3話 快速急行デスマーチ行き
不意の一撃を受けてから、俺は手放した意識をもう一度、掴み戻した。
手足を動かそうとするが、ガチャ、と金属同士がぶつかる音が鳴り、動かせない。
「なっ? 動けない。磔にされている?」
「目が覚めたか、この無礼ものめ」
魔窟の奥から声が聞こえ、こちらに影法師が延びてくる。
先ほど、俺をはたいた赤髪の美少女だ。
改めてみると、身長は150cmくらいのロリ、そして頭には曲がった角、生物学上では翔べなさそうなかわいらしい翼が、肩から少し顔を覗かせている。
「魔王である私にあのような真似をするとは、大賢者の癖にドスケベね」
少女は腕を組みながら、尊大な態度でこちらを睨みつける。
「さあ、大賢者。早くこの私たちにその知恵を貸すのよ。さもなくば、わかるわね?」
「魔王? 大賢者? 状況がわからないな。なんで俺がそんなことをしなきゃいけないんだ。それに、薄汚い洞窟はいったいどこなんだ!」
「……くっ!! ここは薄汚くなんかないわ!」
一瞬回答に戸惑うと、少女は少しバツの悪そうに答える。
「ここは魔王ローゼリアが鎮座するダダダ、ダンジョンよ?」
単語の強さのわりに自信なさげな声量に強気な少女が少しばかりしおらしく見えた。
なぜか疑問形なのも、何か、事情があるのかもしれない。
「ダンジョン? どういうことだ? それにここはどこなんだ? 俺は大賢者とかじゃなくて、たださっきまでシブヤで、『魔王コレクション』の運営統括をしていただけなのだけれども」
「死、死舞谷ですって……!? あの死が跋扈する場所で? それに他の魔王を統括? あなたもしかして本当は凄いやつなの?」
「難しい言葉知ってるな。でも、全然話が噛み合っていない気がするぞ」
俺は少女に声をかけるが、片手をあごに当て考え事をしている。
そこに、一名のモンスター娘がやってきた。
「もうだめですぅぅぅ、だずげでぐだざいぃぃ!」
「そんなひっちゃかめっちゃかな顔でどうしたの、リザ。いったい何があったのよ」
表現が独特だが、ローゼリアというのが赤髪で不遜な少女の名前らしい。
そして、報告にきたのは、リザと呼ばれるリザードマン風のモンスターの娘だった。
つややかな赤橙色の髪は、低い位置で二つのお団子状に結われており、伸びたリボンがひらりと揺れる。
注目すべきは、頭頂から獣耳ーーではなく、爬虫類を連想させる鱗で覆われた二つの角だ。
肩口から手首の袖口にかけてはバルーンスリーブでふわりと包まれている。
胸下のコルセットで締まった腰元から鐘状にすそが広がるスカートがかわいらしさを演出する。
しかし、可憐な装いに反して、拵えられた鞘には刀が収まっている。
決定的なのは、腰の後ろから生えている鱗で覆われた尾だ。根元から先端にかけて細く尖っている。
どうやら、いよいよこの世界にいる少女たちは現実世界とは異なるようだ。
当の本人の顔は涙でぐちゃぐちゃだけども。
「ぐすん。もうこの世のおわりです。もう……地獄です」
「リザ。ここは地獄じゃなくて魔界よ……。それに泣いてばかりじゃわからないわ。一体どうしたの?」
「先日の会議で決まった、マグマ床の件です」
「マグマ床ね、そのトラップがどうしたっていうの」
「……資材が発注されてませんでした」
「え! どういうことなの。前回の会議で決まったはずじゃなかった?」
「本当に、ごめんなさい! そのお願いした担当者が引き継ぎしないまま辞めてしまって」
「それで、どうするの? 開発は間に合うの?」
「あああ、あの。そ、それは……」
質問攻めで二人の間に沈黙が流れる。明らかに気まずい空気だ。
磔にされたままの俺のことを忘れないで欲しい。
ゲーム開発現場で起きているようなことは、この世界でも起きているのか。
「あ、あのー、魔王様? もしかしてこのダンジョンって建築に苦戦中なんじゃ……」
魔王がこちらに目線を向けたかと思うと、その視線にはいくばくかの迷いがあった。
「隠していても仕方ないわね。ええ、残念ながら、そうよ」
「なるほど。さっき発注がどうとかって言ってたけど」
「はぁ……。聞いてのとおり、発注でトラブルが起きたの」
「なるほどな。完成は大丈夫なのか」
「大丈夫か、ですって? そんなの大丈夫にするに決まってるじゃない」
おいおい。絶対ダメなやつだろこれ。
「時間がもうあまりないみたいだけど、いつ完成なんだ?」
「そんなの、なる早に決まってるじゃない。当然よ」
なる早って、現場メンバーからすると、優先度が決められなくて困るんだよな、なんて思いつつ。
「さっきのミスの話だけど、タスクリストとかって作ってるのか? それを見ればよかったんじゃないか?」
「たすく……? よくわからないけど、そんなものはないわ。一回話したらわかるでしょ」
おいおいおい。口伝とかマジかよ。
「なぁ、会議の最後にちゃんと議事録とってネクストアクションまとめてるのか。その子をあんまり責めなくても」
「ぎじろ……? さっきから、何をわけわからないことを言っているの」
ダメだこりゃ。話がまるで通じない。ブラック労働現場確定。早く家に帰りたい。
「俺、早く元の世界に帰りたいんだけど、どうしたらいいんだ?」
「それは無理ね。魂の異世界召喚は一方通行なの。それに私の眷属として召喚されてるんだから、死ぬまで、一生ここではたらくのよ」
魂の召喚? 俺死んだ? 机のカドに「あべしっ!」といいながら頭をぶつけて?
現実だってデスマーチなのに、なにが悲しくて死んで異世界転生してまでデスマーチ現場確定なんだ。
しかも、現実よりもブラックそうな現場で働かないといけないなんてあってたまるか。
「早く帰らせてくれ! 俺だって忙しいんだ! 明日の朝までにリカバリー施策を提出しないと、『マドンナ・ドンナ』の特装版の開封の儀ができないんだ」
苛ついたローゼリアはきりっとした目でこちらを睨みつける。
「あー、もう! ぴーひゃらぴーひゃらうるさいわね! 私に楯突くとは、いい度胸じゃない。異界の賢人だろうが何だろうが知らないわ。力を貸さないのなら、その身ごと煉獄の劫火で魂まで焼き尽くしてくれるわ」
そう言うと、少女の指先に、紅く煌めく魔力の円環が現れた。少女は詠唱を続ける。
「煉獄に眠りし、獄炎の焔。汝の怒りで不遜なる蛮者を焼き尽くせ。クリムゾン・フレーー」
地獄より呼び出された炎が双竜のようにうねり、牙をむき出す。
しかし、これはきっと異世界転生ものだ。
現実世界で、何かを成し遂げられていない者が異世界で異能に目覚めて、俺TUEEEするやつだ。
俺には一体、どんな異能が備わっているのか。
いや、俺も現実世界で何かを成し遂げられなかった枠なのか。
そう考えると、少し悔しいけども。
こういうピンチの時には何かしらのスキルが発動して新たな力に目覚めるのがよくある展開。
覚醒しろ、と磔ながらに力んでみたりするも、しかし、なにも起こらなかった。
待って、あれは熱い。というか逃げられない。
異世界転生して、すぐに死ぬのはさすがに情けない。
ああ、死ぬ前にもう少し遊んでおけばーーー俺は脳をフル回転させていた。
ヤバい現場
ブラックな開発現場でも 俺はサバイバー
曲がりなりにも プロジェクト 俺は 推進してきたドライバー
いま 生きるか死ぬか 運命かけてフォーエバー
なぜか脳内でライムが踊り出す。
目の前にいるのは、おそらく未経験の現場開発責任者。
そして、この魔王だって状況を打破したいと思っているはずだ。
俺は高速でライムから思考のジュースを絞り出し、声高に叫んだ。
「待って! 俺!! ダンジョンつくれるよ!」
「ふぅん。ダンジョンを?」
その言葉が魔王に届いたのか、魔王は煉獄の龍の召喚を止めた。
「初めから、そう言ったらいいのよ」
小さなロリ魔王は不敵な笑みを浮かべて俺の顎をくいと持ち上げた。
「改めて聞くわ、あなた名前は」
「ヨシヒロだ。井ノ上ヨシヒロ」
「ふふ、よろしくね。ヨシヒロ。死ぬまで私に尽くすのよ」
少女は勝ち気な笑みを浮かべると、指をパチリと鳴らし、俺を張りつけていた鋼鉄の枷を外した。
こうして俺は、このポンコツロリ魔王の炎上ダンジョンを再建させられるハメになったのだーー