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第二曲 互いを知る

 古山大学校の夜学が終わり、学生達は帰宅を始めた。時刻は既に午前零時過ぎであり、街は静まり返る時間だ。

 そんな中、正門の前で一人で誰かを待つ者がいた。腰まで伸びた白髪は特徴的で、一目見れば誰もが印象に残る容姿をしている。

 女は腕時計の時間を確認しながら夜空を見上げた。雲一つない満天の星空は美しく輝いている。ふと何万光年と離れた星のことを考えと、既に消滅してしまっている星もあるのかもしれないと考える。この世に存在する命の儚さについて考えさせられた。

 そんな途方もないことを考えたからだろうか、女は目を瞑り、鼻歌を歌い始めた。鼻歌は優しい曲調ながら、どこか寂しさを孕んだ曲調でもあった。

 数十秒もすると、数人の学生が女の近くで足を止めた。女はそれに気づくことなく鼻歌を歌い続ける。鼻歌はこの夜に合った穏やかな速度で進行した。


 やがて鼻歌を終えた女が目を開けた時、目の前には何十人もの学生が立っていた。女の視線の先に映るのは、どこもかしこも古山大学校の学生の姿だけだ。

 女はそこで初めて、自分の鼻歌癖が出ていたことに気づいた。顔も知らない、いや、数人は知っている顔がいるが、面識はほぼ無いに等しい者に鼻歌を聞かれていたと考えると、とにかく恥ずかしさがこみ上げてくる。

 すると、集まった学生の中から拍手が聞こえてきた。その主は、夕方に出会った銀髪の女だった。その背後には、夕方に出会った他の三人も立っている。

 銀髪の女は白髪の女に近づき、優しい動作で手を伸ばす。それはファンタジーの世界によくある、手を差し伸べる場面に酷似していた。

 女は差し伸べられた手を取り、夕方に出会った女に導かれるようにその場を脱した。そのまま他の三人と合流した二人の女は、闇夜の中へと消えていった―――




 古山大学校を去った五人の学生は、深夜でも営業しているファミリーレストランに入った。深夜であるため客数はほぼ無いものの、この時間帯に空いているファミリーレストランはまず存在しないため、利用する者としてはとても便利に感じられる要素だ。

 五人は六人で使用できるテーブル席を取った。そして各自注文するものを決め、店員へ料理の注文を済ませる。

 店員が去った後、五人は改めて顔を見合わせた。だが、その場に流れるのは店で流される音楽の音だけだ。決して誰も口を開こうとはせず、気まずい空気がその席一帯を支配する。

 だが、このままではここに来た意味がないと、主催者は口を開く。


 「皆さん、出会って数時間しか経っていないのにも関わらず、私の提案した食事会に参加していただき、誠にありがとうございます」


 白髪の女はそう言い、四人に向かって頭を下げた。四人はそれを見て慌てて頭を下げる。銀髪の女と茶髪の優男を除く三人は、明らかに緊張していた。桃色のパーカー服を着た女に至っては、緊張のあまりか震えている。

 五人は同時に頭を上げ、再び顔を見合わせた。主催者はもう一度四人の顔を見ると、次の言葉を放つ。


 「名前も知らないというのはあれなので、名乗らせていただきます。私の名前は宮下凪彩(みやしたなぎさ)と申します。知ってのとおり、古山大学の四回生です。以後、お見知りおきを」


 主催者もとい、白髪の女は|宮下凪彩と名乗った。深紫色の瞳と白く長い髪の容姿からは想像できない名前は、どこか不思議さを感じさせる。

 四人は周囲の人間の迷惑にならない程度に拍手をする。といっても、先ほどまでいた二人の客は帰ってしまいい、この店内に残っている者は五人だけのようだ。


 「では、次は時計回りと考えて私ですね。よろしいですか?」

 「ええ、お名前をお聞かせください」

 「私の名前は七瀬京胡(ななせきょうこ)です。同じく古山大学の四回生です。よろしくお願いします」


 銀髪の女は七瀬京胡と名乗った。長く伸ばされた銀髪は美しく、その場の誰もが魅入ってしまうほどだった。

 だが、七瀬の名前を聞いた宮下は一瞬目を丸くした。それは明らかに驚きであったが、その場の四人が気づかない内に平然を装い、他の三人とともに拍手を送った。

 時計回りの順番となると、次は桃色のパーカー服を着た女の番になる。しかし、その女は緊張状態が酷いのか、肩を小刻みに揺らし、口元も震えている。


 「無理はしないで大丈夫だ」

 「そうそう、先に僕達が自己紹介をした後でも大丈夫だし」


 女の隣に座る男達が言った。だが、女は震えながらも首を激しく横に振る。そして、深く深呼吸をし、閉ざしていた口を開いた。


 「私……は……私は山城摩耶(やましろまや)で、同じ古山大学の四回生です……人見知りですが、今後ともよろしくお願いします」


 桃色のパーカー服を着た女は山城摩耶と名乗った。まだ緊張状態にあるのか、肩と口元は依然として震えている。

 四人は拍手を送り、隣に座っていた黒色のパーカー服を着た男はリラックスするよう促した。

 山城は出された水を飲んだところで、やっと震えが止まった。

 

 「じゃ、次は俺だな。俺の名前は山口堅志(やまぐちけんじ)。同じく古山大学の四回生だ。まあ、なんだ。今後ともよろしく頼む」


 黒色のパーカーを着た女は山口堅志と名乗った。言動と金髪の容姿からして、気がとても強い人間なのだと、その場の誰もが考えた。その一方で、山口の言葉には心の底から信頼できる何かを感じることができる。


 「最後は僕だね。僕は神田康人(かんだやすひと)。古山大学四回生で、機械工学科だよ。今後ともよろしくね」


 茶髪の優男は神田賢人と名乗った。先ほどから笑っている神田だが、その笑みは張り付いたもののようで掴みどころが一切見受けられない。だが、根は良い誠実な人だと直感で感じることはできた。


 五人が自己紹介を終えると同時に、注文した料理が運ばれてきた。どうやらラストオーダーだったらしく、これ以上の注文は受け付けられないらしい。

 店員が去ると、五人は食事会を始めた。食事会はとても穏やかな空気で進行するも、時間的な速さは速いものだった。

 山城は最初こそ緊張状態にあったものの、山口と神田の発せられた優しい空気から、気がついた頃にはすっかりとその場に溶け込んでいた。

 そんな中、七瀬は隣に座っている宮下の顔をこっそり横目で見ていた。宮下の瞳には光が宿っておらず、それがあまりにも不気味に感じ取れたからだ。深紫という色も相まってそう見えるだけかもしれないが、七瀬には何かを感じる部分があった。

 だが、七瀬はあまりにも深入りしすぎたらしい。宮下が顔を見られていたことに気づいた。


 「私の顔に何かついていますか?」


 宮下から質問が飛んできた。突然のことだったが、七瀬は思考を巡らせる。それは僅か一秒にも満たない時間であり、一か八かの賭けだった。


 「いえ、宮下さんは肌をとても大切にされていらっしゃると思いまして。おそらくですが、最近発売された保湿剤を塗られているのでは?」


 七瀬の賭けは、顔を見ていた時に気がついた宮下の肌の状態の良さだ。僅かながらクリームを塗ったような痕跡があり、七瀬からすれば、女性は肌を気にする人が多い印象があったことも相まっての返答だった。

 だが、宮下は僅かに口を開けた。七瀬は即座にそれに気づき、この返答は不正解だと判断し、本心を探られるものだと覚悟した。


 「よく分かりましたね。私の肌は乾燥気質なところがあるので、肌は毎日保湿しています」


 幸運なことに、七瀬の返答は宮下の日常生活に触れていた。危機を脱したことへの気の緩みからか、七瀬は脱力した。


 一方、山城と山口は、神田から語られる公民の知識に脱帽していた。神田の語るものは、八割近くが国会の話だ。その全てが生々しく、まるでその場に立っているような臨場感を得られるものだった。


 「とても興味深いお話でした」

 「公民は苦手だったから勉強になるぜ」

 「いやいや、僕は父親から教えられたことを話しているにすぎないよ」


 二人の言葉に、神田は照れながら頭を掻く。それでもなお、張り付いたような笑みが消えることはなかった。しかしながら、彼の知識には目を見張るものがあり、そんなことは気にしなかった。

 

 「やっぱり神田は凄えな。その気になれば教師にだってなれるんじゃないか?」

 「僕は教師を目指していないよ。子どもは元気があっていいと思うけどね」

 「しかし、驚きましたよ。神田さんのお父様が有名な神田議員だったなんて」


 山城は神田に尊敬の目を向けた。

 神田の父親は神田剛樹。政界では有名な国会議員だった。彼の政策案は現総理すらも度肝を抜くほどだとニュースで報道され、巷では次代の総理大臣とも言われることがある。

 しかし、神田は張り付いた笑みの下では笑っていなかった。閉じられた瞼の裏の瞳からは、二人の気づかないところで光を失っていた。


 「あの、誰か助けてくれませんか……」


 三人の会話の中に、弱々しく助けを呼ぶ七瀬声が入った。見ると、七瀬の隣では宮下が美容法をオタク口調で語っていた。それはあまりにも早く、一度聞いただけでは内容を完全に聞き取ることはできないだろう。

 目の前の光景に苦笑しつつも、山城は七瀬への助け舟を出すことにした。


 「宮下さん、少し良いですか?」


 山城の呼び声に、宮下はついに美容法を話す口を閉じた。七瀬はそれを見て、内心深く安心した。


 「はい、どうかしましたか?」

 「宮下さんは、何か趣味などはありますか?」


 山城が投げたのは、宮下の趣味に対する質問だった。宮下は一瞬顎に手を添え、自分の趣味というものを考える。これといっていいほど宮下に趣味はなく、こうして自分を見つめ直すことは久しぶりのことであった。

 少し悩んだ結果、宮下は少し表情を曇らせながら口を開いた。


 「音楽の……制作ですね。といっても、背景に使われる効果音のようなものですが」


 宮下の言葉に、同席者は目を丸くして驚いた。だが、宮下の容姿から考えると、何となくではあるが音楽を作るイメージは定着する。

 山城は宮下の言葉に驚いていたが、それと同時に気分がとても高揚していた。音楽が好きな山城にとって、目の前に作曲者がいる事実は受け入れがたく、また


 「すごいですね! ちなみに、どんな音楽を作っているのかお伺いしてもよろしいですか?」


 山城の投げた何気ない興味本位の問。それは、宮下の表情を曇らせた。先ほどとは違い、明らかに纏う空気が変わっている。

 しかし、それに気づいていたのは七瀬と神田だけだった。二人にとって、宮下の纏う空気は自分たちの知る空気に近しいものがあると感じる。


 「気になりますか? 私の音楽が」

 「はい、興味があります」

 「俺も興味があるな。どんな曲を作ってるのか知りたい」


 山城に続き、山口も制作した曲が気になると言った。その言葉に、七瀬と神田は地雷を踏んだような危機感を感じる。

 しかし、二人の予想に反して宮下が纏っていた黒い空気が消える。宮下は懐からイヤホン付きのスマートフォンを取り出し、画面を操作する。そして、操作を終えたスマートフォンを二人の前に差し出した。


 「この再生ボタンを押せば、音楽が流れます。制作途中のものですが、よければどうぞ」


 宮下の言葉に、二人は片方づつイヤホンを手に取り、それを耳につける。そして、山口が再生ボタンを押した。

 再生された音楽は二人の背筋を凍らせた。とても悍ましく、悲しく、水底へと沈められたような曲調。だが、曲の中の誰かは希望を見つけ、必死に水面に顔を出そうと足掻いている。水面へと辿り着いた誰かは、差し伸ばされた光を掴もうと手を伸ばす。

 曲はそこで終わりを迎えた。


 「―――どうでしたか? 私の音楽は」


 宮下は笑みを浮かべながら、面食らったような表情をする二人に問いかける。山城は依然として固まっており、山口は現実を視認できていないように頬を引っ張っている。だが、神田が山口の肩を軽く叩いたことにより、山口は我に返った。


 「山口さん、どうでしたか?」

 「なんつうか……言葉が出てこねえ……ああ、もちろんいい意味でだ」


 山口の言葉に、宮下は軽く微笑んだ。だが、その微笑みはどこか張り付いたようなものだ。

 その時、山城はやっと我に返った。イヤホンを外し、分かりやすく疲れたように額を手で押さえる。その額は冷や汗で濡れていた。しかし、山城は顔を激しく横に振り気を正す。そして、宮下と向き合った。


 「宮下さん……一つお聞きします」

 「はい、何なりとどうぞ」

 「宮下さん……あなたは"REQUIEM(レクイエム)"ではないのですか?」


 山城の発した言葉に、宮下を除くその場の学生は目を丸くする。その視線は疑問へと変わり、宮下に向けられる。

 宮下は表情一つ変えず、ただ平然としている。しかし、宮下は突如として不気味なほどの微笑みを山城に向けた。


 「よく分かりましたね。そうです。私が"REQUIEM"です」


 宮下の発する堂々とした言葉は、四人を驚愕させた。


 「宮下さんが……あの"REQUIEM"……」

 「おいおい、まじかよ……」

 「にわかには信じられないことだ……実に興味深い……」


 三人が驚愕の言葉を零す中、山城だけは黙って宮下を見つめていた。

 "REQUIEM"とは、動画投稿サイトを通じてフリーBGMを提供質している正体不明の超人気アーティストだ。フォロワーの人数は百万人を超え、何度かネットニュースにも取り上げられたこともある。だが、テレビ取材だけは何度も断り、その存在は謎に包まれていた。

 そんな超人気アーティストは、目の前にいる白髪の女だ。光を孕まない瞳とその容姿から感じられるのは、鎮魂歌を意味する"Requiem"とは程遠いものだ。


 「驚かせてしまったようですいません。あまり人前には出ないようにしているもので……あ、このことは内密にお願いしますね」

 「それは構いませんが……どうして人気アーティストのあなたが古山大学に? 音大という選択肢もあったでしょうに……」


 七瀬は単純な疑問をぶつけた。他の三人もそう思った。音楽を作るのであれば、音大なり芸術系の大学に進むなど道はあったはずだ。

 だが、宮下は首を横に振った。


 「私が作る音楽は本気のものではありません。あくまでも趣味の範囲内です」


 その言葉に、その場の四人は何も言わなかった。宮下もとい"REQUIEM"本人がそう言うのならば、外部者が口出しする権利は存在しない。

 だが、山城は一人ふと考えていた。かの有名なアーティストが、なぜこのような暗い音楽を作ったのだろうと―――




 やがて食事会はお開きとなり、連絡先を交換した学生達は帰路についた。その中に混じった有名アーティストの学生は、深夜の街の中を歩いている。

 そんな中、女は帰路に存在するショッピングモールの外部モニターに目を向けた。そこに映っていたのは、高校生の恋を題材とした恋愛映画だった。シンプルながらも涙を誘う予告映像は、周囲の人の目を引いていた。


 「青春ね……」


 女はただ一言、周囲の人に聞こえないような声でそう言った。そして女は帰路につく。夜闇に紛れゆく女の白衣は、夜風に灌がれていた―――

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