「両想い」
翌朝ヴェラは身なりを整えると、朝食をとりに食堂に降りていった。
食堂は料理の煙でかすんでいる。ベーコンやら焼きたて、美しいツヤを放つ目玉焼きとか。どのテーブルも人がひしめいていた。朝っぱらからビールを飲んでいる人もいる。
ヴェラがカウンターに行こうとすると男が立ちはだかった。お酒の匂いをぷんぷん漂わせ、目は虚ろで赤く充血している。どいてくださいませんか、とヴェラが丁寧に、けれど毅然とした態度で頼むと、男はニヤリと笑った。待ってましたと言わんばかり。不気味にせせら笑うばかりで道をあけてくれないのだ。
顔から笑いが失せ半目になったかと思うと、ゆっくり、緩慢と、床の上に倒れてしまった。周りにいた男たちが寄ってきて酔っ払いをのぞきこむ。
「眠ってるぞ」
誰かが言った。
「酔っ払ってたんだ。昨日かみさんに家出されてしまってね。なんでも五人の子ども残して弟と駆け落ちしちまったそうだ。気の悪いやつじゃない。許してやってくれ」
隣から男が出てきて弁明しはじめる。
「まあ、それは気の毒ね」
ヴェラは驚いて言った。
ジャックが少し離れたところに座っている。ちょうど焼きウインナーにフォークを突き刺しているところだ。
急いで行って隣に座った。ジャックが口にものを含んだまま、無言でヴェラを見てうなずく。
ヴェラは南国の珍奇な果物、パイナップルを頼んだ。黄金色の、果汁たっぷりのそれは、甘くておいしい。
「ミルトン嬢に会いにいかないと。レオナルドはアリスを気に入らなかったみたい」
「残念だね。また違う花嫁候補を探すのかい」
ジャックが聞く。
「いいえ、お祖父さんのほうが納得していないの。ミルトン家のほうが承諾するなら、もう一度お互いのことを知る場を設けるわ」
うまくいくといいね、とジャック。
老人たちに強制されないかぎり、二人が結婚する可能性はなさそうだけれど……
砂ぼこりの立つ通りを馬車で駆けて、ヴェラはミルトン邸を訪問した。
エメラルドグリーンのドレスを着て、金髪を優雅なシニョンにまとめたアリスは、なんだかむら気で苛立っている。
ヴェラが再び枝豆スープを持って五階にあがると、令嬢はスープ皿を乱暴に受け取って開け放たれた窓辺に置いてしまった。
「ごめんなさい。やっと来てくださったのね……!」
アリスが声をつまらせながら言う。
「どうか座ってください。召使いに何か飲み物を持って来させますわ……。ああ、とても、とても我慢できません!」
ミルトン嬢は首を激しく横に振ると、感情をたかぶらせ、顔を赤くした。潤んだ目を見開いて、床にしいた絨毯を漠然と眺めている。
「どうなさったんですの?お祖母様のこと?縁談のこと?それとも何か別のことですか。どうか話してください。相談にのりますから」
ヴェラが優しく相談を申し出た。
不意に青い空からバタバタと白鳩が現れる。滑り落ちそうになりながら、窓辺に着地した。二人の見守る中、スープ皿の中にくちばちを突っ込み、枝豆を食べ始めたのだ。
「どうか気になさらないで。お祖母様は私が枝豆スープが好きだと思っていらっしゃるけど、本当は違うんです。でもこんなことしているって知られたら怒られるでしょうね」
ヴェラは全然気にしない、と答えた。私にも気持ちはわかります。あのお祖母様の大切な孫娘でいるのは大変でしょうね。
「私、あのカールソンの孫息子には我慢できませんわ!あの人と結婚するなんてまるで悪夢みたい!軟弱そのものじゃないですか。ええ、思い出しただけで虫唾が走るわ!一目でわかります、あれは偽善者の臆病者ですわ」
ヴェラはアリス・ミルトンが悪口を言い出すので驚いてしまった。ミルトン嬢ってこんなに激しい気性の持ち主だったろうか。
「レオナルド様もそんなに悪い方じゃありませんわ。優しい方ですもの」
さすがにカールソン家の青年が気の毒になって、庇ってしまう。
レオナルドもアリスもお互い、公平な視点を完全に欠いている。はたから見たら若くて魅力的でお似合いの恋人同士なのに……!
混乱したまま、書斎に入った。剥製の鷲の鋭い眼光に出会う。四方の壁を棚で埋め尽くしているため、部屋の中はかなりの暗さだ。
「アリスはなんて言ってたかい?」
婆さんが無意味な笑みを顔にはりつけて訊ねる。
よく見ると黒い大理石のテーブルは鷲の剥製だらけだった。ガラスでできた目がまるで生きているようで不気味だ。
「それが、レオナルド様のことをお好きではないようで……」
「好きじゃない、慎ましい娘なら最初は誰だってそうだろうね。でも、気に入ってはいただろうね?」
「いいえ、カールソン様との結婚は悪夢のようだとおっしゃっていましたわ」
ヴェラはきっぱりと言った。
が、それが裏目にでた。婆さんは逆上してしまったのだ。
「レオナルドとアリスはね、ある意味両思いよ」
ヴェラが太陽の下、広場を歩きながら言った。
「どういう意味だい?無事縁談はなくなったのかい?」
ジャックは屋台の店主から生キャラメルを買っている。
二人は包み紙をはがしてキャラメルをムシャムシャと食べた。舗石の上を、馬車が走ってゆく。目を細め、日傘をさすご婦人、裸足で駆け回る子どもたち。
「それがね、複雑なのよ。孫たちはお互い大嫌いなのに、お祖父様とお祖母様が縁談を進めようとしているの」
ヴェラはこの不幸で滑稽でさえある縁談を、どうやって成立させないようにするか、頭を悩ませているのだった。
あんなにも互いを嫌い合うカップルを見たことがない。