たゆたう
ふらふらと海辺のリゾート地に海外留学する夢を見た。夢だとわかるのはわたしはとっくに学生の頃を通り過ぎ、そしてわたしの頭じゃ、財力じゃ、海外留学なんてそれこそ夢のまた夢だったのを知っているからだ。
だが、だからこそ海辺の木造の校舎を歩く足は弾み、白髪のおばあさんの校長先生の話は楽しく、はじめて踏んだ黄色の砂の海岸線は美しい。わたしは透き通る風に髪をはためかせ、空をよぎるトンビを見た。遠くでアイスクリームを食べているパレオ姿の少女がいる。海はブルーに澄んでいて、飲んだら幸せの味がしそうだ。ビーチボールが転がって来る。それを軽く持ち上げると、上半身裸の日焼けした少年に投げ返す。そんなところでその夢は終わった。
ゆらりゆらり視界は揺れる。いや、身体が揺れている。ぎい、ぎい、という音がする。気付くと、小舟の上。わたしは船底にぴたっと収まり眠っていて、その小舟のへりに船主が一人。オールで水を漕ぎ進んでいる。ゆっくり、ゆっくりと。
わたしは何も言わず船底に手のひらをついて、起き上がる。少しバランスが崩れる。危なっかしい。辺りは霧一面に覆われていて何も見えない。スモークを炊いたコンサート会場みたい。ここは酷く静かだけど。
しばらく霧を吸うようにして呼吸を整える。お腹の脇がかゆくなったのでぽりぽりとかく。それから船主に「ここはどこ?」と聞く。
「宇宙の外側だよ」
船主は当然のように答える。「宇宙の外側……?」と聞き返し、なんの答えも返ってこないので「宇宙の外側かぁ……」なんてくくっと笑ってしまう。
「ごらん」
船主は水面を指さす。オールの波紋が透き通る水は驚くほどに透明で、そして何処までも何処までも深くたたえられていた。その深い深い奥底にぼうっと星々が瞬いている。
「ほら、あれがプレアデス」
指さす先には、青い星の固まりがやけにはっきりと光る。
「この船、どこへ行くの?」
「さてね……」
わたしは「そっ」とだけ言って、水面に手を伸ばす。冷たくもなく、温かくもなく、するすると手のひらを水が滑って滴る。
「帰りたい?」
「どうかなぁ」
「今なら間に合うかもしれないよ」
「ちょっと考えさせて」
「おや、もう間に合わないや」
「そんな急に」
「この世界は壊れるよ」
一つ風が吹いて、わたしの髪を揺らした。霧が一層濃くなっていた。見ると船主のいたところにはもう誰もいない。わたし一人だけだった。
「間に合わせるわよ」
わたしは一つ大きく息を吸い込み、そして水面にダイブした。水中でわたしの身体は驚くほど軽く動き、ドルフィンキックの要領でどんどん深く沈んでいく。水の遥か底に、そこに綺麗な銀河が砂漠のように散らばっていた。わたしは「わぁっ」と感嘆し、水中で呼吸や言葉が使えることにさして驚くことなく、そのまま水底へ滑り落ちる。
バレーボールがぽぉんと跳ねた。どうやら見当違いのところに跳んでいったようで、日焼けした少年は「へたくそ!」と悪態をついている。異国の海外線。シーサイドライン。アイスクリーム。トンビ。パレオ姿の少女。太陽がさんさんとわたしの白い肌を射す。繰り返す波の音。人の賑わいの軽い雑踏音。波打ち際で老人がにこりとこちらに向かってスマイルする。わたしは、海に向かって駆け出す。途中で靴と靴下を脱いで、そのまま海に足をひたす。スカートぎりぎりを波が通る。いや、少しだけ濡れた。わたしは「わーっ」と叫ぶ。テレビゲームのスプラトゥーンのBGMが遠くから聞こえる。
目覚まし時計、任天堂というゲームメーカーが作ったゲーム音楽を目覚ましにする目覚まし時計、なんと一万円以上した、から低血圧なわたしに必要以上にご機嫌な音楽が鳴り響く。わたしは傍らの猫の「みぃさん」を起こさないようにそっと身体を這わせて目覚まし時計を止める。それから横にあるスマホで、今日の天気とメールチェックをする。どちらも問題ないようだ。ふてぶてしく寝ている猫を横目に台所に出て、牛乳をコップに一杯。ごくごく飲むと、枯れた喉に染みわたる。食パンを一枚オーブントースターに入れる。こちらは安物で千円で買った。スマホでyoutubeでちゃっちゃっと音楽を検索し、聞きながらもう一杯牛乳を飲む。緑も欲しいかなと思い、トマトを輪切りにし、バージンオイルをかける。トースターが鳴く。ちぃん。
ざばぁん。大きな波がわたしの服を濡らす。周りの観光客はそんなことお構いなしに波とたわむれている。青い空。青い海。振り返るとバレーボールの少年がトスをあげている。トンビがぴーひょろろと鳴いている。太陽が痛いほどに眩しい。汗と海水が肌の上で混じる。わたしは笑う。思いっきり笑う。そのまま路地を出て、小さな服屋でセパレートの水着を買う。お金は見たこともないお札と硬貨だった。腋毛とか気になったが、幸か不幸か前もって処理してあった。そのまま温かい海を泳いだ。クラゲもいない心地いい海だった。そのまま夕日が水平線を沈んだ。わたしは「まぁいいか」と息を吐いた。