23.沈黙の間の日常
大狼歴二万五千三百二十五年 蟹座二十三日目
一ヶ月の禁が解けて、私はようやく先日の件を綴れるようになった。
禁術を受けたクミンの腕はしっかり生えてきて、今は普通の腕みたいに使えるようになった。
唯、彼の腕が生えてきた部分には、深紅のタトゥーが刻まれている。その左腕が、作られた紛い物である事を示すと同時に、作られた腕を守ってくれる護符みたいなものだ。
一ヶ月間、言葉を喋る事も、文字を書く事も出来なかった私は、クミンの作ってくれるご飯を食べて、生命活動に必要な諸事を済ませて、たまに雑貨を作ったりして、鬱々と毎日を過ごした。
だけど、私がしょげていたら、腕を治してもらったクミンだって気が滅入ってしまうだろう。
だから、私は「沈黙」を強いられる期間の間、出来る限り外に出て、体作りをしてみる事にした。
ご飯をしっかり食べて、黙々と薪割をして、犬のマカロニを連れて長距離を歩きに行って、帰って来てまたご飯を食べて。
川に泳ぎに行こうとしたら、「溺れたらどうするんですか」って、クミンに止められたので、お風呂で泳ぐことにした。
息を止めてお風呂の水の中に顔を沈めてみると、その中は海の底に成っていた。
それも、南の方の、温かい海の中だ。色んな色の海藻やサンゴと、色んな形のカラフルな魚が視界を彩っている。
「――おお。すごい――」って口を動かしたら、口の中に思いっきり潮水を食らった。
ゴボゴボ言いながら、私がお風呂で溺れそうになっていたら、クミンが駆けつけてきて、私の上半身を水の中から引き上げた。
むせている私の背中に、ぴょんぴょん坊やがタックルをかましてくる。お腹に溜まろうとしていた潮水が、逆流して来て喉からあふれ出る。
「――なにすんの――!」と、声を出せない口をパクパク言わせると、ぴょんぴょん坊やは「へっ!」と鼻を鳴らして、何処かに走っていた。
「今のは、ペパロニにお礼言わなきゃなりませんよ」と、クミンはやけにぴょんぴょん坊やの肩を持つ。「これ、海水でしょ? 潮水は飲み過ぎると命にかかわるんですから」
その説明を受けて、私はちゃんとクミン少年が「異地点との空間の接続」って言う現象が、何の術を使わなくても起こるんだって勉強してるんだなぁって気づいた。
夏のマーケットが開かれている間も、接客が出来ない私は、買い物に行く他は暇を持て余す事になるはずだった。
だけど、此処でもやっぱりクミン少年が頑張って、マカロニと一緒に大荷物をマーケットの会場まで運んで、私が手で示すサインで指示を読み取りながら、売り子の仕事をしてくれたのだ。
おかげで、私達の作った雑貨は、暫くの生活を支えてくれるくらいの売り上げを見せた。
何だか、とても役に立つ助手に育ってきているなぁって思ったものだわ。
ユニカちゃんも、クミンから私が喋れなくなった経緯を聞いて、逆に私にたくさん話しかけてくれるようになった。
私が手のサインだけでどうにか意思を伝えようとすると、ユニカちゃんは頷きながら、「こう言う事ですか?」と、ちゃんと確認をしてくれる。
私の意思が伝わるまで、「ああ言う事ですか?」とか、「それともこう言う事ですか?」とか、とにかく滅茶苦茶声をかけてくれるので、なんとなくぼんやりとでも、私達はやり取りが出来ていたと思う。
その日の日向で、私はユニカちゃんと一緒に、クミンの剣術の練習を見ていた。
その時は、クミンは同じ教習所で帯刀許可を得た、モルクって言う名前の男の子と一緒に、打ち合いの模擬訓練をしていた。
モルクのほうが体格が良くて、クミンは劣勢じゃないかなぁって私は思ってた。
だけど、小柄なクミンは、右から切りかかって来たモルクの切っ先を、盾で打ち払って、一気に懐に飛び込むと、対戦者の首に刃を宛がった。
モルクは、にやって笑って両腕を広げると、「降参だ」と述べた。
クミンも、にやって笑って、後退りながら刃を引っ込めた。「モルクは『勝てる』って思うと、隙が出来るからな」
「そんな所まで見抜かれてる?」と、クミンより背の高い青年は意外そうに言う。
「見抜いてる。教習所の頃から、その癖が全然治って無い」と、クミンは利き手のブレスレットを見せる。
「だから僕の方が先に『卒業』したようなものだからね」
「なんだよ。教えてくれれば、今頃直してたかもしれんぜ?」と、モルク青年は気軽に言い返した。
「じゃぁ、今日から直せば?」と、クミンも意地悪を言う。
青年達は肩をつつき合いながら、剣を鞘にしまい、私達のほうに歩いてきた。
「ユニカ。今の判定は?」と、クミンが聞いてくる。
それを村娘ちゃんに聞いて分かるものなの? と、私は思ったんだけど、「勢いはモルクさんのほうがあったと思う」と、意外にもユニカちゃんはしっかり判定をしていた。「クミンさんは守りに徹していたけど、『隙』を見つけるのは上手かったね。だけど、一対一の時以外は、周りにも気を向けたほうが良いと思う」
それを聞いて、青年達はフムフムと頷いた。
後で聞いたんだけど、ユニカちゃんは「栄光の大帝国戦記録」って言う古代の王様の自伝や、「剣術古今」って言う書物を読んでいて、今では村でちょっと知られている、剣技の審判役なんだって。
下手な試合に出て、家系や金銭による贔屓の多い審判に判定されるより、ユニカちゃんに聞いたほうが剣術も上手くなるなんて噂されているらしかった。
そんな噂が流れてしまうと、文句を言ってくる「公式判定員」達も居る。
あぶく銭が得られなくなった判定員達が、わざわざユニカちゃんの家に押しかけて、彼女が「剣術士を惑わす虚偽の判定者と見なされている」って言ったんだって。
最初は穏便に帰ってもらおうとしていたユニカちゃんのお父さんも、余りに判定員達がしつこいのと、何となく言葉の端々で「金銭を支払えば許してやろう」って言ってる様子を感じ取って、「いい加減にしろ!」って怒鳴った。
それから、「村娘の目に信用を奪われるほど盲目なお前達では、正式な判定などできはせん! 家系図や収入録に目を通している暇があるなら、剣術書の一冊も読んだらどうだ!」って、家の外に響き渡る声でどやしつけて、それでもまだ何か言い返して来ようとする審判員達を、薪割斧で追い出したんだって。
刃の方で叩くと殺しちゃうから、側面で肩や脚や腹を叩いて、文字通り家から叩き出した。
審判員をやっているのに、一般市民の扱う薪割斧を避ける事も出来ないなんて。
その後、私と同じ感想を持った村人達から話が広まって、ユニカちゃんの家に押しかけて来た判定員達のうち、顔を知られた者達から順に仕事が無くなって行ったらしい。
「彼等は剣術書より、家系図や収入録を見て審判をしているそうだ」って言う、からかいの言葉が広がるのと共に。
また暫くして、剣術教習所から、ユニカちゃんの家に人が来た。
今回は失礼な文句じゃなくて、「お嬢さんの読んでいる書物を紹介してほしい」って言う、嘆願だったらしいのね。
近年の「公式判定員」の腐敗ぶりは、この度の騒ぎで近くの町や村まで聞こえるようになって、それが王室に出入りしている大臣の耳に入ったんだって。
たぶん、私に国王勅令を持ってくる顔面の厳つい大臣の事ね。
ユニカちゃんは、剣術の本の他、筋肉の緊張や弛緩の特徴なんかの、人間の体の運動機能についてとかの書物も紹介していたみたい。
どんな小さな事からでも、世の中が良くなって行くのは良い事だろう。




