王太子の女友達
王太子とアンジェリカ・レイの縁談が破綻したので、ヴェラはひとまずエスカテル村に帰ることになった。二週間ぶりの帰宅である。
帰るなり窓という窓を開け放し、家の中に風を通した。それに庭の薔薇も心配だ。ええ、もちろん妹のエマが庭の花や木々を守ってくれていたはずだけれど……
実際、バラは枯れていなかった。ピンクの花弁は端まで出かける前と変わらずみずみずしい。まるで枯れて野に散る運命を拒否してしまったかのようだ。
まぶしいばかりに咲き誇る雪柳の木には、鳥たちがとまっていた。上天気の青空、いい気分だ。寝室をのぞくと、妹はスヤスヤと眠っていた。真っ白な頬に微笑みを浮かべて……。あの子はきっと家に守られて、一度も風や太陽の光にさらされたことがないのだ。
それにしても、エマをもう少し日に当てるべきかしら。ちょっとは日焼けしたほうがいいかもしれない。幸せな結婚をするために……。
ヴェラは王太子の言葉を反芻した。幽霊みたいだ、なんて。老けた?行き遅れですって?
思い出すだけで沸々と怒りがわいてきた。たしかに私は行き遅れでちょっと不気味なくらい肌が白い。でもエマの悪口は誰にも言わせないし、どこを変えるべきだなんて言う気もないわ。だってあの子はそのままで完璧ですもの。
庭先に馬のヒヅメの音、聴き慣れない音が聴こえたので、ヴェラは思考を中断して顔を上げた。馬が二頭、森へと続く小道を歩いている。この村のものではないはずだ。毛並みがつややかできれいだった。馬の上には貴人、貴婦人。一人は王太子だった……
女がヴェラの視線に気づいて振り返る。細面の顔は無表情だ。腰まで伸びた長い髪、白いドレスに真っ白な帽子。手綱を握る、やや骨ばった手が不思議なほど鮮明に見える。細長い指にたくさんの指輪をつけていた。
女は髪を結い上げずに解き放っている。二人は息抜きの乗馬に出かけたのではないだろうか。貴婦人は公の場では絶対に髪をおろさないのだ。
ひょっとしたらアラスターの愛人なのかもしれない。
ヴェラは宮廷風のお辞儀をした。女は無表情のまま会釈をかえす。アラスターはヴェラには気づかずに森の中へ入って行ってしまった。
家の中に入ると、エマが遅めの朝食を取っていた。寝ぼけ眼の目をパッチリ開き、ヴェラにニッコリと笑いかけて……
「帰ったのね。家の中に一人で寂しかったのよ」
「友達を呼んでもよかったのに。午後からまた出かけるわ。ジャックの家で仕事の相談をするの」
エマがちょっとうなだれた。
「何かニュースはない?世界では何が起きてるの?」
頭に王太子と従者がしていた会話が浮かんだ。戦争が起こるとかどうとか……
「困ったことが起こったのよ。お見合いが決まったの。王妃様がね、ある騎士を紹介してくださるの」
「まあヴェラに?素敵だわ。新しいドレスを作らなきゃ」
ちょっとふざけて言ったつもりなのだが、エマは本気で喜んでいた。
挙句に髪をセットしてあげる、とかお見合いの心得まで聞かせてくれるありさまだ。
日が傾きかけると、ヴェラは苺パイと男物のズボンを持って家を出た。
「また旅に出るのかい?」
ジャックが苺パイをムシャムシャ食べながら言う。
「ええ、サイナヤ地方から依頼の手紙が届いたの。孫娘の結婚相手を探してるんですって。ちょっと遠いけれど行きたいわ。王太子の縁談がうまくいかなかったの……」
アンジェリカのことを思い出すと、気分が落ち込んでしまう。王妃様だってアンジェリカを気に入っていて、非の打ち所がない花嫁候補だったのに。時間だってかけて、上手くいくと思っていたのだ。
「王太子の件は一からやり直しだろう。とにかく、サイナヤのことを話し合おう」
ジャックがそう言うと、ヴェラはアンジェリカも王太子のことも早速忘れてしまった。新しい花嫁候補のことを意気込んで考え始める。サイナヤ地方では若い娘が私の助けを待っているのだ。