34.悪い寒さに捕まって
大狼歴二万五千三百二十五年 射手座九日目
世の中の一般の暦だと、確か今日から十二月と言う月のはずだ。我々の暦での、冬初め祭りが始まるから。
そして私は、風邪を引いた。熱は無いから頭はハッキリしているんだけど、物凄い勢いで涙腺が分泌物を過剰放出している。
鼻水が大放出するようになってから、医術師のフロイス先生の所に行ってみたら、「鼻風邪だね」と言われた。
東洋の「漢方薬」って言う種類の風邪薬をもらって帰宅した。布のマスクを鼻水で潤ませながら。
「どうでした?」って、クミンが聞いてくるので、「ふぁなふぁふぇらっへ」って言ったら、「え?」って聞き返された。
そこで、メモ帳にペンで「鼻風邪だって」って書いて見せた。
漢方薬はお湯に溶いて飲んで、何も出来ずにベッドの上に居る。
クミンが卵入りのお粥を持ってきてくれたけど、塩味だったのか涙の味だったのか、全然分からなかった。
苦しくて悲しい時、人間と言うのは涙の味のご飯を食べる物だって聞いた事があるけど、物理的に涙腺が塩水を出しているが故に苦しくて悲しい時は、涙の味のご飯って言うんだろうか。
とにかく、面倒を看てくれる人に移さないように、私は全力で大人しくしている必要がある。
鼻をかんだ紙を纏めたゴミ箱は、自分で暖炉に持って行くようにしよう。
熱は無いんだけど、とにかく寒いのよね。体温が下がるタイプの風邪なのかな。
だとしたら、体を温めたほうが良いんだけど、うちの設えが。隙間の無い二重レンガの壁が。外気の温度を直接通すのよ。
今も、緊急でベッドを部屋の廊下側に持ってきて、壁から滲んでくる冷気を浴びないようにしている。
いや、この寒さは、暖炉が無いと無理だ。
居間で膝に鼻紙を置き、毛布に包まって、床から離れるように椅子の上に丸まり、暖炉の番をしている。そして傍らには、かんだ鼻紙を入れるゴミ箱。
暖炉の番と日記を書く事くらいしか、やる事が無い。
クミンには、なるべく居間には来ないように言ってある。時々くしゃみが襲ってくるので、黴菌だらけの飛沫を振りかけないとは限らない。
うちの愉快な動物達は、破裂したようにくしゃみをぶっ放す私を、しげしげと眺めている。
「しみったれ。明日には死んでるのか?」って、兎のペパロニが言う。
多分、「明日になっても死なないよな?」って聞いてるつもりなんだろう。
犬のマカロニも、何やら私の事が心配らしく、ゴミ箱が無い方の椅子の片側に、ずっと付き添ってくれている。犬に移る風邪じゃなきゃ良いんだけど。
ヨウムのラザニアは、「マルクル製薬のぉ~。毎日元気ぃ~。一日三粒の~定期服用により~」と言う、医薬品の宣伝の魔力波をわざわざ拾ってくれる。
三匹夫々、気を使ってくれているのは分かる。だが、気を使われるのが重たい時と言うのはあるのだ。
今は唯、暖炉の前を占領する権利だけをくれ。
後、もう少しで鼻紙が無くなるから、買って来てくれ……クミン少年。
弟子にお使いに行ってもらってる間、私は赤々とした暖炉の熱を浴びながら、ガタガタ震えていた。
何だか、寒気がどんどんひどくなって来ている気がする。外は夕方だから、気温が下がってきているのかもしれない。
風邪を引くって言葉は、とある国の言葉で「悪寒に捕まる」って書くんだけど、本当、今の私は何より悪寒に捕まっている。
寒い。さっぷくてしかたない。誰か、私から体温を奪っている物が何なのかを教えてくれ。
……そう書いてから、よ~く考えてみたら、卵のお粥を食べてから、何も食べていない事に気付いた。
牛乳でも温めるか。ジンジャーと蜂蜜でも入れて。
出来上がった物を飲んでみて、お腹と頭は納得したんだけど、鼻は納得していなかった。
湯気が上がって潤った鼻腔から、今日何十回目になるか分からない、爆発するようなくしゃみが出た。
顔をゴミ箱の方に避けたのが幸いして、勢いよく飛び出た鼻水と唾は誰にも、マグカップにも、かからなかった。
但し、口を飛ばして私の顎先まで、涙腺の放出物がべっとりと滴ったけど。ハンカチもマスクも、もう持ちそうにない。
鼻紙をー。鼻紙を早くー。
余りの情けなさで、本当に感情的な涙を流しながら、私は弟子が帰ってくるのを待った。
鼻紙を買いに行ったはずのクミン少年は、蜂蜜の追加とココアパウダーも買って来てくれていた。
「蜂蜜屋さんが閉店の時間だったから、養蜂場まで行ってました」と言って頭を掻いていたけど、何より私には一枚の鼻紙が必要なのよ。
柔らかい鼻紙で目と鼻と顎をぬぐって、ようやく一息ついた。
「何か食べましたか?」って聞かれたので、「りゅうにゅうりょにんにゃーりょはみみゆ」と答えたけど、やっぱり通じそうにないので、メモ帳に「牛乳とジンジャーと蜂蜜」と書いて見せた。
鼻水で鼻がつまってることは分かるけど、何でこんなに口が回らないんだろう。
フロイス先生の話では、喉の奥が腫れている様子は無いらしい。鼻水の出し過ぎで鼻の奥が腫れるってあるのかしら。
夜に大泣きしたりすると、翌朝まで顔面が浮腫んだりするから、涙腺の異常と顔の内部の分泌腺の異常は関係あると思うんだけど、発音がここまでグダグダになる事ってある?
鼻の下がヒリヒリしてくるくらい、溢れ出る鼻水をかみつくして、一時的な呼吸の正常化に成功した私は、クミンの作ってくれたミルクチーズ粥を食べた。
それから、勇気を出して水晶玉を覗いた。
結果を書くと、私はリアルに「悪寒」に捕まっていた。
水晶玉通信で、シフォニィやキノラと筆談で話したの。寒気がして涙や鼻水が大量に出てくるタイプの「風邪」に、心当たりはある? って。
二人は分かんないって言ってたんだけど、ミアンの所に繋いで相談してみたら、あの情報屋さん、「ああ、それ。王都で流行ってるタイプの『悪寒』だ。悪性の死霊の仕業だよ」と教えてくれたのよ。
何でも、先日の大騒乱の後、戦場で散った魂の一部が、死霊に成っちゃったんだって。
その死霊が原因で、今の王都では、『寒さに捕まると泣きながら死ぬ事になる』とまで言われる、冷えるタイプの風邪の大流行を起こしているらしい。
とりあえず、原因が分かったからには、対処の使用はある。
私は弟子の手を借りて居間の家具を部屋の端っこの方に寄せると、カーペットを捲ろうと頑張った。
色んな家具を色んな方向に動かす事で、ギリギリでカーペットの端っこが引っ張り出せた。
白い特殊な塗料で描いてある魔法陣が、レンガの床に現れる。
私はその魔方陣に魔力波を通すと、それこそ呪文を唱えた。
この呪文と言うものが、「ちょっとすいません。今危険な事になってるんで、助けてくれませんか。あなたへの獲物を捧げますので」と言う意味の言葉を、古代語で唱える必要があるのよ。
発音は滅茶苦茶だったと思うんだけど、相手の方はちゃんと来てくれたわ。
氷の体を持った、冷気を噴出する、何らかの装置みたいな身なりの精霊が。
「なんですかこれ?」と、見ていたクミンは言ったけど、「ふぁ、ふぃふぇなふぁい」って言うと、精霊は、腹の辺りから真っ二つに割れて、内部の冷え冷え空間を覗かせると、その中に私を掴んでぶち込んだ。
クミンは何も言えないまま、呆気にとられて見てたって。
私を食べた氷の精霊が、また口を開けると、健康な状態に戻った私が出て来たと言うわけ。
私に憑りついていた「悪寒」は、獲物として精霊の体の中に吸収されて、残らず消えた。
ようやくお風呂に入れる!




