46.雨の下の消失
大狼歴二万五千三百二十六年 魚座十九日目
籠城戦になって二日目。私の家の中には、弟子二人と愉快な動物達と、ミアンとユニカちゃんとモルクがいる。
私も、もちろんそこに存在していますけど、限りなく空気に近い存在になっている。何せ霊体に成ってしまっている上に、周りに霊媒者が居ないんだ。私がどうにかこうにか霊障を起こすと、ようやく誰かが気づいてくれる。
敵の狙いは、私の「老いない体」。
それを求めてリメリアーナの王は、まずレヴァンタスの医師団を自分の国に集めた。
だけど、彼等の知識でも「老いない体」を作れないと分かった王は、レヴァンタスのド田舎の山の中に住んでいる魔女――つまり私――が「老いない体」を持って居る事を思いついた。
それで今回、私を拉致するために兵団を遣わしたのだ。
この百五十年の間にも、何回かさらわれそうになった事はあるけど、今回は今までにない規模の……戦争でもするのかってくらいの兵団だったの。
情報を掴んでから大慌てで教えに来てくれたミアンと、たまたま剣術練習をしていたクミンとモルクと、それを見学に来ていたユニカちゃんと、小屋に住んでいる弟子に成りたがってる人を、家の中に匿って、鉄の扉に鍵を下ろした。
なんで私が霊体に成ってるかと言うと、パン屋さんのふりをして近づいて来た呪詛師に、呪薬を打たれたからだ。
霊体と分離した私の体は持ち去られ、現在はその体が何処に行ったのかを探りながら、まだ私達の家の周りを取り囲んでいる兵団の残りと睨み合いをしている所。
「ポワヴレの体はまだ村の中に在る」と、ミアンが地図の上で追跡の術を使う。「馬を走らせるには無理な地形だからね。奴等も、『隠密にどうやって運ぼうか』って所なんでしょ。堂々と列車に乗るわけに行かない。だけど、流石に三日も経つとまずい」
「なんで?」と、ユニカちゃんが聞く。
「飛空艇を呼ばれる」と、ミアン。
実際に、彼女の術がかかっている地図には、楕円形の気球のようなものがゆっくりとこっちの領空内に入ってこようとしている。
「向こうの国とは、国交は安定しているからね。飛空艇の行き来なんて簡単だよ」
ミアンの説明を聞いて、少年少女は頷いた。
「今のうちに体を取り返さないと、って事ですね」と、クミンが意気込む。
ミアンは眉間にしわを寄せ、大小の地図に見入る。
「そうね。だけど、体のある場所が……ピントが合わない。何かの阻害術を使ってる」
「大体の場所が分かれば、みんなに応援を頼む事も……」とモルクが言いかけたけど、「無理だよ。この家の周りでさえ、兵士の野営地みたいになってるんだから」と、ユニカちゃんが反発する。
「村の中にも、兵団が入り込んでる」と、ミアンは断言した。「誰が殺されてもおかしくない事態だ」
クミンが苦言を呈する。
「そんな横暴、国王様は黙って見ているんですか?」
ミアンは何時も持っている手帳を捲り、唸る。
「そうせざる得ないんだ。去年、国内での『生産物』の産出と流通が大きく減った。その時に、リメリアーナから大規模な義援金と『生産物』の援助を受けたんだ。恐らく、ポワヴレの『老いない体』を得させることを交換条件に」
「ソニア殿下がそんなこと許可するわけない!」と、ユニカちゃんは反発する。
「今はリークス殿下の統治だからね。ソニア殿下も、重病が続いて発言権が無くなって来ている」
「だから雨漏り野郎なんて罵られるんだ」と、モルクが現国王を罵る。
ミアンは大人として、状況を進めようと案を巡らした。
「悪口言っていても仕方ない。この場には魔術を使える人間が四人居る。クミン、ポワヴレの『召喚』の魔法陣は何処に描いてある?」
クミンは、以前見た記憶を思い出したらしい。
「この部屋のカーペットの下に」
ミアンはそれを聞いて頷く。
「よし。まずは家具の移動。私達が何をしているか知られないように、静かにね」
そんなわけで、彼等はカーペットを押さえつけている家具を、そろそろと避け始めた。
私の魔力量と、古代語で直接話しかけられる語力があれば、精霊の方は割とさっくり来てくれるんだけど、四人の中に古代語を話せる人が居ない。そして、魔力量はディル、ミアン、クミン、ユニカちゃん、の順で少なくなる。モルクは魔術を扱えない、唯の魔力持ちだ。
ミアンは指示を出す。
「私の隣にユニカが来て、その隣にディル。クミンはディルとユニカの間。これでバランスを取ろう。それで、精霊に祈る時だけど、印の組み方は知ってる?」と言われて、クミン以外の二人は首を傾げた。
クミンは説明する。
「前に先生が精霊を呼び出した時に見たんですけど、印は組んでませんでした」
ミアンは肩を上げ下げして見せた。
「そっか。それで出て来てくれるタイプの精霊も居るのよ。術者と仲が良いとかでね。でも、私達は全然知らない精霊を呼び出さなきゃならないから、『礼儀』は守る必要があるの。
今回の術では、一人一人別の印を組む必要がある。指の形を教えるから、ディルから順に指を組んで行って」
そんなわけで、ミアンは一時的に召喚魔法の先生に成りましたとさ。
背筋に悪寒が走るような気配を覚えさせる、黒い液体の流出に見えた。だけどその液体は、周りに広がる前に気化して消える。
その期待の中から、半裸の人間に見える黒羊の頭部を持った精霊が現れた。
「ポワヴレ・キルトンでは無いな」と、その者は現代語を喋った。だけど異国語だ。「彼女の『入口』を使って呼び出したと言う事は、お前達は何者だ?」と、ちゃんと説明もしてくれる。
「私達は、ポワヴレの家族。ポワヴレの体が奪われた。敵対者に」と、ミアンはちゃんと、片言の異国語で丁寧に答えた。「彼女を助けたい。助力を願う。お願い」と。
黒羊の精霊は、私に気付いたように天井を見た。目が合う。私は、咄嗟に頷いた。
「状況は分かった」と、精霊はミアン達との会話を続けてくれた。「具体的な願いを言え。そして、引き換えられるものは?」
「制圧を求める。村の中の、異国の兵団の」と、ミアン。「引き換えられるものは……」と言って、ミアンが提案した言葉に、その場の一同は目を見張った。
精霊は言う。
「それを本当に叶えられると?」
「ええ。十中八九……。もしもの時は、私の右手を差し出す」
ミアンの言葉を聞いて、精霊はにたりと笑んだ。最終的に人の子の腕を奪うことになったとしても、面白い取引だったからだろう。
精霊は、兵団の制圧を許容した。
夜が満ちる頃。外に雨が降り始めた。墨を流しているような、灰の香りがする黒い雨だ。
「痛い!」と、兵団の内の誰かが声を上げた。
「痛い、痛い!」と言う叫び声は、黒い雨に打たれた者達にどんどん伝わって行き、彼等は鎧の継ぎ目から侵入してきた雨に、体を焼かれた。
半狂乱になって鎧を脱いだ者は、もっと悲惨な目に遭った。体中を黒い雨で焼かれて、雨の中を逃げようとして、黒い煙を発しながら消えた。
家の周りを囲んでいた兵団の一部は、ディルの小屋に逃げ込んだ。
しかし、そんな物理的な現象ではないのだ。
小屋の中まで黒い雨は襲って来て、兵士達が体中の痛みで身動きが取れなくなるまで降り注いだ。
その後、黒い雨に打たれ続けた者達は、溶けた部分から気化して消滅した。
物凄い有様ではあるが、こうして村の中は静けさを取り戻したのであった。
そして私は見つけてしまった。
魔封じの描かれたシートに包まれている、人間らしき塊が、村の中から運び出されるのを。




