闘型。小型を大量生成できる事以外は大した脅威じゃないな)
使役する天使が多い代わりに、母体自体の力は大したことは無いらしい。これは好都合だ。
この程度の弾幕なら問題無い。それにこの天使たちも大して強くない。触手の速度もそこまで速くないし、何より脆い。軽い攻撃でも十分殺せる程度の耐久力しかない。
やはり大量生成することに向いているだけあって、一体ごとの個体値は低くできている。
攻撃が追いつかないほどの速度で駆け回りながら、次々に天使を切り伏せる。母体は目の前の脅威から注意を逸らせない、完全にアンジュから意識を逸らしている。
そうして約十秒後。再びアンジュの声が聞こえた。
「準備できた。離れて、レン」
「オッケ!」
地を蹴り、その場から大きく飛び退くレン。それを確認すると、アンジュは銃の引き金を引く。
「〈発動・滅砕雷槍砲弾〉!」
直後、母体へ向けられた銃口から巨大な青白い雷撃が放たれた。
雷撃が母体と激突する。最初こそシールドで防げていたが、すぐにその護りにも限界が来た。
時間にして五秒、遂にシールドが崩壊する。突き抜けた雷撃は母体の身を焼き、破壊していき──そのまま微塵も残らず消し飛ばした。
『アァァァァァァッ……』
声を上げる赤子型の天使。だが全く力が感じられない。生成者である母体が全滅したことで存在を維持できなくなったのだ。
天使は力無くその場に倒れ伏す。その光景──自分たちの勝利を確認し、レンは深く息を吐いた。
「はぁ……やっと終わったか。相変わらず凄い威力だな、お前の〈発動〉は」
「これでも砲撃担当だからね、このくらいの火力は出さなきゃでしょ。じゃあ私は司令部に討伐完了の連絡入れるから」
「ああ、頼んだ」
そこでアンジュとレンの通信が切れる。彼女は司令部に討伐完了の報告をしている最中だ。
一仕事を終えたレンは破損した道路や街並みを眺めながら息を吐く。
幸いにも、今回は街に大きな被害は出なかった。今の人類の科学技術をもってすれば、この程度三週間もあれば元通りに復元できるだろう。
そもそも今の時代、街を天使に壊されるなんて珍しい事ではない。天使が現れる度に死傷者が出て、執行官が天使を殺す。こんな戦いがこの第六区だけでも二、三週間に一度は発生している。
「いつまで続くんだろうな……この戦いは」
五十年前から今に至るまでに、何十億人もの命と約半分の生存圏を天使によって奪われた。
今でこそなんとか抗えるようになったが、未だ人類の復興の目処は立たない。執行官という戦力を以てしても、現状維持が精一杯だ。
いつかこの時代を変えるような何かが現れる日が来ないものか。淡い期待を抱きながら、レンは荒れた道路を歩いて行った。




