ならば、婚約披露の夜会をぶち壊してやろうじゃないか。
貴族学園の卒業パーティでは、学園を卒業する王太子の婚約披露を行うと予告されていた。その相手もすでに発表されている。だからこれは、未来の国王夫妻が並んだ姿を貴族達にお披露目するための場であるはずだった。
しかし、二人が仲良く並んで登場することはなかった。
それどころか、二人の名前が呼ばれステージの扉が開かれた瞬間、四つの声がホールに響き渡ったのである。
「ルルリア・フランドール! 僕はお前との婚約を破棄する!」
「シュード・ウィル・フォーラット王太子殿下! 私、もう耐えられません! 貴方との婚約を破棄いたしますわ!」
最初に叫んだのは王太子シュード。輝く金髪碧眼の、美形の王子だ。
そしてそれに被せるように叫んだのが、彼の従姉妹であり公爵令嬢のルルリア。こちらも、シュードに劣らない輝きの金髪と碧眼の持ち主である。今夜お披露目される彼の婚約者として、この夜会の参加者一覧表の上から二番目に名を連ねていた。
彼らの登場を今か今かと待っていた貴族達は、突然の出来事に皆息を呑んだ。
婚約発表の場で、王太子とその婚約者が同時に婚約破棄を宣言したのだ。大事件である。
しかし、事件はそれだけに止まらなかった。
乱入者が現れたのだ。――それも、二人。
「ちょっと待ったあぁ!」
「お待ちになって!」
会場の入り口のドアを、バン! と音をたてて開け放ち、その人物達は、真正面に立つ二人を目掛けて突進してきた。男が一人、女が一人。
何事かと振り返った令嬢達が、男を目にして黄色い声を上げた。しかし艶やかな黒髪のその男は、彼女達には見向きもせず、赤薔薇の大きな花束を抱えて走ってくる。その神秘的な黒い瞳に映しているのはルルリアの姿だけだ。
そしてもう一人は、この夜会の場にふさわしくない、ピンク色の丈の短いドレスを身につけていた。彼女は栗色のボブヘアを激しく揺らして、こちらも猛スピードでルルリアめがけて突進してくる。
その二人の姿はさながら興奮状態の猪のようだ。
(な、何事⁉︎)
ルルリアは一瞬固まり、次の瞬間、女の手に握られているモノに視線が釘付けになった。
絶句する。
「シュードさまの妻になるくらいならここで死になさい、ルルリアァァ!」
「エミリア! 待て!」
シュードの制止もむなしく、エミリアと呼ばれた女は甲高い叫び声を上げながら、腕を振り上げた。その手には銀色に光るナイフが握られている。
危ない、とルルリアが思った時には、女はもう目の前まで来ていた。
ナイフが振り下ろされる。
ルルリアは身体を縮こまらせ、ぎゅっと目を瞑った。
(死――っ! …………え?)
しかし、刃の冷たい感触も、皮膚を切られた痛みも、流れ出る血の熱さも、いつまで経っても襲ってこない。
ルルリアは恐る恐る、目を開いた。
そして驚愕した。
「アルフレド殿下⁉︎」
もう一人の乱入者が、エミリアの腕を捻り上げていた。エミリアはまだ、「そこはわたしの居場所よ!」などとキンキン喚いている。
しかし、ルルリアの視線を奪ったのは彼女のみっともない姿ではなかった。
男の腕から、真っ赤な血がどくどくと流れ出していたのだ。
赤い雫は彼の肘を伝い、床一面に散らばった真紅の花びらの上にぽたり、ぽたりと落ちる。
「な、何をしていらっしゃるのです! 御身がいかに大切なものか、お分かりなのですか⁉︎」
「俺の身体など、貴方に比べれば風の前の塵よりも軽いものさ。それより無事か? ルルリア嬢」
そう言って、アルフレドは蕩けるような甘い微笑を浮かべた。
この笑みで、いったい今まで何人の令嬢を恋の沼に突き落としてきたのだろう。実際、ステージ下にいる令嬢の何人かが鼻血を吹いて卒倒した。他の令嬢達も黄色い歓声を上げる。
しかし、ルルリアには彼に見惚れている余裕など無かった。ドレスの裾をビリビリと裂いて、筋肉でゴツゴツした彼の腕にきつく巻きつける。
貴族学園の留学生である彼は国賓扱い。その命に何かあった時、真っ先に責められるのはこの国だ。腕からだらだらと血を流す彼に応急処置をしなかったとなれば、周辺国からさらに責められるのは目に見えている。
男から解放されたエミリアは、シュードに抱きしめられてようやく落ち着いたようだ。今度は啜り泣きを始めた。
「私のことなどどうでもいいのです! 小国の公爵令嬢なんかより、大陸いちばんの大国であるバーグ帝国の皇太子殿下のお怪我の方が、よっぽど大事でしょう⁉︎ 何故、私を庇ったりなどしたのです!」
「そんなの決まっているじゃないか。君を愛しているからだ」
「なっ――。冗談はやめてください!」
「冗談じゃない」
やいやい言い合っているうちに、止血が完了する。
「へえ。上手いんだな、止血。慣れてるんだ?」
「昔、自分がよく血を流しておりましたもので」
つんとそう言うと、アルフレドは驚いたように目を見開いた。そのあとで、「この男のせいか」と舌打ちをする。その瞳は背後でエミリアを抱きしめあやしている金髪碧眼の男を睨みつけている。
ルルリアは幼き日々を思い出し、苦い顔になった。
すべては、彼の視線の先にいる、馬鹿王太子のせいなのだ。
***
王太子の従姉妹であるルルリアは、幼少期からシュードの遊び相手として、よく登城していた。
しかし、王太子の『遊び相手』は、文字通り『遊び相手』であった。ルルリアは、シュードに遊ばれていたのである。
ある日は気がつくと芋虫が肩に乗っていた。ある日は突然、頭上から大量のダンゴムシが降ってきた。ある日はシュードが振り回す木剣が脛に当たり、またある日はシュードが投げて遊んでいたナイフやらフォークやら木の枝やらが腕を掠め、白い肌にできた切り傷から赤い玉が吹き出した。
ルルリアは毎日のように、父に泣きついた。元王女であった母が病死し、強い口調で話すのが苦手な父は、国王に苦言を呈すときもオブラートに包んだ言い方しかできなかった。
一度だけ、ルルリアが熱を出して登城しなかった日があった。
するとシュードはフランドール公爵家の屋敷を訪ね、玄関ホールの床に転がり泣き喚いて駄々をこねたのである。「いやだいやだ、『遊び相手』がいないのは嫌だ」と。
その話を聞いたルルリアはとうとう、シュードを完全に嫌うようになった。好感など一ミリどころか一ナノメートルも抱けない。
それどころか、シュードの隣にいると鳥肌が立って寒気を感じ、腹痛を催し、しまいには震え出すようになってしまった。
その症状を父に相談し、国王にも謁見して必死に訴えてようやく、ルルリアは『王子殿下の遊び相手』の役職を降りることができた。
その後貴族学園に入学しても、生徒数の多いこの学園では、王子を避けて生活することなど難しくない。ルルリアの日々は、それなりの平穏を保っていた。――三か月前までは。
「ルルリア。本当に申し訳ない」
言葉通り暗い顔をしてルルリアを執務室に呼び出した父は、次に思いがけない一言を発した。
「シュード王太子殿下の婚約者が、お前に決まった」
「………………はい?」
聞き間違いだと思いたかったが、何度聞き返しても父からは同じ言葉が返ってきた。
(嘘でしょう。昔の私は、王太子から離れるために国王陛下に謁見までしたのよ? なのに今更、どうしてまた――)
「お父様、どうにかしてそのお話を白紙に戻すことはできないのですか?」
「……すまない、ルルリア…………」
ルルリアの目の前が暗くなった。
しかし次の瞬間、頭の中を閃光が一筋駆け抜けたのだ。
(そうだわ! 打つ手が無いのなら、婚約披露の夜会をぶち壊してしまえばいいのよ!)
婚約発表は貴族学園の卒業パーティーの場を借りて行われる。
そこで、自分が婚約破棄を宣言すれば。
(ええ、そうしましょう! もし何か言われても、国外逃亡でもなんでもしてやるわ! あの王太子のそばで一生暮らすのだけはごめんよ!)
――そして、冒頭に戻る。
***
「この度は、我が国の者がとんでもない無礼をはたらいたこと、深くお詫び申し上げますっ!」
国王やルルリアの父である宰相、それに大臣らがアルフレドを取り囲んでペコペコと頭を下げている。
その傍ではシュードが、また喚き出したエミリアを宥めている。
「わたしはあの男を斬ろうとしたんじゃないわ! ルルリアよ、あの女がシュードさまと結婚するのだけは、どうしても許せなかったの! シュードさまの隣はわたしのものなのよ、返してよ!」
「ああ、エミリア……君はそんなにも、僕のことを思ってくれていたんだね……。しかし伯爵令嬢が公爵令嬢に凶器を向けた。それは罪に問われるべきことだ。待っていてくれ、父上に、君の罪を軽くしてもらえるよう頼んでみるからね」
「シュードさま……! 愛してますわ!」
「僕もだよ、エミリア。僕とて、ルルリア嬢と婚約したくてしたわけじゃないんだ。だから、破棄を宣言した。かつては僕の思い通りになって揶揄い甲斐のある馬鹿な遊び相手が欲しくて駄々をこねたこともあったけれど、今では彼女など必要ない。僕に必要なのはルルリアではなくて君なんだよ、エミリア」
「シュードさま……!」
(馬鹿じゃないの? この人達)
聞いていれば、なかなかひどい言われようである。
ルルリアが顔を顰めていると、国王の言葉が耳に飛び込んできた。
「アルフレド殿下、我が国にできることならなんでもいたします。ですのでどうか、お許しください」
(つくづくこの王も馬鹿よね。『なんでも』なんて、領土を要求されても断れないわよ)
ルルリアはついため息を吐きそうになった。すんでのところで飲み込む。
しかし次の瞬間、アルフレドの口から飛び出したのは、思いもよらない言葉だった。
「では、ルルリア・フランドール嬢をいただきたい」
「……………………………………はあっ⁉︎」
(聞き間違いかしら⁉︎)
国王が狼狽えたように尋ねる。
「で、殿下、いま何と」
「だから、ルルリア嬢を俺の妻として迎えたい。彼女はちょうど、そこのシュード殿下との婚約破棄を宣言したところだ。彼も同時に同じ内容を宣言したのだから、破棄は成立でいいだろう? つまり今のルルリア嬢は決まった相手がいない状態だ。だから俺がもらっていく」
「し、しかし」
「何だ。文句は言わせないぞ。なんでも、と申し出たのはあなたがたの方だろう」
「は、はい。仰せのままにっ」
国王の返事に、アルフレドはにやりと悪い笑みを浮かべた。しかし元の顔立ちが甘い美形であるゆえに、一目見た令嬢達を甘く蕩けさせ鼻血を吹かせて卒倒させる。
アルフレドは甘く黒い微笑を浮かべたまま、コツコツと靴音を鳴らしてルルリアに近づいてきた。
「話は聞いていたな、ルルリア嬢?」
(拒否、しなきゃ……!)
それなのに、ルルリアは驚愕のあまり、返事が喉で詰まってしまった。慌ててこくこくと頷き、慌てすぎて間違えたことに気づいて、首を激しく横に振る。
「な、何故私なのですか⁉︎ 私は物ではありません。貴方の思い通りに動くと思ったら大間違いですよっ!」
ルルリアは精一杯の威嚇をする。
しかし彼女の碧眼に睨まれたアルフレドは、くつくつと喉を鳴らして笑うのだ。
「だが君は必ず、俺と共に帝国に来ることになるだろう」
「そんなこと、起こるはずがありませんわ!」
「本当にそう思うか? ……そら来た」
アルフレドの言葉にルルリアが首を傾げたのと、国王が歩み寄ってきたのは同時だった。
「頼む、ルルリア嬢。我が愚息が本当にすまなかった。愚息との婚約破棄、この私が許可しよう。だからどうか、我がフォーラット王国のため、バーグ帝国に嫁いではくれないか……」
(本当、この王は馬鹿なの?)
ルルリアは呆れて言葉も出ない。
申し訳なさそうに縮こまって頭を下げる国王に続いたのは、ルルリアの父でありこの国の宰相、フランドール公爵だった。
彼は俯き、今にも消え入りそうな声で一言。
「すまない、ルルリア……」
これまで幾度となく耳にした言葉を、これまでで一番申し訳なさそうに言われては、さすがのルルリアも受け入れるしかなかった。
はあ、とこれみよがしに大きなため息をひとつついた。
「わかりました。でもその代わりと言ってはなんですが、あそこでシュード殿下に抱きついているエミリア・ムール伯爵令嬢の罪は、きちんと裁いてあげてくださいまし。私、曲がったことは嫌いですの」
「ああ。ありがとう、ルルリア嬢。約束しよう」
国王が涙目になる。公爵は何とも言えない表情を浮かべ、ルルリアにちらちらと視線を送っている。
(お、お父様に負けてしまったわ……)
くつくつと笑うアルフレドの隣で、ルルリアは絶望の表情を浮かべた。
「ほらな、俺が言った通りだろう」
「貴方……どこまで計算していたのです?」
「さあな。少なくとも、この会場に入ってきてからだ。まさかナイフが登場するなど思ってもみなかったからな」
(この男、油断ならないわ……!)
アルフレドは隣国からの留学生。しかも大国の皇太子で、フォーラット王国にとっては国賓だ。公爵令嬢であるルルリアも、これまで何度か言葉を交わしたことはあったが。
第一印象は、『穏やかな笑みを浮かべて理知的に話す、令嬢達にモテるタイプのイケメン。私はたいして興味ないけど』だった。
(まさか、卒業パーティーに乱入してパーティーをぶち壊すような男だとは思ってもみなかったわ。この人、目的を達成するためならば手段を選ばないタイプ……!)
自分のことなど棚に上げて、ルルリアは呆れた。
***
三日後。
ルルリアとアルフレドは、隣国バーグ帝国へ向かう馬車に揺られていた。
二人掛けの椅子が向かい合っているつくりの四人乗り馬車は、クッションがふかふかで揺れも少なく、公爵家の馬車より何倍も快適である。
ただし、ルルリアの真正面でニコニコ笑顔を浮かべている一人の男の存在を除けば、の話だが。
「それで、アルフレド・ノーザン・バーグウォース皇太子殿下?」
ルルリアは引きつりそうな口元を何とか抑え、彼に負けじと笑みを浮かべて尋ねる。
ふつふつと湧き上がる怒りを、その笑顔の裏に隠しつつ。
「何故、『三日後に出立する』などと急にお決めになられたのですか」
ルルリアは彼に対して不満を抱いていた。
あの夜会からたった三日で、隣国で暮らす支度を終わらせたのだ。親しい友人や親戚達にもほとんど別れを告げられず、手紙だけを残して国を去る形になってしまった。
もちろん屋敷を訪ねてくれる人もいたが、学園のある王都から遠く離れた領地で暮らす親戚には、ほとんど会えていない。
「君の気が変わらないうちに帝国に連れ去ってしまいたかったんだ。『やっぱり嫌です』なんて言われたらかなわない。まあその時は帝国の皇太子という権力とツテを全て使ってでも娶るけれど」
「馬鹿なんですか。女性相手に乱暴な手を使えば、いつかバチが当たりますよ」
「そのお仕置きが君からならば喜んで受けるよ、ルル?」
「気持ち悪いので、その呼び方やめてください。貴方に相性呼びを許した覚えはありません」
「できることなら、ルルにも『アル』と呼んでほしいところだけど」
ルルリアがこれでもかと顔をしかめ、アルフレドを威嚇する。
だがアルフレドはくつくつと笑い、幼子をあやすようにルルリアの頭を撫でるのだ。
「そう怒らないでくれ。それに、バーグとフォーラットは隣同士だ。親戚にも友人にも、会おうと思えばすぐ会える。そうだろう?」
「そういう問題ではありません。私はきちんと別れを告げる時間が欲しかったのです! というかこの手、どけてください!」
ルルリアが頭に乗せられた手を振り払おうとすると、アルフレドはその手を下に滑らせ、その艶やかな金髪を一房摘んだ。
そしてやさしく口付ける。
「なっ……」
一瞬にして、ルルリアの頬が赤く染まった。
アルフレドがまた、楽しそうにくつくつと笑う。
「これで、君の身柄は手に入れた。近いうち、その心も頂いてみせるよ。どんな手を使ってでもね」
(――ああ。私はきっと、この男から逃げることはできないのだわ…………)
ルルリアは反論を諦めて窓の外を眺めた。
馬車が揺れないので気が付かなかったが、今は森の中を走っているようだ。木々の隙間から差す木漏れ日が、地面にやさしい光を落としている。
この森を抜ければ、そこはもうバーグ帝国の領内だ。
(お城に着いたら、きっと婚約披露の夜会の段取りを決めることになるわ。今回はあまりにも急な婚約だったから、まだ帝国の貴族達にも知れ渡ってはいないでしょうし、夜会を開くのは必須事項ね)
そう。ルルリアはまた、婚約披露の夜会に出席することになるのだ。
――ならば。
(ならば、また婚約披露の夜会をぶち壊してやろうじゃありませんか)
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