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【前日譚】ライラックの香り

「やっと見つけた…

 香奈子(かなこ)!」


美しい黒髪をポニーテールにした少女が、木の上に向かって話しかけている。


木の上には茶色がかった髪色の少女がいた。

香奈子と呼ばれたその少女は、肩をびくっと震わせ、そろーっと水穂の方を見た。

その手には、体操着姿とは不釣り合いな重厚なミステリー小説が開かれている。


水穂(みずほ)…!」


ばれちゃったかとでも言いたげな表情の香奈子に対して、水穂はため息をついた。


「全くもう、球技大会なのわかってる?

 木の上で読書なんて…漫画じゃあるまいし。」


水穂は、腰に手を当てて気だるげに言う。

道ゆく男子たちは、水穂のことをチラチラ見ては、色めきたって去ってゆくが、水穂がそれを気にする様子は微塵もない。


「香奈子のこと探してる人、いっぱいいたのよ。

 みんな私に聞きにくるから、大変だったんだから。」


「で、でもだって、

 私のチーム一回戦で負けちゃったし!

 もう出番ないもん。」


香奈子が少し慌てた様子で言う。


「高校最後の球技大会だって言うのに…。

 それに他の競技から、たくさん助っ人頼まれてたでしょう?」


「そうだけど…!

 それは全部ちゃんと断ったし、正直、スポーツより小説読んでたいんだもん!

 楽しい!幸せ!」


にこーっと笑って香奈子が言う。

なんだか少し面白くない水穂は少し意地悪を言ってみることにした。


「ふーん、人が死ぬ話がそんなに楽しーの?」


「ちがーう!

 ちがくないけど!

 ミステリー小説ねっ。」


香奈子の顔はキラキラしている。


「緻密なトリック、嘘、騙し合い…

 頭脳ゲームだよ…!

 そうだ!

 これはもはや、頭を使ったスポーツをしていると言っても過言じゃないね!」


「スポーツねぇ…。」


「つまり私は広義では

 球技大会に参加しているわけだよ、水穂くん!」


「どこに球技要素があるのよ。」


「えーと…あ、ほら、脳みそ!

 ねっ?丸い!」


「…はぁ…名探偵香奈子さん?

 あなたさっきのサッカー、わざと負けましたね?

 香奈子さんがいて一回戦負けはありえないですもんね?」


「‼︎」


木の葉がバサーっと舞い落ちてくる。

香奈子が軽やかに地上に降りてきて、水穂に抱きついた。


「水穂ちゃーん…

 それは内緒にしていただけると…!

 交換条件としてなんでもするのでー!」


水穂は香奈子の肩まで切られた髪が、

さらさらと風に流されているのを見つめた。


「…わかった。」


「!」


「その代わり、私の出るバレーボールに助っ人で出てよ。

 1人突き指しちゃってメンバー不足なの。」


香奈子はぱっと顔をあげて、水穂をまっすぐ見つめ言った。


「えっそれは出るよ!

 水穂のチームでしょ?


 もーそれは当たり前じゃん。

 交換条件、考えておいてね!」


香奈子はスキップをしながら、鼻歌を歌い、上機嫌に水穂の前を歩いてゆく。


新緑を透かした光の中にいる香奈子は、

明るく楽しげであるのに、なぜか水穂には儚く見えた。


交換条件…。


今なら、冗談で、言えるかもしれない。


「…友達。」


「えっ?」


香奈子が振り向く。


水穂は脳が何かを考える前に、口を動かした。


「友達でいて。ずっと。」


小さな声は、緑の香りを運ぶ風に乗って香奈子に届いた。

少しぽかんとした表情の香奈子。

水穂は上手く表情を作れないでいた。


すたすたと、水穂に近づく香奈子。

ごつんっと額と額がぶつかる音がした。


「あ、痛っ!」


「あ、ごめんね水穂。

 こつんくらいのつもりだったのに!

 しかも私、石頭なんだよね。ごめん。」


水穂は少しぐらぐらする頭を押さえた。


「大丈夫だけど。」


「ほんと?

 ね、さっきのさ、水穂のばか!

 それこそ当たり前じゃん!」


ふにゃっと笑う香奈子。

水穂の胸のあたりがぶわっと暖かくなった。


香奈子は笑うと困り眉になって、涙袋がぷっくりする。

いつもの、水穂の大好きな笑顔だ。


ほんと笑った顔が弟くんにそっくり…。

弟くん…香太(こうた)くんに言ったら嫌がるかな。

香奈子には何度も言っては、似てないってば!って返されたっけ。


香太くんといえば…いつも一緒のあのチビくん。

水穂の温かくなった胸に、ひんやりとしたすき間風が吹いた。

水穂は今、彼のことを思い出すのは不本意だったが、

思い出した以上、気になってきてしまった。


「ねぇ香奈子、ノエルくんの試合観に行ったりしなくていいの?」


「えっ⁉︎

 い、いやぁ行かないよ〜。

 香太もバスケで同じチームだし、姉がきたら、ね、嫌がるでしょ?」


「ふーん。同じチームなのは知ってるんだ?」


「う。」


香奈子の頭の上に、ぎくっと言う文字が浮かんだ。


「バスケなのも知ってるんだ?」


「え、えっと…それは…!」


なぜか慌てた様子の香奈子を見て、水穂はふっと頬を緩めた。


「別に隠さなくていいわよ。

 後で一緒に観に行こ。

 私もあのスカしたチビくんがバスケしてるとこ冷やかすの、興味あるし。」


「もーまた水穂はノエルくんの悪口言ってー。」


香奈子はからっと笑いながら言った。

水穂としては、結構本気で悪口を言っているつもりだが、香奈子はいつもジョークだと捉えているのだ。


「ねぇ、それにしても水穂、罰ゲーム考えるセンスないね?」


香奈子は、ノエルの話題を切り上げるように話を戻した。


「なんでよ。

 それにいつの間に罰ゲームを考えてることになってるわけ。」


「あれ?違ったっけ?

 えー…あ、そしたらアイス奢りにしよっ。

 水穂の好きなあのチョコのやつ!

 交換条件ね!」


「いいけど…、

 そもそも交換条件なんてなくても、言いふらしたりしないわよ。」


「わかってるよ〜!

 でもなんか楽しいからいいじゃん!」


2人は並んで中庭を抜け、体育館の前までやってきた。


「あ、私、体育館シューズ、教室だ!

 ちょっと待ってて、すぐ取ってくるから。」


香奈子はスニーカーを脱ぎ捨て、分厚い小説を大事そうに胸に抱えながら、校内に続く廊下へ走り去って行った。


外は絶好の球技大会日和だったが、人気のない校舎はひんやりとして薄暗かった。


その中に溶けてゆく香奈子を見送りながら、水穂は思った。



友達。


ずっと友達。


これ以上を望まなければ、


ずっと一緒にいられる。


きっと、ずっと。


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