15.神様のペット
大狼歴二万五千三百二十五年 魚座二十九日目
何とか、春祭りは行えたし、それに関して修道士達に怒られる事も無かった。
唯、クロケット食べた後は、「暴食を抑えなければなりません」と言われて、四日間、パンと塩水だけで過ごす事になったけど。
家に残してきたペット達がどうなったかが気がかりで、私は部屋で水晶玉を覗く。すると、家の数ヶ所に取り付けてある水晶を辿って、家の中の様子を観察できるの。
ペット達の面倒は、ミアンに任せてあったんだけど、家の何処にペットフードがあるのかや、掃除道具がしまわれているのかの仲介を、なんと、あの口の悪いぴょんぴょん坊やがやってくれたんだ。
「あのしみったれが、俺達を放り出したわけじゃないのは理解してる」と、私に聞かれてる事も知らないで、ペパロニはミアンに語った。
「留守番をしてる間くらい、ペレットを食べ放題にしてくれたら、もっと良かったんだけどな」
私やクミン以外の人間に話しかける時は、やけに大人しい表現をするじゃないって思ったけど、ペパロニとしても、ミアンは他所から来ているお客様扱いなんだろう。
修道院の中で、ちょっとした事件が起こった。修道女の一人が、朝の祈りの時に、突然卒倒したの。
しかも、目を回しているのに、何かずっと呟き続けている。
「神は召された。深紅の花を持って。主は抱かれた。並みならぬ奇跡が。私の幸として舞い降りた」と言う言葉を、繰り返し。
目を回しちゃった修道女は、彼女の部屋に運ばれた。私達、まがい物の修道女達が、様子を確認して、術を施せないか相談し合った。
だけど、術を使う事で、本物の修道女達を怯えさせてはならない。
話し合ってる間に、目を回した修道女の体が痙攣し始めたので、私達は彼女の手足をベッドに押し付けた。
そこに、本物の修道女を連れた聖女様がいらっしゃって、目を回した修道女の様子を見た。
「憑依状態になっているわ」と、意外な言葉を聖女様が口にした。「神経の高ぶりを抑えなくては。鎮静グリースを持ってきて」
命を受けた修道女が二名、薬を取りに行く。
「あの……憑依状態と言うのは?」と、私は聞いてもどうしようもない質問をした。
聖女様は淡々と答える。
「この閉鎖的な空間では、時々居るの。神を信じるのではなく、『神の下僕』になってしまう者が。この者は、今、自分の中に内在させていた神に、憑りつかれているのよ」
「内在させていた神って何?」と、私の隣に居た別のまがい物の修道女が、囁き声で聞いてくる。「分かんない」と、私も囁いた。
憑依状態に成っていた修道女は、鎮静グリースと呼ばれる一種の軟膏を、額と首と両手の甲、それから鼻の先に塗られた。
皮膚から浸透する効能と、その香りが、神経の異常な高ぶりを抑えてくれるらしい。
目を回した修道女の震えが止まってから、私達は恐る恐る手を離した。
痙攣し続ける人間の体を押さえ続けたので、私達の手の平は赤くなっていた。
私は、修道院の書庫に行った。司書役の修道士が見張りをしてるけど、書庫にある書物を持ち出さなければ、特に咎められはしない。
知識として頭の中に詰め込んだ物は、持ち出しても違反とされないのだ。
私は色んな本の背表紙を見て、どれがヒントになるだろうと考えた。
幾つかの本を眺めて見ては本棚に戻していると、「内在医学」と書かれた本が見つかった。
「内在」つまり、心の中や頭の中や体の中と言う、人間の内側についての医学書。
それの中には、「禁忌の多い環境における、人間に憑依する神」と言う見出しのついたページがあった。
内容を読んでみると、こうだ。
「弱き者に博愛を与えるはずの神の存在は、その存在に近づこうとする者にとっては、多重の戒めを課す、怒れる神にもなり得る。
戒めの中に神を見た者達は、より一層の戒めを自分に課し、憑依する神と対話する事を望む。
外的世界に神の存在を見るのではなく、自らの内包した心や、思い込み、または抑圧された心に神を見出し、その歪んだ神に行動を支配される。
この現象は恐れなければならない。魔女達の一部が、薬物によって『魔女としての力』を得るのと同じく、憑依は決して神の福音ではない。
抑圧による歪んだ心が、『内在する神』の幻想を、憑依者を通して演じさせているだけなのだ」
それを読んでから、私は黙って本を閉じた。
どうやら、神聖な場所であるとされる修道院と言う世界でも、抑圧によって心が歪むと言う現象はあるらしい。
中世の時代だったら、そんな「憑依状態の修道士・修道女」は、神の声を聞く聖人とされた。
今回、憑依状態になった修道女も、意識がはっきり覚めるまで、先のようなよく分からない呟きを繰り返していた。
ああ言う、心の疾患を持った人の言葉を、福音だと思っちゃってた時代もあったのね。
私と、数名のまがい物の修道女は、目を回した修道女のお見舞いに行った。
それで、聞いてみたの。
「意識を失ってる間、何かあったの?」って。
目を回した――名前を、マリー・クラリアと言う――修道女は、顔を真っ赤にして、両掌で両頬を抑えた。
「何にも……無いわ」と、マリー・クラリアは言う。
何もない反応じゃなかったけど、それを突っ込んで聞くほど、私達も野暮じゃない。
その時の事件は、マリー・クラリアが落ち着いた事で収まったけど、その後、クラリアは聖女様に呼び出されて、たぶんお見舞いに行った私達がしたのと同じ質問を受けたようだった。
聖女様は、敢えてクラリアの心の中で起こった事を告白させて、彼女が抱いていた「憑依する神」の幻想をほぐそうとしていた。
私が、聖女様の部屋から出てきたクラリアを呼び止めると、彼女は、本物の修道女達に言えない秘密を教えてくれた。
「神の声」が聞こえるようになってから、今に至るクラリアの苦難の話だった。
クラリアは、十五歳の時に神の声を初めて聴いた。
「西へ赴け。そして我に仕えよ」と言う言葉が何度も頭に響いて、実際に西へ西へと向かった先に、この修道院があった。
クラリアは修道女として生きる事が、「神への奉仕」になると信じて、修道院の扉を叩いた。
その後、時々聞こえる神の声は、段々と横暴で恥知らずに成って行った。
沈黙しなければならない、祈祷の時間に、口の周りにモヤモヤとしたものが纏わりつき、頭の中で「主に口づけよ」と言う言葉が響く。
突然そんな行動に出たら、周りを驚かすと思った彼女は、祈りのために握り合わせていた両手の指に口づける事で、その違和感をしのいだ。
彼女の体に、月の物が現れるようになると、「鮮血を神に捧げよ」と言う言葉が聞こえてきた。
彼女は、その声に嫌悪感を持った。しかし、声は何度も「血を捧げよ」と命じてくる。
そこで、周りに誰も居ない時に、クラリアは薬指の指先をナイフで切り、その血を、こっそりと十字架に拭いつけた。
そんな行動を続けていくうちに、声の命令はどんどん増えて行った。
余りの命令の多さに嫌気がさしたクラリアは、神の声を無視した。そうするうちに、頭の中が命令で一杯になるようになり、気が付くと、昏倒して部屋に運び込まれていた事が、これまでも数回あった。
彼女は、夢の中で見た内容は、「とてもじゃないけど口に出せない」と言っていた。
クラリアの頭の中に居るのは、清らかな存在じゃなくて、邪悪の者のようね。
そう言う存在を人間は「悪魔」って呼ぶんだと思う。もちろん、私達魔女が「悪魔に従ってる」なんて言うのは、全くの迷信だけど。




