2.小さな湖畔の
大狼歴二万五千三百二十四年 山羊座二十六日目
雪が多いけど、今年は暖冬だって言われてる。毎日曇っていても、そこそこ暖かいのは、この国の辺りの海に暖流が通っているからだ。
夜中に目が覚めてしまって、ついつい日記ちゃんを引っ張り出した所だけど、こう言う時ってすぐに眠りなおしたほうが良いんだろうか。
だけど目はぱっちりと冴えている。
起きちゃったのには何か原因があるのだろうから、その原因を解消すれば眠くなるはずだ。とりあえず、湯冷ましを飲んで何か食べてみよう。
シュガーレスのビスケットを一袋分食べると、三十分くらいしたら眠気が戻ってきた。歯を磨きなおしてから、再びベッドの中へ。
たっぷり眠って起きて伝聞紙を読むと、一面の見出しにでっかい蛇が描かれていた。
形状はコブラに似ていて、開けた口の中に毒液を噴出するための舌を備えた、大木と同じ大きさの蛇だった。
念写技術が良すぎるので、本能的に危険だと感じる生き物のアップには、ぎょっとした。そして、蛇の額に「退化」の呪印が刻まれているのにもぎょっとした。
文面を追って行くと、何でもチャーマー村に新しい観光名物がオープンしたと言うのだ。一面を飾っている大きな蛇は、その公園の……悪い言葉を使うと、見世物だと言う。
公園の名前は「チャーマーズ・スネークパーク」と言うらしい。意味はそのまま、魔女の蛇公園。
スネークパークの中には、一番の見世物である、呪印を刻まれた蛇の他に、普通の毒蛇や、無毒な蛇、大人しい蛇、笛と共に踊る事を覚えている蛇、と、色んな蛇が見られるらしい。
よりによって、そんな不気味な公園を、なんで観光名所にするかなぁ……と思ったけど、村に住んでいる全員が魔術師や魔力持ちって言う状態は、ちょっとへんてこりんな価値観を生むのかも。
なんでも、伝聞紙の一面を飾っていたのは、伝説の世界で存在していたと言われる大蛇なんだって。かなり高い魔力を持っているので、周りに魔力的作用を起こさせないために呪印が必要みたいだ。
その毒蛇は、一匹だけではない。番いになる個体も一緒に入れられており、繁殖期に成れば卵や子蛇も観れるだろうと書かれている。
呪いで知能を貶められている生物達は、正常に番いになったりするんだろうか。
情報屋のミアンの所に、「蛇公園」への無料招待券が来た。一枚で三人まで園内に入場可能なので、一緒に観に行かないかと言う話だ。
私は家の壁に備えてある、伝言板に浮かび上がったミアンのメモを見て、彼女が指定してきた日付を確認した。
行こうかどうしようか考えているうちに、伝言は更新されて行って、シフォニィも一緒に行くことになった。
指定の日時に予定は入れてなかった。天気予報では、当日は晴れるらしい。私は、一通りミアンからのメモを読んでから、「良いよ」と言う気軽な返事を伝言板に書き込んだ。
蛇公園に行った日。
数日間、太陽が見えていたおかげか、足元の雪はすっかり溶けていた。気になるのは、北から吹く空っ風。保湿クリームで潤わせている頬にも、乾燥した冷風は痛い。
ミアンの持っていた無料招待券は、「情報局の取材のために」配られた物なんだって。
ミアンは後から、あの蛇公園の事を記事にしなくちゃならない。それを分かっているためか、私とシフォニィは普段着だったけど、ミアンだけは、灰色のスカートと白いブラウスのフォーマルウェアを着て、テープレコーダーを持って、念写用のフィルムを何十枚か用意していた。
幾つ写真を撮る気なんだろうと思ったけど、何枚も撮った写真から「ベストショット」を選ぶものらしいから、フィルムはいくらあっても困らないんだろう。
蛇館の出入り口近くは、水槽に入れられた小さい無害な蛇が並べられていた。彼等はお腹がいっぱいみたいで、とぐろを巻いて昼寝をしていた。
水槽の表面に、「硝子に触らないで下さい」と言う注意書きが貼られている。
通路を進むと、暗い廊下の中で、明かりを灯された水槽がいくつも並んでいた。
熱に反応して噛みついてくるタイプの蛇が居たけど、そう言う血気盛んな子は、物質的に牙を抜かれていた。
まだ水槽暮らしに成れていないらしく、熱源である観覧者達に飛び掛かろう、何とか噛んでしまおう、と頑張っていた。
飼育員さんが鼠を食べさせたら、けろりと大人しくなったけど。
目玉の見世物である大蛇は、小さな四角いガラスの塊を幾重にも並べた、丈夫な檻の中に居た。
恐る恐る近づいて、硝子の塊の一個から覗き込むと、思った通りに大きな蛇が見えた。
伝聞紙の念写写真と同じように、檻の中に敢えて植えてある若木より、何倍も大きい。
鎌首を持ち上げた姿で、二匹は、暇そうに檻の中をうろうろしていた。
私達の目からすると、同じ檻に入れられた二匹は、今にも喧嘩をしそうな様子だった。どちらかがどちらかに近づこうとすると、「シャー!」と、お互いが威嚇の声を上げ、牙を見せて毒液を吹きかけようとする。
「これ、絶対相性悪いよね」と、ミアンが黒い三つ編みを肩の後ろに避けながら、苦笑する。
「押し着せられた結婚は辛いよ」と、シフォニィが首を縦に振りながらしみじみと返し、私は「種族が違う奴に決められた結婚じゃあね」と、蛇を哀れんだ。
新しい観光名物が出来たと言う事で、スネークパークには出店や屋台が並んでいた。
ワッフル、クレープ、スープヌードル、フライ、スムージーに、魚や鶏肉の串焼き。
あちこちから良い匂いがしてきていた。私達は見世物にされている蛇の苦を一時忘れて、焼き立ての色んな軽食を買うと、胃袋に収めた。
その蛇公園に行って来てから更に数日後、ポストに投函されていた伝聞紙を読んで居ると、あのパークで早速、事故があったらしい。事故と書いてあったが、内容は事件だった。
あの大蛇の片方が、閉じ込められている硝子張りの壁に頭突きをして、硝子の一部に皹が入ったと言うのだ。
特に、雌のほうの気性が荒く……と言うより、番いとして用意された雄を嫌っているらしく、死に物狂いで檻から逃げ出そうとしたそうなのだ。
割れた硝子が頭の一部を傷つけ、破片によって怪我をした事から、蛇は一時的に大人しくなったと言う。
分かる。分かるよ、気持ちは分かると、思いつつ、私は伝聞紙の紙面に添えられた念写写真を見ていた。
追記。
大狼歴二万五千三百二十四年 水瓶座二日目
蛇公園の檻に閉じ込められていた、あの大蛇達が逃げ出した。目玉の見世物が無くなったスネークパークは、営業停止寸前であると言う。運営者である爬虫類研究者達は、恐れおののく者と、がっかりする者に分かれたそうだ。
事件の発端は、あの大蛇達を括っていた呪術が不完全になり、蛇達の知能を「動物並み」に抑えておくことが出来なくなったからだって。
元々、人間より頭の良い種族を退化させていたんだから、それは無理のある状態だったんだろうとは、私でも察せる。
念写写真を見ると、先日、檻から脱走しようとした雌の蛇の額が赤く切れ、同じ赤で描かれていた呪印の形状を損ねていた。
此処からは推測だけど、呪印の効力を失った雌の蛇が、雄の蛇のほうの術も解いて、二匹で協力して檻から脱出したのだろう。
空っぽになった硝子張りの檻の様子も載っていたが、檻を壊して逃げたのではないようだ。紙面の文章を追って行くと、蛇の失踪と同時に飼育員が数名、行方不明になっていると言う。
行方不明者は、たぶん蛇さんのお腹の中で消化中なんじゃないかな。