君を守りたいんだ
エマは家の外に出た。すると扉の前に涼しげな勿忘草の花束が現れる。花束を持った若い男の子が。
「あらチャーリー、花束をくれるの?」
エマが微笑む。
「そう、きれいな君のために摘んできたんだ。エマ、結婚してくれるかい?」
男の子の期待に満ちた目。
実際エマのすみれ色のドレスに、その青色の花束はよく合っていたけれど……
「結婚しないわ」
つれない態度、白い日傘をさして、颯爽と歩き出す。
チャーリーは慌ててエマを追いかけた。
「エマ、冷たくしないでくれ。君に冷たくされると苦しいんだ。結婚するって言ってくれ」
「森の中で三日三晩飲まず食わずで過ごしたら結婚してあげる」
「本当に?」
チャーリーは興奮で声をうわずらせた。
「本当にそうしたら結婚してくれるのかい?」
「ええ結婚するわ。でもね、あなたが冗談わかるようになったらね」
エマは川の上の橋を木靴でコトコト鳴らしながら渡る。チャーリーは走ってエマに追いつくと、少女の細い手首をつかんだ。
「エマ、ひどいな、そんなふうに僕をからかって。僕と結婚するって約束してくれよ」
「チャーリー、あなたとは結婚することないわ。今まで何度もそう言ってきたでしょう?」
エマがキッパリと言う。
向こう側から馬二頭とその騎手がやってきたので、エマとチャーリーは端に寄って道を譲らなければならなくなった。騎手たちは赤い立派な服を着た、体格のよい男性たちである。
片方の騎手がエマに笑いかけ、手綱を引いて先に渡るよう会釈した。
「お嬢さん、ヴェラ嬢の家は知りませんか?」
黒い髪の男が愛想よく聞く。
「姉の家ですわ。ご案内しましょうか」
人付き合いのいいエマは案内を申し出た。一見、男は道に迷って困っているふうに見えたのだ。
男がそうしてもらえると助かる、と答えた。
それにしても、この人たちはヴェラ姉さんに何の用があるのかしら。よっぽど位の高そうな人たちだ。赤毛のハンサムな男は厳めしい顔をして一言もしゃべらないし、なんだか怖い。
この前の事件と関係がなければいいのだけれど。
あれは背筋の凍るような事件だった。平和な村に兵士がやってきて村長さんを殺してしまったのだ。ただ村の食糧を守りたかっただけなのに。可哀想なマーシー。ヴィクターを遠くに連れていかれてしまって。昨日赤ん坊が生まれたのだっけ。父親と同じ名前、ヴィクターと名付けたとか。
閉ざされた家の奥で、人々は近い将来戦争が起こるのだと囁く。私にはそんなこと信じられない、戦争なんて。
マーシーはヴィクターが戦場に連れていかれて殺されるって泣いていた。そんなことない、一週間もしないうちに帰ってくるって言ったけれど……
ヴェラはやってきたお客を見て、意外そうな顔をしたが、たまげたり、慌てたりはしなかった。さすが姉さん、賢くてなんでもできてしまうのだ。貴族のお客様にだって冷静で、本当に私の憧れの姉さん……!
「母の使いで来たんだ。家の中に入れてくれないか。妹さんに途中で会って案内してもらった。こっちは従者のジャイルズだ」
赤毛の男の人が戸口に立って言う。
ジャイルズと呼ばれた人は二頭の馬を庭の木につないでいた。黒い髪の、首の太い人だ。目が合う。また、とっておきの笑顔で笑った。高価な衣服に身を包み、長い立派な剣を腰に下げて。
この人は、それはそれは魅力的な笑顔の持ち主だけれど、なんだかゾッとする……
「エマ、マーシーのところに行ってあげなさい」
ヴェラが有無を言わさぬ口調で言う。
「ええ、でも忘れ物があるの。マーシーにドレスをあげるって約束してたのよ」
エマは咄嗟に嘘をついた。ヴェラは時々過保護すぎる。まるでエマを五歳の子どものように扱って「大人の世界」から閉め出してしまうのだ。そんなのって不公平。
ヴェラと王太子とジャイルズはキッチンに座って話している。
「母上が君を心配していたよ。どうして縁談を断った?会ったこともないのに」
ヴェラは真顔で首を横にふった。
「誰とも結婚したくないんです。私は結婚しなくたって生きていけます」
「君は賢い女性だ。強い女性でもある。でも世の中は残酷で不条理だ。果たしてこの生活がいつまで続けられる?侯爵は申し分のない人だ。君を守ることができる……」
王太子の口調は穏やかで、警告というよりも友人からの忠告に聞こえた。
でもヴェラは怒ったような表情をして、助言を聞き入れるつもりはないようだ。王太子への態度は冷ややかだった。
「賤しい生まれの私が侯爵と結婚したら、確かにその恩恵はたいしたものでしょうね。でもそのような高貴な方とは結婚できません。王家に生まれたあなたならご存知のはず。それにしても一体何から私を守りたいのです?」
「ヴェラ、君を幼い頃から知っている。戦争が起こるんだ。君を惨禍のなかに放り出したくない。守りたいんだ……」
王太子がヴェラの手を取ろうとする。
ヴェラは顔を赤くして、サッと手をひっこめた。気づまりな沈黙が生まれ、ジャイルズが不可解な微笑を浮かべる。
「せっかくですけれど、殿下には私を守る義理はありません。戦争が起こるなら残念ですわね」
ヴェラは顔をさらに赤らめて、やっとのことで言った。
「侯爵との婚姻はまたとないチャンスだ」
王太子が食い下がる。
ヴェラは曖昧な、不思議な笑みを浮かべた。受難者のような、あるいは道化のような。
「この屋敷を愛してるんです。妹も。侯爵と結婚したら妹には会えませんわ。兄のダニエルにだって、もう何年も会っていないのですから。どうか赦してください」
ヴェラは一人になった屋敷で考えるのだ。アラスターも変なことをする。私を戦争から守ろうと侯爵と結婚させようとするなんて。でも一体なぜ私を守ろうとするのだろう。もしかしたら私をスパイとして利用するのかもしれない。