36.沼の主
大狼歴二万五千三百二十五年 射手座十二日目
昼。
村の方から、忙しない鐘の音が聞こえてきた。村の中央付近まで伝令が行き渡ったらしい。
私は森を走る間、「通信」をクオーターズカフェの方に飛ばした。非常事態を知っていたプリムは、すぐに気づいてくれた。
「プリム? そっちの様子は?」
「落ち着いてると言いたいけど、うちも避難所に成り始めてる。外を歩いてる人達は……みんな、『悪寒』にやられてるみたいだ。うちに逃げ込んでくる人達も、寒気を訴えている人が多い」
「何とか出来そう?」と、私はぜーぜー言いながら無茶ぶる。
「何とかするしかないだろ?」と、プリムは言ってから、「うちまで沼の邪気が届くようになったら、非常弾を打ち上げる。その時は、帰る家が無くなると思ってくれ」と、分かり切ってる事を述べた。
言葉にしておかないと、後々不安だものね。
「分かった。プリム。その時は、クミンをよろしく」と、私が冗談めかせて言うと、「縁起でもない事を」って笑われたわ。
笑っていられる余裕なんかじゃない。覚悟を決めてるから、笑いが浮かぶんだ。
泉ヶ窟の中には、既に侵入できない状態になっていた。邪気の煙が濃すぎる。窟の内部だけじゃなく、邪気の煙は土を浸透して外部に漏れだしていた。
さっきから見えて居たのは、土を透かした部分の邪気だったようだ。「本流」が襲ってきたら、防壁の術も間に合わないだろう。
窟の内部を霊視すると、術者は一つ一つの毒沼に術を掛けながら、奥に向かっている。
死にに行くつもりかと思ったけど、霊視力が術師の姿を捉えた。
あの野郎、ちゃんと口元にガスマスクをつけていた。あれじゃぁ、邪気の臭いがしても、気づかないだろう。
そして、今の所、封印に参加できるのは私だけ。
「何とかするしかない」と、各地でみんなが呟いたであろう言葉を口に出し、私はポケットから一枚のハンカチを取り出した。
その表面には、幾何学模様を描いている魔法陣が刺繍してある。地面にハンカチを広げて、その魔方陣に左手の四つの指を置き、古代語を唱える。
その時に唱えた言葉は、「緊急連絡。あの場所に備えられていたあなたの領域が穢されようとしています。直ちにこの地に来て、あなたの領域を取り戻して下さい」と言う旨。
泉ヶ窟は、上位の精霊の領地とする事で、封印してあった場所なの。その精霊を呼び出す事で、再封印を試みた。
だけど、問題は私の魔力量だ。精霊を呼び出すまで、ギリギリ持つかどうか。
陣が起動すると指先にショックが走り、私の指は神経の反射で跳ねた。
手を放す事をしないで、衝撃に耐え続ける。
呼び出したい精霊は力を天空に集め、「応えて」くれているものの、実体を現す事が出来ないでいる。
ついさっき防壁を操作した後だから、やっぱり魔力量が足りなかったんだ。
何とか成れ~! って、気合で頑張ったけど、押し返してくるショックの方が大きい。
大きめの反動が来て、私の手が魔法陣から外れそうになった時、その手を押さえ込むように、滑らかな手肌が私の手に重ねられた。
「もう少しよ、ポワヴレ!」と、エンゲルの声がする。
私がすぐ隣にいる彼女を見つけた瞬間、二重三重に、私の手を抑え込む森魔女達の手が重ねられた。
彼女達の魔力も追加され、召喚の術は正常に起動した。
九つ尾の白い狐の姿の精霊が、天空から降臨し、大地を力強く足を踏みしめる。
それと同時に、ごっそり魔力を持って行かれた私は、意識を失った。
夜。
目を覚ますと、自分の部屋のベッドの上に居た。
邪気の臭いはしない。何とか成ったらしい。
「おーい。クミーン! 居るー?」と、大声を出してみると、階下から階段を上ってくる音が聞こえた。
ガチャリと、私の部屋のレバーが倒れる。
「先生。起きました?」と、クミンが聞いてくる。それから、まだ私に仕事がある事を告げた。「『ポワヴレが目を覚ましたら、町の広場に連れて来てくれ』って、リリューシュさんに言われてたんです。それで……立てますか?」
「体は動かせそう」と言って、私はガクガクする関節をどうにか動かし、ベッドの上に起き上がった。
「あ。そうだ」と、クミンは私の部屋のテーブルに置いてあるものを手に取る。
「すごく体力を使った後に飲むと良いと言う薬です。一回三錠を服用して下さい」
そう言ってクミンが差し出した袋には、「マルクル製薬の毎日元気・徹夜が好きなあなたに」と記されていた。
マルクル製薬の薬は、服用から三十分後に正しく効いてきた。足元はふらついたけど、クミンに手を引かれてどうにか広場まで行ったわ。
そうしたら、今回の問題の人物が、お縄を頂戴していた。
捕まった時に、多少の暴力を受けたらしく、彼の片頬は腫れていて、白衣は泥で汚されていた。
口に轡をされている。
「こんばんは。クラウン先生?」と、私は声をかけた。「貴方、自分がどうして捕まってるか、分かる?」
灰色の瞳の青年は、首を横に振る。どうやら、事態を理解して居ないようだ。
私は、毒沼について説明を始めた。
「あの沼は、毒ガスを出しているのが『正しい状態』なの。それを勝手にいじった事で、封印されていた邪気が溢れ出て来てたのね。貴方、たぶん、ずっとガスマスクしてたと思うけど」
そう言うと、青年は泣きはらした目で一つ頷いた。
ガスマスクの影響で、クラウン氏が邪気の魔力香に気付かなかった事と、「地系元素術」は大地に帰還した者の力を増幅する事があると説明した。
クラウン氏は、ハッとしたような表情で、私の方を見た。
懸命に口を動かして、何か言おうとしている。
「轡を外してあげて」と、私は執行人達に声をかけた。「彼にも言い分があるでしょうから」
執行人達は、クラウン氏の後ろ手を縛っているロープを確認してから、轡を外した。
「あの……」と言いかけて、青年は声を詰まらせる。腫れている頬の内側を噛んだようだった。
「あの沼には、『死した何か』が居たと言う事ですか?」
私は、周りの様子をちらりと見て、彼等が冷静でいる事を確認してから肯定した。
「その通り。でも、その事は村の中だけの秘密なの。それを知ったと言う事は、クラウンさん。貴方は、もう村から出る事を許されない」
「では、どうすれば……」と、彼は言い澱む。
「貴方には二択がある」と、私は指を二本突き出した。「その一、このまま処刑されて、あの毒沼に沈められる。その二、この村の約束を守る事を条件に、この村の中だけで生き続ける」
「私は……」と言いかけて、クラウン氏はこう続けた。「王都に、家族が居ます。彼等に、私は死んだと伝えて下さい」
クラウン氏こと、ディルは二番目の条件を飲んだ。
後日。
地系元素術の「増幅と減少」の特徴をよく知っているディル君は、村の中で「按摩師」として働く事になった。
ついでに、フロイス先生が困っていた「邪気罹患の鼻風邪」の治療法もしっかり知っていたので、医院に通ってくる人達の治療にも協力している。
騒ぎを引き起こしたディルに温情が与えられたのは、偏に、彼が治療していた老人達の意向があっての事だ。
以前、オレンジショックから村を救ったオークスの一家の口添えもあり、立ち枯れした果樹園を再生するための仕事も与えられた。
仕事には熱心だけど、頭は相当固いみたいで、何故か魔術でポットにお湯を沸かそうとして、水を一気に蒸発させたりしている。
「地系元素」以外の元素術は、中々に苦手なようなの。そりゃぁ、医師団に置いて行かれるわけだ。




