第92話 ジャック VS ハンス
ユフィはエリーナとライルと共に、演舞会の会場にやって来た。
会場は天井が吹き抜けになっている開放感溢れるドーム。
ここは、学園の中でも最も大きな施設だ。
空が直接見えるその空間は何千人もの観客を収容できるキャパがあり、上を見ると青空がどこまでも広がっている。
会場の中央には大きな舞台が設けられており、その周囲を取り囲むようにして観客席が段々と配置されていた。
「大盛況ね!!」
エリーナが弾んだ声を上げる。
学生たちは皆、興奮と期待に満ちた表情で舞台を見守っており、熱気が場内に充満していた。
さまざまな家柄の子供たちが一堂に会し、華やかな衣装をまとった姿がずらりと並んでいる。
(ひ、人酔いしちゃうっ……!!)
辺境の村出身のユフィは人混みが苦手である。
数えきれないほどの観客と熱気にユフィの胃袋は裏返りそうになっていた。
そんなユフィを置き去りに、やけに露出度の高い衣装を身に纏った美女の司会の声が響き渡る。
「さあさあ皆さんついに始まりました、魔法学園五月祭のメインイベント! 演舞会、攻撃魔法の部が開幕です! 皆さん、盛り上がってますかー!?」
うおおおおおおおおおおおおお!!!!
(ひいいいいいいいいいい!!!)
ホールが揺れんばかりの歓声とは逆に、ユフィは目が回りそうになっていた。
「良い元気ですねー!! それでは早速、選手にご入場いただきましょう! 1年代表、ジャック・ガリーニ!」
司会が名前を口にすると同時にポップなファンファーレが鳴り響き、壮大な音楽がドーム全体に広がる。
パパーンと、盛大に噴出した煙の奥からジャックが登場すると、観客の歓声がさらに大きくなった。
「頑張れジャックー!!」
「かましたれー!」
周りからは去年苦しくも敗北したジャックにリベンジを煽る声が上がる。
観客に手を振りながら舞台の中央へと進んでいくジャックの表情は余裕を纏っているが、わずかに緊張の色が浮かんでいる。
しかし、瞳にはこの演舞会に賭ける確固たる決意が宿っていた。
「続きまして2年代表、ハンス・アーノルド!」
次に司会の声が上がると、会場の雰囲気が一変した。
再び鳴り響く音楽はジャックのものとは違って、重々しく、重圧感を抱かせるもの。
まるで、海を泳いでる時に鮫が近づいてくるような音楽が会場の空気に緊張感をもたらした。
どどーん! と、演出の炎の中からハンス登場する。途端に、観客席から歓声が湧き上がった。
「ハンス様ー!!」
「素敵ー!! 結婚してー!」
ハンスには女性ファンが多いのか、ジャックとは対照的に黄色い歓声が目立つ。
そんな声には目もくれず、ハンスは背筋を伸ばしたまま堂々たる姿で舞台へと向かう。
その瞳は鋭く光り、まるで戦場に赴く戦士のような鋭さと自信に満ちていた。
「逃げずにここに立ったことは誉めてやろう」
ハンスが舞台に立つなり、ジャックに言葉を投げかける。
「五分後にまだ立っていたら俺も誉めてやります」
「先輩に対する言葉遣いがなってないな」
「後輩だからって舐めない方が良いですよ」
ジャックも負けじと強気な返答を返し、口元には挑戦的な笑みを浮かべた。
「それではルール説明をします」
司会の言葉で歓声が止み、会場が一瞬にして静まり返った。
落ち着きを取り戻した空気の中、司会者が丁寧にルールを説明し始める。
「どんな魔法を使っても構いません。ただし、相手を殺してしまうような魔法は禁止です。勝敗はどちらかが降参するか、戦闘不能になるまで続けます。以上です」
説明が続く間も、ジャックとハンスは互いに鋭い視線を交わし続けていた。
ハンスは落ち着いた様子だが、ジャックの拳は小さく震えている。
一年の時間を経てついに迎えたリベンジマッチという重圧、そしてハンスが放つ猛者のオーラがジャックに緊張をもたらしていた。
(やれることは、やった……)
心の中でジャックは呟き、拳の震えを収める。
(……あとは、全力でぶつかるのみ)
ギンッと、ジャックもハンスの瞳を射抜くように見つめた。
そんな二人をユフィは観客席から二人を見守りながら、心臓がバクバクと高鳴るのを感じていた。
手のひらは汗ばみ、息をするのも忘れるほどの緊張感が彼女を包み込んでいる。
「ジャックさん、頑張って……」
共に切磋琢磨して来た戦友の勝利を祈るように、両手を胸の前で組みながらユフィは言葉を落とした。
「それでは、始め!」
戦いの火蓋が切って落とされた。
◇◇◇
最初に動いたのはジャックだった。
「烈火嵐!!」
声高らかに魔法名を叫び、両手を空に突き出す。ジャックの頭上で瞬時に生成される十個の火球。
炎の光が会場を照らし、熱が空気を震わせる。
「ほう」
ハンスが一言だけ呟いた途端、ジャックは火球をハンスに向かって放った。
十個の火球が轟音と共に突進してくる様は、流星が地上に降り注ぐよう。
「水散球」
ハンスが静かに言うと、彼の周りに同じく十個の水塊が出現する。
途端にそれらは火球に向かって飛び出した。
火と水。
対となるエネルギーが空中で激突し轟音と水蒸気が会場を満たす。
寸分違わぬ精度でハンスの水塊がジャックの火球を全て打ち落とした。
立ち込める蒸気が晴れると、ハンスは傷一つない様子で立っていた。
うおおおおおっ!! と会場が歓声に包まれる。
「行けー! ジャック! やっちまえ!」
「ハンス先輩ー! 頑張って!」
学生レベルではあまり見ることのない攻撃魔法のぶつかり合いに、観客たちは興奮一色に染まっていた。
「扱える火球の数が増えたな。一年の成長としては充分だ」
その声は素直な賞賛を含んでいたが、遥か上空の玉座から見下ろしているようなニュアンスが見てとれた。
「ちっ……」
吐き捨てるように舌打ちすると、ジャックは次の魔法を繰り出す。
「炎刃斬」
ジャックの手のひらから炎が舞い上がり、瞬時に形を変えて剣となる。
ユフィとの戦いに敗れた後に生み出した新技──炎刃斬は真紅の炎を纏った刃だ。
刀身が炎そのもので、周囲の空気をゆらゆらと歪ませていた。
「……らあっ!!」
ジャックはその剣を手にハンスに斬り掛かる。
しかし、ハンスは魔法名を唱えもせず手にジャックと同じように火剣を創造した。
金属がぶつかり合うような鋭い音が弾ける。
ジャックの剣を受け止めながら、ハンスはフッと笑って尋ねた。
「戦場で幾度となく魔物を斬り捨てている俺に、剣技で勝てるとでも?」
「やってみないとわかんねえだろ!」
ジャックは次々と剣で攻撃を仕掛けた。
斬撃、突き、払い──そのすべてが炎を纏い、空間を焼き裂くようにハンスに迫る。
しかし、ハンスは一瞬の無駄もない動きでその全てを受け止めていた。
剣が交わるたびに火花が散る。
ジャックの一撃一撃に込められた力がハンスの防御によって弾かれ衝撃がビリビリと空間まで伝わる。
二人の間に生まれる激しい攻防は、まるで炎の舞踏のように観客を魅了していた。
「勢いは悪くない、だが……」
ハンスは一瞬の隙を見逃さず、反撃に転じた。
踏み込み、力強く剣を振るい、ジャックの剣を空に弾き飛ばした。
「くっ……」
バランスを崩し、一旦後ろに下がるジャックにハンスは淡々と言う。
「真正面から突進一択はすなわち、相手の力量が上回っていると勝てない事を意味する」
ハンスはジャックに剣先を向ける。
「真正面が、なんだって……?」
「む……」
ジャックがニヤリと笑う。ハンスの周りを十数本の炎の矢が取り囲んでいた。
矢は赤く輝き、その切っ先がハンスを射抜かんと煌めいている。
「烈火の矢!!」
ジャックが叫ぶと同時に、炎の矢が一斉にハンスに向かって殺到した。
「剣技で注意を逸らしている間に、別の魔法を発動させて攻撃を仕掛ける……良い手だ。だが……」
落ち着いた様子でハンスは叫ぶ。
「清瀧防壁!!」
瞬時に巨大な水の壁が彼の周りに出現。
炎の矢は次々と水壁に突き刺さった。
矢が水に触れるたびにシュウッという音が響き、厚みのある水層によってそのエネルギーが失われていく。
炎の矢がすべて水に吸い込まれて消えると、残ったのは立ち上る蒸気と、変わらず立ち続けるハンスの姿だった。
「……ちっ、そんなうまくはいかねーか」
舌打ちするジャックに、ハンスは僅かに感心するような表情を浮かべて言う。
「剣技で注意を逸らしている間に、別の火魔法を発動させて攻撃を仕掛ける。お前にしては良い手だったな」
火魔法だけを取ってみると、ジャックはハンスと良い勝負ができるレベルに達している。
しかしハンスには、水魔法も使えるというアドバンテージがある。
火魔法に対して水魔法は盾として非常に有効。
去年も、ジャックの火魔法が悉くハンスの水魔法によって防がれてしまい、魔力切れを起こして敗北を喫したのだった。
「この一年での成長は認めよう。だが……」
ハンスの言葉にはどこか期待はずれの雰囲気が漂っていた。
「まだ遠く及ばないな」
その言葉が、反撃の合図だった。
「焔王巨人」
ハンスが魔法名を口にすると、周囲に桁外れの炎塊が出現した。
その炎の塊は瞬く間に形を成し、巨大な人型へと形を変えていく。
燃え上がる炎で構成されたその姿は、まるで地獄から這い上がってきた悪魔のよう。
巨人の目が赤く輝き、熱風が周囲を吹き荒れる。
観客たちはその光景に圧倒され、本能的な恐怖を覚えて息を呑んだ。
耳をつんざくような轟音。まるで地獄の業火が具現化したような光景。
「そろそろ終わりとしよう」
「終わんねーよ!! 炎獣轟焔!!」
ジャックの十八番にして特大魔法が繰り出される。
瞬く間に発現したそれは、ただの炎ではない。獣の形を模した炎の巨像だ。
赤とオレンジの炎が入り乱れ、灼熱の熱気が空気を揺らす。
獣の形をした炎はまるで生きているかのように唸り声を上げ、その牙と爪をむき出しにして獰猛なオーラを放っていた。
「最後の力比べか」
ハンスが言うと同時に、炎獣は巨人に向かって突進する。
衝突した瞬間、巨人の拳と獣の牙がぶつかり衝撃波が四方八方に広がった。
耳をつんざく轟音が響き、観客たちは興奮と畏怖の感情を漏らしながら見守るしかなかった。
「諦めろ。単純な力勝負は結果が見えている」
ハンスの声が冷静に響く。
確かに言葉通り、出力で言うとハンスの巨人の方がジャックの繰り出した炎獣より一枚上手に見えた。
「確かにハンス先輩の方がパワーは上だ。だけどな……」
ジャックは歯を食いしばり、気合を込めて魔法の出力をさらに上げる。
「俺はハンス先輩よりもずっとずっと、やべえ奴を相手にして来たんだよ!!」
ジャックの叫びと共に、炎獣は再び猛攻を仕掛ける。
巨大な拳を躱し、炎獣の牙が巨人の胴体に食い込む。
巨人と獣が互いの力を試し合う激しい戦いだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ジャックは全身全霊で立ち向かい、炎獣の攻撃力を最大限に引き出していく。
全身からほとばしる魔力が炎獣に注がれ、さらに巨大で凶暴な姿へと変貌させていった。
「愚かな」
一方でハンスの声は冷徹で、落ち着いていた。
ジャックが体力の魔力を消費して汗ばんできたのに対し、ハンスの顔色は少しも変化していない。
にも関わらず、巨人の力はさらに増していき、徐々に炎獣を圧倒していった。
その動きはまるで重厚な鎧を纏った騎士のように、隙のない完璧なものであった。
巨大な拳が打ち込まれるたびに、まるで岩を砕くような音が響き渡って炎獣の形が崩れていく。
無慈悲な神の裁きを下すかのような一撃一撃が嵐のように容赦なく降り注ぎ、炎獣は次第に押し込まれていった。
「くっ……」
ジャックの顔に苦渋が滲む。
全力を尽くした特大魔法の炎獣も、巨人の圧倒的な力の前に次第にその勢いを失っていく。
巨人の圧倒的な存在感は無敵の象徴であり、炎獣が圧倒されていく様子は、無力な鼠が蛇に丸呑みにされる瞬間のようだった。
「少しは頭を使えるようになったと思ったが、やはりお前は一点集中で手札が乏しい」
ハンスは淡々とした声で言い放ち、巨人の巨大な拳が炎獣に最後の一撃を与えた。
拳が打ち込まれると同時に、炎獣の体は崩れ始め、悲しい断末魔を上げながら消え去っていく。
「はぁーっ……はぁーっ……」
ジャックは顔中を汗だくにして息を荒くしている。
誰がどう見てもジャックの魔力の限界は目に見えていた。
「俺の、勝ちだな」
初めて、ハンスの表情が動いた。
勝利を確信し、口元が僅かに緩む。
「ああ……駄目か」
観客の誰かがぽつりと漏らした。
誰もがジャックの敗北を予見し、一年生たちが座る観客席からは落胆の声が溢れ──。
「──手札が……なんだって?」
ニヤリとジャックが笑った。
まるで、この時を待っていたとばかりに。
その刹那──空からきらりと何かが光り、ハンスの身体目掛けて飛んできた。
それは、序盤の攻防戦でハンスに弾き飛ばされた火剣だった。
ザシュッ!!
「ぐおっ……!?」
火剣がハンスの背中を一閃する。
突如襲来した痛みにハンスの集中が途切れ、炎の巨人はまるで幻のように消えていった。
「シッ……!!」
全力で駆け出すジャック。
ひゅんひゅんと音を立てて飛んでくる火剣を掴み、最後に残された力を振り絞ってハンスに肉薄する。
「くっ……」
ハンスが体勢を立て直そうとするより早く、ジャックは剣先をハンスの首元に突きつけた。
しんっと、会場から音が消えた。
一瞬の間に起きた形勢逆転に、誰もが唖然となっていた。
「使い捨ての剣だと思わせて、ずっと上空で待機させていたのか」
ハンスが静かに問うと、ジャックはフッと笑って言う。
「純粋なパワーでは自分のほうが上だと……そして俺は一点集中突撃タイプだと、ハンス先輩は高を括っていたはずだ」
「………………」
剣先を突きつけられたハンスは無言のまま、ジャックの言葉に耳を傾ける。
「言っただろ、後輩だからって舐めない方がいいと」
ジャックが言うと、ハンスの表情から闘志が消えるのが分かった。
「見事に足元を掬われたというわけか」
フッと、ハンスはどこか清々しげに笑みを浮かべた。
その笑みには悔しさよりも、子の成長を実感する親のような柔らかさを含んでいる。
「良い師匠と、巡り会えたようだな」
「そりゃあもう、世界最強のな」
ジャックが誇らしげに答える。
ハンスはそれを聞くと、両手を上げて降参のポーズを取った。
「しょ、勝者──!! ジャック・ガリーニ!!」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!
司会の声が響き渡ると同時に、会場全体が爆発的な歓声に包まれた。
「すげー! ジャック、あいつ勝ちやがったぞ!!」
「うおおおおおかっけえええええ!!」
観客たちは皆立ち上がり、歓喜と興奮の声を上げた。
ビリビリと伝わってくる歓声と熱気が肌に感じられ、心臓が高揚感でドクドクと音を立てる。
全身に充実感と達成感が駆け巡り、ジャックは喜びを噛みしめていた。
「強くなったな」
ハンスが賞賛の言葉を贈りながら手を差し出す。
「たりめーよ」
炎の剣を打ち消して、ジャックはその手を取った。そして挑発するような笑みで言う。
「来年、リベンジ待ってるぜ」
「そうさせてもらおう。だが……」
ギリギリッと、ジャックの手が鈍い音を立てる。
「あいででででででででっ!?」
「先輩には敬語を使え馬鹿」
「こんな時くらいいいじゃねえか!」
ハンスの手から逃れて、ジャックは赤らんだ手をふーふーする。
非難めいた目をハンスに向けて言う。
「ガキの頃はタメだったんだし」
「まったく……」
しょうがない奴だとばかりにハンスは笑った。
その笑顔には長い年月を共に過ごしてきた信頼と友情が滲み出ている。
ただの先輩後輩ではない、幼い頃から切磋琢磨し、共に強くなってきた二人をいつまでも歓声が包み込んでいた。