歌姫
薄暗く、豪華絢爛なオペラ劇場。王太子はロリーナ・ヴェガ嬢と舞台袖近くのボックス席で、歌劇を鑑賞していた。
ヴェラに花嫁候補として紹介されたロリーナ嬢は年上の落ち着いた美人だった。格式高い血筋に、申し分のない教育。それに最初に注文をつけた金髪の持ち主でさえある。彼女なら完璧な妃になるだろう。
金髪の巻き毛と真珠の耳飾りがうなじの辺りで揺れる。笑うと小麦色の頬にえくぼができた。愛らしく、陽気な印象……
人柄や立ち居振る舞いだけを見ても魅力的な女性なのだろう。
だが、王太子はロリーナと一緒にこの仕切られた空間にいるのが退屈だった。何を見るにしてもヴェラのことを思い出してしまうのだ……
歌姫が高らかに、力強くアリアを歌い上げる。
隣のボックス席から女の甘い声が聞こえてきた。
「あの歌姫、とってもきれいだわ。一流の歌手ね。聴いてるだけで泣いてしまいそうなくらい。先日、あの歌手をめぐって決闘が起きたんですって。パトロンと若い愛人が、歌手の自宅で鉢合わせしてしまって。何年か前に、ある男があの女にふられて自殺してしまったんですって。ねえ、あなたも私があれくらい綺麗だったら、命をかけて戦ってくださる?」
女の恋人は答えかねている。
ロリーナは調子っぱずれの声で歌っていた。薄い色のまつ毛をなんだか悲しげにふせて。
それにしてもロリーナ嬢はなんて音痴なんだろう。王妃になったら歌う習慣なんてつかないようにしなければならない。
そう思うがいなや、王太子はこの女性の何もかもが気に入らなくなった……
ヴェラは暗い馬車の中で王太子を待っている。ロリーナ・ヴェガ嬢とは上手くいったか。どう思ったか。
気のせいか、ヴェラは疲れている。
「彼女とは結婚しない」
王太子はヴェラの問うような視線に一言答えた。
「なぜ?」
諦念のにじみ出た声で聞く。
「音痴だったんだ」
一瞬ヴェラの顔がおかしそうにゆがんだ。必死に笑いをこらえているかのように。
「音痴だったのね……」
「僕のことを呆れてるんだろうね。でも勘弁してほしい。ロリーナ嬢はたしかに素晴らしい令嬢だ。でも彼女の歌声は……、ナイチンゲールじゃなくてカササギだよ」
「カササギですって?」
ついにヴェラが笑い出した……
ヴェラは王太子にウンザリしていた。怒っていた。憎んでさえいた。でも、王太子の返答を聞いた時、笑いをこらえることができなくなったのだ……
この人、そりゃあどんな女だって手に入れることはできるだろうけど、結婚する気あるのかしら。