2話 最悪のボーイ・ミーツ・ガール
深夜のオフィスでカタカタカタ、とキーボードを打つ音が鳴り響く。
オフィスといっても、都市の再開発地区からは外れた東京都渋谷区の古い雑居ビルの一室。
燃えるゴミ箱は食べ終えた弁当箱で満杯になっており、リサイクル・ボックスには収まりきれなくなったペットボトルが順番待ちしている。
各人のデスクには、参考資料と言えばていが良いが、実際には個人の趣味嗜好を体現したフィギュアや玩具がワークスペースを侵食している。
今日は、このラインナップに新たな顔ぶれを迎える日だ。
というのも、今日は『魔法少女マドンナ・ドンナ』完全初回限定特装版の発売日だ。
今頃、自宅の玄関前に届いているはずだろう、と思いを馳せていると、こんな時間にもかかわらず机の上の固定電話がけたたましく鳴る。
「……はい。株式会社リビング・デッドの井ノ上です」
「井ノ上くん。聞いたわ。今月も予算をショートしかけているじゃない。リカバリー施策の資料、明日の朝までに提出して」
楽しい想像の時間は泡のように弾け飛んだ。
「あの。冬城部長。もうとっくに定時を過ぎていますが、今からですか。明日のリリース作業がまだあるんですが、それに今日こそは一度家に戻ってシャワーを浴びたくて」
「もう一度言うわね。明日の”朝”までにあればオッケーよ。午前に経営会議があるから。それと、私はこれから用事があるから、後はよろしく頼むわね、井ノ上くん。それとも、無理だというの?」
正直いって、無理だ。明日の準備だってロクに終わっていないなかで、さらに追加作業だ、なんて。
でも、ここで上司に対してできません、というのは得策ではない。
それに、無理だといったところで、何かが変わるわけではない。
だから、俺は最大限の抵抗をする。
「できなく”は”ないですが、代わりに明日のタスクの期日の調整を」
ため息交じりの冷たい声がぴしゃり、と遮断するように割って入る。
「あのね。井ノ上くん。今月も予算が未達なの。ねえ、このままで良いと思ってるの?」
「いえ、良いわけでは」
「そうよね? 今期の予算は落とせないの。うちもギリギリなのはわかっているわよね。わかったのなら、頼んだわね」
こちらの有無を言わさず、電話はガチャリと切れた。
「ぬおおおおおーー! 朝までになんて終わるわけねーだろがぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
俺の名前は、井ノ上ヨシヒロ。
社会人5年目で月の売上3000万円の中小規模のソーシャルゲームの運営をやっている。
前任のマネージャーがメンタル不調で休職してしまい、突然だが、プロジェクトマネジャーとして任命された。経営と現場をつなぐ、いわゆる中間管理職だ。
いま、俺らが運営しているのは『魔王コレクション』。
ガラケー時代から続く、ブラウザカードゲームだ。
どんなゲームかというと、魔王ガチャから魔王カードを集めて、魔王同士を合成させて、大魔王を目指すために、他の魔王たちとギルドバトルで戦っていく……とまぁそんな感じだ。
2012年のプラットフォームの全盛期時代には、月商5億円を稼いだまさに、魔王級のタイトル。
とは言っても、別のゲーム会社から運用が移管されたので、俺が開発したわけではないのだが。
「何がプロジェクトマネジャーだよ! 肩書きばっかりインフレして……やってること雑用時代と何も変わらねーじゃねぇかぁぁぁぁぁ!」
呪いにも似た魂の叫び。
というのも、利益率重視のため、メンバーは俺を含めた極めて少人数で回している。
プロジェクトマネジャーと言えば、聞こえはいいが、企画や仕様書の作成、素材の発注、進行管理、お知らせの作成、デバッグ、カスタマーサポートの問い合わせ対応も含めて、企画業務は全部一人で回している。
要するに、何でも屋だ。このゲームにエンディングのスタッフロールをつけるならこうなる。
プロジェクトマネージャー 俺
プロデューサー 俺
ディレクター 俺
プランナー 俺
カスタマーサポート 俺
デバッグ 俺
SNS更新 俺
俺俺俺俺俺俺俺。
俺が別の役割の俺に発注し、作業し、別の俺が俺の業務を監督、管理、遂行していく。
さらに、日中はほぼ他のセクションとのコミュニケーションやメンテンナンス、カスタマーサポート対応に追われるので、落ち着いて自分の作業に取りかかれるのは定時を過ぎた後だ。
そんな俺の帰宅時間は早いわけがなく、今日も日付をまたぐ見立てだ。
「あのクソ部長……。今月も予算がショートなの〜、じゃねーだろ! 自分の事業部なんだから、せめて一緒に考えろやぁぁぁぁぁぁ!!」
カタカタカタという軽快なタイピングの音が止み、向かいの席からぬっと、ボサボサの髪の男が顔を覗かせる。
「ヨシヒロ氏。二徹目なのに元気だぬ。その勢いで次こそはガチャデータの手動入力は避けてクレメンス」
「はぁ……藤木さん、今日も遅くまでかかりそうです。すみません。急いでたので、自分でデータベースをそのまま修正してしまって。申し訳ないです」
「わかってくれたらいいの、いいの。どうせ家に帰っても、やることないですしおすし」
幾千もの洗濯の果てに、襟元がくたびれたダルダルのアニメTシャツをきた初老の男性は、藤木タダシさん。
サーバーから、クライアントまで一人でプログラミングを行う、フルスタック・エンジニアだ。
本人曰く、齢三十を超え魔法使いになり、齢四十を迎え、何でもできる大魔法使い改め、自称赤魔導士。
太ましい体型によって、かつて黄金比であったであろう美少女のプリントは、もはや色褪せて顔面崩壊してしまっている。
そして、なぜか雪駄を365日履き続けている。
「で、ヨシヒロ氏。明日、何がリリースされるん?」
「明日、クワトロ・スーパーレアの新カードが追加されるんです」
「ああ、新しい魔王カード。それにしてもすごい名称だよね。スーパーレアの何倍強いのかもうわからんお」
藤木さんは机の上に置かれたポテトチップの袋に手を伸ばす。
「ええ。俺が六代目の責任者なんですが、移管前のゲーム会社『スクエア・フェニックス』から出向してきた前の前の四代目のプロデューサーが苦肉の策で追加した新レアリティなんです。引き継ぎもあって期間限定のスポットでプロジェクトにきたのですが、功を焦ったみたいで、パラメータをインフレさせまくってて、その後にボーナスもらったらすぐに出向を終えて、本社に帰還して。わかりやすいくらいの焼畑ですよね」
「ま、集金のにおいがプンプンするのは否めないお。もはや、札束でビンタするゲームにはなってるね」
「はい。その影響でヘビーユーザーさんが課金疲れしちゃって。でも、最高レアを出してしまったので、いまさら低レアを出すわけにもいかないんですよね」
「うーん、万策尽きたお」
「はい、良くないのはわかってはいるんですが、工数も殆どないし、もう自分でもどうしたらいいのかなと」
ブラウザゲームはインフレの時代と言っても過言ではない。
レアカードは刷れば刷るほど売れる。実際にレアリティが10段階くらいに細分化されたゲームもある。
ノーマル、ハイノーマル、レア、ハイレア、スーパーレア、ダブル・スーパーレア、トリプル・スーパーレア。クワトロ・スーパーレアだ。
新たなレアリティを追加すれば、これまでの商材の価値は相対的に下がる。
つまり、新たなデッキ需要が創出される。
つまり、課金率アップ。課金額アップ。給料もアップ……となるはずだった。
しかし、現実はそんなに甘くない。
無課金ユーザーと重課金ユーザーの戦力格差がより広がってしまったのだ。
無課金ユーザーは、上位層の総合力をみては、もうついていけないと離脱してしまい、上位の課金ユーザー層は課金疲れで、ヘイトを溜めて引退していく。
こうして、一部のユーザーへ課金圧を高めるというソシャゲ運営末期の状態にうちのタイトルも直面していた。
インフレだけするとつまらないゲームになるのはわかっているものの、チームに新しいユーザー体験を実装する余力はない。
それに、時間もお金も全然ないのだ。
子どもの頃にプレイしてワクワクした『ゲーム』とは違う『ゲーム』をつくっている自分に少し嫌気がさす。
「うぅ、頭痛が。このままじゃ、新カードの前に俺が限界突破しそうです……」
「ヨシヒロ氏。ちょっと休んだらおk。こっちは秘密の研究開発やっておくお」
「秘密の研究開発って、いつもの拡張現実プロジェクトですか。こっちは20分くらい仮眠したらまた戻るので、おそくなってすみませんが、後でガチャのデータ投入をお願いします、ってあれ」
立ち上がったかと思うと、目の前がぐらんぐらんと回る。これが百パーセントを超えた、二徹のひずみか。
視界がゆがみ、バランスを取りそこなった俺はそのまま脚がもつれる。
「あべしっっ!!!!」
景気よく机のカドにクリティカル・ヒットした。
藤木さんが俺のことを心配する声が聞こえる。藤木さん、なんだかんだ優しいんだよな。
やべえ、明日のガチャのお知らせ更新と報告会の資料が終わってない、なんて思う俺は心の底までブラック企業戦士だ。
やがて、瞼が重くなり、俺の意識は黒く塗りつぶされた。
ーーー
ーー
ー
「起きて……さい」
「起きてください!」
おぼろげな意識の中で、耳慣れない少女の声が聞こえる。
瞼の先の霞む視界の中で、自分の足元を見る。
魔法陣から知らない文字が紅く煌めき、白煙が立ち込めている。
急に呼吸を取り戻したせいか俺は咽せて咳き込んだ。
「げほっ、げほっ。なんなんだここは」
そうだ、今は何時だ。早く終わらせて今日こそはシャワーを浴びて布団で寝たい。
それよりここはどこだ。会社にいたはずではなかったのか。
その思考を制するかのように、続けて俺に語りかける。
「大賢者の方ですね? どうか私たちにその知恵を授けてください」
「ダイケンジャー?」
頼りない意識の中で、意味を理解せず戦隊シリーズのようなワードを反芻する。
白煙が掃けた視界の先には、現実離れした美少女が手を差し出していた。
薄紅色の髪からは、漆黒の二本の角が生えている。
まるで、美少女ゲームの中のロリ魔王だ。
混濁した意識の中で、藤木さんがついにARアイドルを現実世界に顕現させたのかと思う。
「ちょっと藤木さん。また勝手に3Dモデルをレンダリングして……Vtuberは、うちのいまの組織体制じゃ運用できないんですってば」
むにゃむにゃとしながら、美少女に近づこうとしたが、足がおぼつかない。
なだれ込むように俺は少女の上に倒れる。
「あだっー!!」
「きゃっ!」
俺はむにゅむにゅと、小ぶりだがやわらかい、あんまんのような二つのふくらみをつかんだ。
この感触はVRじゃない。ARだ。そう、拡張された現実世界。
ついに、技術は、世界はここまで進化したのか。
凄いぞ、藤木さん!
「バカっ……!! どこを触ってるのよ!」
次の瞬間、頬を勢いよくビタンと叩かれ、俺の身体は勢いよく壁に叩きつけられた。
質量を持ったARだというのか。しかし、これはARにしてはできすぎている。
「あっあっ! かっ……! 痛っ……!!」
再び遠のく意識の中で、少女は侮蔑の眼差しでこちらを見下している。
「はぁ? ”これ”が大賢者?」
つい先ほどつかんだ意識だったが、呆気なくまた手放すことになった。
これが、俺と魔王の最悪の一ヶ月の始まりだった。
昨今のソシャゲの開発も大変です。
もし、クスッときたら評価いただけると、とてもうれしいです!