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邂逅④

「あんなに良いひと、いるんだなぁ。」


明日がリビングに入ると、壁にかけてある大きな絵画が目に入った。


「わぁ、綺麗な絵…。」


でも、どこかで見たことあるような…。


明日は少し考え、ある雑誌の特集ページを思い出した。


「あ、わかった!

 霧のウォータールー橋だ!モネの!」


うわぁぁすごい!

こんなおっきいサイズで見られるなんて!


霧橋(きりはし)先生が、自分の名前の由来にしたって、この前雑誌のインタビューで答えてたやつだ!

うわーうわー嬉しいなぁ。


…霧橋先生の小説、無事かなぁ…。

その辺のバッグに突っ込んで来ちゃったし、濡れてないかなぁぁ。

どうかご無事で…!

今、迎えに行っていただいております…!


…あの男のひとも、モネが好きなのかなぁ。


大丈夫かな。病院には行ったって言ってたけど…。


明日は寝室のある方に目線をやった。

そして絵画と対面にある部屋を見つけた。リビングと続き間になっているその部屋の引き戸は少し空いていた。


その隙間からは無数の小説が所狭しと積み上げられているのが見えた。


うわっ!すごい…。

じろじろ見ちゃ悪いけど…すごい本の数!


明日はその部屋にそっと近づいた。

大きな本棚に囲まれた部屋の真ん中に、机と椅子が置いてある。

床には紙類が散乱している。

その多くは印刷された文字の上に、多数のメモが書き込まれているようだ。


明日は本の気配に吸い込まれるように、部屋の中へ入っていた。


近くで見ると、本棚にある本の多くは今昔のミステリー小説であることがわかった。

明日は、本屋さんにいるかのような気分になって、いつものように本のタイトルを素早く流し見た。


机にも多数の本が山積みになっており、その真ん中にノートパソコンが閉じられた状態で置かれている。


そのノートパソコンの上に置いてあった本に、明日は驚いた。


「え、霧橋先生の新作小説だ…!」


え、じゃああのひとも、霧橋先生のファン⁉︎

すごい偶然!そうだったらいいなぁ、語り合えるかも!


色めき立つ明日をはっとさせたのは、ノートパソコンに貼られた一枚の付箋だった。


そこにはこう書かれていた。

『霧橋先生へ 次、締切破ったら、焼肉じゃ済ましません。 水穂(みずほ)。』


明日は声が出せなかった。




「ノエルー。

 ポスト溜めんなよ。入らなくなってたぞ。」


香太の声が明日に届いた。

明日はリビングに一歩出てきて、香太を見た。


「あ、そうだ、寝てるか。

 浅葱さん、荷物これだよね?」


香太が明日のバッグを三つ片手に提げている。

そのうちの一つには、霧橋ノエルの小説がしまわれている。

明日はすぐに返事ができなかった。


ノエル。

ノエル。霧橋ノエル先生。

まさか。


「は、はい…。

 ありがとうございます…。」


本当に?あの?


明日は心臓が嘘のように強く跳ねるのを感じた。


「あの、浅葱さん。」


香太が遠慮がちに明日に呼びかけた。


「大切な本ってもしかして、この本だったりする?」


香太は、手提げバッグの中に見える、霧橋ノエルの新作小説を指さしていた。


やっぱり、そうなの?

そうなの?だってそんなのあり得るの?


どうしよう。

こころが、ふるえる。


「…はい。

 大好きで。本当に好きで。

 何度も心を…救われてきて。


 ミラー賞を取った時とか、本当号泣しちゃって。

 もう何ページに何が書いてあるか、わかるくらいに読み返してて。


 いつか先生に会えたら、なんてお礼を言おうって、

 何度も何度も夢見てました。」


明日は声の震えを必死に抑えて言った。

香太は柔らかく「うん。」と頷いた。


「…あの、香太さん。

 あのひと、もしかして、

 霧橋ノエル先生ですか…?」


「…俺からは名言できない。

 …でも後で、本人に聞いてみるといいかもね。」


香太は微笑んで見せた。

明日は手が震えるのを抑えきれなかった。


夢にまで見た、憧れの、先生が、すぐそこに、居る。


明日の頭の中に、公園でノエルを見つけたシーンがフラッシュバックした。


雨の中でうずくまるあのひとを見た時、

声をかけるのに、ためらいはなかった。

雨に濡れた小動物みたいな男の子。

独りにできなかった。守らなくちゃって。

本能に近い、あの特別な感覚。


それが今、こんな世界に、繋がるなんて。


駆け巡る思考にクラクラする。


だって、思いもよらなかった。

びっくりした。だって。

あのひとが霧橋先生なら…。


「霧橋先生って…女の人じゃなかったんですね…!」


「それ思うよね。」


香太がうんうん、と明日の驚きに同意した。

明日は思いが溢れるのを止められなかった。


「ど、ど、どうしよう。

 私、本当に好きなんです。

 霧橋先生。大好きで。

 憧れで、尊敬してて…!


 うぅぅぅぅ…!

 す、すみませんん…!」


ボロボロ泣き出す明日に香太は少し驚いたが、微笑んで一歩近づいた。


「ティッシュ使う?」


「はいぃぃ。」


震える手で香太からティッシュを受け取る明日は、まるで小さな子どものように香太には見えた。ここまで純粋無垢な涙を、最後に流したのはいつだろう?


「…浅葱さんは、霧橋ノエルを本当に好きでいてくれてるんだね。」


「は、はい!」


「あ、このことはくれぐれも内密にね。」


「はいっもちろんです!

 絶対に誰にも言いません。命にかえても‼︎」


「はは、命にまではかえないで。」


香太と明日はぱちっと目を合わせて、笑い合った。

香太はつい明日の頭を撫でたくなったが、思いとどまった。

ノエルのことで頭がいっぱいなこの女の子を、俺は、どうして撫でたくなるんだろう?




薄暗い部屋の中で、ノエルが薄く目を開いた。

廊下から楽しげな声がする。


香太が誰かと話してる。

女の子…?

香太のこんな柔らかい声、久しぶりに聞いたな…。


ノエルは深く息を吐いた。喉のつかえが取れ、ふんわりと呼吸できた。


あぁずっと、こんな声で話してたら、いいのに。こーた。


ノエルはゆっくりと起き上がった。


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