商売女にご用心
港の売春宿の裏路地は汚らしかった。思いがけずに裏口が開いて、下着姿の太った女が飛び出してくる。茶色のやわらかな髪に椿の花をさした美しい女だ。顔を赤く泣き腫らしている。
女はヴェラに気づくと、身を固くし慌てて涙をぬぐった。それにしても厳しい寒さだ。手袋をはめていない手先がキンキン冷えて痛いほど。この人は下着姿で肩をむき出しにして、もっと寒いだろうに……
「人を探してるんです。ヴェラという名前のお嬢さんを」
「ヴェラですって?知らないわ。私たち、お互いの本当の名前を知らないのよ。生憎だけど……!
で、一体そのヴェラに何の用なの?」
涙を見られて気まずい思いをしたせいだろう、女の口調はぶっきらぼうだ。
「その人の妹の小さな女の子が結婚させられそうなのよ。年上の男と、父親の借金の形にね……!」
女の口調がどことなく優しく、情深く思えたで、ヴェラの口調も自然と打ち解けたものになってしまった。
「その子を助けてあげたいのだけど、あまり事情がわからなくて。あの子だって説明しようにも、たったの十四歳ですもの……」
「ははぁ。それでお姉さんに事情を聞きにきたわけね。妹の名前はなんて言うの?」
女はマチルドの名前を聞くと、廊下の奥へと消えて行った。
しばらくして金髪の女をつれて戻ってくる。美人だった。マチルドに似ていないこともない。目の下の濃いくま。口紅はほとんど剥がれていて、色のない乾いた唇がその下からのぞいていた。痩せているせいで、肩の四角いのが目立つ。
けれど、彼女はひどく優美な女だった。憂愁の中に沈む瞳も、くびれたお腹や細くて長い手足も、ほとんど色のない荒れた唇も。絵画の中のヒロインのようだ。生まれ故郷を追われ、嵐の荒野をさまよい歩く王女なら、こういう風貌をしていることだろう。
「妹がどうしたんです?失礼ですけれど、あなた名前はなんて仰るのでしょう?」
女がきく。
「ヴェラです。今マチルドさんと一緒の宿で暮らしているんです」
「ヴェラですか……」
もう一人のヴェラの優雅な顔に、皮肉な微笑が浮かんだ。
「それで妹は元気ですの?でも一体どうして一緒に暮らすことになったのでしょう?きっと、あなたは優しい方なのでしょうけれど……。せめてお礼を言わなければなりませんね」
娼婦のヴェラは妹の窮状を聞くと、険しい顔をしてため息をついた。
「でもそれは嘘に違いありませんわ。私が売られてきた分で借金も帳消しになったはずですから。ナサニエルという商人でしたね?」
「ナサニエルだって?あいつは詐欺師よ」
太った娼婦が口を挟む。
「脅迫まがいのことをして暮らしてるんですから。みんな知ってるわ。でも、お上に後ろ盾があるんでしょうね。野放しのまま」
「ここにも通っているわ。ああ、虫唾が走る!」
金髪のヴェラがぎゅっと拳を握りしめ、目を閉じる。
「あいつはこの子が狙いで通ってるのよ」
「いくら金をくれようと寝るもんですか。あいつとだけは……」
ヴェラはけれど、目を見開いて言葉を失ってしまった。たった今何かに気づいてしまったかのように。
「あいつと寝ないといけないわ。マチルドを結婚させるわけにはいかないもの……!」
うつむいて何か考え込んでいる。
黒い髪の方のヴェラは不意に寒さに耐えられなくなって、首をすくめた。太った娼婦と目を合わせる。二人して気の毒に思っていた。いくら妹のためといえども、憎み軽蔑している相手と寝るなんて……
翌朝のこと。町に奇妙な噂が流れた。ある売春宿から裸の男が命からがら飛び出してきた。可哀想に、お尻を青紫色にして、服も持たずに、涙でぬれた顔を人に見られまいと、いそいそ逃げてゆく……
とにかく、その事件以来、嫌われ者のナサニエルは港町から姿を消してしまったのだ。




