憎み合い
バーナード・カールソンのお爺さんは七代前まで遡ることのできる、由緒正しい家の出なんだとか。
爺さんは毎朝、屋敷の広大な庭を一人で散歩するのが日課だった。昼ごろには書斎の、樫の木でできた椅子にどっかと座り、家系図ののった分厚い書物を眺める。
老人は歳を重ねるごとに、ますます頑固になっていった。
いまだ血筋の誇りと祖先の栄光にしがみついてはいるが、もう自分が若くないことは知っている。それにこの広い立派な屋敷を維持するのにも、とてつもなく莫大な費用がかかるのだ。
自分が死んだ後、孫息子には何が残るだろう?サイナヤ地方で一番の屋敷、老人が生涯かけて完成させた庭園、それらを上回る莫大な借金……
借金を帳消しにするために、レオナルドを財産家の娘と結婚させねばならない。
金のための結婚をさせるのには、老人だって気が進まなかった。アリス・ミルトンはあの細密画の通りなら、器量には恵まれているようだが……
レオナルドと祖父はアナベル・ミルトンの館の二階、応接間にやって来た。柱の向こう、石の水盤を前に、アナベルとヴェラの二人の女が座って何やら話している。
アナベルは威厳たっぷりに立ち上がり、カールソンの男たちに歓迎の言葉を述べた。
「娘は着替えの途中なんです。もう少ししたら来るでしょう」
まるで男たちを焦らしているかのようだ。レオナルドは所在なげに座って、体の前で組みあわせた手指に視線を落としている。老人のほうは体を揺らしながら苛立ちをつのらせていった。わしらを待たせておいて、ミルトンの小娘め、何様だと思っておる?
やがて階段の上から令嬢が、しずしずと降りてくる姿が目に入った。淡い水色のドレスはアリスが階段を一段おりる度、優雅に揺れ、香水のほのかな香りをふりまく。
婆さんは誇らしげに胸を張り、爺さんは若い娘の可憐さに思わず目尻を下げた。
レオナルドはなぜか顔を青白くして、サッと立ち上がりお辞儀する。アリスは宮廷風に膝を折ってお辞儀をし、唇にほんのりと笑みを浮かべた。
お見合いが終わり、ヴェラがカールソン家を訪ねた時には、もう夜になっていた。老人は鼻歌など歌いながら部屋に入ってきて、ヴェラにお世辞の一つや二つを言う。今日はことさら美しくていらっしゃる、とか、ドレスが似合っていると、とか。
ヴェラはその時着ていたドレスが嫌いだったので、少し気まずくなった。黄土色のドレスは色艶を悪くみせるのだ。
「孫に会って話すといい。奥の寝室にいるからな。帰る前にまたこの部屋に寄ってくれ」
老人は穏やかにそう言った。
暗い廊下の突き当たりの扉から、ほのかな明かりが漏れている……
青年は彫刻じみた青白い顔に悩ましげな表情を浮かべて立っていた。開いた窓から微風が吹いてくる。
月明かりの下で見る青年は実際よりも大きく、悲しげに、ドラマチックに見えた。ちょうど歌劇の中の、報われない恋におち、フィナーレで非業の死をとげる主人公のように。
「スワン嬢」
レオナルドが一瞬、気難しげな表情を崩す。
「こんばんは」
ヴェラが落ち着いた声で挨拶した。
「ミルトン嬢に会いましたね」
レオナルドの声が震えている。
よく見ると顔に絶望そのものの表情をはりつけていた。
「祖父はあの令嬢と結婚しろと言うでしょう。彼女が莫大な財産を相続するはずだから……。でも見ましたか?彼女の顔。恐ろしいですよ!まるで悪夢です。あんなに醜いとは思わなかった……!」
そう言って彼は文字通り身震いする。
ヴェラはびっくりしてしまった。同時に興味深くも感じた。気弱そうな青年の口から、純然たる悪口が飛び出してくるとは思っていなかったのだ。これほど激しい拒絶の感情はレオナルド・カールソンには似つかわしくない。それとも単に今まで激しい本性を隠していただけなのか。
アリスは決して醜くなかった。悪夢などではない。他の男にとっては夢そのものみたいな花嫁になるだろうに。
「お祖父さんは彼女のことを従順で良い子だと言っていましたが、あれは単に頭がカラッポで言うことが見つからないので黙っているだけですよ!どんな夫婦の会話になるか、ちょっと想像してみてください」
ついにレオナルドはアリスへの嫌悪感で居ても立ってもいられなくなり、部屋の中を歩き回り出す。あまりに勢いよく動きまわったので、ズボンのポケットからひまわりの種がこぼれ出して、床の上をはねまわったほど……
こんな感じですよ。
冬の暗い夜に僕がこう言う。
『今日は長い一日だったよ』
すると彼女はこう。(レオナルドは極端に甲高い声を出した)
『まあ、長い一日ってどういうふうに長いの?一日の長さってそんなに簡単に変わらないと思ってたわ』
『長い一日って大変な一日だったってことさ』
と、僕が答える。
『あら大変な?そう言えばあなた、枝豆スープから枝豆を取り除くのはどうかしら?素晴らしいアイデアだと思わない?だって私は枝豆スープが大好きだけど、お祖父様は枝豆が大嫌いで、そうなると食事にも出せないでしょう?でも、枝豆スープから枝豆をのぞいたら……!ねえ?』
レオナルドはそこで神経質そうに肩を震わせた。
「僕はいつも祖父の言う通りにしてきた。祖父の期待に応え、理想の孫息子であり続けたんだ。でも結婚ばかりは譲れない……」
ミルトン嬢のひどい言われように自分まで傷ついたような気がした。というのも、ヴェラはアリスの控えめな態度やその可憐さに好感を抱いていたのだ。レオナルドがここまで毛嫌いするようなら、二人の縁談もなかったことになるだろう。
でもアリスだってこんな偽善者の軟弱な青年と結婚することにならなくてよかったのだ。だいたい二十一にもなって祖父に逆らえない意気地なしじゃないか!
さきほどの部屋に戻ると、老人が待ち構えていた。
「レオナルドはなんて言ってたかね?」
爺さんがウズウズしながら訊ねる。
「それが、あまり気に入らなかったようで……」
「なんじゃと?」
老人は憤慨してしまった。
「レオナルドときたら何もわかっておらん!ミルトン嬢とはこの地方で一番の花嫁候補なのに。お嬢さん、あれの言うことは聞いてはいかんよ。まだ若造で何もわかってないんだからな。アリス・ミルトンとの縁談を進めてくれ」
奇妙なことになった、と思う。
ヴェラは宿屋のふかふかのベッドの中で寝返りを打った。階下の談話室から客たちの話し声が聴こえてくる。もう真夜中に近い。隣の部屋のジャックは既に眠っているはずだ。
けれど、レオナルドもあんな強情な男を祖父にもって気の毒に。アリスだって可哀想だ……