47.まじない言葉は耳打ちで
大狼歴二万五千三百二十六年 魚座二十日目
横風に少し揺れながら、飛空艇は空の高みを目指す。
私は、自分の体が連れ去られるのを見ながら、霊媒士に声をかけた。
「まずは、私の家へ」
「ええ」と答えて、霊媒士は髪を隠したフードを押さえ、本を胸に抱いた。
黒い雨は限定的にリメリアーナの兵士だけを焼き尽くしたけど、先に村の外に逃げた連中には「火傷」すら、お見舞いできなかった。
忌々しい心持になったけど、ミアンがああ言う契約を言い出したと言う事は、何か思惑があるのだろう。
私の霊体には、呪薬を打たれた傷が残っている。それは霊体の一部を黒く焼き、私の右手の甲に黒い火傷を作っていた。魔力と霊力を封じる徴を描いて。
「それが消えないと、貴女の意思で体に戻る事は不可能ね」と、霊媒士は歩を進めながら言う。
「それはもう、何度も試したわ」と、私は答えた。
そう。霊体が体から切り離されてから、何度も自分の体に憑依しようとしたけど、その度にこの徴が邪魔をして、体の外にはじき出されてしまうのだ。
この呪詛を解くには、大分大掛かりな術式が必要だろう。何十人も霊媒士と神官と呪術者を集めて、それこそ、神の意思に背く術を使わない限りは。
私の家に着くと、霊媒士は鉄扉のノッカーを叩いた。
恐る恐ると、クミンが顔を出す。そして、「どちら様ですか?」と聞いた。
「私はルクサ。ポワヴレから頼まれて来たの。霊媒士よ」と、端的に彼女は説明する。
クミンはそれでも緊張を解かなかった。
「あの……今、先生は……」
ルクサは言い当てる。
「リメリアーナの兵士に、体を持って逃げられたんでしょ? その事件について、ミアンと話がしたいの。彼女は今何処?」
その言葉を聞いて、クミンはようやく客人を家の中に招いた。
ミアンと情報交換をした後、ルクサは右手の人差し指と親指を伸ばす簡単な印を組んで、それに吐息を吹きかけた。
白い幽霊のような発光物体が、幾つか現れて消える。
私は、耳元で囁かれたのが分かった。
その後、ルクサは「リメリアーナに乗り込むわ」と述べた。
ミアンは一つ頷いて、「安全な船を用意してあげる」と返した。
私は、古い伝手にお願いをしなきゃならないなと、策を巡らせていた。
村で半日も過ごさないうちに、ルクサとクミンは小型の飛空艇に乗った。
席がずらっと並んでるけど、乗合馬車の内装とそんなに変わらない。
但し、スーツ姿ドレス姿の紳士淑女の中に紛れるように、ルクサは魔術着ではなく襞の多いローブを、一緒に付いてくることになったクミンは、フォーマルスーツを着る事になった。
クミンは愚痴っていた。
「何だか落ち着きません。完璧に着られている感じがします」
ルクサは小さく笑って、「着こなせてるから大丈夫」と述べた。
その頃、リメリアーナの年経た王様は、私の体が届くのを「今か今か」と待っていた。
皴皴の顔を紅潮させ、愛しい恋人でも待ってるみたいに。
何度もベッドから起きて、寝室の中をそわそわと歩くので、家臣に「気を昂らせてはなりません」と進言された。
王は穏やかに返す。
「何を言う。遂に、『老いぬ体』を手に入れられるのだ。それも、十五の娘の体だ。少々浮足立ちもする」
家臣の横に佇んでいた呪詛師が言う。
「術式に挑む時は、心を落ち着かせる必要があります」
王は窓の外を眺めながら、「分かっているよ」と答えた。
窓の木の枝を見上げる喉元は、細く筋張って、今にも引き千切れそうだった。
その丸一日後。
ようやく、ルクサとクミンはリメリアーナの地を踏んだ。
温暖な気候と、彩度の高い眩しい太陽に、大理石の彫刻の数々。
「外国って感じですね……」と、辺りを見回しながら、クミンは呆然と呟く。
その様子について、ルクサは注意をする。
「確かに外国だね。さっきも話したけど、この国はスリが多いから気をつけて。ほら、鞄を持つ手を緩めない」
「は、はい!」と声を返すと、クミンは緊張した表情で鞄のベルトを握りしめた。
ミアンの術がかかった地図は、正確に「王様が何処に所在しているか」を突き止めていた。
飛空艇の発着場からは大分離れた、広い庭を持つ宮殿に居る。
その宮殿には、私の体も運び込まれていた。
路面電車を降り、街を進む間、地図を見ながらルクサは言う。
「警備も厳重だね。番兵に騎兵隊、自動二輪まで用意されてる。流石に戦車は居ないみたい」
「居たら困ります」と返すクミンは、すっかり荷物持ちに成っていた。
その彼に、体当たりをしてくる奴がいる。これがこの国の「スリ」らしい。
クミンは荷物ごと、くるりと体を半回転させて避けた。
体当たりの的が外れたスリは、ブロックの地面に遠慮なく額をぶつけた。
しかし、別の方向から狙ってきたスリが、クミンの背後を取ろうとする。
そうそう簡単に後ろを取らせるほど、うちの弟子も鍛錬を怠けてはいない。
くるくるとダンサーのように身を翻して、時には足を引っ掛け、スリ達を地面に転がした。
「おお」と、ルクサは歓声を上げて拍手をしてみせる。
その彼女にも「体当たりスリ」は近づいてきた。
「ルクサさん!」と、クミンが声をかけると、ルクサはやはり人差し指と中指を立てる印を作って、煙草でも吸ってるようにその隙間から息を吸い込む。
それと同時に、彼女に体当たりしようとしていたスリは、魂が抜かれたように昏倒した。
「なんですかそれ?」と、クミンが聞くと、ルクサは「ちょっとしたおまじない」と、だけ答えた。
「ルクサ。食べ過ぎると太るわよ」と、私は声をかけた。
霊媒士は、にやっと笑うと、私の方に視線を向けて「男の子との旅行を邪魔しないで」と囁いた。
ニ十歳近い年の差の男の子を、範疇に入れないほうが良いと思うんだけど。
馬車に乗り換え、二人は高級ホテルの前に着いた。此処の四階の部屋を居城として、作戦を展開するらしい。
「一度は起こる顛末」を知っているクミンは、何処と無く表情が暗い。
「悪い方に考えない」と言って、ルクサは少年の耳に口を寄せ、「それでね、貴方はこの通りに……」と言って、ごにょごにょと何か唱え始めた。
クミンの目の動向が、極端に細くなる。
ルクサは膝から力が抜けかけた少年の体を支え、ソファの上に座らせた。
私は、その頃、役目を果たしに町をひとっ走りしていた。
見事なもので、町中の彫刻に精霊が宿っている。天使も居ればガーゴイルも居た。
魔力と霊力を封印されている私だけど、精霊力は失ってない。ご当地の精霊に声をかけて、「元締め」の所まで案内してもらった。
広場の噴水の前で、私と顔を合わせた元締めは、人間に近い姿を作り、語り掛けて来た。
――見た事の無い人の子だ。
――ええ。初めまして。私はポワヴレって言うの。
そうやり取りをすると、元締めは鋭く聞いて来た。
――それは本来の名では無いな。
私は正直に答えた。
――そうね。魔女は本名を名乗らないものですから。
――魔女の霊か。何のために此処に来た?
その問いかけに答えると、元締めは眉間にしわを寄せ、目じりを吊り上げた。
――奴め。契約を違える気か。
私は手応えを感じて、更に深い所まで話を聞いてみた。私達の情報が当たっていれば、この元締めは「契約の対価」を得られずに居たはずだから。
その日の深夜、宮殿に集まっていた、呪詛師達が動き始めた。
王様の体から、鮮度の良い霊体を取り出すために。
それから、神官達が、白い衣を着せて祭壇に寝かせた私の体の前で、祈り始める。
遠くから呼び声を感じて、私は宮殿まで飛翔した。




