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悪友

 その頃カールソン家の若旦那レオナルドはベッドで横になって、身じろぎもせずに天井を眺めていた。着替えもせず、昨日の恋人に会ったときの恰好かっこうのまま。


 アリスが泣いていた。舟の上、桜の花びらが舞っている。美しいアリス、可愛いアリス、白い清楚なドレスに身を包んで。彼女は怒っていた。嫉妬していた。傷ついていた。アリスこそが僕のすべてだというのに……

 でもあれは完全な誤解だったのだ。ちゃんと話を聞いてくれさえしていたら……!


 突然扉がきしんだ。窓が揺れてガタガタと鳴る。


 レオナルドは素早く起き上がると燭台を持ち、扉の横で構えた。


「カールソン様、レオナルド様!開けてください」


 女の声だ。なんとなく聴き覚えがある。

 用心しいしい扉を開けると、スワン嬢が乱れ髪にいつもの猫背ぎみの姿勢をして、立っていた。薄いネグリジェの上から厚手のウールのガウンを羽織っている。急いで来たのだろう、白い顔はいっそう蒼白く、漆黒の髪は黒々とぬれて見えた。やや骨ばった、大きめの手には羊皮紙が握られている。


「アリス様からです。読んでください」


 レオは手紙を奪い取るようにして取ると、すぐに目を通した。

 愛しい恋人へ、嫉妬に苦しむ恋人へ、弁解の言葉をひねり出そうとしてもなかなか出てこない。

 スワン嬢はレオの横顔を見つめ、部屋の中に立っている。やがて彼が椅子に座ると、ヴェラは素早く思いをめぐらした。


「アリスに愛してると伝えてください」

 レオナルドが声に絶望をにじませて言う。額に手をやり、すぐに激しい身振りで椅子から立ち上がった。


「お嬢さまに手紙を書いてやってください。返事を待っていらっしゃいますから……」

 ヴェラが彼の顔を見ながら言う。


 レオナルドはしかし美しい、蒼白い顔に苦悶の表情を浮かべ、躊躇ためらった。

 アリスとレオが立てた計画は失敗したのだ。それも自分のした、愚かな決断のために……。


 ヴェラの静かな、理知的な瞳に見つめられると、その穏やかな声を聞くと、彼はすべてを話さずにいられなくなった。舟の上で起こったこと、前夜の破廉恥はれんちな行動、そしてアリスへのかけがえのない想い……


 誰だって悪友をもつことはあると思う。腐りかけた果実のよう、甘い堕落へと誘惑の手が差し伸べられることも。

 僕の場合はそれがジャン=ポールだった。彼はいわゆる放蕩ほうとう人で、昨日はあちらの街、今日はこちらの街と、酒やギャンブル、遊びという遊びに明け暮れているような男だ。

 真夜中の酒場で、一回会っただけですっかりとりこになったよ。


 カールソンの孫息子はそこでちょっと笑みを漏らした。


 ヴェラが微笑んで口をはさむ。

「さる伯爵夫人の愛人で莫大な借金を踏み倒してきたとか。愛してもいない貴婦人のために、命かけて決闘したかと思ったら、その恋人を殺してしまったり……。単なる遊び人じゃないわ。破天荒なの。噂の的でね……」


「ええ、ええ」

 レオナルドは少し元気を取り戻した。

「でも悪い奴じゃないんです。あいつは大した美男子で金ピカの馬車に乗るんですからね。それに大胆で愉快な遊びを知っていて、ある時なんか道端に金貨をばらまいていたっけ……」


 誓って言うけれど、僕は決して女遊びなんか興味なかった。今だってまったくない。ああいう場所に行く人の気持ちがまったく理解できないんだ。だって欺瞞ぎまんだらけじゃないか。

 

 でも二日前の夕べ、ついにジャン=ポールは僕を娼館に連れていった。僕は隅に座って、ぼんやりと物思いにふけっている。ジャン=ポールはナンニエッタという名の娼婦と話していたけれど、どうやら彼は何日も前からその娼婦を口説いているようだった。


 ひどい晩だった。ナンニエッタは友人を足蹴あしげにして、僕を誘惑しようとしてくる。僕のほうが裕福だと思ったんだろうね、スカートをはぎとった脚をからめてくるので、突き飛ばさなければならなかった。

 娼館を出るとジャン=ポールは意気消沈していて賭博場に行くという。僕は反対したよ。結局朝まで帰れなかったけれど。


 ところで僕は軽はずみにも、友人にアリスとの秘密の恋愛を話してしまっていた。ジャン=ポールは僕を坊ちゃんと言ってからかったけれど、内心アリスが気になったのだろう。どうやってか、ミルトン家の夜会の常連になってしまったんだ。ミルトン家の女主人はジャンのことをペテン師と言うけれど、気に入ってはいるんだろうね。何よりも豪胆で型破りだし。

 

 でもアリスは違った。ひどく嫌ってるんだ。手紙にジャンとの友達付き合いをやめるよう書いてくる。


 僕の方でもまずいと感じ始めていた。ジャンはひょっとしたらアリスに惹かれているんじゃないか。あいつはアリスを口説いて僕から奪うのに、なんの良心の痛みも感じないだろう。


 やがてジャンはアリスに嘘の情報を吹き込み始めた。たとえば僕がある高級娼婦に入れ込んでいるとかね……


 レオナルドは後悔と痛みとを顔ににじませながら、言葉を探した。


「舟の上のあの高級娼婦……」

 ヴェラは突然思い出す。

 そう言えば、レオナルドとアリスの乗る舟の近くに高級娼婦がいたのだ。パンタロン姿で踊る、どこか調子っぱずれの女。


「そう、あれはナンニエッタだった。彼女が意味ありげに声をかけてきたんだ。まるで僕たちが深い仲であるかのように」


 アリスは動揺し、涙ながらなんて人なの、と青年を責め立てた。説明しようとしても聞いてくれない。


 僕はすべてを失ったんです、と青年はうなだれた。


 ヴェラはサッと髪を振り乱すと、強い目つきで青年を見つめる。

「そうだとしても、アリス嬢のために全てを捨てる覚悟がありますか」


 レオは瞬きしてヴェラを見つめた。

「あります。なんに変えたって惜しくありません」


「お祖父様の財産も?家名も?」

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