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見せしめ

「行ってきます」

 ヴェラがスカーフを頭にかぶり、柳編みの籠の中に桃を入れ、スカートの皺をのばして、アタフタと廊下を駆けてゆく。


 屋敷の奥の部屋で、エマは座って機織り機をパタパタと動かしていた。

「行ってらっしゃい」

 エマが明るい声をだす。


 ヴェラは可愛い妹のほうを向いてクスクス笑うと、外に飛び出した。

 まぶしい。なんて暑いのかしら。空は真っ青で雲一つない。太陽はふんぞりかえって大地を余すことなく照らす。体にエネルギーがみなぎった。

 真夏日だ。


 ナンシーおばさんの小ぢんまりとした家に着くと、彼は納屋にいる、と言われた。何やら農具の整理をしているらしい。


「来たのか」

 ジャックは鋤をワラの上に置き、額の汗をぬぐった。もともと血色のよい顔は暑さで耳まで赤くなっている。


 白と黒のぶちの牛は人間たちを横目で見てモー、とないた。


「あなたに会いに来たのよ。相談しに」

 ヴェラは地べたに座って顔を曇らせる。


 心配なのは戦争のことだ。本当に起こるかはわからないけれど、でも、アラスターとジャイルズの会話も、黒い森での出来事も……

 いつまで平和な暮らしが続くことか。


「でもヴェラ、心配したって僕らに何ができる?戦争は今まで何回も起こってきたし、これからも何度も起こるだろう。僕らの願いや意志なんて無関係にね。戦場でだって僕ら農民の子どもはたいして役に立たないんだ」

 ジャックの瞳は穏やかで優しかった。


「でも」と、ヴェラは語気を強めて言う。

「でも、無関係なんかじゃないのよ。たとえ、戦場が遠くにあったとしても。私、怖いの。戦争が憎いの。ぬけぬけと戦争を起こした人たちが憎いわ。私、戦争から逃げてしまいたいのよ。皆をつれて遠くに逃げてしまいたい……」


「君が五年前の戦争で何を失ったのか……。でも僕にはそんな簡単に、この村を捨てることはできないんだ。それに戦争だって起こらないかもしれない。単なる杞憂で終わるかもしれない」


 ヴェラは鋭い目つきで地面をにらんでいた。


 二人押し黙っていると、ナンシーがやってくる。

「若い人たち、家に入ってお茶を飲んでいってくださいな」


 ヴェラはキッチンに入ると、おばさんに桃の手土産を渡した。ナンシーはテーブルにチェック柄のテーブルクロスを広げつつ、熱心にお礼を言う。まあ、桃なんてねぇ。私も末の娘のマーシーも桃が大好きなのよ。井戸の水で冷やしてこようかしら。


 と、マーシーが家に飛び込んできた。赤ん坊の重みで今にもはち切れそうな、大きなお腹を抱えて。

「母さん大変だわ!」

 頬っぺたをりんごみたく真っ赤にして、ゼエゼエ息を切らす。


「どうしたの?お腹の子、それとも家が火事になった?」

 ナンシーは娘を抱き止めてやった。


「来て、ヴィクターが……」

 いかにも苦しそうに言う。


 マーシーは数週間前に村長の息子のヴィクターと結婚していた。ナンシーはすっかり娘が奇跡の聖女なのだと思い込んでいたので、この結婚には何となく納得できないところがあったのだが。


 水車小屋の川沿い、兵士たちが恐ろしい顔をして立っていた。村長が色を失って、村の若者たちが一列に並ばされてゆくのを眺めている。


「兄さん、ヴィクターが連れていかれちゃうわ」

 マーシーが震えながらささやいた。

「兵隊にされちゃうの」


「そんな……」

 ヴェラは言葉を失った。怒りが込み上げてくる。


 マーシーは連れ去られる夫を見ていられなくなって、すがるようにヴェラに抱きついた。


 結婚したばかりなのに、もう後少しで子どもだって生まれるのに。

 ナンシーは泣きながら夫の名前を呼ぶ娘の姿を見て、やるせない気持ちになる。


 兵士の一人が村長の家に火を放った。木造の家は、たちまち煙をあげて燃えてゆく。老人は頼むからやめてくれ、と叫んだ。哀願した。わたしが悪かった、たった一人の息子なんだ。戦場に連れていくなら私にしてくれ。その子には将来があるんです。


 隊長がやってきて、喉をかっきる。老人は咳き込んで、乾いた奇妙な音を立てた。血がふきでる。バタッと草の上に倒れ込むと、事切れてもう音を立てることはなくなった。黄色っぽくなった頬を地面に押し当て、その目は空虚で、もはや何も見ることなくなって……


「国王陛下の命令に従わない者はこうなる」

 

 ああ、非情な兵士たち……



 ヴェラは暗い寝室で怒りを燃やしていた。国王陛下とやら、その代理人やらがやってきて、ヴェラの大切なものを何もかも奪ってしまうのだ。ちょうど五年前、ヴェラの最愛の人、ヴェラの婚約者を奪ってしまったように。

 それなのに国王ときたら、涼しい顔を決め込んで……


 国王その人には直接会ったことがないせいだろう、しまいにヴェラの怒りは王太子への反発に、個人的な憎しみへと変わった。あの人もこの狂気じみたお祭り騒ぎに加担しているのだ。黒い森で兵士たちからヴェラを助け出したときのことだって、まるで英雄かなんかのように振る舞っていた。でも兵士たちの横暴さだって、あの人やあの人の父親が生み出したものじゃないか。

 あの人は横暴そのもの。高慢ちきで昔のかげなんて少しもない。


 ヴェラは蝋燭に火を灯すと、王妃殿下に騎士との縁談を断ると、ごく丁寧な手紙を書いた。


 翌朝手紙は王妃の私室に届けられた。気のいい王妃は、自分のすすめた縁談がすげなく断られて悲しくなるのだ。

 一体、あの可愛いヴェラはどうしてしまったのかしら。何か気に障ることを言ったかしら。それとも不幸でもあったのだろうか。

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