18.恋する乙女の美容法
大狼歴二万五千三百二十五年 牡牛座一日目
鼻歌交じりに、私は庭木に水をやっていた。変な方向に生えている枝を選定して、新しい芽吹きを得た枝が、一番綺麗に見えるように整えていたの。
長らく、薪割斧以外の重たい刃物を持っていなかったクミンが、庭で剣の素振りの練習をしている。
私は熱心な少年を他所眼に、食事を作りに家の中に引っ込んだ。
野菜と肉を刻んでいたら、クミンが右肩を押さえながら聞いてきた。
「何か盾みたいに扱える物はありませんか?」って。
私は周りを見回してから、直感で、真鍮で出来ている鍋の蓋を渡してあげた。
クミンはちょっと変な顔をしていたけど、素直に鍋の蓋を受け取った。
何でも、片手で扱う剣を使う場合、本来は空いているほうの腕に盾を備えて、攻撃したり防御したりしながら身のこなしを決める物らしい。
その後、彼は鍋の蓋の取っ手にロープを巻き付けて、腕に括りつけていた。
鍋の蓋じゃ軽すぎるかもしれないけど、所作の練習くらいにはなるだろう。
三日後、流石に鍋の蓋が必要になってきた。たまには茹でたジャガイモが食べたいのよ。
クミンに、「自分の使う盾を作ってみる?」と提案すると、「作れるものなんですか?」と返ってきた。
「本格的な物を作るなら、鋳造技術が必要だけど」と、私は前置きしてから、「木造りの盾を使ってる人も居るし、鉄屑と動物の骨なんかを組み合わせれば、そこそこの物は作れると思う」と、あくまで見た事があるだけの意見を述べた。
それでも、左腕が寂しい状態で剣を使うよりマシだろうって事で、クミンは盾作りを始めた。
何時までも鍋の蓋を占領されると、煮込み料理が何にも作れないままだしね。
クミンは紙に幾つかのデザインを描き出した。全体的に見てみると、表面は金属板で覆って、中間に動物の骨を配置する事にしたようだ。
金属板の切り出しと溶接は私が手伝って、クミンには動物の骨を調達させる事にした。
朝から屠殺屋の小屋に行き、夕方には牛の骨盤の骨を譲ってもらったと言って大喜びで帰ってきた。
剣の突きに対して、牛の骨がどれだけの強さを持ってるかは分からないけど、唯の鉄板二枚を合わせただけより、衝撃は吸収してくれるだろう。
数日後、鉄屑と牛の骨で出来た盾が完成した。重さも丁度良いようで、クミンは張り切って体力づくりをしていたわ。片手に剣を持ち、片手に盾を身に着けたまま、滑らかな動作をするって言う訓練ね。
たった二ヶ月だけど、剣を持てない期間があったわけで、クミンは剣の素振りだけで汗だくになっていた。
そして、そんな彼に熱い眼差しを向けて来る乙女が居た。
茶色の巻き髪のショートカットと水色の瞳を持った女の子。民族調のゆったりしたファッションが良く似合っている、素朴な感じの子だった。
クミンが庭から帰ってきた時。からかい半分に、「何だか貴方の事を見つめてる女の子が居るじゃない?」って聞いてみたら、「ユニカの事ですか?」と、クミンは言う。
何でも以前、クミンに刺繍のハンカチをくれた子だそうだ。うちのぴょんぴょん坊やが、食いちぎってベッドにしたあのハンカチね。
春の大掃除には丁度良い気候。つまり、風は穏やかで晴れている日。
何時ものように、クミンの剣術の練習を見に来たユニカちゃんに話しかけてみた。
「此処の所、クミンの様子を見に来てるみたいだけど」と、切り出して、「何か気になる事でも?」って、ニヤニヤしながら聞いてみたら、彼女は少し顔を赤らめ、「私は……クミンさんのファンなんです」と言っていた。
編み物をやってた時のクミンも好きだけど、剣術に勤しんでいるクミンも大好きで、彼がどんな風に変わって行くのか、変わって行かないのか、どんな魔術師に成長して行くのかを、「近くで見て居たいって言うだけなんです。本当、御迷惑をかけるような思いは抱いていませんから」と、物凄く恐縮されたわ。
どうやら、ユニカちゃんは、うちの弟子に一種の憧れを持っているのね。
恋する乙女は綺麗になるって言うけど、それはあながち間違いじゃないのよ。
女の子が恋をすると、ホルモンって言う、体の中を流れる物質の影響で、髪や肌の色艶が良く成ったり、目が潤んだりする。
心拍数も「平常時」より上がるから、頬が赤らんで、唇の血色も良くなる。化粧をしてなくても、目立ってほしい場所にナチュラルに赤みが差す。
人によっては、汗のにおいまで変わって、何となく甘い香りを感じさせる汗をかくように成ったりもする。
そう言う事を思い返してみると、「恋をする」と言うのは、健康に良い側面もあるのかしら。
そう言えば、森魔女の中には、「恋をする事で美貌を保っている」人々が居る。
彼女達も、常に憧れる対象や、愛でる対象を維持していて、常に「心の内が満ちる」状態にしている。
彼女達の顔は何時も薔薇色で、瞳は点眼液なんてつけなくても、充分に潤っている。
ホルモンの影響で「良好」な状態になっている髪や肌を、ミルクや蜂蜜から作ったクリームで更に潤わせて、本当、触ったら溶けそうなくらい、つるつるの髪と肌をしていたりするの。
彼女達が集団で居ると、何処の水の精霊が集まっているのかと思う時があるくらい。
森魔女達の美しさは、見た目の派手さと言うより、品質の良さなのだろう。
私も、毎年の自分の品質をチェックする日が来たわ。
馴染みの医術師の所に行って、私の体が老化しているか、もしくは成長しているかを調べるのよ。
若い頃から私の身体測定をしてくれている医術師のフロイスは、すっかり老年で、顔の皴も濃い。
だけども、背筋をしっかり伸ばしていて、膝も腰も曲がって無くて、髪の毛はふさふさ。自分でも健康に気を付けているんだろうなぁって思うくらい、若々しさと言う物を保っている。
そんな医術師に診てもらうと、身長は去年より一センチ縮んでいた。骨格や筋肉の状態で、一センチくらいは伸びたり縮んだりするから、そんなに気にする所ではないって、フロイス先生は言っていた。
胸囲と腹囲は、去年とほぼ同じ太さ。勿論、胸が出っ張って来た気配もないし、極端に太ったり痩せたりした気配もない。
短距離走の速さと、全身の筋力測定も行なう。握力測定器を握ったり、目盛りのついてるボードの前でジャンプしたり、椅子の上に立ってつま先以下のどのあたりまで前屈出来るか調べたり。
ついでに髪質と皮膚年齢、内臓機能の年齢、血液の状態の年齢なんて言うのも測定した。近年、こう言う風に細かく体の年齢を調べるのが流行っているらしい。
全部の測定が終わってから、医術師には「驚くほど健康的」と称賛された。
どの項目も「十代半ば」の数値をはじき出したけど、血液年齢って言う項目だけは、「老化してるわけじゃないけど、少し油が多いかな」って言われた。
健康維持のために、定期的にナッツを食べる事を勧められて帰ってきた。
塩味のついている保存用のナッツを、小皿に数粒ずつ用意して、お茶を傍らにボリボリ食べた。
顎の運動には丁度良いかもしれない。
「おい。しみったれ」と、ペパロニが声をかけてきた。「見せつけてんのか?」と。
たぶん、「ちょっと頂戴」の意味なんだろう。
「これは、あなたにとってはしょっぱいの」と返事をすると、「なんでぇ。人間様ぶりやがって」だって。その言葉をそのまま聞くと、ぴょんぴょん坊やにとって私は「人間ぶっているだけの奴」なわけかな? 「お前は人間ではない」と?
浅い笑いが浮かんで来たわ。




