26.旅行へ行こう
大狼歴二万五千三百二十五年 乙女座二十七日目
来月は一ヶ月暇。なので、私は旅行に行く計画を立てている。一週間くらいの旅行にしよう。勿論うちの弟子も連れて行く。
その間の、愉快な動物達の面倒は、またしてもミアンに頼む予定だ。
その報酬として、ミアンからは「とびっきりのチョコレートケーキを買って来て」と言われている。
旅行を計画してから三日後。私は、旅先に持って行くお土産を買って、日記ちゃんとペンと一週間分の着替えと日用品と弟子を連れて、寝台付き夜行列車に乗った。
寝台列車の中では、自分の荷物を守りながら眠る必要がある。クミンにも、「荷物は『固定』をかけるか、枕にして眠りなさい。但し、『固定』を使う場合は眠ってても疲れるけど」と言っておいた。
少年は暫くどちらにしようか考えてる風だったけど、結局荷物の鞄を枕にする事にしたようだった。
一晩分、南に移動しただけだけど、天候は心地好く晴れて、気温も温かくなった。
駅の屋台で食事を得た私達は、乗合馬車に乗り、町外れで降りた。
森の中の、とある一軒家を目指して移動中。菱の実が大量に落ちているのを発見した。多分害獣除けだろう。
トラップを避けて、森を回りこんで行くと、甘い花の蜜の香りがしてきた。
夏の草花の庭が、私達を出迎えてくれた。そして、その庭を手入れしている、デニムシャツの人物の背が見えた。
「ミヒャエル!」と、私は庭仕事をしていた魔術師に声をかけた。
ヘーゼルの瞳の魔術師が、私達の方を見て笑顔を作り、両腕を広げる。
私はそのサインに応えて、彼にハグをした。
ミヒャエルは私の背をポンポンと叩いて、「ポワヴレ! 良く来たなぁ! 待ちかねたよ」と、嬉しそうに呼びかけてくれる。
ミヒャエルはクミンの方を見つけて、「もしかして、彼が?」と聞いてきた。
「そう。私の弟子。まだ二年も付き合ってないけどね」と、私は答えた。
ミヒャエルは、人懐っこい丸い輪郭をさらに真ん丸にしたような笑顔を向けて、クミンに片手を差し出す。
クミンも、人見知りを隠して、握手に応じた。
「クミン・ナバスです」
その名前を聞いて、ミヒャエルは一つ頷く。
「元の御師匠さんの姓を名乗ってるんだね?」
「はい。色々あって」と、クミンは誤魔化した。
ミヒャエルは、庭仕事を早々に切り上げると、井戸の水で手を洗って、家の中に私達を招いた。
「せっかくのお客さんだ。コーヒーを淹れよう」
そう言って、コーヒーミルに、香りからして飛び切り上等な豆を入れる。
ミルのハンドルを回して、こりこりと豆を削る音を響かせた。
「クミンは、酸っぱい方が好きかい? それとも苦い方?」と、ミヒャエルは客の好みを聞いてくる。
「ミヒャエルさんの一番好きな淹れ方で、お願いします」と、クミンは言う。
青少年は、上手な注文の言い方も心得てきたようだ。
ミヒャエルは、ビターのコーヒーに、カエデの香りがするシロップを入れたカップを配膳してくれた。
私はそのタイミングで、「これ、お土産」と言って、荷物の中からクリームをサンドしたケーキの箱を取り出し、ミヒャエルに渡した。
ミヒャエルは、「おお」と、驚いたような歓声を上げてから「せっかくだから、みんなで食べよう」と言って、天井の隅へむけ、特徴的な指笛を鳴らす。
待つまでもなく、天井の隅からモヤモヤと黒い煙のようなものが湧き出した。黒い煙で出来た蜥蜴のように見えた。
それを目にした途端、クミンは硬直してしまった。
私は、「あれは悪霊じゃないから、大丈夫」と弟子に声をかけた。
ミヒャエルは面白そうに、「クミンは、カゲトカゲを知ってるかい?」と、魔術の心得が浅い少年に聞く。
「話には、聞いた事があります」と、クミンはまだ緊張している風に述べた。「誰かの影を食べる事で、その人の魂を食べちゃう蜥蜴ですよね?」
「一般常識としてはそうだね」と、ミヒャエルは応じて、「うちでは、代々カゲトカゲの養殖を行なってる。子供の頃から、彼等と一緒に同じ家に住んで、カゲトカゲが人間と共存できるように手助けをしているんだ」と説明してくれた。
「人間の魂を食べる生き物なんじゃないんですか?」と、少年は不思議そうに返す。
「それは、あくまでそう言う『呪詛の方法』として使われる事があるって言うだけさ」と言っているミヒャエルの首に、彼の家族であるカゲトカゲが巻き付いている。
「その呪術が増えた事で、カゲトカゲそのものが怖い物だと思われてしまってるけど、ご覧の通り、自然な状態の彼等は、とても人懐っこくて気の好い奴等なんだ」
そう言って、ミヒャエルは、一際大きなカゲトカゲの頭の後ろを指の背で撫でる。
「こいつの名前はピノック。牛のクリームが大好きで、近くの農場から乳をもらってくると、何時も上澄みだけ食べちゃうんだよ。ほら、もう、ケーキのほうに興味を示してる」
彼の言葉通り、蜥蜴のピノックは、ケーキの箱の方に空中を泳いできている。
ミヒャエルは、十二個入っていた小さいケーキのうち、三個を素早く箱から出して、皿に乗せた。
「皿に乗せたのは人間の分」と、ミヒャエルは言う。
確かに、部屋を埋めそうなカゲトカゲ達は、皿の周りに集まってこなかった。そう言うルールでしっかり躾けてあるのだ。
私達が、シロップ入りのコーヒーと、クリームケーキを食べている間、カゲトカゲ達は箱に入ってる分のケーキを「一口ずつ」齧っては、素早く空中に離れる。
獲物を食べる順番を決めてあるのね。体の大きな物から順に食いついている様子だった。
他のカゲトカゲより青く見える小さな蜥蜴達が、最後に残ったケーキ屑を拾い食べている。
カゲトカゲ達も、それからミヒャエルも、私の持ってきたお土産に満足していた。
「上等なクリームだ。何より新鮮だね」と、ミヒャエルは言いながら、指についた粉砂糖とクリームを舐める。
「ポワヴレ。今日は泊って行くんだろう?」と、ミヒャエルは聞いてきた。「クロッカ達を呼ぼうか」
「ええ。お願いするね」と、私は答えた。
ミヒャエルが通信のために奥の間に行くと、クミンが耳打ちしてきた。
「クロッカって誰ですか?」
「ミヒャエルの親戚」と、私は差し障り無い所だけ述べた。「私が泊まりに来ると、身の回りの世話をしてくれるの。だけど、自分の事は自分でやらなきゃだめよ?」
「お客様には成りすぎるなと?」
「それもある。だけど、クロッカ達は……」と、重要な所まで言いかけた時に、ミヒャエルが戻って来た。
「あっちも暇をしていたらしい。是非うちに来たいってさ。面倒見の良い連中だけど、その……まぁ、来てみたら分かるさ」と、肝心の家主は言葉を濁す。
「はい……」と、答えたクミンだったけど、何となく変な感じは伝わってたかしら。
クロッカ達は、確かに面倒見が良すぎる。私も、以前泊まった時に、背中だけではなく体中を洗われそうになってびっくりしたものだ。
食事の時は、一口一口をフォークに刺して食べさせようとしてきたり、カップでお茶を飲むと、口の周りを拭いて来ようとする。
彼女達の面倒見を一度受け入れてしまうと、どんどん増長するので、「大丈夫だから」と言いながら、優しくご遠慮する必要がある。
その辺りの説明が無いまま、クミンは彼女達から「お世話」を受ける事になった。
思った通り、赤ん坊みたいに面倒を看られて、おまけに風呂の方からは「やめて下さーい!」って言う、クミンの悲鳴が響いてきた。
やっぱり説明しておいたほうが良かったかな。




