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27.精霊の居る生活

 大狼(フェンリル)歴二万五千三百二十五年 乙女座(ヴィルゴ)三十一日目


 クミン少年は、すっかりとクロッカ達が苦手になったみたい。

 まぁ、トイレの前まで付いてこられたら、確かに嫌にもなるでしょうねぇ。

 朝食の席につこうとするときに、早速クロッカの一人に椅子を引かれていたけど、少年は「大丈夫ですから」と言って、自分で椅子を正していた。

「先生。この精霊達とミヒャエルさんが親戚って言うのは、どう言う……」

 どう言う事? とでも聞きたかったんでしょうけど、クミンは顔を反対側に向けられて、目頭を塗れタオルで拭かれていた。目ヤニでもついて居たんだろう。

「あー。ミヒャエルの血縁に、精霊がいるって事だよ」と、私は答えた。「大昔は、精霊ももっと実体を持ってて、人間と子供を作れたって言うわけ」

「それじゃぁ、ミヒャエルさんも……」と、私に話しかけようとする端から、髪に少し残っていた寝癖を、ブラシで解かれる。

「大丈夫……。大丈夫ですから!」と言って、クミンはクロッカの操るブラシを頭から引き離した。

 クミン少年も察した通りに、ミヒャエルの体の何分の一かは、精霊の血が混ざっている。

 だからこそ、普通の人間より長寿で、私と友人関係を築いて居られるわけだ。

 ミヒャエルも、昔はチャーマー村に住んでいたけど、百歳を超える辺りから、「本当に隠居がしたい」と言って、故郷の森の中に家を構えるようになったのだ。

 彼も、十年ごとに訪れる伝聞記者の襲来に飽き飽きしたんでしょうね。

 隠居をしたはずなのに、家業のカゲトカゲの養殖を続けたりしている所は、やはり長い時間を生きる事の、暇を持て余したからだろう。


 カゲトカゲのピノックは、私とも面識の深い奴なのよ。

「ピノック」と声をかけ、手の平を上に向けて指で誘うと、空中をゆっくり泳いで来て、掻いてほしい所を手指の先に乗せてくる。

 その時のピノックは、首の後ろが痒かったみたい。生物だったら「盆の(くぼ)」と呼ばれる、脊椎の真後ろの、一番脆い部分を、指の上に乗せた。

 彼の影で出来ている体は空中でひっくり返って、丁度床で眠ってるオッサンみたいになっていた。

「おお。今日は其処かい? こっちはどうだい?」と言いながら、私がピノックの首筋や目の間を撫でてあげると、彼は気持ちよさそうに、大きな目を細める。

 年長者のピノックが気を許していると言う事から、後輩の連中も「我も一掻き」とばかりに、私の周りに集まってきた。

 だけど、その気配を感じたピノックが、目を開けてぎょろりと辺りをにらむと、若人達は年長者の怒りを買った事に気付いて、解散した。


 クロッカ達の良い所は、誰も何も言わなくても、ちゃんとご飯を用意してくれる所かな。

 彼女達は「食事を摂る」って言う習慣が無いけど、人間は最低でも一日に五回の食事が必要って思ってる。

 通常の三食のおまけに、おやつの時間と夜食の時間まで存在するものであると理解しているのだ。

 その代わり、完璧に「人間と言うのは、毎日五回の食事を摂らねばならない生き物だ」と言う風に、誤解している。

 なので、ミヒャエルの家に滞在する間は、毎日五回食事を摂る事になる。

 お昼から後の食事量が多いので、ミヒャエル本人も、健康そうに太っている。

 クミンも今日の午後のおやつの時間には、食卓を逃げ出したそうな顔をしていたけど、リキュール漬けのビスケットサンドを、苦めの紅茶で何とか飲み下していたわ。

 ビスケットサンドの中身が、クリームじゃなくてジャムだったのが、せめてもの救いかな。

 かく言う私は、ミヒャエルの家に来る計画を立てていた段階から、甘い物と油物を控えて、体重を軽減させていた。

 それが出来て居なかったら、私も今日のビスケットサンドに音を上げていただろう。


 私は、すっかりビクビクして、「クロッカ達が怖いよぅ」と言う顔をするようになったクミンを連れて、彼女達が住処にしている泉に連れて行った。

 クミンには「絶対に声を出しちゃダメ」と言い聞かせておいた。

 人間の女性の姿を「脱ぎ去った」クロッカ達は、半透明の霊体の姿で沐浴をしている。

 その虹色の光を通すプリズムの体は、一級品の彫刻と言っても良いかもしれない。動くし、小鳥みたいな声で喋るけどね。

 その美しい精霊達の本性を見せてから、私は弟子の方を見て頷いてあげた。

 

 泉を離れてから、「良い物を見ただろう、少年」と声をかけると、クミンはボケーッとしたまま、「はぁ……」と、溜息なんだか返事なんだか分からない声を零す。

「あんな綺麗な存在に『面倒を看てもらっている』と思えば、少しは悪い気はしないのではないかい?」と、私は説得を試みた。

 クミン少年は、「でも、流石に……。だけど、うん……。えーっと……そのぉ……」と、何とか自分の心境を言い表そうとしている。

「深く考えるな。これは心持の問題だ」と、私は説いた。「ちょっと『面倒を看られすぎ』になりそうだったら、すぐに拒絶すれば彼女達も学習する。赤ん坊扱いが嫌だったら、その時その時で断りなさい。

 だけど、君も、髪の毛を梳られるのが心地好いとか思ってたんじゃないのかい?」

 そう言うと、クミンは「んー」と唸ってから、「最初は」と、正直に述べた。

 そこで、私は解説した。

「クロッカ達は、その『最初は』を知らないんだよ。一度『こう言う風に面倒を看たら気に入ってくれた』を、ずっと続けるの。

 人間だってそんなもんでしょ? 背中を撫でてあげたペットが喜んだら、毎回背中を撫でるようになる。

 そうすると、ペットは『もう触るな』と言うサインを出してくるか、逃げる。だけど、人間は『おかしいなぁ。背中を撫でてあげたら喜ぶはずなのに』と思って居る。

 そんな心のすれ違いが、クロッカ達と君の間では発生しているんだよ」

 クミンは目を瞬いて、「つまり、クロッカ達にとって人間って言うのは……」と、言葉を濁す。

「愛でることの出来る、ペットの一種って事だね」と、私は結論を教えた。


 それから、クミン少年はあんまりクロッカ達をうるさがらなくなった。但し、何時でも「慈しんで来よう」とするクロッカ達を、手で追い払ったり、無視したりするようになった。

 クロッカ達は、まだ子供のクミンをとても気に入っている。クミンの反発や無視も、「子供の気まぐれ」だと思って居るようだ。

 多分、クロッカ達にとっては、三歳の人間も十三歳の人間も、同じようなものに見えているんだろう。

 私も、歯磨きをし終わった後で、クロッカ達に口の中を覗かれるのには慣れてしまって居る。

 何だったら仕上げ磨きをしてこようとするので、手でブラシを避けて、「それは要らない」と言い残して、その場を去っているくらいだ。

 私も、外見年齢が十五歳のまんまだもんな。五歳の人間と同じような物だと思われていると言う事か。

 と思って居たけど、家の主人であるミヒャエルは、外見年齢は六十代くらいなのに、クロッカ達の「慈しみ」を、うるさがる事がない。

 歯の仕上げ磨きだって許容するし、もじゃもじゃの髪の毛だって梳らせるし、お風呂に入る時は、体中を彼女達から洗ってもらっている。

 慣れていると言ったらそうなんだろうけど、クロッカ達が他のお客に対しても「赤ちゃんコース」で面倒を看るのは、ミヒャエルの許容も原因だろう。

 人間と言う種族は、こうして徹底的に手を尽くしてあげると喜ぶのよね、と、彼女達は盛大に勘違いしているのだ。

 どうでも良いけど、私のウェービーヘアに直毛剤を塗ろうとするのはやめてほしい。

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