19.風の中には初夏薫る
大狼歴二万五千三百二十五年 牡牛座七日目
青少年達の心模様を知ってしまったわけだけど。私は、詮索はすれどその事について何も言うべきではないだろう。
ユニカちゃんは、「私だって、シフォニィさんみたいな位置に居たいって言う願望はありますけど」と述べてから、「クミンさんに『創作意欲』を開眼させるなんて、私じゃ到底無理って事は分かっています」と続けて居た。
本当、正直かつ、謙虚な良い子なのよ。
来る日も来る日も、重たい鉄の剣を振り回し続けて、クミンの体はどんどん引き締まって行った。絞るだけだと体に悪いと言う事で、定期的に肉を食べさせている。
肉だけだと食べ応えが無いので、野菜と混ぜたり卵で包んだりしながら。その他には、魚を大量に食べてもらっている。流石に安い肉でも、肉を毎日食べるって成ると、相当金銭がかかるからね。
運動後の蛋白質を得た少年の体は、どんどん筋肉がついて行ってる所。
将来は魔術師になるんだとしても、軟弱で良いわじゃないもの。
あれから七日間が経過した。
チャーマー村の中は、初夏祭りへの準備で色めき立っている。つい先月まで、この村でも「魔女狩り」が起こってたなんて思えないくらい、みんな切り替えが早い。
勿論、狩られてしまった魔女や魔術師達を悼む声も、時々囁かれる。
それから、アンゼリカに与する事で命を守った魔女や魔術師達は、あの騒動の間に村から居なくなっていた。
何軒か、魔術師仲間の家に出かけてみたけど、家の中はがらんとしていて、人間が出入りしていない家特有の、湿っぽいにおいがした。
王族によって処罰されたのか、それとも自分の軟弱さが後ろめたかったのか、それとも村人達からの私刑に遭ったのか?
想像の範囲は出ないけど、彼等は「それまでと同じように」生活を送る事が出来ないくらいの罪を背負ってしまったの。
改めて、魔術師や魔女が信用を失うと言うのは、本当に死に直結する大問題なのね。
初夏祭りの風物詩は、笛の音と季節の花飾り。百年前は笛吹の集団が、一軒一軒家を巡って技を披露していたけど、近年では広場に楽団を形成して、村人達に一気に音楽を聞かせると言う手法を取り入れている。
笛吹達の音色を聞きながら食事をするって言う贅沢を、「集団で」味わうようになったのだ。
それによって、かつては朝から晩まで数週間続いた初夏祭りも、特定の日に一回きりのお祭りとして開かれるだけになった。
そのお祭りの日に食べるためのご馳走は、夫々の家で準備したり、当日に出店している屋台で食べたりする。
私の家では、数日をかけてじっくり煮込んだビーフシチューと、ミルクとバターを使って焼いたブリオッシュを用意した。
野菜を大きめに切って、芯まで煮込むようにしたら、結構と上手く行ったよ。
さっきまでスプーンの上に存在していた大きなニンジンが、口の中に入れた途端、溶けて消えるくらい煮込んだ。
試食用のブリオッシュを食べてみたけど、お店で売ってるものでも再現できないくらいの、「リッチさ」は出せたかもしれない。
その代わり、食べた後で強烈に紅茶が飲みたくなるけど。
後は祭りの当日を待つばかり。
この家がある場所は、そんなに町の広場に近い所じゃないけど、窓を開けて置けば笛の音くらいは聞こえてくる。
今年の楽団は、どのくらいの規模かしら。
大狼歴二万五千三百二十五年 牡牛座二十一日目
雄鶏が時の声を告げると同時に、広場の方から楽団の笛の音が聞こえてきた。
まだベッドの中にいた私は、うとうとしながら滑らかな笛の音に耳を澄ませると言う贅沢を味わった。
笛の音に耳を澄ませながら、ぼんやりと目を開ける。同時に、一楽章が終わる。
私はベッドから起きて、三階から窓の外を確認した。家並に隠れて見えないけど、窓を閉めてても笛の音が聞こえるという事は、何時もの年より楽団のメンバーが多いらしい。
着替えを済ませ、洗面台のポンプから水を呼び出すと、顔を洗って口をゆすいだ。
食事を用意してキッチンに置かれているテーブルに着き、保存棚に入れて置いたブリオッシュを、型紙から外して、ミルクティーと共にいただく。
その間も、耳をくすぐるように笛の音は響いてくる。
ああ、なんとも贅沢な時間。
そんな事を思って満足していたら、玄関の鍵が開く音がした。
様子を観に行ったら、クミンがテイクアウトの紙袋をたくさん持って、帰ってきた所だった。
「ただいま帰りました」と挨拶をするので、「お帰りなさい」と返事をした。
そのやり取りの間に、少年は玄関から居間のテーブルの前に辿り着いた。スナックの紙袋を、テーブルの上にどさっと置く。
「ゆっくり眠れました?」と、皮肉だか確認だか分からない言葉をかけてくる。
「まぁね」と、私も言葉を返す。「その大量のスナックの類は?」
「屋台の戦利品です。美味しそうな物がたくさんありましたよ」と、クミンは当たり前みたいに言ってるけど、うちにだって私が丹精込めたビーフシチューがあると言うのに。
「お小遣い足りてるの?」と、私は聞きながら、紙袋を開けて見た。
「足りてますよ」と、クミンは必要な所だけ答える。
紙袋の中からは、新鮮な魚のフライのにおいがする。それから、揚げ芋と、大きなクロケットと、揚げ団子と、揚げパンのにおい。
「油っこいのばっかり買ってきたねぇ」と、私は呆れて苦笑してしまった。
「油物は食欲が刺激されると言うか、なんか美味しそうだと思っちゃうんですよね」と、クミンは結構すらすら喋る。
あの修道院生活の間から、クミンは言葉数が多くなってきた。確認も無く出かけちゃう所は、何時もの通りだけど、少しだけ社交性と言う物が育ってきたのかな?
春祭りにも、手紙祭りにも参加させたし、小間使い仲間にも恵まれたみたいだし、クミンにとっては良い経験だったのかも。
そんなクミン少年は、修道院の小間使い仲間とペンパルに成っている。
小間使い達は、外の世界の刺激に飢えており、クミンは、気軽な言葉のやり取りが出来る仲間に飢えていたようなの。
初夏祭りの笛の音を聞きながら、クミン少年は居間のテーブルで手紙を書いて居る。
「今度は誰宛?」と聞くと、「イシュアって言う、小間使いの先輩です」と答えてくれた。
何でも、イシュア少年は小柄でクミンより年齢が下に見えるのに、何にでもよく気づいて、何でも教えてくれる、良い先輩だったのだと言う。
「イシュア君のあだ名は?」と、続けて質問すると、「『オスカー』です」との答え。
「なんで『オスカー』?」って聞くと、「なんか、何年経っても身長が伸びないって言ってたから、じゃぁ、『オスカー』だねって言う話になったんですけど」と、クミンは言う。
確かに、イシュア君は一人だけやけに小柄だったけど、背が伸びない特性を持っていたとは。
私も、「カモメ」に宛てて、初夏祭りが無事に行われた事の報告の手紙を書いた。
因みに私はカモメから、「ヒバリ」って呼ばれてる。空の何処にいるか分からないのに、何処までも響く美しい声を持っているから、と言う……かなり美的で恥ずかしくなりそうな理由を添えて、カモメは私をそう名付けてくれた。
声が綺麗って言うのは、今まで言われた事なかったし、意識した事なかったけど、顔面が石像みたいな私にとっては、声であっても綺麗と言ってもらえるのはありがたい。
だけど、私、歌は下手なのよねぇ。美点を教えてもらえても、活かしようがないわ。
お祭りの時に客受けの良い声が出せれば良いのか。




